No.3:「良かったな、紛い物の蜻蛉(エフェメラ・クロニー)。この成功は間違いなくお前が掴んだものだ」

「エフェメラ。レモンラビットは牙に毒の棘があるから気を付けろよ。皮膚に触れる程度ならともかく体内に入ると場合によっちゃ死ぬからな」

「ふぇっ!?ぁ、う、うんっ、わかった……ん、しょ、んしょ、と、取れたぁ」


三日後。

ガルドは、死にかけていた少女[エフェメラ・クロニー]を連れて、タウン近場にある見渡しの良い草原へとやってきていた。


「それと、獣系のモンスターを解体する時は、出来るだけ内臓の位置をイメージして手を動かせ。別種の獣モンスターでも基本的の臓器と位置自体にあまり違いはないから、次に解体する時が楽になるぞ」

「あ、うん、わ、わかった」


ダンジョンとは思えないほど青々と草が茂った広場には、兎や猪と言った比較的安全とされている家畜系のモンスターが出現し、尚且つ危険度の高いモンスターはあまり出てこない為、探索者のリハビリ場所としては非常に都合が良かった。


「で、出来たよガルド、ちょっと時間かかったけど」

「目標だった十匹目到達だな。それじゃあ次に進むぞ……覚悟の方は出来てるか?」

「う、うん……だ、大丈夫……だと思う……多分だけど」


一通りエフェメラがモンスターの解体を終えたのを見計らって、ガルドが袋から小太刀サイズの木剣を取り出す。


「とりあえず、今回の武器はこれでいこう。狙う獲物はそうだな…………あそこにいるロックボアにしようか」

「え、えと、どこ、ロックボアどこ…………あ、もしかして、岩場の陰で寝てるやつ?」


ガルドが指をさした先、そこにはスイカ程の大きさをした六本足の黒毛の猪が、ぐうぐうと気持ち良さそうに居眠りをしていた。


「思ったよりもちっちゃいんだね……もしかしてまだ子供?」

「ロックボアはあれが成体だ。動きも鈍いしサイズも小さいから、反撃を受けても危険は少ない……が、油断すると痛い目に合うから、最初の一撃で仕留めるつもりで思い切りいってこい」

「っ……わ、わかった」


ガルドからアドバイスと木剣を受け取ったエフェメラは、落ちつかない足取りでロックボアへと近づいていく。


「はぁっはぁっはぁっ……ごめんなさい、ごめんなさい……や、やぁあああああっっっ!」


そして、残り一歩と言う位置まで近づくと、いまだ野生生物とは思えないほど無防備にイビキを立てるロックボアへと狙いを済まし、大振りな木剣の一撃を打ち込んだ。


「っっっ!?あ、が、~~~~~~~~っっっ!?」


カコンッ、と小気味良い音が響いた直後、エフェメラは声にならない悲鳴をあげ、持っていた木剣を手放しその場にへなへなと崩れ落ちる。

本来であれば致命的な筈の一撃を受けたロックボアの方はと言うと、悶絶する少女とは裏腹に何事もなかったかのようにピンピンとしており。


「しび、しびれっ……手ぇっ……痛っ、しびっ……ぃぃぃっ……!?」

「中途半端に加減するからそうなる……ロックボアは名前の通り毛皮の下に岩の様な甲殻を持ってるから、中途半端な力で叩くと衝撃が全て自分の方に返ってくるんだよ」


ガルドは、悶絶するエフェメラを微笑ましく眺めながら、二人の存在に気づき慌てて逃げ出そうとするロックボアの鼻元へ、木刀がへし折れる勢いで殴り付け昏倒させる。


「い、いたっ、いたぃぃぃっ……なんで先に言ってくれなかったのぉぉっ……!?」

「俺はちゃんと最初の一撃で仕留めるつもりで行かないと痛い目を見るって言っただろうが」

「それは、そうだけど……でも…その、ぁうぅ」

「まあ良いさ……少なくとも今回のこれで、お前が全く戦闘に向いてない、って事が解ったからな」

「ご、ごめんなさい」

「別に謝る必要はないさ。出来ないならこれから覚えていけばいい。それだけの話だ」


そう言うと、ガルドは再び獣解体用のノコギリをエフェメラの前へ置き、仕事の時間だと普段と変わらない表情で言葉を続ける。


「さてと……猪型モンスターの解体方法はわかるか?」

「…………多分」

「なら良し。トドメは刺してるから、痺れが取れたらすぐに解体スタートだ」

「…………わかった」


エフェメラとガルド。同じく死の淵から回復した境遇の二人は、即席ではあるがコンビを組んでいた。

最初はガルドがモンスターを討伐し、その素材をエフェメラが解体すると言うものだったが、エフェメラの解体および探索技術があまりにも拙かった事もあり、これでは話にならないとガルドの方から彼女に探索技術のイロハを教えようとしたのが、ことの切っ掛けだった。

コンビ期間は、ガルドが再び街を出発するまでと言う曖昧なものではあるものの、モンスターの解体の仕方、比較的安全に逃げる為の方法、厄介なモンスターの見分け方、探索者としての基本的な心構えなど、ガルドは自分が役に立つと思った知識を惜しみなくエフェメラに教えていった。


「…………ごめんね」

「謝るな。人には向き不向きがある。お前さんは魔物退治に向いてない。ただそれだけの話だ」


そして、昨日と今日、彼は少女に魔物と戦う為の術を教えようとしたのだが――――いかんせん上手くいかなかった。

彼女、ことエフェメラはどうやら根本的に、暴力に対して異常な恐怖心を持っているらしく、これが戦闘を行うにおいて大きな妨げとなっていた。

全力で相手をブッ叩けない、全霊で相手をブッタ切れない、と言うのは生死を賭した戦場において致命的な弱点になる。魔物に対し手加減が出来るほど人間と言う種は強くないのだ。


「でも……私……なにも出来てない……何の役にもたててない……」

「焦るなエフェメラ。戦えないって事実が解っただけでも十分な収穫だ。戦闘する事だけが探索の全てじゃない。まずはお前がどこまで出来るかを確認した上で、出来る事を少しずつ増やしていく事が今は大事だ。苦手な分野でつまづいたからと言って焦る必要はない」

「……でも」

「いざとなれば、戦闘は金で戦える奴を雇えばいい……だが、素材の収集解体は、探索者にとって必要不可欠だからな」

「それ、は……そうかもだけど」

「わかったら頭を切り替えろ。俺がこのタウンにいる内に覚えられるだけ覚えておけよ」

「……………………うん」


理解は出来るが納得は出来ていない、そんな表情を浮かべながらもエフェメラはガルドに教わった通り、ロックボアの解体を行っていく。

ただし、その速度は初日とは比較にならないほどであり、まだ三日目ながらも著しい成長を見せてくれる少女の姿に、ガルドは若干ではあるが『人を成長させる喜び』を覚え始めていたのもまた事実であり。


「しかし、素朴な疑問なんだが……コボルトの攻撃を受けてパニックになる、武器や魔法も使えないから敵も倒せない、探索者や道具の知識なんかもからっきしダメ、それでどうやってここまで生きてきたんだ?」

「そ、それは……そのっ」

「別に責めてる訳じゃないぞ。ただ純粋に、戦う手段を持ってないお前が、どうやって俺と同じ階層まで辿り着いたか、それが知りたくなっただけだ」

「えぇ、と……今のタウンに来る前は……色んなパーティの人にくっついて……荷物を持ったり、余った素材を貰ったりして、戦わないようにしてた……」

「荷物持ち(ポーター)か。妥当と言えば妥当だな……だが、タウンに来た時はお前一人だけだったが、他のメンバーとはどこかで別れたのか?」

「そ、それは……その…………直前に向かった……火炎トカゲの巣で……みんな…………逃げられたのは……私だけで……わぷっ」

「悪い。嫌な事を思い出させちまったな。今のは忘れてくれ」


弱々しく回想を語るエフェメラの頭を、ぽふ、わしわしわし、と乱雑に撫でながらガルドは強引に話を打ち切る。

流石にデリカシーがない質問をしてしまったと、状況から考えたら簡単に想像できる事だったなと、苦々しげに眉を顰めるその顔には、反省と後悔の色が浮かんでいた。


「わぷわぷわぷ……ガルド?」

「そろそろ作業に戻るぞ。今日はこの調子で、解体と収集に特化して速度を上げていくとしよう。とりあえず今日は残りの時間でワイルドベアを20匹。コングターキーを15匹ほど狩って、最後にローズベリーとカクテルピーチを30個ずつ集めるぞ」

「……………え?」

「そこそこハードだがしっかりついて来いよ!」

「えっ!?あっ!?待ってっ!待ってよっ!おいてかないでよぉっ!?」


数日前まで生死を彷徨っていたとは思えない軽さで、二人の凸凹コンビはダンジョン奥の森へと消えていくのだった――――


――――――――――――

――――――――

――――


二人に転機が訪れたのは、エフェメラが解体と採集作業にも慣れ始め、一週間が経過した頃だった。

今日はいつもより奥を探索しようか、そんなガルドの提案を、エフェメラは何の疑いも持たず受け入れた。


「薄々と思ってはいたんだが…………エフェメラってメチャクチャ運が良いんだな」

「はぁ、はぁ、はぁ……そう、なの?」


そして六時間が経過して――――エフェメラは純粋な疲労により、ガルドは焦りによる大粒の汗を滲ませながら、住処であるタウンへと戻ってきていた。


『お帰りなさい。今日は随分と汗かいたわね。お風呂とご飯のどっちを先にする?』

「それよりカストルさん。レンタルドリームをお願い出来るかな。時間は2時間でいい」


二人を優しく迎えた魔人の言葉を、ガルドが喰い気味の様相で遮る。


「……レンタルドリーム?」

「一定の使用料を払うと、魔人から借りる事が出来る、簡易的な異界の事で――――と、もう準備が出来たようだ」


最後まで説明を終わるよりも先に、何語かはたまた人間の言葉なのかも聞き取れない呪文を唱え終えたカストルが、満面の笑みを浮かべてガルドへと視線を向ける。


『出来たわよぉ。ガルドちゃんの部屋に、真っ黒い扉が出来てるから、そこを使ってねぇ。それと時間を延長する時は1回ここに戻ってきて頂戴。くれぐれも指定した時間をオーバーしないようにねぇ』

「ありがとうございます!それじゃあ行ってきます!」

「あっ!待ってよガルドっ!私をおいてかないでよぉっ!」


今しがた探索を終えたばかりとは思えない健脚で階段を駆け上がっていく師匠と、肩で息をしながらも置いていかれぬようその背中を必死で目指して走る弟子。


『うふ、うふふふ。最初はどうかなって思ってたけど悪くないじゃない。二人ともウチの子になってくれないかしら。そうしたらこのタウンはもっと賑やかになるのに。ねえポルックスもそう思うでしょ?』


頭蓋骨を胸元で抱きかかえながら二人を見送った魔人の顔は、まるで微笑ましい父子のやり取りを眺める母親のような慈愛に満ちていた。


――――――――――――

――――――――

――――


「…………思った以上に何もないんだね」

「異界とは言えあくまでも簡易的なものだからな」


縦横高6メートル。

全ての面が純白で埋め尽くされた完全な立方体。

誰かに見られる事も壊れる事のない完璧なプライバシーを保証する空間。

そして時間が経過すると中にあるものは部屋ごと消滅する。それがレンタルドリームと言うシステムの全概要だ。


「……そんな危ないものを借りて何するつもりなの?」

「宝箱を開けるんだよ。それと時間が余るから、久しぶりに調合をするつもりだ」


そう言うとガルドは袋の中からついぞ先ほどの探索で、エッグベアの胃袋からエフェメラが見つけ出した小箱を取り出す。

手に乗るサイズのそれは、多くの探索者達が文字通り命を賭して日夜探している、ダンジョン宝箱に他なら無かった。


「ダンジョン宝箱は摩訶不思議なもんでな……中が異空間になってるのか普通にサイズ差を無視したモノが出てくる場合があるんだよ」

「ガルドが持ってる袋みたいな感じ?」

「そうそう。その辺りの原理は基本的にどれも同じなんだろうよ」


知り合いがタウンのロビーで宝箱を開けたところ、中に入っていたのが温度が変わると爆発するバターグリセリンであり、結果としてロビーを半壊させ魔人からこっぴどく折檻され多大な借金を負った、そんな事を普段より機嫌よく話すガルドとは裏腹に、エフェメラは若干の不安を感じながら口を開く。


「……なんでそんな危ないものが入ってるかもしれないのにガルドは嬉しそうなの?」

「そりゃ宝箱って言ったら基本的に中堅パーティでも1年に1つ取れるかどうかっていう超貴重アイテムだからな。中に入ってるものは確かにランダムだが最低でもエグドラシルポーションクラスのものが入ってるし、さっきの話に出てたバターグリセリンだって、価値だけで言えばエグドラシルポーション2本分くらいの価値があるんだぞ」

「…………そうなんだ」


普段よりも早口でまくしたててくるガルドに押されつつも、エフェメラはそんな彼の横顔を見ながら自然と笑みを浮かべていた。


「これもエフェメラのおかげだな」

「…………私のおかげ?」

「エフェメラの運が良かったおかげだ」

「運…………運いいの私?」

「ああ。なんだかんだで戦う術を持ってないエフェメラが、俺と同じ50階層まで生き延びてるんだ……それこそ祝福か奇跡って言われても信じられるくらいの豪運さ」

「……それ、は」


運が良いから生き延びられた、ダンジョンアタックの酸いも甘いも知っているガルドだからこそ出てくる言葉に対し、エフェメラはどこか申し訳なさそうに表情を崩す。


「…………私が生きてるのは……その……運が良かったとかそう言うのじゃなくて……ただ」

「よし――――宝箱の開封準備が出来た。どうするエフェメラ。拾ったのはお前だしお前が開けるか?」

「…………ううん、私はいいよ、ガルドが開けて」


だが、それも一瞬だけ。

目の前にいる恩人が、子供のような顔を見せてくれている。

自分を邪推する事もなく傍に居てくれる。ただそれだけで十分に満足だった。

本当に良いのか、ともう一度、念を押すように聞き返すガルドに対し、いいよと嬉しそうに頷くエフェメラからは、先程までの不穏の色はなくなっており――――


「よし、それじゃあ開けるぞ……こいっこいっこいっ――――こいっっっ!」


ガルドは夢と希望と期待とを目いっぱいに詰め込んだ宝箱を開く。


「「…………」」

「「………………」」

「「……………………エグドラシルポーションかぁ(だね)」」


そして、未知の箱から出てきた既知の幸福に、二人は喜びとも落胆ともつかぬ微妙な表情を浮かべるしかなかった。


――――――

――――

――


「…………なんか袋からいっぱい出してるけど、今度はなにするの?」

「調合だ」

「チョーゴー?まぜるの?」

「ああ。ちなみに今広げてるのは、ポーションを作るための材料だ」

「えっ!?ポーションって自分で作れるのっ!?」

「ああ。とは言っても、自作できるのは、市場で買えるような上等なものじゃない、それこそギリギリでかすり傷を治せるかどうかって言う、劣化ポーションもどきだけどな」

「…………それわざわざ部屋を借りてまで作る価値あるの?」

「ま、ちょっとした道楽の意味もあるけどな……それでも、もしポーションを自作出来るようになったら、わざわざ店で高いポーションを買わずに済むようになるからな。ある種ちょっとした運試しの面もある」

「…………ふーん」


ガルドは楽しげな顔でそう言うと、手に入れたエグドラシルポーションを袋に直し、宝石かと見違うほど透明度の高いフラスコ、素材を溶かす攪拌機や粉砕する小型の石臼と言った、調合の為に必要な道具を一式用意する。

そして、ポーションの素材と思わしき様々な物体を、わざわざ事前に敷いていた魔道シートの上へ、決して混ざらないよう丁寧に区切って並べていく。


「……ポーションってこんなにたくさんの素材で作られてるの?」

「いや、ポーション自体は、4つの素材があれば完成するらしいんだが……いかんせん、残りの1つがなかなか絞りきれなくてな、ほらこれがポーション候補のリストだ」


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★ポーションの素材候補★


・適当な飲料水

●純水――――――――――――(確定)

・キリン酒

・モスワイン

・夜光ナマコの粘液

・一つ目トロルの背骨

・サザメキザメの肉骨粉

・ムラサキゴケ

・山割スルメの目玉

●ツチモモ――――――――――(確定)

・白磁キノコ

・ダンジョンマイマイの殻

・鳴土粉

・夢咲キノコ

・ヌンドラゴラの根

・七色星草

・川枯らしの舌骨

・スライムの粘液

・蜘蛛蜂の女王蜜

・火傷草

●凍結草―――――――――――(確定)

・ゾンビドッグの胃液

・ドラゴンの胆石

・ブラッドアントの甲殻

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「…………候補が多すぎない?」

「ポーションの完全なレシピ自体がそもそも存在してないからな。これだって色んな情報屋からレシピを買ったり試行錯誤した結果だ。どんなに科学が発達しても未だに人類はポーション一つ自分の力で作れやしない。ポーションを大量に排出して市場に卸す事すら可能なダンジョンって言う神秘の足元にも負いついちゃいないのさ」


肩をすくめながら答えるガルドは、諦めが半分で希望が半分、ある種の現実を知っている大人の顔をしていた。


「ま、それでも以前と比べたら十分に絞れた方だ……あとは正解を夢見て一つずつ試していくだけさ」


そう言うと、ガルドは、一つ目、二つ目、そして三つ目と、ポーションの材料をフラスコに入れ煮詰めていく。

コポコポと沸騰した泡が生まれる度に出る小さな音に、素材が別のナニカに変わっていく光景を前に、自然と二人の会話が減っていく。


「――――よし、こんなもんか」


時間にしておおよそ15分。

確定レシピであった、純水、凍結草、ツチモモ、それに追加で加えた白磁キノコの水溶液が、完全な無色透明になったところでガルドは火を止める。

そして、ポーションの効果を確認する為、軽く炙ったナイフで自らの手の甲を傷つけじわりと血を滲ませると、そのまま摂取用の小型スプーンで沸騰したままの疑似ポーションをすくいあげる。


「さて、早速味見を……ん、ぐえっ、マっズぅ……傷の治りも……明らかに遅いし、こりゃ完全に失敗だな」


ピリピリと舌に走る痺れと、口内に広がる強烈な苦味、そして目に見えてわかる治癒の遅さに、思わずガルドは顔をしかめる。

ああまた間違えた、と。あまり期待をしていなかったが故さほど大きな落胆もなく、彼は自らの失敗を軽く済ます。

そして、とりあえず残りの時間も頑張るか、そんな軽い考えで次の素材に手を伸ばした瞬間、だった。


「ガルド違う――――――そっちじゃない」


調合を眺めていただけのエフェメラが発した声。

それはまるで、当たり前を当たり前であると指摘しているような、毅然としたものであり。


「そっちじゃない?どういうことだ?」

「……え、あっ、ご、ごめんなさい、私そのっ……!」

「いや、いい。構わないから続けてくれ。お前はどこに違和感を覚えたんだ?」

「っ……えと、その、えっとぉ、い、違和感と、いうかっ、その」

「間違いなら間違いで別に構わん。それで怒るつもりはない。ただ俺はお前がどう思ったか知りたいだけだ」

「……っ」


自分の失言に気付いたエフェメラが、慌てて謝罪と撤回をしようとしたものの、ガルドは嘲笑するでも憤慨するでもなく、焦る彼女を優しく諫めながら次を催促する。


「え、と……ひ、一つ目と二つ目は大丈夫だと思う……でも、三つ目と四つ目のガルドが入れたやつが違ってて……多分だけど、二つ隣にある黄色の粉と、一番端っこにある、青くてドロドロしたやつ……が合ってる……気がする」

「純水にツチモモ……それと、氷結草では無く火傷草、そして蜘蛛蜂の女王蜜か」

「か、勘だよ?なんとなくだよ?絶対当たらないと思うよ?絶対っ絶対に気のせいだと思うよ?」


エフェメラが自信なさげに選んだそれは、どちらもダンジョンの中ではありふれたものだった。

探索者を生業とする人間であれば、手に入れようと思えば簡単に手に入り、それこそ量産も可能な素材であり。


「エフェメラ……ちょっとここに座ってくれ」

「?えっと……こ、これでいいの?」

「ああ――――それじゃあ早速ポーションを作ってくれるか」

「えっっっっっっ!?」


ガルドは隣で見ていただけの彼女を、強引に自分が居た場所に座らせると、普通の神経ならばまずありえない行動に出た。


「む、無理だよムリムリ絶対むりっ!こんなのやったことないんだよっ!?」

「誰だって最初はそうだ。いいからやるだけやってみろ。失敗しても別に構わん。素材は沢山ある」

「で、でもっ……私この手だよっ!?間違えてこの高そうな機材を壊しちゃうかもしれないんだよっ!?」

「その時はその時だ。いいからやってみろ。壊した責任を取らせるつもりはない。さあチャレンジしてみろ」


人間の世界において、一般的に調合というものは、金持ちや暇人の道楽、とされている。

なにせ揃える機材も決して安くはなく、完成した品もタウンで買うものと比べ、劣っているものしか出来ないからだ。


「む、無理だよ……絶対出来るわけないっ……そもそも、私なんかが出来るわけないし……時間も素材も無駄になるだけだよ……」

「失敗したっていい。責任を追及する気もない。一回だけだ。一回だけ試しにやってみてくれないか?」

「だ、だって、どうせやって絶対無駄になるだけだし、それだったら最初から、ひっ!?」


ざぐ、と――――少女の言い訳ごと切り捨てるように、ガルドは一切合切の躊躇なく、自らの手首を深々とナイフで切り裂いていた。

その傷は、先程の試し切りの時とは比較にならないほど深く、放っておけば出血多量で死に至る致命傷である事は明白であり。


「が、ガルドっ……な、にっ、なにしてるのっっっ……!?」

「これだけ頼み込んでも、中々エフェメラが最初の一歩目を踏み出そうとしてくれないからな……頑固なお前を動かす為には、これくらいの荒療治は必要だろう?」

「あ、荒療治って……!?あ、あう、ああああ、血が、血が出てるよっ……駄目、駄目だよガルドっ、早く治療しないと死んじゃうよぉっ……!」

「そうだな。このまま放置したら死ぬかもしれんな。だから俺の為に早くポーションを作ってくれ」


ぱっくりと開いた傷口から流れていく多量の血液を見て、当たり前のように半狂乱に陥るエフェメラとは裏腹に、ガルドの顔はあくまでも穏やかなままだった。

一歩を踏み出せないエフェメラを動かす為に、いとも容易く自分の命をチップにして彼女を脅迫する。ガルドが行ったそれは、間違いなく狂人の所業に他ならなかった。


「む、無理だよっ……!無理っ、そんなの絶対に無理っっ……!わたっ、私がポーションなんて作れるわけないよっ……それよりっ……早く市販のポーションをっ……!」

「残念だが、俺はお前が作ったポーション以外、飲む気はないからな」

「ッッッ!?な、なんでっ!?なんでそんなことするのっ!?意味わかんないっ!?なに考えてるのっ!?」

「お前が持ってる才能に懸けた――――ただそれだけの話さ」

「さ、才能って…………私にそんなのあるわけないっ!私は何も出来ない愚図で、わぷっ!?」

「他人の期待を否定するな。自分の無力を卑下するな。気持ちは解らんでもないが負け癖がつくぞ」

「そ、そんなこと言ってもっ、わっわわ、ふわわっ」

「大丈夫だエフェメラ。失敗しても構わん。責任を取れとも言わん。お前はただ俺の為に最初の一歩を踏み出してくれるだけでいい。ただそれだけでいいんだ」

「…………」


ガルドは、血に濡れていない手で、エフェメラを優しく諭しながら、ごしごしと頭を撫でてやる。

それは、自傷行為で彼女を動かそうとする狂人とは思えない、まるで父が娘に向けるような情愛と何ら変わらないもので。


「もう一度だけ言うぞ。失敗してもいい、責任も取らなくていい、例え後遺症が出ても俺はお前を恨まない――――だから、ポーションを作ってくれ、最初の一歩目を踏み出せ、エフェメラ・クロニー」

「~~~~っっっ!意味わかんないっ意味わかんないっっ意味わかんないっっ……!な、なんでそこまでっ……!なんで私にそこまで入れ込めるのっ!?」

「勘」

「~~~~っ、か、か、勘って……あ、頭おかしいんじゃないのっ!?」

「まあ、もちろん根拠自体は、あるんだけど……そもそも、最初からエフェメラが素直に動いてくれたら、俺もこうして身体を張る必要はなかったんだが……と言うか、いい加減、ポーションを作ってくれないか……本格的に血が足りなくなって、フラフラしてきた……」

「わ、わかったっ、わかったっ、わかったよもうっ……!作るよっ!作るからっ!ど、どうなっても知らないからねっ……!」


そんなガルドの手を、普段より力強く振り払いながら、半ば強制的にエフェメラはポーション作りに挑戦する。

何も出来ないと揶揄され続け、自身も何も出来ないと自認している少女が、生まれて初めて受ける自身への過度な期待とプレッシャー。

もし断れば、恩人自身の手によって恩人の命が危険に晒されると言う、あまりにも理不尽かつ意味不明な脅迫に屈しながらも、エフェメラはポーション素材と対峙する。


「ま、ず、これと……こ、れと……」

「ん…………こっちは事前に混ぜて……ああこっちは……こんな感じでいいかな」

「ぅ、んん…………もうちょっと減らした方がいいかな……こっちも……あと少し…………だけ……これくらいかな……よし」


額に汗を浮かべ真剣な表情を浮かべるエフェメラの調合は、ガルドが今までやってきたものと比べるとあまりにもお粗末だった。

緊張しているせいか素材に触れる手は常時プルプルと震えており、当たり前のように見ただけで上手に機材を使える筈もなく、フラスコの底には溶けきっていない素材がダマで沈んでいるほどだ。


「…………うん、ぅん……うん」


ぽた、ぽた、ぽた、と大粒の雫が床を汚していく、そんなおぞましい光景すら気にないほど、今の彼女は集中しきっていた。

そんなエフェメラの挑戦を、失血によって朦朧し始めた意識の中、ぼんやりと眺めるガルドの表情は、これまでにないほど満足げだった。


「うん………………これでいい……出来た」


そうして――――エフェメラが調合を開始して五分も経たず変化は起きた。

まるで、誰かが魔法をかけたかの如く、軽く掻き混ぜた水溶液は透明度を増していく。

気づけばそれは、ダンジョンタウンで見かけるような、青い燐光を放つ透明なポーションに成っており。


「え、えっと、ガルド……?た、多分これで出来たと思う、ガルドっ!?」

「…………ぁ?…………ああ……ポーション……出来たのか…………凄い……じゃない……か」

「ガルドっ!?顔青くなってるよっ!?飲んでっ!いいから早くポーション飲んでっ!でなきゃ死んじゃうからぁっ!」


エフェメラは、初めて手掛けた自作ポーションを、成否すら曖昧な成果物を試飲すらせず、出血で意識が朦朧としているガルドへ強引に飲ませる。

自らの命を人質にした強制ポーション作り――――エフェメラを強迫観念で動かすと同時に、ポーションの最大効果を見る事が出来ると言う意味では、非常に探索者として有用な手段だった。

しかし、もしも失敗していた場合、運が悪ければ死に至る可能性だけでなく、少女の心に強いトラウマを植え付ける事にもなるであろう、リスクが高すぎる賭けであった。


「ん――――バッチリだ」


だが、彼は、賭けに勝った――――彼が信じた幸運は、少女が抱いた違和感は、ものの見事に彼を生存へと導いた。


「………………な、治った、の?」

「ああ。傷痕もない。エフェメラのおかげだ」

「よ、良かったっ……ちゃんと作れて良かったっ……無理し過ぎだよガルドっ……ばか……ほんとばかだよ…………でも良かった……本当に良かった……」


ガルドが無事だった事に、ほっと肩の荷を下ろし、心の底から安堵するエフェメラ。

今の彼女には、彼がしでかした悪質な人質作戦を追及する力すら、もう残ってはいなかった。


「――――純全たる錬金術師(イノセンス・アルケミスト)」

「え……?」

「百万か千万に一人だか、百年か千年に一人だか忘れたが、レシピすら必要とせず作りたいものを感覚だけで作る事が出来る、その時代における人類史の特異点となるとんでもない天才錬金術師の事を言うらしいが……まさかエフェメラがそうだとはな」

「私が…………錬金術師?」


恩人が死にかけたパニックから完全に戻りきれていない少女は、まだ自分が人類の偉業を成し遂げた事をきちんと理解していない事もあり、心ここにあらずとばかりの、呆然とした顔をしていた。


「ああ。それも歴代トップクラスの実力を持った、な。良かったじゃないかエフェメラ。これで少なくとも飢えて死ぬ事はなくなるだろうよ。まさに一発逆転。人生なにが起きるか解らんもんだな」

「…………」

「とは言え、ほぼ最下層の荷物持ちから、いきなり最上級の錬金術師サマだ。色々と戸惑うのも無理はないが、あまり難しく考えるとドツボにハマるぞ」

「…………」

「……まだ実感わかないか」

「…………」


恩人の言葉に反応する余裕すらなかった。

だが、それも、当たり前と言えば当たり前の話だった。

彼女は、今の今まで、周囲から無力と無能の烙印を押され、図太く生きてきたのだ。

そしてエフェメラ自身もまた、自分が何も出来ない弱者と言う認識の上で、健気に生きてきたのだ。

人格形成の根柢に植え付けられた、ある種の呪いにも近い強烈な自意識――――それが力を得たくらいで簡単に変わる筈がない。


「まあいい……ちょっとここで待ってろ」

「え……ぁ……」


そう言うと、ガルドは尚も呆然としている少女を部屋に一人残し、荷物もそのままに出て行ってしまった。

そして10分後――――ガルドは、じゅうじゅうと食欲を刺激する音を響かせ、鼻孔をくすぐる香ばしい匂いの鉄皿を手に帰ってくる。


「…………なにそれ?」

「『シルク鯨の炙りとA6海老の虹色ソースがけ』と『トロツナビーフの海山葵ステーキ』だ。カストル曰くこのタウンで一番のごちそうだ」


ガルドが持ってきた二つの料理は、どちらもベテラン探索者ですら滅多に出会う事のない高級食材を使われており、文字通りタウンを代表する料理だった。


「な、なんかいつも食べてるのと全然違う、オーラある感じ……も、もしかしてそれ、た、食べて良かったり、する?」

「そりゃあな。お前の為にわざわざ作って貰ってきたんだ。お前が食べないで誰が食べるってんだ」

「………………私のため?」

「ああ。お前が錬金術になったお祝いだ。存分に食え。味わって食え。腹いっぱい食え」

「っっっ……!」


普段はガルドと同じく最安値に近い料理ばかり食べている事もあり、最初の内はエフェメラも眼前の豪華絢爛な料理に対して躊躇の色を見せてはいたものの、一日探索による極度の空腹に加えて眼前にある芸術品が如きディナーの魔力には勝てなかった。


「が、ガルドは食べないのっ…………!?」

「今日の主役はお前だからな。俺の分はまた今度…………そうだな、お前が錬金術師でたっぷり稼いで、財布に余裕が出来てから奢って貰うとするさ」

「た、食べちゃうからねっ!?ほんとに一人で食べちゃうからねっ!?いいのっ!?全部食べちゃうよっ!?」

「おう。餓鬼が今更遠慮すんな。冷める前に全部食っちまえ。今日はお前が主役なんだ」

「っ……………………い、いただきますっっ……!」


口の中に入れた瞬間に広がる芳醇なソースの香り。

こんがりと焼けた皮が持つ自然の旨味。噛み締める度に溢れ出す肉の脂。

単体でも極上な素材を、絶妙なバランスで絡ませ合い丁寧に調理されたそれは、正しく匠の技と言っても良いもので。


「――――――美味しいっ!」


エフェメラは、一瞬で心を奪われてしまった。

一口。また一口と。食べる度に喜びが広がっていく。心が満たされていく。

食事をして満腹になった事は何度もあった。ガルドに出会って後は特に空腹で夜に眠れないという事はなくなった。


「美味しい…………美味しいよぉ……!」


だけど――――こんなにも幸せな食事は初めてだった。

零れる涙を拭いもせず、夢中で手を動かし口を動かしていく。

これほどまでに――――満たされる時間は生まれて初めてだった。


「そりゃ良かった……良かったらこっちも食うといい」

「い、いいのっ!?後からやっぱり止めたって言っても返さないからねっ!?」

「ああ。いいさ。好きなだけ食え。まだ時間はたっぷりある。焦らなくってもいい。誰も取ったりしないからな」


このタウンに来てから初めて見せる、心からの安堵と満足そうな笑顔を浮かべる少女に対し、ガルドはただ優しくその頭を撫でながら告げる。


「美味いか?」

「んっ!んんっ!うんっうんっ!おいひいっ!こんなに美味しいの食べたの生まれて初めてっ!」

「そりゃあ良かった。これまでの苦労がようやく報われたな。エフェメラ」

「………………これまで?」

「ああ。積み重ねた苦悩の時間が、必死にもがいて繋ぎきった命が、これからはお前の未来を開いてくれる――――良かったな、紛い物の蜻蛉(エフェメラ・クロニー)。この成功は間違いなくお前が掴んだものだ。胸を張って心に刻め。今までの苦労は無駄じゃなかったんだってな」

「――――ぁ」


そして、改めて自分の本名を呼ばれた時、彼の言葉の意味を理解した時、必死に積み上げてきた彼女の心は、一瞬で瓦解する。

整った顔をぐしゃりと歪ませ、ボロボロと大粒の涙を溢すその姿は、けれど決して過去の辛い現実を思い出したから、ではなかった。


「わ、わた、し……わたしっ……は……ッッッ!」

「おいおいおいおい……ほんと泣き虫だなエフェメラは」

「だって……だっでぇっ……ひ、ぐっ……ひっくっ、ひっぐ……」


いらないもの、やくにたたないもの、として扱われ続けた自分を、自分自身すらも諦めていた自分の未来を、遥か高みにいる恩人が認めてくれた。

嬉しくて。嬉しくて。ただただ嬉しくて。生まれて初めて感じる至上の喜びに、エフェメラは嗚咽をあげながらガルドの胸に飛び込んでいた。


「ま、泣ける時に泣いておくといいさ――――よく頑張ったな、偉いぞエフェメラ」

「~~~~~~~~ッッッッッッっっっっっっ!!!」

「ぬわっ!?」


全てを包み込んでくれる父親のような温もりを感じながら、ぼろぼろと流れていく大粒の涙でしょっぱくなった料理を噛み締めながら、エフェメラは生まれて初めて――――生きてて良かった、死ななくて良かった、と。


「がるどっ、がるどっ、がるどぉっ!ひぐっひっぐっ!わああああああああああああああああん!!!」

「あ、ああもう……は、鼻水っ……ああもうっ……仕方ないやつだな……ほんとにもうっ……」


そして――――幸せになりたいと、ささやかながらもずっと抱き続けていたその夢を、諦めなくて良かった、そう心の底から強く思えるのだった。

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