21 嫌われていても、好かれてなくても
夏休みが明けて二学期がやってきた。
ちっとも涼しくならないまま残暑を引きずっていることもあって、個人的な体感としては一学期の延長線上にあり、二人で過ごした夏祭りの夜を経てもなお有末さんとは微妙な距離感が続いていた。後はこちらから一歩でも歩み寄れば元のように仲直りできるはずなのに、その最後の一歩をなかなか踏めずにいた。
単純に言えば、やはり嫌われることを恐れているのだ。
昔は言いたいことを言い合えていたのに、今では古川さんの方が難しいことを考えずに気軽に対応できるくらいだ。それは古川さんのことを好きになっているからというよりも、これからも一緒にいたいと有末さんのことを大切に思うあまり、彼女の前で下手な言動をとれなくなっているだけなのだろう。
大事な友達である有末さんとのコミュニケーションで失敗したくない。
邪魔だと思われたくない。
どんな時でも一緒にいたいと考えている自分の欲望よりも、彼女が自由にできるであろう彼女の時間を大切にしたい。
いっそ、あらゆる選択を有末さんにゆだねたい。
それは優しさではないかもしれない。友達に対する姿勢としては間違っているのかもしれない。だけど本格的に嫌われてしまうよりはずっといい。とにかく彼女がゲームに飽きて、また俺に興味を持ってくれる日を待てばいいのだ。
がっつく必要はない。
いじけず、不安がらず、堂々としていればいいではないか。
そう考えることで無理に自分を納得させて日々を過ごしていると、ある日の休み時間、意外なことにウィン君から声をかけられた。
「柴森君、ちょっといいかな?」
「いいけど、何か用?」
「うん。実はね……」
と、なぜか腰を低くして遠慮気味になっている彼の話を聞いてみると、要するにFPSを一緒にやろうというお誘いだった。
一度や二度ではなく、よければ今後もずっとチームを組みたいらしい。
いろいろと気になることはあれど、まず真っ先に気になったことを尋ねておく。
「有末さんは?」
「それがさ、夏休みが終わるくらいのころにゲームをやめちゃってね。大事な戦力だった彼女が抜けてしまったから、新しいチームメンバーを探しているんだ」
「……え、やめたの?」
「そうみたいだよ。僕らのチームを抜けただけじゃなくて、ゲームそのものをやめるんだってさ」
寝耳に水だ。飽きるのを待っていたとはいえ、ここまで急にやめたとなると何かあったのではないかと心配になる。
「で、どうかな? 一緒にやらない?」
「えっと……」
もともと苦手だったことに加えて、肝心の有末さんがやめてしまったからにはFPSをプレイするモチベーションはない。誘ってくれたことには感謝を述べつつ、誘い自体は断らせてもらった。
それにしても気がかりだ。どうして有末さんはFPSをやめてしまったのだろう。
友達である俺に気を遣った、というわけでもなさそうだが……。
このまま一人で考えていても答えが出てくることはないので、ここは直接本人に聞いてみることにしよう。趣味が合わないという理由で話題にすることを避けていたとはいえ、俺たちの間でFPSが禁句になっているわけでもないのだ。やめた理由を尋ねたくらいで彼女が不機嫌になることもないだろう。
そう思って声をかけると、彼女はあっけらかんと答えた。
「飽きちゃったからやめただけだよ」
「え、それだけ?」
「うん。他に理由が必要?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
嘘をついているようには見えないが、本当だろうか。あんなに楽しそうにプレイしていたのに、飽きたからってきっぱりとやめてしまえるものなんだろうか。
とはいえ、本人が飽きたと言っているのに違うんじゃないかと俺が詰め寄るのも変だ。ここは彼女の話を受ける入れることにしよう。
「だったら……」
だったら、前みたいにガレージで遊ぼうよ。
そう言いたい俺だったが、気恥ずかしさが原因なのか、伝えることはできなかった。
不自然に口を閉ざしてしまったせいで生じた会話の隙間を埋めるように、有末さんがつぶやく。
「柴森君は知ってると思うけど、パソコンだったらFPSだけじゃなくて他のゲームもできるんだよね。スマホより大きな画面で動画も見れるし」
「それもそうか」
じゃあ暇をしているわけでもなさそうだ。退屈にしているなら遊びに来てほしいとガレージに呼びやすかったけれど、なおさら誘いにくくなってしまった。
けれど焦る必要はないだろう。いつかまた一緒に遊べる機会は来るに違いない。
そう自分に言い聞かせることで納得した俺だった。
十月、それまでプレイしていたスマホのリズムゲームが企画していた懸賞に当たり、なんとライブのペアチケットをもらえることになった。発表されたころからすごく行きたかったライブなので嬉しいのには違いないが、よりにもよってなぜペアなのだ。
一緒に行く相手が見つからずに一人で参加すれば、友人も恋人もいない寂しい奴だと思われるんだろうか。
自虐交じりで不満を漏らすと、特に予定もない休み時間をつぶす感覚で話を聞いてくれていた古川さんが色めき立った。
「わあ、すごい! だったら私も一緒に行きたい!」
「いいの?」
「柴森君こそいいの? ペアチケットなんでしょ? 本当に誰も誘う人がいないの?」
「それは……」
乗ってくれるかはわからないが、誘いたい人ならいる。古川さんを軽視しているわけではないけれど、本当は誰よりも最初に声をかけておきたい相手がいた。
有末さんだ。
前にもまして最近めっきり遊ぶ機会が減り、今では気軽にしゃべりかけることさえできなくなっていた。社交的な古川さんのように彼女の方から声をかけてくれれば何の問題もなくコミュニケーションができるのに、用事もないのに自分から有末さんに声をかけるのは難しい気がした。
すでに有末さんはFPSをやめていて、もう俺たちの間には明確な壁なんてなくなっているはずなのに。彼女がガレージに来てくれなくなるだけで、こんなにも簡単に距離が開いてしまうなんて。
おそらくきっと、まず間違いなく、俺は彼女に対して「恋」を意識してしまっているのだろう。
きちんと告白したいとか、恋人として付き合いたいとかの前に、彼女には嫌われたくないという強い感情があるからだ。
だから普通に接することができなくなっている。
気負わずに声をかけることさえ。
「気になるんだったら声をかけてきたら?」
知らず知らずのうちに視線が向いていたらしく、どこまで俺の内心を見透かしているのやら、当然ことを提案するように古川さんが言ってきた。
「うーん……」
断られたらどうするんだ。
それに、一度は喜んでくれた古川さんにも失礼じゃないか。
でも誘いたいのは事実だ……。
そう思っていたら、こちらの話し声に気づいたのか、やや離れた席に座っている有末さんが俺たちの方を見た。こちらも彼女を見ていたので、自然と目が合った。
見なかったことにして顔をそらすこともできたけれど、それが原因となって致命的な溝ができてしまうのは避けたい。ここはあまり深刻に捉えず、軽い世間話をするくらいの温度で声をかけよう。
「どうしたの? なんだか二人で楽しく盛り上がっていたみたいだけど、それを途中で切り上げてきてまで何か私に用事でもあるの?」
「それなんだけど、実はさ……」
前のめりになりすぎないように気を付けながら、眠たそうに頬杖をついたままでいる有末さんに説明する。
ライブのペアチケットが当選したので、誘う相手を探している、と。
「へえ、よかったじゃん。それで彼女と盛り上がってたんだ。二人ともゲームのファンなんだもんね。ライブをやるっていうんなら嬉しいんじゃない?」
「そうなんだけどさ……」
ライブには有末さんのことを誘いたいんだよね。
その言葉がすぐには出てこず、気まずさに耐え切れず目が左右に泳いだところで彼女が先に答えた。
「私はあんまりよく知らないし、ついていっても楽しめないと思う。だから彼女と行ってきた方がいいんじゃないかな」
「そうかな……」
「きっとそうだよ。だって彼女、遠くで見ていてもわかるくらい嬉しそうだったよ。すごくライブに行きたいんじゃない?」
「それはそうだと思う。彼女は俺以上にゲームのファンなんだ。ライブがあるっていうなら、そりゃもう行きたいに違いない」
「だったら決まりだね。彼女を誘ってあげなよ」
「うん……」
いや、どうしても君がいいんだと食い下がることもできず、有末さんが言うならと引き下がった。
実際、こちらの都合で無理に付き合わせても有末さんが楽しめるかどうかは疑問が残る。
その点、古川さんならほぼ間違いなく楽しんでくれるだろう。相手が俺かどうかは関係ない。誰に誘われても、ゲームのファンである彼女はライブに行けるとなれば喜ぶはずだ。
だったら、これは、想い人同士が予定を合わせて出かけるデートではなく、あくまでも同じゲームを愛する者同士で出かけるファン活動なのだ。同好の士としての友情はあれど、恋心があるのではない。
それは古川さんも有末さんもわかってくれているだろうから、今回のことで俺たちの関係が激変するということもないだろう。
なんだか疎遠になってしまっている有末さんとの関係だって、このライブをきっかけに何が何でも修復しなければならないわけではない。もちろん早ければ早いほどいいが、以前のような関係に戻るための機会はこの先いくらでもあるだろう。
そう考えて楽観視していた俺ではあったが、その日、家に帰ってみると思いがけない話が親の口から飛び出してきた。
「ガレージが使えなくなるって?」
「そうよ。だからあんたの荷物は全部しっかり片づけておきなさい。ガレージの代わりに今は物置として使っている二階の部屋を使っていいから」
というわけで、小学生のころから子供部屋として使っていたガレージを年末までに出なければならなくなってしまったのだ。
秘密基地みたいで気に入っていたガレージの生活。小さなクーラーを取り付けて夏でも冬でも居心地はよく、ソファやベッドなどの家具だけでなく漫画やゲームにおもちゃまで大量にあるので、正直に言えば移動したくはない。
それに、もしもガレージを使えなくなってしまったら、もう有末さんと二人きりで過ごせる場所がなくなってしまう気がした。親の目を気にせず、誰の目も届かない空き地に作った秘密基地のような空間だったからこそ、男子が一人で暮らしている部屋に有末さんも気軽に来てくれていたのだ。
このまま二階の部屋に移動してしまったら、今までのようにはいくまい。少なくとも、休日の朝から我が物顔で入り浸るようなことはなくなるだろう。
どんなにこちらが願っても、彼女が遠慮してしまうはずだ。
「でも、しょうがないよな……」
親との夕食を終え、浮かぬ顔でガレージに入った俺はソファに深く腰掛けた。
世は無常だとはかなんでも、決まってしまったものはしょうがない。だから泣き言を言うつもりはない。どうしても出ていきたくないんだと、聞き分けのない子供みたいに駄々をこねるつもりもない。
ただ、うまく言葉にできない虚無感がある。
たくさんの思い出が詰まっているガレージを出ていくことが、有末さんとの関係に終止符を打つ一つの象徴のように思えた。今までの関係性には戻れないと、非情な運命を突きつけられているような気がした。
けれど受け入れるしかない。
力なく視線を下げると、いつから放置していたのか、ほこりをかぶったゲーム機が視界に入った。本当は有末さんとやりたかったゲーム。当時そうさせなかった原因であったパソコンは今では電源をつけることすら珍しく、誰にも触られぬまま静かに暗い画面だけを映すインテリアになっている。
有末さんが来なくなって、この部屋もずいぶん寂しくなったものだ。
でも、それは本当にこの部屋だけの話だろうか?
……いや、そうじゃない。有末さんがいなくなってしまった時、色あせてしまうのは俺の人生そのものだ。ガレージが寂しくなってしまったのではない。それを見る俺の心が寂しがっているのだ。
そのことをはっきりと自覚すると、気合を入れるべく俺はソファから立ち上がった。
いじけている場合ではない。
翌日、俺はまず古川さんに頭を下げた。
「ごめん、古川さん。ライブの話だけど、実は他に誘いたい人がいるんだ」
「そっか……。残念だけど仕方ないね。私はいつか自分の力でチケットを手に入れてライブを見に行くことにするよ」
「ごめんね、ぬか喜びさせるような結果になっちゃって……」
「大丈夫、大丈夫。誘うのってたぶん有末さんなんでしょ? だったら彼女にもゲームの曲の良さを伝えてきてあげてよ。ファンを連れていくのも大事だけど、まだファンになっていない人を連れていくのも大事だから」
彼女に背を押してもらえた気がしたので、時間とともに決意が鈍ってしまう前に有末さんのところへ行って声をかける。
「有末さん、ちょっといいかな? 話があるんだけど……」
「ん、何?」
緊張しているのは俺ばかり、こちらの声に反応して顔を上げた有末さんは気の抜けた表情で小首をかしげた。これまでの休日によく見た、すっかり油断した猫のような表情だ。
おかげでこちらの緊張も解けてきた。
もったいぶっても仕方がないので、率直に伝える。
「ライブの話だけどさ、やっぱり有末さんと行きたくて」
「……どうして? だって、昨日は古川さんを誘うって……」
「うん、だから古川さんには謝って来たんだ」
「なんで、そんなこと……」
彼女が疑問に思うのも無理はないだろう。昨日の今日で心変わりするには急すぎる。
何かあったとしても、なかったとしても、理由を説明する責任が俺にはある。
絶対に楽しいから彼女にライブを体験してほしいとか、俺が好きなものに興味を持ってほしいとか、それなりの理屈をつけようと思えばつけられる。
けど、そもそもゲーム自体に興味がなかったという有末さんには何を言ったところで自分本位な動機の押しつけだ。彼女のためを思ったところで、所詮は有難迷惑だろう。
だから誘うなら正直な気持ちを伝えるべきだ。
「有末さんと一緒に行きたいんだ」
まとめてしまえば、それがすべての理由である。
今回のライブだけに限った話ではない。
楽しいことも、大変なことも、これから起こる人生の様々なことを有末さんと経験したい。思い出や感情を少しでも多く共有したい。
他の人が駄目なわけじゃない。
ただ、他の誰よりも有末さんを俺が選びたいだけなのだ。
好きだから。
たとえ好かれていなくとも、嫌われていても、俺は有末さんの隣にいたい。
彼女さえ喜んでくれるなら、いつまでも隣にいてほしい。
「有末さんと一緒がいいんだ……」
「わ、わかったよ。そこまで言うなら一緒に行くよ。……まったく、そんなに顔を赤くしながら頼まないでよね」
そう言う有末さんだが、彼女の顔もほんのりと赤くなっていた。
怒っているわけではなく、俺と同じくらいに恥ずかしがっている雰囲気。ライブに対して完全に乗り気になっているわけではないようだが、本気で嫌がっているわけでもないようなので、ひとまずは安心だ。
なんとか無事に断られずに済んだこともあり、念のために確認しておく。
「だけど、本当に大丈夫? 有末さんが知らないゲームのライブなんだけどさ」
なんだかんだ言いつつ俺は楽しめるだろうが、彼女も楽しめるだろうか。FPSが原因で温度差を感じていた当時の俺の心境を彼女にも味わわせてしまうのではないかと、自分から誘っておいて今さらながら不安になってきた。
かといって、やっぱりやめたと言われても悲しいので、これはずいぶん身勝手な心配である。
「それは大丈夫だよ。全く知らないってわけじゃないからさ」
「……え? 全く知らないわけじゃないって?」
「そんな意外そうな顔しないでよ」
「あ、ごめん。でもさ、俺がやってるリズムゲームには興味がないって言ってたから」
前の時は素っ気なく反応されてしまったので、根に持っているというわけではないものの、よく覚えている。
彼女も少なからず気にしているのか、ばつが悪そうにする。
「それは嘘じゃないっていうか、今の私がリズムゲームに興味があるってわけでもないんだけどさ……」
「じゃあ、どうして?」
「どうしてって……」
すぐには答えにくいことなのか、うつむいた有末さんは柔らかく唇を噛んで言葉を飲み込んだ。焦らせる必要もないのでゆっくり待っていると、心の中で葛藤に打ち勝ったらしく、正直に答えるしかないと観念した様子の有末さんが顔を上げた。
「柴森君との話題についていけるようになれば、仲直りのきっかけになるかなって……」
「有末さん……」
その言葉がどんなに嬉しかったか、うまく表現することはできない。
寂しがっていたのも、悩んでいたのも、再び以前の関係に戻りたいと願っていたのも、俺だけのことではなかったんだ。
わかりやすいくらいの態度に出していなかっただけで、彼女もずっと、こちらに歩み寄ろうとしていたのかもしれない。
「本当は柴森君と一緒にライブに行きたかったんだ。昨日だって断っちゃって後悔していたんだよ。……だから、誘ってくれてありがと」
そう言って彼女は恥ずかしそうにする。
なかなか素直になれずにいた俺なので、それを伝えるためにどれほどの勇気を出してくれたのかが手に取るようにわかる。俺の反応を不安に思っているであろうことも、同じく彼女の反応を恐れていた俺なのでよくわかる。
また前のように仲良くしたい。
たったそれだけのことなのに、それだけのことが言えなくなっていた。
相手の反応が怖いから。どうしようもなく不安でいっぱいだったから。
なので、ほんの一部であれ本心をさらけ出してくれた彼女には嬉しさと、それ以上の感謝がある。
「こっちこそありがとう」
嫌わないでいてくれて。
俺の前から遠ざからないでいてくれて。
ライブに一緒に行けることはもちろん嬉しいが、それだけじゃない。
有末さんの人生に俺の存在を受け入れてもらえた気がして嬉しいのだ。
「そんなに大げさに受け取らないでよ。仲直りしたいと言ったけど、私たちって別に喧嘩していたわけじゃないんだから」
「でも、だからこそだったんだ。喧嘩をしていたわけでもないのに、離れていくようだったから……」
それはもしかしたら、難しいことを考える必要のなかった小学生から中学生になって、知らぬ間に色づき始めていた俺が彼女との関係に悩みを覚えていたからなのかもしれない。
好きであることを意識して、恋人になりたいと願い始めていたからなのかもしれない。
だから不器用に彼女との距離感を模索するしかなかったのだろう。
これからも変わらず一緒にいたいなら、一緒にいられるうちは恋心を閉じ込めておこう。
恋愛対象として彼女を意識してしまえば、ことあるごとに期待もするし、つまらぬことで嫉妬もするし、恥ずかしがって素直にもなれず、今までみたいに普通に接することもできなくなるから。
近い距離で触れ合おうとして失ってしまうくらいなら、友達のままでいられるほうがずっといい。
有末さんと元の関係に戻れる最高の喜びを胸に抱きつつ、そう考える俺だった。
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