No.6:『逆に聞くけれど――――貴方は人をいくらの値段で買うつもりなの?』
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「……はあああ」
午前11時。普通の探索者は既に出かけている時間。
エフェメラは1人、明らかに重たい足取りと表情で、2階から降りてくる。
ガルドと別行動を始めてから3日目。未だに彼女は今後の指針を見つけられないでいた。
『あら。おはようエフェメラちゃん。今日も探索はお休み?』
「あ、は、はい……お休み、です……その……ガルドはもう外に出てますか……?」
『ええ。ガルドちゃんは、周辺にいるモンスターの様子が気になるって言って、早朝から臨時パーティを組んで遠出したわ。夕方には帰ってくるじゃないかしら』
「そ、そうですか……お、教えてくれてありがとうございます」
そして、いまだエフェメラは、眼前にいるカストルに対して、苦手意識を拭う事が出来てはいなかった。
『別に御礼を言われる程でもないわよ……ちょっと遅くなっちゃったけど朝ごはん食べる?』
「あ、は、はい……えと、それじゃあ、その、お、お願いします」
それでも、カストルにビビってガルドの背中に隠れていた時と比べると、こうしてマトモに一対一で会話が成立するようになった今の彼女は、立派に成長していると言えるだろう。
『お待たせ。うろこパンと川モモサラダ。ちょっぴり物足りないかもしれないけど無料だからそこは我慢して頂戴ね』
「い、いえ……食べられるだけで十分です……その、あ、ありがとう、ございます」
カストルから軽食を受け取ったエフェメラは、空いていた椅子に座り生身である左手でフォークを握ると、いつものように無言で口の中に食べ物を放り込んでいく。
「…………」
『なあに?他になにか欲しいものでもあるの?メインも食べたいなら流石に有料になっちゃうわよ?』
だが、普段であれば食事だけに専念している筈のエフェメラが、何故か今日に限ってカストルの方を何か言いたげに見つめており、だからこそカストルもその視線を察し、先んじて声をかけてやる。
「え、えっと、そうじゃないんですけど……そ、その……ら……ライフクリスタルって……売ってますか?」
『ライフクリスタルと言うと……ダンジョンで探索者が死んだ時に出てくる赤い水晶のこと?』
「は、はい、それっ……それです、そのライフクリスタルです」
『…………うーん』
ダンジョン内で人間が死んだ際、人体の消失と引き換えにその場に残る小さく赤い水晶体。それがライフクリスタルだ。
基本的に何の効果も持ってはおらず、それこそ探索者が死んだ際の遺品程度、そして品の無い好事家が悪質なコレクションにする程度のものであり、価値も高価も殆どない。
『タウン周囲で拾ったやつを保存してはいるけど……残念ながら貴方には売れないわよ』
「っ……な、なんでっ!?なんで売ってくれないのっ!?」
カストル相手に初めて見せたエフェメラの強い反発。
明確な焦りを孕んだ少女の激情を、されど魔人は酷く冷めた声で押し流す。
『逆に聞くけれど――――貴方は人をいくらの値段で買うつもりなの?』
「っっ……そ、れ……は……」
知識はある。経験もある。理解もしている。
魔人の意図を理解できないほど、少女も純粋無垢ではない。
ゆえに、彼女は魔人の質問に対し、明確な答えを出す事が出来なかった。
『ライフクリスタルは、ダンジョンで肉体すら残せない哀れな人間が、最後の最後に自らの存在を証明して生み出す奇跡の遺物……それを買うって事の意味を、貴方は本当に理解してるの?』
「………………」
普段は、温厚すぎるほど穏やかなカストルの眼に、少女への明確な反発の色が宿る。
痛みを覚えるほどにハッキリと突き付けられた現実を前に、エフェメラはそれ以上の言葉を紡ぐ事が出来なかった。
感情と思考で覆い隠していた筈の原因を、正論と言葉と言う形で暴かれた瞬間、少女の心は瞬く間に嫌悪と絶望で満たされる。
『どうして貴方が、いきなりライフクリスタルを欲しがったのか理由は知らないけれど、中途半端な覚悟で手にいれようとするのはやめなさいな……探索者に最低限の欲望は必要かもしれないけれど、身に余る欲望は貴方自身を滅ぼすだけよ』
「……………………そんなこと……そんなこと貴方に言われなくても……自分が一番わかってるっ……」
そして、カストルの語り掛けるような優しい声も、エフェメラの呪詛のように小さく呟いた独り言も、本当に伝えたい相手に届く事はなく――――
[[[ただいまもどりましたァァァ――――!]]]
張り詰めた二人の空気をぶち壊す形で、午前の探索を終えたパーティがフロアに帰ってきた。
『あら。おかえりなさい。今日は随分と早かったのね。良い獲物でも手に入れたのかしら』
夢と希望に満ちた探索者の帰還を快く受け入れるカストルと、どこか気まずそうな表情を浮かべ、再び食事へと戻るエフェメラ。
[しっかし……ガルドのオッサンもそろそろ引退かねぇ]
そんな中、ふと男達の誰かが呟いた言葉に、エフェメラは否応なしに意識を引っ張られる。
男四人で構成された彼らは、ついぞ三日前にタウンを訪れた新鋭の若者たちであり、外にいた頃のガルドを知っている人間たちだ。
そんな彼らの口から出てきた引退と言う言葉に、エフェメラはビクンと全身が強張らせ、バクバクと小さな心臓を跳ねさせながら神経を研ぎ澄ます。
[ま、もういい年だしな。仕方ないっちゃ仕方ないわな]
[ダンジョンの外で何度か組んだ事はあるが……明らかに動きが鈍くなってたからなぁ]
[本人は毒を受けた後遺症のせいとは言ってたが、もう一ヶ月以上もこのタウンに滞在してるんだろ?内心ダンジョン踏破は諦めてるじゃねぇのか?]
「っ…………!」
談笑と共に聞こえて来た言葉――――自分の事なら無視できた。
同情と共に聞こえて来た言葉――――自分が惨めになるだけならば耐えられた。
「そんなことないっっっ……!」
けれど――――自分を認めてくれた人が、自分の命よりも大切な人が、その夢が馬鹿にされていると感じた瞬間、彼女は我慢出来ず声を荒げて立ち上がっていた。
「ガルドをっ!私の大切な人を馬鹿にするなっっっ……!」
それは、エフェメラが生まれて初めて抱いた、他人への敵意であり強烈な怒りだった。
武器としては心許ないフォークを両手でぎゅっと握り、その切っ先を眼前にいる男達の方へと向け、今にも目を大粒の涙で潤ませながら必死に睨み付ける様は、ともすれば滑稽にしか見えない光景だろう。
[へ……えっ……が、ガルド……?]
[ど、どうしたんだ嬢ちゃん……フォークを持って怖い顔して……?]
[落ちつけよ……別に俺たちはオッサンを馬鹿にしたとかそう言う訳じゃないぞ……ただ]
楽しく談笑をしていた男達からしてみれば、いきなり他人から激情を受けている事自体が寝耳に水だった。
だが、自分達に向けられている獲物があまりにお粗末すぎる事、そして敵対心を向けた相手自体も幼い少女だったと言う事もあり、彼らは言葉での説得を試みようとする。
「フーっ!フーーっっ!フーーーッッッ!フーーーーッッッッ!」
しかし、強い怒りに支配された少女には、まっとうな理性的な言葉など届く筈もなくて。
『そのフォークを下ろしなさいエフェメラちゃん――――じゃないと殺すわよ』
「ヒッ!?」
そんな彼女を諫めたのは、管理者である魔人カストルだった。
恩師を馬鹿にされたと思い込み、ある種の混乱状態に陥った少女を、一言だけで黙らせる。
それが出来たのは、ひとえにカストルが向けた殺意が、紛れもない本物であったからに他なら無くて。
『……ん、ちゃんと言うこと聞けたわね、偉い偉い』
「ひ、ひやぁっっっ!?」
心臓を鷲掴みにされ潰されるような重圧から、一転して、全身を愛撫されるような甘い温もり。
心から信頼する男と同じように、頭を撫でられているだけなのに、受ける感覚はあまりにも違い過ぎて。
圧倒的強者に自分の全てを掌握される、その不快感にエフェメラは耐えられず、場から逃げ出してしまうのだった。
――――――
――――
――
「はっはっはっはぁっはぁっはぁっ……はぁぁぁっ!」
部屋に戻って来たエフェメラは、食べたばかりの朝食が逆流しかけるのを必死でこらえ、全身で息をしながらベッドに腰かける。
(怖い、怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いっっっっっっ…………!!!)
酸素の減った脳裏によぎるのはフロアで受けた魔人からの殺意。
思い出すだけでも、心臓がきゅうと締め付けられるような圧倒的なプレッシャー。
自分が弱者だと、魂に刻み付けられる根源的な恐怖から逃げるように、少女は必死で布団を被った。
「はぁっはぁっはぁっ、はーっはーっはーっ……はぁぁ、はぁぁ、はぁぁぁ…………はぁああぁああ」
10分が経過し、汗や涙や諸々でシーツが湿り、熱で浮かされた身体が冷え始めた頃――――その思考に若干ではあるものの余裕が生まれ始める。
「怖かった…………こわかった……やっぱりこわかったぁぁぁ……はぁああぁぁぁ」
布団から顔を出したエフェメラは、改めて強い後悔に顔を歪めながら、ぱふんっとベッドにその全身を預けた。
――――――
――――
――
「…………はぁ」
何もない天上を見上げ、柔らかいベッドに身を任せ、溜息を吐き脱力する度に、一つまた一つと思考がクリアになっていく。
そうすると自然と浮かび上がってくるのは、フロアでの自分の醜態であり、彼らとのちょっとしたやり取りであり。
「後遺症…………か」
かしゃん、かしゃん、と無機質な機械の爪先を動かしながら、エフェメラは天井を見上げ小声で呟く。
「…………大変、だよね」
その話自体は、ガルドと組んで最初の内に聞いた話だった。
自分が死にそうになった時に、サタンと言う少年に助けて貰った事。
命自体は取り留めたが、毒の後遺症で僅かながら、腕に麻痺が残ってしまった事。
そして、毒による後遺症は、エグドラシルポーションでは治らないだろう、そう伝えられた。
「やっぱり前と全然違うんだろうな」
彼の武勇伝はたくさん聞いていた――――だけど、彼が語る過去の彼と、眼前で戦う彼の戦力に大きな乖離がある事を、少女はこの一ヶ月で誰よりも間近で見てきた。
彼は強い。それ自体は間違いではない。だが、その強さはあくまでも、戦闘面において素人であり弱者である、エフェメラから見て強いと言うレベルに過ぎない。
単独でドラゴンを屠った。一撃でゴーレムを粉砕した。素手で人食い熊を叩きのめした。されど、今の彼からは彼が語る過去ほどの力は感じられなかった。
「……………………辛いだろうな」
エフェメラは、自分が大切だと思えるものを、何一つとして持ってはいなかった。
だから、自分が持っていたものを失う恐怖が、一体どれほどのものかなんて検討もつかない。
だが、それはきっと辛いことなのだろうなと、きっと彼は苦しんでいるんだろうなと、想像する事は出来た。
「……何か……私に出来ることないかな……ガルドのために……私でも何か出来ることないかな」
だからこそ――――自分に出来る事はないのか、彼の助けになれないだろうか、その結論に至るのは当然の帰結と言えた。
「私に出来る事と言ったら……ポーションづくりくらいだけど……確か……エグドラシルポーションじゃ駄目だったんだよね」
故に、もはやエフェメラの頭には、どうしたら彼の役に立てるか、どうしたら彼の傷を癒せるのか、と言う疑問しか存在しておらず。
「だったら、それ以上の薬なら、もしかしたら回復したりするんじゃないかな……ええと、エグドラシルポーションより強力な回復薬と言ったら……ええと」
本来であれば今のこの時間が、自分の目標や夢を探す為にあった事すらも忘れ、エフェメラは必死に記憶と知識と技術とをフル回転させ、どうしたら彼が完治するかの道を探り始める。
「……………………エリクシル?」
そうして辿り着いたのはエリクシル。
それは、一般的な探索者であれば、一生をかけても手にする事すらも難しいとされる、究極の回復薬だった。
その回復力は凄まじく、使用した人間の肉体を全盛期に戻すと言う、文字通り神の奇跡のような現象すら引き起こす事が出来る代物だ。
そんな希少かつ高価なエリクシルだが、殆どの探索者が所持しないにも関わらず、存在自体は多くの探索者に認知されていると言う、ちぐはぐな状態だ。
何故か。その理由は至極簡単だ。エリクシルが高すぎて探索者の手に渡る事はなく、結果的に取引材料としてしか使われる事はない為、その殆どが魔人の手元へと渡るからだ。
「うん……うんっ……エリクシルは……エリクシルなら見たことあるっ…………!」
それは、エフェメラがガルドとコンビを組む前、他のパーティを転々としていた頃だ。
自分に何の価値もなく、死体漁りや疫病神と呼ばれ、疎まれ恨まれ邪魔者扱いされていた頃、一度だけ見た事があったものだ。
とある魔人が、魔物討伐に失敗して崩壊した自分達のパーティに対し、一生を賭けても絶対に手に入らない金額を告げて見せたとても綺麗な水。
赤。橙。黄。緑。水。青。紫。七色の光が何の違和感なく混ざったそれは、その時に視力を失いかけていた少女の網膜に、その記憶にハッキリと残っていた。
「あれなら多分…………ううん、絶対に作れるはず……!素材は……ガルドが持ってた袋の中にいくつか揃ってた……いけるっこれならいけるっ!」
雷に打たれたようにベッドから飛び起きるエフェメラ。
そこには、怯えたままの弱々しい少女の顔はなく、好奇心と興奮に満たされた一介の錬金術師の顔があった――――
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