23 虎にさえなれない(2)

 どこにも居場所がないと感じてから逃げるように学校を出て、そのまま家に帰るのではなく、ざわざわとした心を落ち着かせるためにもどこかに寄り道することを選んだ。

 かといって楽しくショッピングに興じる気分ではなく、騒がしい人込みを避けたい気持ちもあり、夜までの時間をつぶすにしても一人で向かう先は限られていた。

 どうせなら他に誰もいない静かな場所のほうがいいと思って、足を運んだのは街を見下ろす丘だ。

 午後も五時を過ぎて日暮れを前にした世界が赤く染まって、夜の主役たちである星が出てくる前に、すべてが燃え尽きてしまいそうな夕焼け空が赤々と広がっている。なのに、それを見上げて立っている俺は心が凍ってしまうくらいに寒さを感じていた。

 いつだったか、夜に訪れて美夜と二人で流れ星を眺めた場所。もう半年以上も前の話になるのに、不思議と今でも彼女が隣にいるような気がした。深く印象に残っている出来事だったからというだけではなく、今ここにいる俺がそうあってほしいと願っているからであろう。

 隣にいてほしい。そばにいてほしい。

 いつまでもずっと声が届く範囲にいて、姿が見えないほどの遠くには行かないでほしい。

 そう考えていたからだろうか、背後から彼女の足音が聞こえてきた。

 立ち尽くしたままでいると、何か反応を示す前に向こうから声がかかる。


「まったく、どこまで行くのかと思ったよ」


 会話を邪魔するような風もないので無視するわけにもいかず振り向いてみると、そこには制服姿の美夜がいた。黄昏時のぼんやりとした世界に溶け込んでしまいそうな俺の気持ちとは違い、劇の舞台を照らすライトのように夕日を浴びているからか輪郭がはっきりとしていて、さらに数歩ほど近づいてくる。

 スマホを使って連絡を取り合っているわけでもないのに俺のいる場所がわかったということは、どうやら学校を出てからずっと追いかけてきたらしい。

 誰もいないと思って泣きたい気分でいた表情を見られたくなくて、まっすぐ彼女の顔を見ることができない。

 恥ずかしさや気まずさがある。情けなさや悔しさもある。

 今の俺が彼女のことを好きであっても嫌いであっても、自分が弱って落ち込んでいるところを美夜には見られたくない。

 けれど、どうしてだろう。彼女からの同情なんていらないと意地を張って強く追い払うこともできない。

 すがるように、責めるように、捨て鉢になったようにつぶやく。


「どうして追ってきたんだよ」


「どうしてだろうね。だけどなんだか気になって追いかけてきちゃったよ」


 えへへ、と子供みたいに笑って肩をすくめる美夜。

 何かを誤魔化しているのか、それとも本当に自分でもわかっていないのか。

 気になる、というのはどういうことだろう。無視すればいいのに、それでも追いかけてくるなんて。

 ひょっとしたら、もしかして彼女は俺のことを好きでいてくれるんだろうか。

 好きだからこそ心配して、ここまで様子を見に来てくれたのだろうか。

 そうだとすれば、恋愛感情が反比例する現象のせいで、今の俺は彼女を嫌っているということになるが……。


「好きとか嫌いとか、そんなのは関係ないよ。嫌われていても、嫌っていても、そうやって一人で落ち込んでる武虎を放ってはおけない」


「だから、どうしてだよ……。好きでないってんなら、嫌いにもなってないんなら、俺なんか所詮はクラスメイトの一人だろ」


「違うよ。全然違う」


 最後は遠慮しながら近寄ってきた美夜が俺の隣で立ち止まる。

 すぐそばにいる俺を見るではなく、遠くを眺めながら独り言のようにつぶやく。


「好きでも嫌いでも、私にとって武虎は特別なんだ。好きじゃなくても、嫌いになったとしても、私たちの間には思い出があるから、他の人と同じような単なるクラスメイトにはならないよ」


 美夜の言っていることはもっともだ。大げさでも冗談でもない。

 単なるクラスメイトだと言い切れぬくらい、俺たちの間には思い出がある。

 小学生のころから数年にわたって積み重ねてきた共通の記憶があるからこそ、ちょっとしたことが原因で好きにも嫌いにも感情が振り切れやすくなっているのかもしれない。

 だからこそ俺たちは離れていたほうがよかったのだ。

 ラブシーソーという不可解な現象がある限り、不用意に近づかないほうがいいのだ。


「そんなこと言わないでよ。傷つけあうのが怖いからって、最初から離れていたほうがいいだなんて。やっぱりこうして近くにいて、頼れる時には頼れるほうがいいよ」


「それはそうだけどさ……」


 その通りだと同意して頷きたくなる。

 彼女がそばにいてくれることで、どんなに救われてきたことか。どれほどの支えになってきたことか。

 だけど、それだけに大切な存在である彼女に嫌われた時には失うものが多いということも知っている。

 今日だってそうだった。

 文化祭に向けた準備期間を通じてクラスの一員になれた気がしていても、結局は輪の中に入ることもできず、最初から最後まで俺は一人だった。

 逃げるように、ではなく、本当のところは逃げてきたのだ。

 つぶやくように漏らした弱音を聞き逃さなかった美夜が優しくも不思議がっている顔で尋ねてくる。


「どうして逃げたの?」


 逃げなくてもいいのに、という言葉が暗に響いてくる。幼馴染として俺のことを心配してくれる美夜ならではの言葉だ。

 いたたまれなさを感じたとしても、それがどうしたと彼女は俺を励ましてくれるだろう。

 だけど俺はそうじゃない。


「俺は浮かれていたんだ。調子に乗っていた。自分は他の人よりもうまくやれていると思っていた。虎の被り物が見つからなくて最初は右往左往するばかりだったけれど、みんなのおかげで無事に劇が終わったときに痛感したんだ」


「痛感したって、何を?」


「俺には才能がない。みんなが守りたいと思うレベルの脚本を書けていなかった」


「そんなことないよ。武虎はよくやってた。みんな脚本には満足してたよ」


「ああ、みんなそう言ってくれたよ。だけどそれは俺を思いやってのことだ。俺が書いた脚本を本気で評価してのことじゃない。それがわかっているから、周りが優しくする言葉さえ皮肉に聞えてくる」


 あらゆることに対する自信を失って卑屈になっている俺がネガティブになるあまりそう思えてくるだけで、実際にはそんなことはなく、悪いほうに考えすぎているだけかもしれない。世界は自分が考えるよりも平和で穏やかで、優しくて、誰にでも居場所が用意されているのかもしれない。

 だったら無駄に抵抗する必要はない。

 本当は敵なんてどこにもいないのだ。

 なら何に悩んでいるのか。

 頭の中で考えていることを、あえて口に出して、明確な言葉にしてみる。


「脚本のことだけが問題なんじゃない。自分には才能がないとわかって、その瞬間、やっぱりそうだったんだなって納得してしまったんだ。悔しさも、見返してやりたいという気持ちもない。今、俺の胸の中にあるのは諦めの感情だけだ。虎の被り物がなくなってしまったトラブルは偶然だったかもしれないけれど、虎にさえなれない自分の本質を突き付けられた気がしたんだ。夢に挫折しても、自分は虎にさえなれない」


 夢や目標のために人間を捨てて虎になるほどのプライドも、それを支える強靭な自我もない。

 負けたら負けを受け止めて、自分が勝つための努力をあきらめてしまう。

 もうこのまま一生勝てなくてもいいと素直に思ってしまう。

 それが一番ショックだった。

 才能や環境のせいにして自分では努力もせず、現状を打破する情熱はもちろん、それを成し遂げる知恵も勇気もなく、言い訳のように敗北を受け入れる。戦うことだけが正義ではないにせよ、あまりにも格好がつかない。

 背を向けて、この場を離れたくなる。

 逃げる気配を察知されたのか、実際に行動へと移す前に美夜の手が伸びてきて上着の裾をつかまれた。


「何を言ってんのさ。虎になんかなれなくてもいいよ。凶暴な虎になんかならなくても、よわっちょろい人間のままでいいんだ。武虎は武虎だから。私にとってはそれで十分なんだよ」


「俺は俺、か……」


 わかってる。それは十分によくわかっている。

 俺は俺でしかなく、何をやろうともそれは変わらない。

 そんなことくらい頭ではわかっていても、どうしようもない気分がしてくるのだ。


「確かにそうだと思う。……でも、そんなのはどうでもいいんだ。夢や目標なんて、身の丈に合わない高いところさえ目指さなければ、いくらでも見つけられる。人生を豊かにするための生きがいだって、たぶんそうだろう」


「だったら……」


「でも俺はお前に嫌われたくない」


「……武虎」


「美夜にだけは嫌われたくないんだよ」


 肌寒さを感じさせる十一月の風が丘の草木を揺らした。

 そうだ。俺は美夜に嫌われたくない。

 他の何を失っても、彼女だけは失いたくない。

 美夜のことだけは。

 たとえ虎になれずとも、きっと受け入れてくれる人だから。

 迷惑をかけたくない。自分なんかのために、と考えてしまう。

 嫌われるくらいなら、嫌ってしまうくらいなら、いっそ彼女の前から消え去ってしまいたい。

 美夜に対してだけではなく、世間そのものに対してもそう思う。

 社会に捨てられてしまうくらいなら。

 人の世を恨んでしまうくらいなら。

 簡単に踏み込めない無造作に生い茂った草むらがあれば、そこに身を潜めて、誰とも接触せずに隠れてしまいたい。

 野生に生きる虎のように俊敏な身体になれれば、誰かに襲い掛かるのではなく、あらゆる危険や不安から一目散に逃げだしてしまいたい。

 でも俺は人間で、ちっぽけな人間の一人だから社会を離れては生きていけない。

 役に立てずとも、必要とされずとも、誰かの助けがいる。

 どんなときも、どんな人も、結局のところ自分一人の力だけでは生きられない。


「嫌ったりなんかしないよ、って、言えたらいいんだけど……。不安なのは私も同じだから」


 彼女を不安がらせているのは俺だ。

 不安に思っているのだって俺だ。

 みっともなく泣きたくなるのを我慢して、零れ落ちた何もかもを吐き出す。


「今までずっと無理をして平気なふりをしていたけど、俺はどうしようもなく現象が怖いんだ。もし嫌われて美夜を失えば俺は一人きりになる。実際はそんなことないのかもしれないけれど、そんな気がするんだ」


 それが誰かに恋をするということなのかもしれないが、そうでないようにも思う。

 恋愛というには、とんでもなく独りよがりな気がするから。

 返答に困っているのか美夜はこちらを見たまま黙っているので、彼女の返事を待たずに話を進める。


「相手のことを大好きになったり、それが一日で大嫌いになったり、ラブシーソーとかいう現象があったとしても不思議なくらいに俺たちの気持ちが極端に揺れ動いていたのは、たぶん俺が原因なんだ。みっともなく美夜にすがっていた俺が、嫌われて見放されたくないと強く思っていたから」


 だとすれば、これが純粋な恋とは思えない。

 だけどやっぱり間違いなく恋だとも感じている。

 わからない。

 自分の気持ちも、彼女の気持ちも、正しい伝え方も。

 言葉を失って黙り込む。

 一段と周囲が薄暗くなっている気配がして顔を上げると、山の向こうへ沈み落ちていく夕日の反対側は夜になり始めていた。

 もう星もいくつか出ているが、中でも一番強い光を放っているのは人工衛星かもしれない。

 わずかに動いているような気がして、もしそれが流れ星だったらと思っていると、俺が空を見上げているのに気付いたのか美夜が話を変えるように尋ねてくる。


「ねえ、そう言えば武虎は流れ星に何を願ったの?」


「流れ星?」


「うん。天使が私たちの願いを聞き届けたって言ってたけど、何を願ったんだろうって」


「そうだな、あの時の俺は何を願ったんだろうな……」


 俺たちにラブシーソーという現象を与えた天使の影響なのか、不思議とあの日の記憶はあいまいになっている。

 それでも想像ならできる。

 あのころの俺は今よりもはるかに単純で、純粋に彼女への感情を抱いていた。

 だから流れ星に祈るのは一つだ。

 もっと素直に好きだと認めたい。もしも彼女も好きでいてくれたなら、これからもずっとそばにいてほしい。

 それだけの願い。

 ……いや、そうだろうか。

 なんだか違う気がして、力なく首を横に振る。


「けど、俺は思ったんだ。中学生の時、美夜を好きになったのは弱気になりがちな自分を慰めるためなんじゃないかって。だから強くならなくちゃいけないと思った。ちゃんと一人で生きられるように、胸を張れるように」


 すぐに燃え散ってしまう流れ星なんかに恋愛の成就を祈ったのではなく、いつか立派な一人の人間になるんだと誓いを立てた。

 彼女に好かれたいと願うのではなく、彼女に好かれるような人間になりたいと願った。

 あるいはそれが、お節介な天使にとっては彼女から自立したいという願いに思えたのかもしれないが。

 記憶の引き出しをあさっているのか、美夜も夕闇に染まった空を見上げる。


「中学生のころ、私も思ったんだ。自分はやりたいことを自由にやっているばかりで、いつも大事なことは武虎に任せきりだったんじゃないかって。いつもそばにいてくれると思っていたけど、だから離れてほしくないって同じくらい強く思った。いつまでも私の近くにいて、私が困ったときには手を引いてもらえるようにって」


 自立したいと、一緒にいたい。

 ラブシーソーの原因になったという、相反する二つの願い。

 そこで話が終わるなら、俺たちの関係はそれまでだ。


「でもそうじゃないよね、私は自分だけが助かりたいわけじゃない。今、改めてわかった。つらいときに手を引いてもらいたいのと同じように、今の私はつらそうにしている武虎の手を引っ張ってあげたいんだよ」


 空を眺めるのをやめて顔を戻した美夜が俺の目を見る。

 天使なんかには負けないと、自信や決意に満ちた目をする彼女が俺を見ている。


「だって私には情があるんだ。小学生のころからずっと私に優しくしてくれた武虎には恩を感じているんだ。たかが恋愛感情でつながっているんじゃない。恋人になりたいから隣にいるんじゃない。ねえ武虎、私たちの間には絆があるんだよ」


「絆……」


「そうだよ、絆だ」


 力強く頷いた美夜が自分の胸に手を当てる。

 一時の感情だけでは左右されない、大切なものがそこにあると示すように。


「好きでいたいとか、嫌われたくないとか、本気で恋し合う仲になりたいとか、いつかは想いを伝えあってキスをしたいとか、それもあるかもしれないけど、それだけじゃないんだ。愛したいとか愛されたいとか、自分だけのものにしたいとか、そんなんじゃないんだ。私たちは報われたくて生きているんじゃない。愛されたくて誰かを愛するんじゃない」


 美夜の言葉がすんなりと違和感なく入ってくる。

 最初のころは確かにそうだった。

 何かを期待して彼女と仲良くなったのではなかった。

 ただ、そばにいたかっただけだ。

 一緒にいると心地よかったから。

 彼女と過ごした日々が楽しかったから。

 それ以上でもそれ以下でもない。


「だから武虎、そばにいようよ」


 裏表のない笑顔を浮かべた美夜が手を伸ばしてきて、ためらいもなく俺の手をつかむ。

 好きだとか嫌いだとか、友達だとか恋人だとか、そういうものとは関係なく。

 いやな顔もせずに、彼女は俺の手を握ってくれている。

 そうされていると心が温かくなってきて、不安や悩みが小さくなってくる気分がした。

 ……ああ、そうか。

 やっぱり俺は、彼女のことが好きなんだな。

 恋人だからというわけではなく、そばにいてほしいんだ。

 そう確信すると急に至近距離で見つめあっているのが恥ずかしくなって、どちらともなく視線を外して空を見上げた。このまま完全な夜を待っても都合よく流れ星は落ちてくれないだろうけれど、俺たちの関係を改めて天に願う必要はない。

 嬉しさと、不安と、それから、あまりにもたくさんの感情が流れて……。

 最後には握る手に力を込めて彼女に尋ねる。


「……そばにいてくれるのか?」


「うん。そばにいる。たとえ嫌いになっても、今度は離れていってあげない」


「けど、またひどいことを言ってしまうかも……」


「いいよ、それくらい。今みたいに友達のままでいられたら一番いいけど、嫌ったり嫌われたりしても武虎の近くにいて、言いたいことがあったら遠慮なく背中を蹴り飛ばしてあげるから」


 本気で言っているのか、ふざけて言っているのか、どちらにせよ頼もしい言葉だ。


「もしその時が来たら、思いっきり蹴飛ばしてくれそうだ」


「うん、だから武虎も私のそばにいてよ。好きな時も、嫌いな時も、私に感情をぶつけてくれていいからさ」


「美夜……」


 あらゆることを受け入れようとする彼女の優しさと強さが胸に響いてくる。あまり適切ではない大げさな表現かもしれないが、先の見えない夜の孤独に沈んでしまいそうになっていた心が彼女という光に救われた気がした。

 もう、そばにいるだけでいいのかもしれない。

 そばにいられるだけでいいのかもしれない。

 恋だけが、愛だけが、キスやその先にあるつながりだけが俺たちの求める人生のゴールだと思い込んでいたけれど、そんなことはない。大切な誰かとともにいて、同じ方向を見て、時には喧嘩したりしながらも、追い越したり追い越されたり、それでも手をつなぐように歩いて行けたなら。

 自然と笑いたくなるくらいの幸せも、あるいは泣きたくなるくらいの不幸せも、この身に降りかかる何もかもを二人で分け合っていけるような、そんな関係になれたなら。


「ねえ、武虎。私、やっぱり武虎のことが好きだよ。それも、恋愛なんかに振り回されない特別な好きなんだ」


「……ああ」


「そうは言っても現象が解決していない以上、私たちの決意とは関係なく感情は揺れ動いてしまうんだと思う。これからもたくさん喧嘩をするだろうし、つまらないことで何度でもすれ違うだろうし、傷つけあってしまうかもしれない」


「……そうだな」


「それでも武虎、一緒に乗り越えていこう。同じ方向を向いて、一緒に生きていこうよ。お互いのことを激しく愛し合う理想の恋人同士にはなれないかもしれない。それでもさ、私たちで預け合って半々になるくらいの友情を、ずっと続けていこうよ」


 それがどんなに難しいことか。おそらく口で言うほどには簡単ではないだろう。

 ただでさえ人間関係は難しい。俺たちの場合、そこに不条理な現象まで関わってくるのだ。

 それでも、他でもない彼女が相手なら不可能ではない気がした。

 手を取り合って、ぶつかり合って、追いかけられて、追いかけて、そんなことを繰り返しながら、それでも俺たちは特別な関係でいられる予感がした。


「ああ、そうだな。美夜、ありがとう」


「こちらこそありがとう。……でも武虎、ほら、ちゃんと言葉にして?」


「……わかった」


 ここで曖昧に言葉を濁しても意味がない。心から感謝しているからこそ、伝えられることは伝えておくべきだ。

 そうでなければ、いつまでも彼女に甘えているだけだから。

 思えば昔から美夜のことを見ているようでいて、いつも結局は自分のことばかり考えていた。勝手に押し付けていた期待や信頼が重みになって、自然と距離を置きたくなっていたのかもしれない。俺たちのすれ違いを理不尽な天使の現象だけのせいにするのは無責任だろう。

 変わらなくてもいい部分はあるけれど、同じくらい変わらなければならないところもある。

 彼女に頼ってばかりではなくて、負けないくらいに俺も頑張ろう。

 優しくて強い美夜に支えられるばかりではなく、次からは彼女を支えられるようになろう。


「美夜には迷惑をかけるかもしれない。ひどいことを言うかもしれない。けれど、これからも一緒にいよう」


「うん、そうする」


 そしていつか、幼馴染で、友達で、恋人というよりはかけがえのない家族になって、お互いの重みを均等に分け合えるような人生のパートナーとなれるように。どちらが転んでも手を握り合って、どちらがへこんでも肩を寄せ合って、これからの未来に訪れるであろう幸せも不幸せもないまぜに、いつかは真正面から抱き合えるように。

 焦る必要はない。

 今は隣を歩こう。

 たとえ困難にぶち当たって立ち止まることがあったとしても、彼女は待っていてくれるから。

 好きになって嫌われても、あるいは俺が嫌ってしまっても。

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