No.2:『貴方も探索者なら覚悟を決めなさい――――生半可な覚悟じゃあ奇跡なんて起こせない事くらい知ってるでしょう?』
「…………ここは」
目を覚ましたガルドの前には見覚えのない天井があった。
右に左にと眼球だけを動かして辺りの様子を見る。どうやら二段ベッドの上段で寝かせられていたらしい。
(生きてる…………恐らくあのサタンという魔人が運んでくれたんだろう……腹部に受けた刺し傷も治ってるし、この礼は高くなりそうだ……)
何時間、はたまた、何日間寝ていたのか解らないが、戦闘で受けた傷は殆どなくなっていた。
恐らくあの後、サタンが相当のダメージを受けていたガルドの身体を案じて、ポーションを使ってくれたのだろう。
本当にありがたいことだ――――命の恩人に対し深い感謝の念を覚えつつ、ガルドは無意識に利き手である右手で傷痕を擦る。
「…………っ」
その際に走った右手の大きな違和感に、ガルドは安堵しかけた表情を強張らせる。
びり、びり、とガラスにヒビが入るような痺れが、右の肘から指の先端に至るまでを満たしている。
(毒か……あの腐れトカゲめ……厄介な置き土産を残していきやがって)
ぐっと奥歯を噛み締めながら、ガルドは二度三度と震える右手を握り締める。
力を込める度、右腕全体に走る鈍い痛みと強い痺れは、最前線で戦うにおいて致命的なラグだ。
(恐らくは複合毒……時間経過で身体に毒素が残ってるだろうから、自然治癒による完全回復も難しそうだ)
ポーションはあくまでも、生物が持っている治癒力を、強烈に後押しするだけの薬に過ぎない。
故に、四肢欠損が治ったりはしないし、モンスターが残した毒による後遺症を取り除く事も出来ない。
四肢欠損すら容易く治す事が出来ると言われ、時間内であれば死者すら蘇生するとされる万能の霊薬エリクシルとは違うのだ。
(慣れるまでしばらくはリハビリだな。再出発まで時間がかかりそうだが仕方ないか)
今回の話は、ポーションによる治癒の後押しがあってもなお、彼の肉体の解毒が追いつかなかったから後遺症が出てしまった。ただそれだけの話だ。
「………………ふぅうう」
だけど、どうして、もしもあの時――――仮定と後悔を澱んだ酸素とひとまとめにして肺から吐き出していく。
「生きている。生き延びた。万全には遠くとも俺は生きている。まだ俺は負けちゃいない。まだ俺は折れちゃいない」
他でもない自分自身に言い聞かせながら、ばちんと自分の頬を両手で軽く叩き気合を入れ直す。
共に戦ってきた大切な仲間を失った。肉体に軽い麻痺と言う厄介なハンディキャップが生まれてしまった。
死への恐怖が。肉への苦痛が。生への安堵が。明日への不安が。それら全てが彼の探索者としての決心を鈍らせる。
「ちゃんと動く。この程度なら大丈夫だ。探索は続けられる。即断即決は良い探索者の第一歩目だ。前に進もう」
されど――――ガルドの顔に絶望の色は全く存在してはいなかった
………………
…………
……
「ここが五十階層のタウンか」
二階の寝室から降りてきたガルドの目に入ったのは、場末の酒場を彷彿とさせるフロアだった。
食堂として使う為、大量に揃えられた椅子と机とカウンター、壁に設置してある探索者ギルドの依頼掲示板。
外を確認してはいないものの、二階の寝所と一階のフロア、両方を合わせたものが、このダンジョンタウンなのだろう。
「…………思ってたよりこじんまりしてるんだな」
それは偽りようのない本音だった。
自分以外、完全に無人のフロア。殆ど動きがないであろう無地のギルド掲示板。
なによりも、一つ前に訪れた四十階層のダンジョンタウンが、複数の建物から成る街規模の巨大タウンだったからこそ、ガルドは五十階層のダンジョンタウンが予想以上に小さかった事に肩透かしを受けてしまった。
『――――近くに大きなタウンがあるから皆そっちに行っちゃうのよ』
独り言のように呟いたガルドの言葉に、カウンターでしゃがんで作業をしていたと思わしき店主が反応する。
「……アンタは」
『私はカストル。この小さなジェミニタウンを管理する魔人よ」
身長は170程度。外見は二十代中盤から三十代と言ったところか。
愛玩動物を彷彿とさせる人懐こさを感じさせる垂れ目、美しさと可愛げを両立させた整った顔立ち。
鴉の濡れ羽の如き艶やかな黒のドレスに身を包み、ウェーブがかった亜麻色の明るいロングヘアーと男の視線を釘づけにする豊満なボディ。
そして、目元に入った無数の黒線で出来た刺青、頭からするりと伸びた黒い角と、臀部付近から伸びた太い尻尾とが、彼女が竜人族(ドラコニアン)の魔人である事を明確に証明していた。
「すまん。失言だ。今の発言は忘れてくれ。このタウンを馬鹿にしたかったわけじゃないんだ」
『別にいいわ。そんなに畏まらなくても気にしないわよ。私自身あまり広すぎるのは趣味じゃないし』
「そう言ってくれると助かるよ……と、改めて自己紹介をさせて貰うよ。俺はガルド。ガルド・アッカーマンだ」
『ふふ、改めていらっしゃいガルドちゃん。ここはジェミニタウン。私とここにいる、ポルックスの二人で、このタウンを管理してるわ』
そう言うと、彼女は胸元に抱いていた、明らかに人のものと思わしき頭蓋骨を愛おしげに抱き締め、心の底から満ち足りた表情を浮かべる。
(死んだ旦那か息子か使い魔か……どちらにせよ余計な詮索はしない方が良さそうだ)
魔人――――それは人類に極めて友好的な存在であり、身内と認識した相手に対して非常に愛が深く重い、ダンジョンタウンの管理人だ。
外見的な特徴はとても幅広く、エルフや獣人や竜人と言った人型から、ゴーレム型やスライム型や樹木型と言った完全な人外まで、多岐に渡って存在する。
更に、どの魔人にも共通している事だが、彼らは魔物と違いきちんと人語を理解しており、尚且つ自らが管理するタウンを守る為ならば決して手段を択ばない。
(しかし竜人の魔人とはまた随分と珍し………………ん?)
そんな中、ふとガルドは会話に違和感を覚え、すぐに出て来た疑問を口にする。
「このタウンには魔人が二人もいるのか?」
『ええ』
浮かんだ疑問に対してさもそれが当然であるかのように答える魔人の言葉。
それは数多のダンジョンを踏破しタウンを巡ってきたガルドからすれば信じられない事実だった。
「一般的に魔人同士は非常に仲が悪いから、一つのタウンに一人の魔人しか存在する事が出来ない、と聞いた事があるんだが……?」
『普通はそうね……でも私達は特別だから』
明らかに自分とは種族の違う頭蓋骨を、その豊満な胸元で包み込むようにして抱き、子を慈しむように優しく撫でまわしながらガルドの質問に応える彼女の顔は、恍惚の色で満たされていた――――
「そうか……ところで話は変わるんだが、サタン、と言う少年が今どこにいるか知ってるか?」
『サタンちゃんならタウンの外よ。人助けに行ってるわ。運が良ければ今日の深夜頃に帰ってくるわね。運が悪ければ明日か明後日になっちゃうかな。ぶっちゃけ最近は神出鬼没気味だから会うのは大変よ』
「ふむ、助けてくれた礼をしたかったが……それなら彼が帰ってきてからの方が良さそうだな」
『そうね。そっちが良いでしょうね。入れ違いになっちゃったら大変だもの』
どうやら、このタウンでは、カストルがタウン内で人を守り、サタンがタウン外で人を守っているらしい。
ようやく、何故タウン外にまで魔人が出てきていたのかと言う根本的な疑問が解決し、ふぅと一息ついて少し離れた席に着くガルド。
直後、ぐうううう、と言う緊張感のない腹の音がフロア全体に響き、ガルドはばつが悪そうな顔を浮かべながら、メニュー表も見ずにカストルへとオーダーを伝える。
「ええと……この店で二番目に安い酒とつまみを山盛りでくれないか……今更だが……腹が減って……死にそうだ……」
『それは別にいいけど……せっかく絶体絶命の死地から生還したのに随分と簡単に済ませちゃうのね。ガルドちゃんはあんまり食事とかにはこだわらないタイプ?』
「いや、そう言う訳じゃないんだが……あいにく、パーティが全滅したばっかりで懐事情が非常に不安定な状態でね。今後は稼ぎも減るだろうから、贅沢はしばらく先になる感じだな」
『あららら、それはまた切実な理由ね……でも、せっかくガルドちゃん生還のお祝いなのに、いつも通りじゃあなんだか寂しいでしょう………………よし決めた!今日は私の奢りでポテトとエールを飲み放題にしてあげるっ!』
「えっと…………いいのか?」
『いいのよ!今日くらいパーっと祝わないと!ガルドちゃん頑張ったんだから!その頑張りを褒めてあげるのは魔人として当たり前よ!と言うことで早速一杯目!ウチのエールは炭酸が強めだから気を付けて頂戴ね!』
「ありがたい………………きた、きた、きた……ごくっごくごくっ、げっふぅぅ……たまらん……五臓六腑に……染み渡るっ……!」
『いい飲みっぷりね!気に入ったわガルドちゃん!ポテトもすぐ持ってくるから待っててね!』
ジョッキでやってきたエールを一息の内に飲み干し、満足げに品のないゲップをするガルドと、それを眺めながら意気揚々と働き始めるカストル。
『ポテトお待ち!揚げたてだから火傷しないように気を付けてね!卓上にあるスパイスをたっぷりごってりかけて食べるのがオススメよ!』
「たっぷりごってりかけるのか…………あち、あち……はふ……はふ……もぐ、もぐ、もぐ……………………ふまいっ……!」
『うふふふ。おかわりはまだ沢山あるから焦らなくてもいいからね。よく噛んで喉に詰まらせないようにしなさいね』
「ありがとうカストル。生活の基盤が安定し始めたら、また改めて礼をさせて貰うよ」
『ガルドちゃんは律儀なのねぇ……じゃあココに永住して貰おうかしら?』
「…………い、今はバベル攻略で頭いっぱいだから、バベル踏破後に一考するって形で頼む」
『うふふ。真面目ねぇ。でも中途半端に誤魔化すよりかは好印象よ。気に入ったから特別に豆サラダも付けてあげるわ』
そんな軽いやり取りを挟みながら、ガルド十日ぶりとなる固形食物の味を、生き伸びたと言う実感を強く噛み締めていた。
「――――だれ、か」
がちゃ、と。
フロアの中に小さく響いた、蜻蛉の如く弱々しげな声が、彼を一時の幸せから無情な現実へと引き戻した。
「……っ」
タウン入口の扉に立った小さな影。
そこに居た少女の姿にガルドは思わず眉をしかめる。
「おね、がい……だれ……か……おねがい…………じま……ず……」
少女には、マトモな人間が持っている四肢、が存在してはいなかった。
付け根の部分から生えた、無骨な鉄鋼の右腕と左足は、彼女自身の痩躰も相まって酷くアンバランスだった。
残った生身である場所は半身以上が焼け爛れており、恐らく目もマトモに見えていないだろう。腹部にぽっかりと開いた風穴も間違いなく致命傷だ。
「げほっ、がほっ……おね、がい……じますっ……ら…………る……ら……を……げほっげぼっ、げぽっ、がはっ」
瞬く間に酔いが覚めてしまうほど濃厚な血と焦げた肉の臭い。
常人ならばあまりのおぞましさに今食べた物を全て吐き出してもおかしくはない光景だ。
「…………」
目の前で人が死にかけている――――だが、ガルドもカストルも、そんな異常とも呼べる光景を前にして、さほど大きな動揺を見せてはいなかった。
何故か。理由はとても簡単だ――――ダンジョンとは、そういうもの、だからだ。ダンジョンにおいて人間が、その程度の脆弱な生き物、だからだ。
外の人間からは想像もつかないほど、生死の境界線が脆い世界で生きているからこそ、彼らは大きなパニックも起こす事もなく、現状を見極める事が出来た。
(皮膚……肺……内臓もいくつかやられてやがる……火炎トカゲの集団にでも襲われたか……)
現状、生きている事自体が奇跡と言っても過言ではない致命傷の数々。間違いなく地獄の苦しみを味わっている筈だ。
少女が口から血の泡を溢し痛みに喘ぐその姿は、多くの死を見て来たガルドであっても思わず目を背けたくなる程に痛々しいものだった。
(ここまできたらまずハイポーションでも無理だ。エグドラシルポーションならギリギリ間に合うだろうが……名も知らない相手にそこまでしてやる義理はない)
ガルドは幾度となく経験してきた心の痛みを理性で押し殺し、せめて自分に出来る事は最期の苦痛を取り除いてやる事だけだと、無情の理性と平静の剣に手を伸ばし、苦しむ少女へと近づいていく。
「……痛いのは一瞬だけだ」
「っ……!嫌っ……いやぁぁっ……殺さないでっ……殺さないでぇ……!いやっいやっいやぁっ……死にたくない……やだっやだっやだやだやだやだっ……殺さないで……殺さないでぇっ……!」
だが、その意志を察したのか、少女は血の堰を撒き散らし、ぼたぼたと傷口から夥しい血を垂れ流し、文字通り少女は這いつくばりながら必死でガルドから距離を取ろうとする。
「いやっ、いやぁっ、もういやぁっ……死ぬのは嫌っ……嫌っ、もう嫌ぁっ、死にたくないっ、死にたくないよぉっ……助けてっ、いやっ、いやぁっ、殺さないでっ……殺さないでぇぇっ……!」
恐怖と苦痛で満たされた弱者の叫び。
ついぞ先程までの幸福すら一瞬で塗り潰す少女の悲鳴に、ガルドの決心はぐちゃぐちゃに掻きむしられる。
(死にたくないだと……痛いのは嫌だとっ……!?)
ガルドとて彼女を殺したくて殺そうとしている訳ではない。
目の前で苦しんでいる少女を出来るのならば救ってやりたい気持ちはある。
もしも彼女の怪我が、普通のポーションで治る程度の傷であったならば、何の憂いもなく彼女を救おうとしただろう。
(当たり前だっ……そんなの誰だってそうだっ!殺されたい奴なんてこの世にいてたまるものかっ……!)
だが、顔も名も知らない少女の為に、同情だけで容易く数ヶ月分の稼ぎに匹敵する差し出せるほど、ガルドは理性と価値観がイカれた善人ではない。
「げほっ、げぼっ、いやっ、いやぁっ、ごろざない、でぇっ……ころっ、さっ、ないでぇぇっ……!」
「っっっ……!」
そして同時に、泣きながら懇願し無様に逃げ出そうとする命を、何の憂いもなく切り飛ばせるほど冷酷でなかったからこそ、彼らの苦痛は必要以上に長引いてしまった。
自分ではどうする事も出来ない絶望を前にして、ガルドが出来る事など精々、この地獄が一刻も早く終わってくれと、姿形すら曖昧な神に祈る事くらいで。
『――――死にたくないなら一つだけ方法があるわ』
そんな地獄に、救いの手を差し出したのは、タウンの管理者であり魔人であるカストルだった。
『貴方が私と契約してタウンに永遠を誓ってくれるなら[コレ]は今すぐにでも貴方のものになるわ』
妖艶な笑みと共に取り出したそれは、今まさしく少女が最も欲しているであろう、エグドラシルポーションだった。
そのレア度と効能は万能霊薬エリクシルとまではいかずとも、一般的な市場に出回るポーションとしては最上級とされており、四肢の欠損すらも完治させられる程だ。
ただし、希少品と圧倒的な効能ゆえ、価値も一般的なポーションとは比較にならないほど高価であり、外でトップクラスだったガルドパーティですら、バベル探索の前に10本しか揃える事が出来なかったほどだ。無論、今はもう全て使い終えてしまった為、一本も手元には残ってはいないが。
『もちろんお代なんていらない。貴方が生活するにおいて今後かかるだろう滞在費用も必要ない。貴方に求めるのは私と一緒に一生タウンの中で生きる事。それだけ。どうかしら。破格の条件だと思うけど』
にこにこにこと、人畜無害な笑みと共に紡がれる優しい魔人の言葉が、全てを包み込む慈母の如き甘さと温もりで少女の心を惑わす。
『貴方が受け入れてくれるなら、すぐにでも貴方だけの為に個室を用意してあげる。ご飯もきちんと三食栄養のあるものを食べさせてあげる。もし欲しいなら珍しい化粧品やキラキラのお洋服だって買ってあげる。二度と自分でモンスターと戦わなくても良い。血肉に汚れながら素材集めに励む必要なんてない。たまに私とお喋りしたり、経営のお手伝いしたり、そうして私たちのタウンで一生を過ごして欲しい――――そうしたら私達は全霊を持って貴方に安寧を与えてあげる』
「…………げほっ」
『人によっては上辺だけの幸せだとか、永遠の牢獄だの奴隷だって言う人もいるけれど、ずぅっと苦しい思いをして最後は死ぬだけの探索人生を送るよりも、よっぽどマシだと思うけど、どうかしら?』
甘く。甘く。どこまでも甘く。魔神が心を容易く腐らせる言葉の媚毒で死にかけの少女を誑かす。
ダンジョンで死にかけた人間へ、命を天秤に駆けた契約を提案し、契約した相手の一生タウンを守る為だけの従僕へと変える。
断れば死ぬ。死生観の狂った探索者以外は断れない事を前提としたその駆け引きは、ダンジョンタウンの中では決して珍しくもないものだった。
「げほっ、げほっ…………いら……なぃ……どれ、い……ぃやぁ……ぞん、なのっ……いらな……いっ、ごぷっ……!」
「っ……!」
そして、目の前にいる半死半生の少女は、あろうことか魔人の提案を受け入れなかった。
死にたくない、殺さないで、そんな無様を晒し、苦しげに血反吐を撒き散らし、いつ絶命してもおかしくない激痛に全身を苛まれながら、少女は緩やかな死の契約を一蹴する。
『――――そ』
その時点で魔人の意識は完全に逸れ、そこには再び死を待つだけの少女と、それを呆然と眺めるだけの探索者だけが残った――――
「げほっげほっ、がはっ、げほっ、がふっ……らぃ、ふ……!」
「……っ」
出血多量でマトモに目も見えず耳も聞こえていないのだろう。
力なく前のめりに崩れ無様に手だけを空に伸ばす姿はあまりにも哀れで。
「いやっ、だ……しにたくっ、ないっ……ころさ……ないでっ……ころさ、ないでぇっ…………!」
「そんなに死にたくないならっ…………魔人との契約を断らなければ良かっただけだろうがっ……!」
気づけばガルドはこみ上げるものを必死に噛み潰しながら死にゆく少女の元へと駆け寄っていた。
「や、あ……こない、でっ、こない、れぇっ……!」
「ああああっ!五月蠅いっ!もういいっ!喋るなっ!余計に体力を使うなっ!いいから黙って飲めっ!」
そして、ガルドは虎の子であるハイポーションを麻袋からありったけ取り出すと、倒れた少女の身体を抱き寄せ強引に飲ませていく。
『優しいわね』
「っっっ……!」
あくまで傍観者としてその光景を眺める魔人の眼差しに、ガルドはまるで自分が偽善を振りまく半端者の烙印を押されているような気分になる。
『でも無理よ。ハイポーションじゃ駄目。その子の怪我はハイポーション程度じゃ治せないわ』
「っ…………!」
一本目を空にしても、一向に回復の兆しを見せない少女と焦るガルドに対し、子供を諭すような優しい抑揚でカストルが告げる。
『貴方も探索者なら覚悟を決めなさい――――生半可な覚悟じゃあ奇跡なんて起こせない事くらい知ってるでしょう?』
「ッ……!」
その手の中には、先ほど契約の対価として少女へ見せつけたものの、使われる機会の無かったエグドラシルポーションがあった。
本気で助けたいのならば、お前がこのエグドラシルポーションを買って彼女を救ってやれば良いだけだと、彼女はそう言っているのだ。
『それとも――――もしかして貴方は偽善を満たす為だけに、わざわざその子を苦痛を長引かせてるのかしら?』
「ッッッ……そんな事あるわけないだろうっ!」
「ぐ、が、はっっっ……!」
とうとう飲み込む力すら失い、苦悶の表情と共にポーションを吐く少女。
土気色をした顔はまだ生きて呼吸をしている事が不思議なほどに衰弱しきっており。
「~~~~ッッッ!」
『可哀想な娘……痛くて、熱くて、苦しくて、本当に辛いでしょうね……生きてるのが不思議なくらい、本当に、本当に、可哀想』
「あ、あ、ああああっ!カストルいいからそれを売ってくれっ!袋に竜の心臓があるっ!それでも足りなきゃ金になるもの根こそぎくれてやるっ!」
『あらあらあらあら。うふ。うふふふふ。良いわ。契約成立。持っていきなさい』
探索者としての数ヶ月分の稼ぎを一発でふいにする愚行を犯し、ガルドは名も知らない少女の為にエグドラシルポーションを使っていた。
「ん、ぐっ、ん、んぐっ、んぐっ……!」
タウン市場において、探索者が購入できる最も高額な回復剤であり、死者をも蘇らせる世界樹の名を冠するポーションの名は伊達ではなかった。
一口目で生気が少女の顔に生気が戻り、二口目で目に見えて傷口が修復していくさまは、まさしく奇跡の所業と言っても過言ではない。
全身に出来ていた痛ましい傷口は塞がり、火傷の痕も瞬く間に薄くなり始め、荒かった呼吸も徐々に落ち付きを見せ始める。
「…………ぁ」
「…………………良かった」
腕の中でぼんやりと目を開く少女の瞳が、生命力を取り戻した事を理解し、ようやくガルドは肺の中に詰まっていた悪い空気ごと深く嘆息を溢す。
『絶望、葛藤、後悔、ふふ、ふふふふ、久しぶりに素晴らしいものを見せて貰ったわ――――でも』
「そう急かすなよ。魔人との約束を反故にするつもりはないさ……ほら、エグドラシルポーションに釣り合うだけの素材を好きなだけ持ってけ、恐らくギリギリ足りるだろうが、それでも足りようならタダ働きさせて貰うさ」
そして、腰に装着していた麻袋を外すと、ぽいとカストルの方へと投げて寄越す。
『男らしいと言うか大ざっぱと言うか……………………この袋はどこで手に入れたの?』
「別のダンジョン探索時に見つけた宝箱からだ。中が一種の異界になってるおかげで、袋の口に入る大きさまでなら無制限にものが収納出来る」
『もしこれをくれたら、ポーション代チャラどころか、滞在費用も全部無料にしてあげるし、ウチの在庫にあるエグドラシルポーションも追加してプレゼントするんだけど……どうかしら?』
「悪いがそれは無理だ」
『まあ仕方ないわね……アイテムのレア度だけで言うなら、これ一つでエリクシルやエグドラシルの葉なんかと同格ですもの、普通の神経してたらまず手放さないでしょう』
だったら最初から聞くなよ、と言いかけたものの、あまりに悪気ない笑みを浮かべたカストルの顔を見て、ガルドは気が抜けたように溜息をつく。
「……おじ、さん、は」
そんな中、ガルドの腕の中で脱力しきっていた少女が、明確な意志を持って言葉を向けてくる。
「喋れるくらいには回復したか……だが、体力はまだ完全に戻ってないだろうし、急激な治癒による予後不良もあるだろう、あまり無理はするな」
「おじさん、は……どうして、私を……助けようとしてくれたんですか?」
「…………」
ガルドは知っている――――彼女のように、本当の意味で最後まで自らの命を諦めず、死に抗おうとした人間は殆どいなかった事を。
どんな屈強で勇猛な探索者であろうとも、本物の死が見えた瞬間に人は自らの自由を諦めてしまう、魔神からの甘い誘惑に乗ってしまう、安易に死の救済を選んでしまう事を。
その実情を誰よりも間近で見続けてきたからこそ、人の意思はそんなものだとある種の諦観を覚えていたからこそ、ガルドは自分の半分にも満たない少女が魅せた、自らの命と自由を決して諦めない傲慢さにも似た純心に、強い敬意を抱かずにはいられなかった。
「お嬢ちゃんが本気で生きようとしてたからだ」
「…………」
「あとは、まあ、ちょっとした気まぐれみたいなもんだ、お嬢ちゃんが気にする事じゃあない……ポーション代も別に請求する気はないから、安心して今は休むといい」
「…………………………ありがとう、ございます……あり、がとう……ござい…………ます」
普通の神経をしていれば納得など出来る筈のないガルドの言葉を、けれど血濡れの少女は僅かばかりの躊躇をしつつも受け入れ、そのまま彼の腕の中で力なく目を瞑る。
『ん、清算は終わったわ、はいこれ』
「ああ…………これはまた随分と持っていかれたな」
『ガルドちゃん自身の救出費用と宿泊費用、それとポーション代も引かせて貰ってるもの』
「あーあーあー、そう言えばそうだったな…………はあ、こうも予定外の出費が重なると、溜息しか出なくなるな」
売る予定だった素材も残りの金銭も、殆ど枯渇してしまった事を確認しながら、ガルドは改めてこれからの事に思いをはせる。
(まずはリハビリを兼ねた肉体の微調整、それから資金繰りに仲間集めと……準備だけでも随分と長丁場になりそうだ)
「まあいい……とりあえず、この子を適当な場所で休ませてやってくれ。どうせその辺りの分も見越して、俺の袋から多めに金を徴収してただろ?」
『ふふ、貴方が指摘しなかったら、どうしようかと思ってたわ』
ガルドの言葉にどこか嬉しそうな表情を浮かべると、カストルは虚空に魔法陣を描き、四匹の小さな使い魔を召喚する。
そして、二匹がそのまま少女を二階の部屋へと運ぶと、残った二匹が血と死臭で満たされた部屋の掃除を始めた。
「ほんと便利だよな魔人のそれ……人間でも覚えられたりしないのか?」
『貴方の一生をこのタウンに捧げてくれるなら使い方を教えてあげても良いわよ』
今しがた、死にかけた少女の未来をやり取りした間柄とは思えないほど、彼らの持っている空気は軽々しいものであり。
「俺には一生縁がない魔法って事だけは解ったよ……とりあえず、一心地ついたら腹が減ってきたから、またエールを追加で頼めるかな」
『ん…………個人の探索者としては、相当な負債を被った筈だけど、随分と切り替えが早いのね』
「ダンジョン内じゃ日常茶飯事の光景とは言え、ああ言った人の生死が絡んだ時に残る後悔ってのは、本当にいつまでも経っても心にへばりつきやがるからなぁ……結果的に金で解決できたんだし、あの場ではあれが最適解だろ……ごくごく、ぷはっ、うまいうまい」
常人では考えられないその切り替えの早さこそが、探索者と言う生物は基本的に異常者の集団であると、世間から揶揄される所以だった。
『そ。あれが、ガルドちゃんの意志が尊重された上での選択だったなら、私から言うことは何もないわ……あ、それとこれ。久しぶりに良いものを見せて貰ったお礼。デザートのゴールデンモスプリン。あいにく一つしか用意できないから、味わって食べて頂戴ね』
「ッッッ…………ありがたいっっっ!」
だが、それでも、葛藤しながらも人を救い、身近な幸せに喜びの声を上げる姿は――――彼ら、探索者が正真正銘、赤い血の通った人間である事を示していた。
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