ク ソ デ カ ダ ン ジ ョ ン

@siro_ohagi

第1章 場末の英雄

No.1:『こんにちは。勇敢な探索者さん。僕はサタン。サタン・クロウリーと申します』

『あなた死相が出てるわよ――――とびきり濃いやつ』


ダンジョンアタックする前に、ガルドが占い師から言われた言葉だった。

そして、そんな占い師の言葉を裏付けるように、連続でパーティに襲い掛かる、不運の連続。

もはや、呪われていると言っても過言ではない不幸を前に、一人また一人とガルドの仲間たちは散っていった。


(しくじった……ダンジョンアタックから丁度100日で俺以外全滅……最難関ダンジョンの名は伊達じゃないって事かよ)


天上、壁面、床、全てがブロックによって作られた、ある意味で典型的な人工ダンジョン。

通路の中心で、どっさりと積み重なった、腐乱した犬の死体の山。その中の腐肉に混じって見える人の腕。

ついぞ先程まで、戦友だったものの残骸へと目を向けながら、ベテラン探索者であるガルド・アッカーマンは忌々しげに奥歯を噛む。


(力が足りてなかった訳じゃねぇ……人間も装備も考え得る限り全て最高、準備万端の状態で挑んだ筈だった……なのに結果がこのザマとは、笑い話にもなりゃしねえ)


人類最高到達点とされる、八十階ダンジョンをも踏破した自分たちが、まさか五十階にすら届かず自分を覗いて全滅。

油断はなかった。油断をするような奴と組んだ覚えはなかった。全員が全員。間違いなく探索者として有能であり精鋭だった。

だが運が悪かった。悪質な神がサイコロの目を操作しているのではないかと思うほど。ただただ致命的に運が悪かった。壊滅の理由はそれだけだ。


「……すまねえロック、すぐ楽にしてやるからな」


そう言うとガルドは肉塊のちょうど中心に当たる場所へと長剣を突き立てる。

ビクンっ、と腐肉から突き出すように伸びていた人腕が震えると、まるで空気に溶けるようにしてサラサラと消えていく。


(せめてライフクリスタルを、遺品の一つくらいは持っていってやりたいが……死体の山に手を突っ込んで死臭を身体に染みつけるのはナンセンスだ)


長年やんちゃしてきた悪友であり、生涯をかけるに値すると決めていた好敵手であり、弟のように可愛がっていた仲間の最期を自らの手で終わらせたガルドに、されど悔やんでいる時間はなかった。

同族の血が付いた剣を聖水で洗い流し、軽く振って水気を取ると再び自らの腰に装着する。


「…………くそ」


ガルドは、肉体すら失った友人と肉塊を眺め、ギュっと奥歯を噛みながら己の無力と不運を呪う。

死してなお、ケダモノの肉に埋められた哀れな友人、その遺品の一つでも多く持ち帰ってやりたいと言う想いは、もちろんある。

しかし、彼はそうする事が出来ない。何故か。知っているからだ。ダンジョンにおいて、遺体の傍にいる事が一体どれほど危険な事なのかを。


(肉蝿が集まり始めやがった……この調子だと他の奴らもすぐに集まってくるだろうな)


ぶぅんと耳障りな音と共に、今しがた出来たばかりの屍犬の山に、赤子の拳サイズの巨大蝿が集まり始める。

一匹、十匹、そして一分も経たずして夥しい黒蝿がライフクリスタルもろとも、肉の山をずっぽりと包み込んでしまった。

恐らく、あと数分もすれば、蝿を主食とする魔物たちも集まり始め、同時にそれらを狩る大型の肉食獣たちも姿を現すだろう。


(せめてあと一人、誰でもいいからコンビを組める奴が生きてたら、ロックのライフクリスタルも拾えただろうし、集まってきたモンスターを狩って金策も出来たんだろうが……流石に俺一人だけじゃリスクがありすぎる)


ガルドは自分が優秀な探索者であると言う自負がある。

パーティ全滅と言う多大な犠牲を払いはしたが、こうして自分がダンジョン内に生き伸びている事が何よりの証明だ。

必要以上に欲をかき過ぎない。必要以上に勇気を渋らない。リスクとリターンの正しい取捨選択、そして迅速な決断力こそが、ガルド・アッカーマンと言う、決して才能に溢れてはいない凡人を、一流の探索者へと仕立て上げたのだ。


(……ああ違うな、俺はツイてただけだ、他の連中よりもほんの少しだけ、運が良かっただけだ)


十三階でアイシャがブラッドゴーレムに押し潰されたのも。

二十七階でローランドがマッドスケルトンにねじ切られたのも。

そしてこの四十九階でロックがゾンビドッグの群れに襲われたのも。

最終的に運が悪かったからだ。決してアイツらに能力が足りなかった訳ではない。


(冗談じゃねえ……こんな所じゃあ絶対に止まれるかよ……)


だからこそ彼は許せない。

運なんて曖昧なもので、自分達の生死を判断された事が。

自分ではどうする事も出来ない天賦で、彼らの運命が翻弄された事が。

そんな理不尽が許せないからこそ、彼は倫理や感情すらも踏み越え先へ先へと進んでいく。

黒い渦に飲み込まれるようにしてダンジョンの養分になった、弟分の笑顔すら記憶から塗り潰し歩いていく。

思い出に浸る時間も後悔に嘆く時間もありはしない。脆弱な人間の体を持つ彼に出来るのは仲間の思いを背負って進む事だけだ。


「すまねぇなロック……そっちに行く時はバベル踏破の土産話をしこたま持っていってやるからな」


自分を慕い、自分を信じ、肩を並べて戦った仲間が眠る肉塊へ、申し訳なさそうに視線を送ったガルドは、すぐさま次のフロアを目指して再び歩き出す。


(このフロアさえ抜けちまえば次は念願の50階……ほぼ間違いなくダンジョンタウンがある筈だ)


ダンジョンタウン。

それは、一つのダンジョンにつき最低でも一つは存在すると言われ、人類に対し友好的な魔人と呼ばれる人語を喋る魔物が管理している場所であり、ダンジョンの中では唯一モンスターが現れない安全地帯とされている場所だ。

小さな酒場程度の極小タウンもあれば、一つの街と変わらない大きさを誇る巨大タウンも存在している為、探索者の中には拠点をダンジョンタウンに置いていると言う探索者もとい異常者すらいるほどだ。


(三十階層、四十階層にも、村クラスの規模のダンジョンタウンがいくつもあった……恐らく五十階層なら相当にデカいタウンがある筈だ)


ガルド・アッカーマン。

十台半ばから探索者を始めた彼は、二十代で人類が踏破した最高位である80層のダンジョンをパーティで踏破し、三十代で50層のダンジョンをソロで踏破した、探索者たちにとっては現代における英雄的存在だ。


(恐らくギルドもあるだろう……そこで仲間を探して再出発するしかねぇ)


自負がある。自覚もある。

だからこそ止まれない、だからこそ止まれない。

自分の背中にかかった重い期待と全ての責任が敗走を許さない。

外で自分を応援してくれる全ての人間に対して踏破こそが恩返しになると知っているから。

そして何よりも、一度中に入ってしまえば踏破するまで外に出られないダンジョンアタックにおいて、前に進む事こそが最善手だと知っているからこそ、彼は一歩また一歩と次の階層に向けて足を進めていく。


(辿りつければ、辿りつけさえすれば、まだ俺は終わらねぇ、俺はまだ探索者でいられるっ……!)


淡い期待と長年の経験――――この場を乗り超える事が出来ればきっと何とかなると、乗り越え続けてきたからこそ彼は薄っぺらな希望を胸に抱き上を目指す。


「……………………マジかよ」


直線距離にしておおよそ二十メートルほど歩いた時だった。

フロア全体を震わせるような唸り声が響き渡ったかと思うやいなや、轟音と共にロックとゾンビドッグ達の死体があった横壁が砕け、6メートルを優に超える巨大な骨竜がその姿を現す。


「ここでコイツか……運が良いのか悪いのか解らんな」


腐食竜グラドプス。モンスターランクは星6つ。本来であれば中堅パーティが挑んでようやく倒せる魔物であり、血も肉も呼吸すらもすぐに解毒しなければ死に至る猛毒を持つ、非常に危険な竜族モンスターである。

だが、全身の半分以上が腐肉に覆われているため動き自体は鈍く、弱点である黄ばんだ心臓部が骨の隙間から剥き出しになっていると言う構造をしている為、他の竜族と比べても遥かに討伐しやすく、更には『竜の心臓』と言う本来のランク帯からは考えられないほど高価なアイテムを持っているレアモンスターだ。


(とは言え、タウン手前で道具も体力も魔力も消耗した状態で俺一人だ……無理して戦うのは避けるのが賢明、だが)


気配を悟られぬよう細心の注意を図るガルドとは裏腹に、屍竜は生きた人間の存在など気にも留めず死体の山へと頭を突っ込み、骨を肉を強靭な顎で噛み砕きながら飲み込んでいく。


(ヤるなら今がベスト……食事に夢中の今ならコイツを倒せる、逆に言えば単身で倒すとなれば今以外にチャンスはない)


恐らく次の階層にはダンジョンタウンがある筈だ。

『竜の心臓』を手に入れれば、再出発の準備は非情に楽になる筈だ。

武器防具を新調できる筈だ。有益情報が確保できる筈だ。強い仲間だって揃えられる筈だ。


「……………………ふん」


全てが過程に過ぎない、甘い期待なのだと自覚しつつも、ガルドはその口元をゆるりと緩ませる。


(…………ヤルか)


だがそれも一瞬。

ガルドは深呼吸を一つすると、持っていた小さな皮袋から明らかにサイズ比が合わない、穂先が1メートルを超えたレイピアを取り出す。


「――――ふう」


ヤると決めた。殺すと決めた。生きるか死ぬか。その覚悟を決めた。

男の顔には、緊張や不安と言った不穏の色は一切なく、ただ自分の仕事を果たそうとする強い意志だけがあった。


『闇属性であるグラドプスの心臓を、光属性が付与されたレイピアで突き、後は敵が死に至るまで距離を取ってやり過ごす』


たったそれだけ。

子供ですら簡単に出来そうな討伐方法が確立されているにも関わらず、ガルドは額に冷や汗を滲ませながら集中力を高めていく。


(…………チャンスは一度きりだ)


油断。油断。油断。ああ馬鹿馬鹿しい。

油断などしていい筈がない。

出来る筈がない。


(集中しろ、失敗したら死ぬのはこっちだ、余計な事を考えるな)


骨も鉄と遜色ない硬度を誇っている。

トンを余裕で超える重量は動くだけで死傷者を生む。

その上で解毒しなければすぐに死へ至る毒を常時バラ撒いてくるのだ。


(こちとら気まぐれで簡単に殺される脆弱な人間なんだ……細胞の一片すら油断してやるものかよ)


文字通り一発必中でヤらねば逆にこちらが殺される。

一本一本が自分の腕よりも太い牙で全身を砕かれ貪り喰われる事だろう。

握った手にじわりと汗が滲む。一挙手一投足の度に心臓がきゅうと締め付けられる。


「…………………ッ」


捕食者が骨肉を砕く音に混じり明確な死の予感が脳裏をよぎり、歓喜したグラドプスが弱点である心臓をハッキリと露出させる――――瞬間、ガルドは鞭の如く全身をしならせ、思いきり地面を蹴り上げた。


「限界加速(ラストアクセル)……射貫き通すッッッ……!」


一日に一度限り許された神よりの祝福(ダンジョンギフト)、身体強化(エンチャント)でもって限界まで加速させて行う、レイピアによる音すらも置き去りにする超高速の刺突。

対人戦において無類かつ無敗の強さを誇るそれは、本来であれば大型のモンスターに対して決して有効な手段とは言えなかった。


『――――――――――――!!!???』


だが、こと現状においては、彼が放ったその一撃は、紛れもなく現状において、ベスト・オブ・ベストの攻撃だった。

弱点属性である光属性の攻撃でもって、心臓と言う生物にとっての必要器官を意識の外から貫かれた怪物は、怒りとも苦痛とも感じられる咆哮を響かせ巨体を大きく揺らす。


「まだだっっっ……死にくされこのクソトカゲがッッッ!」


突き刺したレイピアが暴れ回ろうとする屍竜の力と、ガルドの体重とでヘシ折れる寸前、ぐぢゅん、と最後に心臓内部を掻き混ぜてから彼は手を離した。


『~~~~っっっ!----っッッ!?!?』


心臓を刃物で掻き混ぜられた怪物が断末魔をあげ、のたうちまわりながら猛毒のガスと体液を辺りに撒き散らしていく。

ガルドはしっかりと距離を取り絶対に致死範囲内に入らないようにすると、念入りに袋から最期の防毒マスクを取り出し装着する。

びぢゃ、びぢゃ、と飛び散る体液を浴びた蝿や虫たちがドロリと溶けていくさまを、自業自得だと思いながらもガルドは屍竜の最期を看取った。


(卑怯だなんて言うまいな……こちとらお前の吐息程度でも死んじまう弱っちい人間なんだ)


――――再びガルドが動き出したのは、怪物が完全に死んでから、おおよそ三十分が経過しての事だった。


「……ようやく死んだか、よっと」


腐敗臭の漂う骨と肉の中心、ぶよぶよと肥え太った心臓に根本まで突き刺さったレイピアを引き抜きながら、ガルドは深々と溜息をつく。

『竜の心臓』。一般的な探索者では一生をかけても手に入らない高級アイテムを前にしてもなお、ガルドの心に喜びはない。


「身体は骨と肉ばっかりの癖に、心臓だけはぶくぶくと太りやがって……誇り高い竜族の末路にしちゃあヒデェもんだ」


仲間が自らの死と引き換えに送ってくれた冥土の土産だなんて、そんなロマンチストな話に昇華出来れば幾分かは気分もマシになるのだろうが、いかんせん探索者として長く生き延びすぎた彼にそんな余裕はなかった。


「……ロックの命と引き換えにするにゃあ、ちょいとばかり割に合わなさすぎるなぁ」


強敵を倒した高揚にも仲間を失った悲壮に浸る余裕すらなく、ただただガルドは眼前にある赤子ほどもある巨大な心臓を、小型の肉切りナイフで袋の口に収まるサイズまで刻み、ポイポイと放り込んでいく。


例え今が最悪の状況だったとしても、自分がまだ生き延びる事が出来ている以上、最善を選ぶ為に努力し続けなければならない。

そして同時に、降って沸いた機会をとチャンスへと変えた自分の行動は間違ってなかったのだ、と自分自身を鼓舞しながら彼は手を動かす。


『AAAAAAGGGGGAAAAAAAAHAHAAAAAAA!!!』


「っっっ………な、にッッッ!?」


だが彼は忘れていた――――最悪と言うものは、文字通り人の力ではどうする事も出来ないところまでいっているからこそ、最悪なのだと言う事を


「一日で二匹だなんて聞いた事ねぇぞっ!?」


壁を砕きながら現れた二匹目の屍竜。先程と比べてもサイズが二回りは大きな怪物を前にして、ガルドの思考が一瞬ではあるが止まってしまった。


「しまっっっ――――!?」


おおよそ10トンを超える怪物の、時速にして40キロを近い勢いで行う、体当たり。

人間では決して耐えられない筈の一撃が、無慈悲な現実として探索者であるガルドに襲い掛かった。


「がッッッ、ぐぅぅうううっっっ!!!」


鈍重であり緩慢な筈の怪物の動きは、されどその巨躯からくる圧倒的な質量でもって、矮小なガルドの体を勢いよく弾き飛ばす。


「ぐ、くっ、くそっっっ……たれっ……が!」


常人であれば死んでもおかしくはない一撃を受けてなお意識を保つ事が出来たのは、壁に叩きつけられる寸前のところで体をひねり受け身を取る事が出来たのも、全て彼が超一流と呼ばれる探索者であったが故で。


「はぁぁぁぁっ、はぁあああっ、ぐっ、げほっ、げほっ、ゲホッ…………ふ、ごぷっ、がはっっっっっ!」


「は、はは、そういやそうだったな……血と肉と息と……それから骨にも……全身に毒があったんだったな……お前さんは…………!」


恐らく衝突の時だろう。へし折れた怨敵の骨が自らの脇腹に深々と突き刺さり、己の食道そして口から目下へと滴り落ちていく鮮血を前にして、彼はようやく思い出す――――そもそも人の矮小な技術や強運程度で抗えるものは最悪ですらないのだと。


「ごふ……げほっ、ごほっ、ぐぶ……ぐぅぅぅ……」


視界が霞み世界が揺らぐ。

腹部に走る激痛が血液を通って全身へと広がっていく。

四肢が明確に痺れ始めとうとう立つ事すらも出来なくなったガルドは力なくその場へと崩れ落ちる。


「くそ……く……そ…………くそ……ったれ……が……」


『――――!~~~~!~~~~~~~~~!!!』


そんな彼を一瞥すらせずグラドプスは同族の肉と骨を嬉々として貪っていた。

恐らく同族の血と肉の匂いに釣られてやってきたのだろう。

その腐った眼はガルドの姿を見てはいなかった。


(せめて……戦う相手の顔くらい……見やがれってんだ……この……ケダモノ……が…………)


探索者と言う阿漕な商売をしてきた。

同業者の死だって何度だって見てきた。

自分だけが特別なんて思える筈がなかった。


『~~~~!GRR!GAAAA!~~~~!--------!』


そして、激痛で何度も気絶しそうなガルドの目先には、自分の事など気にも留めずに同族を捕食する怪物の姿がある。


(か、はは……敵として見てすらいないって事かよ……ちくしょう……チクショウ……畜生……っ!)


いつかこんな日が来ると心のどこかで思っていた筈だ――――それでもガルドは目の前の現実を認められなかった


(冗談じゃない、冗談じゃない……!ふざけるな……ふざけるなっ……やられてたまるかっ……こんなところで、視界にも入らず終わってやれるかよっっっ…………!!)


血の混じった唾を飲み込み、奥歯が砕けんばかりに噛み締め、痺れた手に必死で魔力を込める。動く。

重たい瞼を気合でこじ開け、痛む肺に思い切り酸素を取り込み、長剣を杖変わりにして前を向く。立つ。


(俺は英雄なんだ……死んだ奴らの為にも特別でなきゃいけねぇんだ……それがこんな無様を晒したまま終わってられるか…………!!!)


妄執。覚悟。信念。意地。矜持。

知性を持たない生物からしてみればただ生きる為には無駄としか思えない人間の機能こそが、今ここで本来であれば幾度も死を迎えている筈の彼の肉体を突き動かしていた。


『――――!?~~~~~~~~!!!』


だが、最悪は、終わらない。

最悪は、人にはどうにもならないからこそ、最悪なのだ。


「ああ……くそ…………ちょっとくらい味わって食いやがれってんだ…………」


女子供から小突かれただけでも倒れてしまいそうな満身創痍なガルドが見たものは――――自らの同族を骨すら余さず完全に喰らい尽くし、さあ次はお前の番だと言わんばかりに、だらだらと赤黒い涎を垂らし黄色く濁った双眸で自分を自分に向けてくる屍竜の姿で。


「…………は」


「はは、ははは、は」


逃げ延びるか食われるか。

その0か1かの選択すら奪われたガルドに出来る事など最早たった一つしかなかった。


「ようやく俺を見てくれたようだが……もう遅いんだよ腐れトカゲ」


ガルドは血の唾を吐き捨て、最後の力で袋から切り札を取り出す。

グラトニーボム。外の世界において、個人が持ち得る最大の対軍兵器であるそれは、爆風と熱によって周囲の生物に壊滅的な破壊を与える自決用のアイテムであり。


「人間ってのはな…………敵に舐められたままじゃ死んでも死にきれねえんだよ!」


そして彼はコンマ秒の走馬燈すらも惜しむ事はなく――――華々しく自らの手でもって探索者としての最期を迎えた。


「――――っっっ!」


石床にクレーターを作る爆風と鉄すら焼き焦がす熱波、そしてコンマ秒後に襲いくるであろう人生最大の痛みに備えてぎゅっと目を瞑った――――


「……………………?」


されど、それらはいつまで経ってもやってくる事はなく、自分がまだ生きている事に疑問を抱きながら、ガルドはゆっくりと瞼を開く。


『――――危ないところでしたね』


眼前、そこには、戦車の主砲を彷彿とさせる巨大な携行砲を抱え、自然体の笑みを浮かべた軍服の少年がいた。


『ですが。もう大丈夫です。敵は倒しました。貴方は安全です』


息を飲むほどに清廉で透き通った彼の声は、神の言葉のようにそれが疑いようのない事実であるのだとガルドに理解させ、半死半生でままならなかった筈の意識や思考すら、穏やかな凪の状態へと戻す。


『こんにちは。勇敢な探索者さん。僕はサタン。サタン・クロウリーと申します』


恐らく年齢は十二から十四と言ったところだろうか。

第二次性徴に入るか否かと言ったその体はまだまだ未発達と言っても良い。

少年と少女の幼さを両立させた中性的な顔、そして透き通る程に輝いた黄金の双眸は、同性であろうとも魅了してしまうほどの魔性を秘めていた。


「あ……っ」


敵を倒した事で僅かにズレたのだろう。少年が軽く会釈すると共に、その頭から軍帽が落ちた。

金色の髪から、ぐいんと伸びる、羊のように折れ曲がった双角は、彼が明らかに普通の人間ではない証拠であり。


「もしかして君は上のタウンの――――」

『はい。50階のタウンを拠点にして人助けをしています』

「………………そうか」


自分と同性でありながらも、思わず引き込まれてしまいそうな魔性を秘めた彼の笑顔に、ガルドはほうと安堵の溜息をつく。


(ああ、良かった……彼が魔人なら……少なくとも……俺が今ここで死ぬ事は……ない筈だ……)


魔人は、人間に対して非常に友好的であり、自らが管理するタウンに永住させようとする性質を持っている。

目の前に怪我をした人間がいたら治そうとするし、人間が死なないように色々と融通を利かせてくれたりもする。

勿論そこに、一定の金銭や物々のやり取りなどは発生するものの、人間よりも遥かに付き合いやすいのが魔人の特徴だ。


「俺はガルド、ガルド・アッカーマンだ……それでサタンくん、早速のところ悪いんだが、一つお願いを聞いて貰ってもいいかな?」

『はい。ガルドさんですね。僕に出来る事なら何でも構いませんよ。どんなお願いですか?』

「ぶっちゃけ、もう喋るのも限界でな……礼は後でするから……タウンまで……頼む」

『…………え?』


その純粋な善意にも近い魔人の行動原理を利用し、ガルドはその場に力なく頭から突っ伏した。

心地良い暗闇の中、焦る少年の声が聞こえたものの、猛烈な睡魔と疲労には勝てなかった。


(ああ……でも……なにか……重要なことを忘れてるような気がする……まあ……いいか)


そうしてガルドは焦るサタンの心地良い声を子守歌代わりにしながら。


(とにかく……これで俺はまだ……探索者として生きる事が出来る…………)


ゆっくりと幸せな闇の中へと堕ちていくのだった。

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