いもーとワークを始めよう!

 世は、空前の少子化時代。今や夫婦一組の生涯出生率は0.5%を割り、二人以上の子供をもつ家族など都市伝説並みにレアな存在となった。それはもちろん、労働力の低下や、学校機関の入学者減少として表面化しており、我々のこれからの未来の大きな課題となっているが……。

 しかし実はそれ以外にも、より直近の現実問題として、今を生きる私たちが考えなければいけないことがあった。



 かつての日本であれば、身内に自分よりも年の小さな家族を持つ人は少なくなかった。町や村といった地域社会自体の距離も近く、近所の子供たちのことを家族同然の存在として世話を見るような機会も多くあった。つまり、概念としての『妹』や『弟』といった存在が、今よりもずっと身近だったのだ。


 自分勝手でしたたかで、表面上では強がってばかりだが、心の奥底では年上の自分を慕い、信頼してくれる妹や弟……。そんな存在は、重すぎる責任をたった一人で抱えながらこの世界を生きる現代人のストレスを癒やし、明日へのかてとなっていたはずだ。しかし、知らず知らずのうちに支えられていたそんな存在は少子化により失われ、それによってタガが外れて、心と体の不調をうったえる人が相次ぐようになった。

 それが、空前の少子化社会が引き起こした全く新しい現代病……世にいう『妹欠乏症』だった。




「……と言うわけで、私たちのような擬似家族体験提供業者……いわゆる『いもーとワーク・サービス・プロバイダ』が生まれたわけです! つまり、これから皆さんにやっていただくお仕事は、社会的にとぉーっても意義のある、福祉事業なのですねぇー!」

「……はは」


 収容人数二十名程度の会議室。

 ホワイトボードの前で熱の入ったそんな説明をする担当者に、瀬野尾せのお音々子ねねこは冷めた目を向けていた。


 社会的な意義とか福祉事業とか……。そんなの知るかよ。私がここにバイトしにきたのは、単純に、お金が欲しいからなんだからさ。


 周囲には、自分と同じようにこの『いもーとワーク』会社にバイトにやってきたらしい、大学生くらいの女性が十人ほど。そのうちのほとんどは音々子の態度とは真逆で、感心するように何度も頷いたり、熱心にメモをとったりしている。

 そんな周囲に呆れながらも、会議室での説明を適当に聞き流していると、やがて、

「さあ! それではこれからさっそく皆さんにも実際の『配信スタジオ』に行っていただいて、私たちの業務を体験していただきましょーう! あっあー、安心してください。まずはOJTとして、先輩妹の方たちがマンツーマンでレクチャーしてくれますからー!」

 口頭での説明が終わったのか、担当者は音々子たちを別室へと移動させた。



 そこは……。


 パーティションで区切られた無数の簡易ブース。それぞれの中には女性が一人いて、部屋備え付けのビデオカメラに向かって何かを喋ったりしている。

 ちょうど、テレビショッピングの裏方のテレフォンアポイントメント、あるいは、何かのサービスセンターのお客様電話相談窓口のようでもある。

 しかし、


「もぉーうっ! お兄ちゃん、どうしてそんなイジワルするのぉー⁉ もうお兄ちゃんなんて、キライだよっ!」

 ……。

「お姉ちゃん……実は私、昨日友達とケンカしちゃって……。でもどうしたらいいか、分かんなくて……。お姉ちゃんは、こんな私のこと嫌いだよね……?」

 ……。

「あ、お姉ちゃんたち、この前ありがとねー? おかげで、欲しかったブランドの服……じゃなくて、失くしちゃった体操服買えたよー! でも実は……今度は筆箱と教科書全部失くしちゃって……こんなの、お母さんに言ったら絶対怒られるし……。だからさー、また、ちょっとだけでもいいからお姉ちゃんのスパチャお小遣い分けてもらえたら、嬉しいなぁーって…………あ、あざーすっ!」

 ……。


 彼女たちが話している内容は、普通のテレフォンオペレーターとは全く違っている。何かを販売したり商品の説明をしたりするわけではなく、単純に、世間話でもしているだけのようだ。服装も決まったユニフォームがあるというわけではなく私服やスーツ、学生服などバラバラで、それぞれの個性キャラクタが現れている。

 それは、『妹欠乏症』が認知されてから急速に拡大してきた『いもーとワーク』提供業者の、一般的な職場風景だった。



 サービス利用客は、ウェブサイト上に掲載されている写真やプロフィールなどを参考に、好みの『妹』を見つけて予約を入れる。そして、予約の時間になると指定されたインターネット上のビデオ会議室に入室して、そこで『妹』とインターネット回線によるビデオ通話を楽しむことができるのだ。サービスの形態としては、動画サイトのライブ配信に近いだろうか。

 所属する『妹』たちもは個性豊かで、定番のツンデレ系やロリ系以外にも、小悪魔系やワガママ系、優等生系やしっかり者系なんてのもいる。

 もちろん、そんな所属『妹』たちにはそれぞれ私生活では別の顔があり、彼女たちが実際に歳上の兄や姉がいる妹であるとは限らない。それどころか、実年齢が接客している相手よりも歳下かどうかさえ怪しいものだが………そもそも客側も、そんなことは気にしない。誰もが、それが作り物の『妹』だと知りながらも、その虚像に喜んで騙されているのだった。


「う、わー……」


 『いもーとワーク』のような業者が普及し、世間一般的によく知られるようになってからすでに久しい。音々子も、実際に自分で体験したことこそなかったが、その内容については充分に理解していたつもりだった。しかし、知識として知っていることと、いざその業者の職場をみることとは、やはり全然違っていたようだ。

 無数のブースと、その中で全力で『妹』キャラを演じる配信者たち。ブースに備え付けられたタブレット端末には彼女たちが現在配信している映像も映し出されているようで、ときどき「○○お姉ちゃんから○○円のお小遣いをもらいました」なんてコメントが現れたりしている。

 そんな、ある種の『異様』ともいえる光景に、音々子は圧倒されてしまっていた。


 と、そのとき。


 音々子の隣から、誰かがこんなことをつぶやく声が聞こえてきた。

「はっ……福祉事業とか、よく言うわよ。こんなの、ほとんど水商売みたいなもんじゃない」

「え……?」

 自分の心の中を代弁された気持ちになって、思わず声を出してしまった音々子。相手の少女もそれでこちらに気付いて、目線を合わせて、尋ねてきた。

「ね? あなたもそう思わない?」

「……ふ、ふふふっ。そうだね! 言えてる!」

「だよね。はは……あはは……」

 そして、二人は声を抑えて笑いあった。


 それだけで、二人がただの「バイト仲間」から「友達」になるのには、充分だった。




 彼女の名前は、伊元いもとアヤカ。

 肩までかかるストレートの黒髪が美しい、文句の付け所のないような美人だ。音々子と同じ歳くらいの大学生で、彼女も福祉事業や社会的意になんて微塵も興味はなく、バイトの給料が目当てでここにいるということだった。


「だって、短時間で効率的に稼ごうと思ったら選択肢は限られちゃうじゃない? 流石に本気のフーゾクとかそっち系は抵抗あるけど……これなら、そこまでハードじゃないし。何より、演技の勉強にもなりそうだしね」

「あー、確かに。それは言えてるー」

 昼休み休憩の間。お互いに打ち解けて世間話をしている中で、このバイトを選んだ理由について、アヤカはそう答えた。

 彼女は大学の演劇サークルに所属しており、将来は女優になることを目指しているらしい。夢を追う若者にはありがちな設定として、親からの少ない仕送りや奨学金だけでは生活が厳しかったアヤカ。彼女にとって、基本給も高く、配信の視聴者から個人の稼ぎスパチャももらえる『いもーとワーク』は、うってつけだったようだ。


「えー、でもさー。アヤカって、妹ってよりかはどっちかっていうと頼れるお姉ちゃん……っていうか、むしろ一匹狼の孤高の美少女って感じじゃなーい? ホントにアヤカに、『妹』の演技とか出来るのー?」

「音々子……あんた、私のことバカにしてるの? 私、だてに女優目指してるわけじゃないのよ? どうせこんなサービスにお金を払う人なんて、アニメとか漫画に出てくるような典型的な浅い『妹』像でも演じとけば満足するんだから。楽すぎるくらいよ。むしろ、そんな中でどうやって自分らしい『妹』の演技をするか……そこが、表現者としての腕の見せどころって感じね」

「……ふーん。そんなもんなんだ? ま、なんでもいいけどね。じゃ、スパチャいっぱいもらえるコツでも掴んだら、あとで教えてー」

「ええ、いいわよ。ついでに太客ふときゃくの一人や二人くらいは、分けてあげるからね」


 そんな会話で、バイト初日は終わった。


 音々子もアヤカもバイトをするのはこれが初めてだったが、もともと要領がよくて

何でもある程度はこなせてしまう音々子はもちろん。役者志望のアヤカも――少し真面目すぎるきらいはあったが――、お姉ちゃんたちの求める妹像を上手く演じ、それからの『いもーとワーク』の業務は順調だったようだ。



 やがて。

 二人ともOJTも外れて、一人で客をとって『妹』の配信が行えるようになってから、数週間が過ぎた頃。

 アヤカの様子に異変が現れ始めた。



「アヤカ、今日スパチャお小遣いいくらもらえたー? 私、まだ五千円だけだわー。うーん……やっぱ生意気系妹って、そういうところが不利だよねー? 客側も『アンタが無駄遣いばっかしてるのがいけないんでしょ!』とか。『そんなことばっか言ってないで宿題やりなさい!』とか。私に説教するので満足しちゃって、その後にお小遣いもらえる流れにならないんだよねー。その点、アヤカのキャラは優等生妹だっけ? 『テストで百点とった』とか言っとけば、すぐスパチャお小遣いもらえるんだもん。いいよなー。私もキャラ変しよっかなー……って、あ、あれ?」

「…………」

「ア、アヤカ?」

「……ちゃん……お姉ちゃん……お姉ちゃん? ……違う。……ねーえ、お姉ちゃーん! の方が……」

「……ねえ、ちょっと?」

「もう、お姉ちゃーんったらー! ……みたいな? いや、むしろ……姉さん? ……お姉様?」

「おーい、アヤカー? 私の話、聞いてるー?」

「……え?」


 バイトの昼休み。いつもの通りアヤカと近くのカフェでランチをとっていた音々子。彼女は、最近のアヤカが少しおかしいことに、気付いていた。


「大丈夫? なんか、気持ちがどっか行っちゃってたみたいだったけど?」

「い、いえ……。別に、何でもないわ。大丈夫よ」

「そう? ならいいけど。でも、アヤカは午後も結構予約入ってるんでしょ? もしも体調悪いんなら、無理しないでキャンセルしてもらった方が……」

「本当に、大丈夫だって。体調だって全然悪くない。……というか、むしろ私、こんなふうに休んでないで、さっさと仕事に戻りたいくらいだわ」

「えー、マジでー?」

「ええ。最近気づいたんだけど、この仕事って役者の私にとっては、自分の演技の引き出しを拡げる千本ノックみたいなものなのよ。演技の練習をしてお金をもらえるっていう、最高の状況なわけ。今だって、次の配信で試してみたい演技プランがたくさんあって、ウズウズしているくらいよ。実はさっきも、そのことを考えていたせいで、気もそぞろになってしまっていたのだけど……」

「うっわー、アヤカってマジメだねー⁉ もしかして、妹界のスパチャランカー狙ってる感じー?」

「やめてよ。そんなの興味ないわ。むしろ、純粋に役者としての探求心ね。妹って、想像していたよりずっと奥が深いわ……」

「あはは……ま、まあ、程々にね……」



 真面目な性格ゆえに、少しのめり込んでしまっている。音々子も最初は、そう思っていた。


 どんなバイトでも、ある程度仕事に慣れてくると「バイトのくせに社員のような顔でやたらと仕切りたがるヤツ」が出てくる。きっと今のアヤカも、その類の状態なんだろう。あとで冷静になったら、目一杯バカにしてやろう。そんなことを考えていた。

 しかし、その数日後。再びバイトのシフトが一緒になった彼女と会ったときに、音々子は自分のその考察が間違っていたことに気付かされた。



「音々子ねぇ……あっ……い、いえ、音々子は、今度の連休はどうするつもり?」

「……え? あ、連休? そうだなー。最初は、バイト代使ってシーかランドにでも行ってパーッと豪遊しようかなーとか計画してたけど、最近イマイチ稼ぎが良くないからなー。そうでなくても、大学とか他のことも忙しくなってきたし……」

「そう……。でも、一日くらいは帰省するでしょ? 母さんだって、あなたに会いたがっていたし」

「……は?」

「だいたいうちの母さんって、昔からそうなのよね。直接あなたに言えばいいのに、いつも私を通して言うんだから……」

「ちょ、ちょっと、待って……」

「きっと、それだけあなたに気を使っているのよ。こういうのって普通、歳が小さい子の方が大事に扱われるものじゃないの? だから私、ちょっと嫉妬しちゃって……」

「待って待って待ってっば! アヤカ、何言ってるのっ⁉」

「え? 何って……」

「アヤカのお母さんが私に会いたがってる、って……そんな訳ないじゃん! だって私、アンタのお母さんと面識ないよね⁉ 一度も会ったこともないのに『いつも言ってる』とか……アヤカ、今日なんかおかしいよっ⁉」

「っ……」


 音々子に指摘されて、明らかに焦った様子を見せるアヤカ。しかし、「それ」を認めることはプライドが許さないのか、慌てて誤魔化した。


「な、なによ! ね、音々子ね……し、知らないの? 今のは即興劇……エチュードって言って、突然適当な設定で演技を始めて、それにどれだけ自然に合わせられるかをはかっていたのよ! 役者だったら、よくある普通の練習方法なんだから! だから音々子ね……あ、あなたも、ちゃんと私の演技から設定を読み取って、演技で返してよ!」

「アヤカ……」

 痛々しいアヤカのそんな様子にかける言葉が見つからず、音々子は呆然とするだけだった。



 そして……それから更に一週間後。


「ね、音々子……さん。わ、私、やっぱりおかしいみたい……。なんだか最近自分が、自分じゃないみたいで……」

「だ、大丈夫? じゃ、じゃあ今日は、予約はキャンセルしてもらったほうがいいよね? 救急車とかも、呼んだ方がいい感じ? 私、運営の人に言ってくるから……」

「行かないでっ!」

 逃げるように背中を見せた音々子を、腕をつかんで引き留めるアヤカ。

「私、音々子ね……さんに、そばにいて欲しいの。そうすると、落ち着くから……。小さい頃、いつも眠れない私の隣で添い寝してくれたみたいに……」

「アヤカ……」

 音々子は、一瞬憐れむような表情を作ってから、すぐに優しい態度になって、アヤカに言う。

「アンタ……少し仕事休んだほうがいいよ。現実と仕事で演じてるキャラがゴッチャになって、わけわかんなくなっちゃってるんでしょ? だから、そんな気持ちの悪いことを言ってるんでしょ?」

「き、気持ち悪い……って……? ど、どうしてそんなことを言うの……? そんなヒドイこと……。昔の音々子ねぇ……さんだったら、絶対言わなかったのに……」

「……アヤカ! しっかりしてよ!」

 オロオロと、気弱な態度で泣き真似をするアヤカに、音々子はこんどは強い口調で言う。


「どうしちゃったのっ⁉ アンタ、そんなキャラじゃなかったでしょっ⁉ アンタはもっとクールで、強気で……」

「私……いつもそんなに強いわけじゃないよ。だからせめて、あなたの前では……音々子ねえさんの、前では……」

「アヤカ!」

 音々子は、アヤカの頬を思いっきりひっぱたいた。

「いい加減、目を覚ましてよ! 私は瀬野尾音々子! アンタは伊元アヤカ! 私たちは、他人でしょっ⁉ 私はアンタの家族も知らないし、小さい頃から一緒だったわけでもない! 最近のアンタ、ずっと私のこと『姉さん』って呼ぼうとしてたよ⁉ 自分が私の妹だと思いこんじゃってたよ⁉ どうしてそんな勘違いするようになっちゃったのよっ!」

「……う……う……うぅ」

 叩かれた頬を抑えながら、激昂する音々子を見ているアヤカ。だが、次第に顔を歪めていって……、

「う……うぇーん! 音々子お姉ちゃんがぶったー! えぇーん! えぇーん!」

「……」


 目の前で、まるで本当の姉に理不尽な暴力を振るわれた子供のように、無様に泣き叫ぶアヤカ。

 そんな彼女が見ていられなかった音々子は静かにスマートフォンを操作して、アドレス登録されていた馴染みの病院に連絡した。

 まもなくして。サイレンをならして到着した救急車が泣き叫ぶアヤカをなだめながら、その病院へと連れて行った。




 そして、それから約一ヶ月後。



 やっとその病院から退院出来たアヤカは、入り口を出たところで見慣れた顔を見つけて、満面の笑顔になった。

「よっ」

「ね、音々子……!」

 音々子のそばに駆け寄るアヤカ。

「迎えに来てくれたの⁉ 嬉しいわ! 『こんなこと』で入院したなんて、恥ずかしくて誰にも言えてなかったから、この一ヶ月全然知り合いに会えてなくて、すごく孤独だったのよ!」

「い、いやー、あはは……」

 満面の笑顔でそう言うアヤカ。今の彼女は、すっかり元の通りに戻ったようだ。音々子は、気まずそうな苦笑いでそれに応える。

「でも、アヤカがここに入院することになったのは、元はと言えば私が驚いちゃって救急車なんか呼んじゃったせいでしょ? だから私、ちょっと責任感じちゃってさ……。ホントは、お見舞いにだって来たかったんだけど、アヤカに合わせる顔がないー、とか思ったら足が遠のいちゃって……」

「もう! 変な気なんか遣わなくてもいいのよ! どっちみち、この病院で『過剰妹適応障害』の治療中だった私じゃあ、脳内で勝手に姉認定していた音々子には会わせてもらえなかったわよ!」

「それは……そうかもだけど……」



 入院していた医師の診断では、アヤカの症状は『慢性的欠乏症』……つまり、すでに流行していた『妹欠乏症』と同じように、兄弟姉妹が激減したことによる現代病だった。

 一人っ子が多くなった現代では、可愛らしい妹を求めるのと同じくらいに、優しくて包容力のあるお姉ちゃんを必要とする人も多い。その気持ちが抑えきれなくなると、あのときのアヤカのように自分のことを完全に妹と思いこんで、周囲の親しい人を強引に脳内姉としてしまうのだ。



「それにしても、分からないものよね? 私、自分のことを妹キャラだって思ったことなんて、今まで一度もなかったのに。『いもーとワーク』のバイトをしているときだって、こんなの自分には向いてない、ってずっと思ってたくらいなのに……」

「仕方ないよ。私たちには今までお姉ちゃんがいたことも、実際に自分が妹になったこともないんだもん。だからきっと、心の奥のどっかではお姉ちゃんに甘えたり、ワガママ言ったりするのを欲してたんだよ。その感情が、あのバイトで妹を演じているうちにどんどん強くなって、ついに爆発しちゃっただけなんだよ」

「音々子……」

 そのとき音々子が言ったのは、アヤカが入院中に主治医から聞いたのとほとんど変わらない言葉だった。

 それだけ、音々子は自分のことを分かってくれている。何より、欠乏症が爆発して妹化したアヤカが彼女のことをお姉ちゃん呼ばわりしたことも、音々子はすでに全然気にしていないようだ。

 そのことが、アヤカにはとても嬉しかった。



「音々子……私、あなたには感謝してもしきれないわ。こんな私を、見捨てずに出迎えてくれて……。あなたみたいな友達を持って、私はとても幸せ者ね」

「アヤカってば。もう、そんなのいいよ」

 照れくさそうに、頭をかく音々子。

 そして彼女は、その照れくささを隠すように突然、

「あ、そうだ! そういえばこの前、面白い店みつけたんだよ! アヤカが退院できたら、回復祝いで一緒に行こうって思ってたんだ! ね、いいでしょ⁉」

 と言って、アヤカの手を引いた。

「え、ええ……」

 その強引さに少し驚いて顔を赤らめてしまったアヤカだったが、小さく頷いて、彼女に引かれるままその後をついて行く。そして、二人で居酒屋のような店へと入った。

 そこは……、



「あらあらあー、アヤカちゃんたらー……。あんまりワガママ言って、お姉ちゃんを困らせないでー……うふふ」

 ……。

「もおう、どうしたの? そんな寂しそうな顔して。……こっちにいらっしゃい? いつもみたいに、お姉ちゃんが励ましてあげるから……」

 ……。

「アヤカちゃんは何も心配しなくてもいいのよ? いつでも、お姉ちゃんたちはアヤカちゃんの味方だからね……」



 定番の、包容力のあるおっとり系から、セクシーな大人の魅力系。あるいは、頼りになるしっかり者系に、天然ドジっ娘系……。

 そんな、無数の『姉キャラ』に扮した店員が接客をする店だった。



「う、う、う……うぇーん! お姉ちゃーん! あのねアヤカね、アヤカね……ホントは、すっごく寂しかったのー!」

「よしよし……」


 入店してしばらくは、その『異様さ』に困惑していたアヤカだったが……結局三十分もたたないうちに『姉欠乏症』の症状を再発させ、無数の擬似姉たちの中に飛び込んでいた。

 そもそも、超少子化社会で欠乏症が蔓延するくらいに姉も妹も少ないこの世界では、一度現れたその症状が完治するということは、ほとんどない。普段からなるべく『そのこと』を考えないように、なるべく妹や姉から自らを遠ざけて、日常生活に支障がないように折り合いをつけて生きていくしかない。

「……ふふ」

 そのことはとっくに知っていた音々子だったが、今は無防備に妹化しているアヤカを少し離れた位置から見ているだけだ。

 彼女に、その店の店員の一人が話しかけてきた。


「あ、店長さぁん・・・・・。また新規の妹ちゃん同伴して来てくれたのねー?」

「うん。今度の娘も、なかなか太い客になってくれると思うよ」

「ええー? でも、あのアヤカちゃんってえ、まだ大学生でしょおー? そんなにお金持ってそうには思えないわあー? 学生じゃあ、闇金でもそこまで借金も出来ないでしょおしー……」

「大丈夫。払えない分は、『いもーとワーク』で稼がせるから。あの娘まあまあ人気あるから、大学行かずに毎日配信させれば、日曜にうちで一時間遊ぶくらいのお金は稼げるよ。……それにあの娘だって、『妹』になってお姉ちゃんたちからもらったお金を、今度はうちの店で『妹』になって別のお姉ちゃんたちに使えるんだから、満足でしょ?」

「うっわー……店長さん、相変わらずエゲツなーい」

「ビジネスライクって言ってよ? ……さてと」

 それから、音々子はもうアヤカには興味をなくしたようで彼女の方を一度も見ることはなく、店長らしく店員に指示を出しはじめた。

「あ、シフト担当に、来月は少し厚めに『お姉ちゃん』入れとくように言っといて。これからあの娘と同じバイト先から、あと五人くらいは新規の『妹ちゃん』を連れてくる予定だから」

「はぁーい」




 超少子化社会? 妹欠乏症? ふふ……望むところよ。


 結局、成功してお金を稼げるのは、時代の流れを読んで、その流れを利用できた人だけ。欠乏症も依存症も、突き詰めれば「需要」ってことだものね? それなら、その「需要」の流れの中にうまくハマるように必要なものを「供給」してあげればいい。


 私、最初から言ってたでしょ? 福祉事業とかじゃなく、お金が目的でバイトに行ってるって。

 だってああいうバイトには、アヤカみたいな人がたくさん集まってくるから。アヤカみたいに心の奥底で無意識のうちに『お姉ちゃん』を求めてて、私のお金稼ぎの流れのピッタリハマって、その歯車の一つになってくれる人がね。


 だから…………そういう娘はみんな、『いもーとワーク』を始めましょう?


 音々子はそんな独り言を言って、邪悪な笑顔を浮かべていた。

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