16 おはようと言い合える関係(1)

 じっとりした蒸し暑さを残して夏休みが終わり、気だるげな二学期が始まった。

 気分転換を兼ねた席替えがあるくらいでクラス替えがあるわけでもなく、季節と授業内容が変わったこと以外には一学期と比べてめぼしい変化もない。

 そう思って数日、可もなく不可もなく波風も立てずに学校生活を送っていれば、二学期最大のイベントである文化祭に向けて準備が始まるという話になった。二か月後の十一月にあるという本番に向け、夏休み明けの九月のうちから計画を進めるらしい。

 模擬店、お化け屋敷、プラネタリウムに研究発表。

 どれをやっても面白くなりそうな候補が次々と出てくる中、あれがいいこれがいいと紆余曲折あって俺たちのクラスは演劇をやることに決まった。


「で、脚本はどうしよっか。重要だよ、これは。適当に決めちゃ駄目だよ、どうする?」


 文化祭の実行委員に任命された女子生徒がクラス全員に問いかける。具体的な内容やテーマを決めるより先に、まずは脚本の責任者を決める流れになったのだ。

 しかし、そう簡単には決まらない。それもそのはず、どう考えたって大変そうだからだ。文化祭に限らず、こういったイベントや祭りはちょうどいい距離感で楽しむのが一番である。仕事が山積みになりがちな実行委員に引き続き、劇の成功と失敗を左右しかねない責任を背負うことになる役職を決めるのは難航した。


「やりたい人っている? あんまり自信なくてもいいよー。みんな責めないよー。うーん。なかなかやりたがる人がいない……としても、やりたくない人にやらせるのって違うよね?」


 ……まあ、最終的には誰かに背を押されてお祭り好きな誰かがやってくれるだろう。

 最悪、くじ引きか何かで決まるかもしれないが。

 そう思ってぼんやりとクラスの会議を見守っていたら、不意に志賀さんと目が合った。

 やってみたら? と言われている気がする。

 劇の脚本か。創作活動の一種として全く興味がないわけでもないけれど、当然ながら今まで一度も挑戦したことはない。読者が読んで終わりの小説とは事情が違うので、それなりの文章が書けるとしても、舞台上で映える劇として観客と演者の両方を満足させられる脚本が書けるわけでもない。

 けれど、それは他の人間にしたって同じことだろう。

 誰が担当するにしても素人のやることだ。演劇界に燦然と輝く新しい傑作の誕生が望まれているわけでもなく、万人に拍手喝采で称賛されるほどの完璧な脚本が求められているのではない。クラスみんなが一丸となって楽しめる脚本が求められているのだ。

 それに、どちらかといえば挑戦してみたい気持ちはある。自分の実力を確かめたいとか、小説を執筆する練習になるとか、そういう技術的な向上心を伴った目的意識がないではないが、何よりも同じクラスの美夜に俺が頑張っているところを見せたいという浅ましい魂胆がある。

 誰もやりたがらず誰かにやらされるくらいなら、早い段階で自分からやると名乗り出た方がいい。

 うまくいかずに失敗した場合は落胆されるだけでなく、どんなに実行委員の彼女がかばってくれたとしても、最悪の場合にはクラスの男女から馬鹿にされ責められることもあるだろう。

 それでも最後には自分の意志で覚悟を決めた俺は手を上げた。


「誰もやらないなら俺がやろうかな」


「え、本当? ありがとう! しばらく待ってみても他にやりたい人がいないみたいだから、ぜひお願いするね。だけど、劇の脚本を考えるのって一人で大丈夫なのかな? 何人かでやった方がいい感じ?」


「えっと、それは……」


 どうだろう。友達が少なくて教室で孤立しがちな俺が一人で取り組んだところでクラスの全員が満足できるクオリティの脚本を書けるとは思えないので、やはり誰か一人くらいは客観的な目線を持った助っ人が欲しい。

 とはいえ、こちらから指名できるほど仲がいい相手がいない。

 いや、いることにはいるが、自分から名乗り出ておいて高杉や野村たちを頼るのは無責任なような気もした。それぞれに都合もあれば、やる気の問題もある。

 となれば積極的な援軍を期待するまでだ。

 いっそ脚本を考える才能なんてなくてもいいから、とにかく気の利いた優しい誰かが立候補してくれないだろうか。できればコミュニケーションの面で頼りがいのある人がいい。

 そう思っていると、俺からは遠い席から声が響いた。


「私が手伝うわ」


 そう言って手を上げたのは閨崎さんだ。全く予想していなかった意外な人物だったので、表情には出さないものの少し驚く。彼女は志賀さんや美夜と仲がいい女子だけれど、残念ながら俺と特別に仲がいいわけでもない。夏休みに一緒に遊んだことはあるものの、あくまでも友達の友達という感じでしかなかった。あいにく他の人がいないときに二人きりで楽しく遊んだことは一度もない。

 もっとも、理由はどうあれ閨崎さんが手を上げてくれたことが嬉しくないということはない。陽気な人間が多い男子だけで脚本を作ると馬鹿げた話になりかねないので、女子の目線から手伝ってくれるのならありがたい話だ。物語としての完成度を高めるだけでなく、クラスの女子から不満が出てくる可能性をぐっと減らすことができる。

 問題は一対一でしゃべったことがほとんどないことだが、名前さえ知らない人と協力するよりはやりやすい。誰かに指名されたのではなく自分から名乗り出てくれている以上、俺に対して苦手意識があるわけでもないだろう。


「でも私一人じゃ役に立てるか不安だから、アドバイザーとして有末さんも一緒にお願いできる? 私たち二人で脚本を補佐しましょう」


「……え?」


 いきなりの指名に驚いて声を出したのは美夜だったが、我慢して声に出さなかっただけで俺も同じ気分だ。

 美夜が俺と劇の脚本を考える?

 提案した閨崎さんにとっては仲のいい友達を推薦しただけかもしれないが、彼女と微妙な関係にある俺にとっては反応が難しい事態である。一緒になれて嬉しい反面、やはり気まずさも勝る。

 というか、まともに仕事ができるだろうか。

 事情を知らぬ周りの人間からは異論や不満が一切なく、つつがなく会議を進行したい実行委員の彼女も満足そうに頷く。


「じゃあ、三人にお願いしようかな。細かいところはクラスみんなでアイディアを出していくにしても、まずは脚本チームにいくつか草案を作ってきてもらおう!」


 というわけで、実際そうなった。





 この学校では伝統的に、有名な文学作品をモチーフとした演劇をやってきたらしい。記録によると『吾輩は人である』や『学生失格』はタイトルだけが残っており、昨年は『走れメロス』を題材とした『待てメロス』だった。メロスとその友人であるセリヌンティウスの立場を入れ替えて、友人の帰りを待てずに走りだそうとするメロスと王や観衆とのコメディだ。

 要するに、有名作品のパロディ。

 大変なことには変わりないが、完全に一からオリジナルのものを考えるよりは楽そうだ。

 なので、結成したばかりの脚本チームとして放課後に三人で集まった俺たちも最初にやるべき仕事として、劇の参考にする文学作品を選ぶことにした。


「私、あんまり文学作品は知らないんだけど、現時点で思いつくものに何かおすすめのものってある? できれば登場人物が多くて動きがあって、お話も短く完結しているもののほうがいいと思うんだけど」


「そうだね……。とりあえず俺が知っている作品をいくつか挙げておこうかな」


 あまり文学の事情に詳しくないという閨崎さんのために、ひとまずノートに思いつく限りのタイトルを書き出していく。教科書にも載っている文豪たちである夏目漱石、芥川龍之介、太宰治などなど。著作権が切れている日本の作品を中心に、有名であれば海外のものも列挙しておく。

 だが、それだけでは話の内容まではわからない。小説としては面白い作品だとしても、内容によっては劇に向いていないこともあるので、タイトルの印象だけで選ぶのは難しい。


「えっと……それで……」


 さすがに全部は内容まで覚えていないので説明に困っていると、今まで自分が入るタイミングをうかがっていたらしい美夜が表情を変えずに何かを取り出した。


「……はい、これ」


「あ、ありがとう。助かるよ」


「別に……」


 いきなり何を渡されたのかと思えば、これから読書を始める中高生に向けて百冊以上の文学作品を紹介しているあらすじ集だ。一冊につき数ページ、ほどよい分量で作品の内容が簡潔にまとめられている。今日から始まる脚本会議のために、わざわざ図書室から借りてきてくれたのだろう。

 今の美夜は俺のことを嫌っているはずなので、てっきり俺と一緒の脚本会議にも乗り気でないと思っていたけれど、そんなことはなかったようだ。

 あんまりしゃべってくれないものの、ほんのちょっぴりでも協力的なところを知れて俺は嬉しかった。


「ありがとう」


「いや、そんな何度も言わなくても……別に大したことじゃないし」


「それでも、ありがとう」


「……ま、言いたいんなら止めないけどさ」


 と言って、プイっとそっぽを向く美夜。あきれているのか迷惑がっているのか、はたまた恥ずかしがっているのか、その反応からはよくわからない。

 けれど、拒絶されて口さえも一切きいてくれないわけではないことを知れて、胸をなでおろしたいくらいに安心できるのは事実だ。

 このまま二人で仲良く、というのは難しいかもしれないが……。

 しかし、今は頼れる存在として彼女の友達である閨崎さんがいてくれた。


「はい。じゃあ、これを三人で一緒に眺めながら考えましょうか。よさそうなものがあったら、それぞれ忘れずにメモしておいてね」


「そうだね」


「……うん」


 好きと嫌いとで仲の良さが違う俺と閨崎さんをさりげなく見比べつつも、中間をとって不機嫌になりすぎない程度に素っ気ない反応を見せる美夜。それでも一応は顔を近づけて、やや離れてはいるものの遠慮がちに広げた本を覗き込んでくる。

 そんなちょっとしたしぐさがすごく嬉しい。

 現象のせいで今は嫌われているはずだが、すごく久しぶりに美夜と一緒に何かをやれている感覚を共有できて、馬鹿みたいに心が嬉しさでいっぱいになる。

 だから脚本作業にも身が入る。


「これとかこれ、あ、これもいいんじゃないかな」


「これは?」


「えーっと、うん、それもいいと思うよ」


 なかなか美夜はしゃべってくれないが、彼女の友達である閨崎さんが間に入ってフォローするように俺たちの相手をしてくれるので、正直すごくありがたかった。

 その日のうちに本を見ながら案を出し合って複数の候補を作り、数日後に再び開かれたクラス会議での投票を経て、特にトラブルもなく劇のテーマが決まった。

 舞台版の山月記である。

 さすがに小説のまま劇で演じるわけにもいかないので、文化祭向けにコメディ色を強めて登場人物も増やし、現代風に恋愛要素やダンスなども入れることになった。


「うん、これは面白くなりそうだね!」


 クラス全体が見える教室前方の教壇に立ち、慣れたように会議を進行していた実行委員の彼女が嬉しそうに指を鳴らす。手首のスナップに合わせてパチリ、と結構大きな音が鳴ったので、正直かっこいい。なんだったら劇に取り入れてもいい。

 さて、ここからは俺たちの仕事が本格的に始まる。

 すれ違い続ける俺と美夜が原因で会話が弾まない状態にある、なんとも気まずい脚本会議のスタートだ……と思っていたら、まだまだクラス全体での会議は続いた。


「それじゃあ、今日のうちにちゃっちゃと決めちゃおう!」


 という彼女の鶴の一声で、詳細なストーリーを考えるよりも前に主役とヒロインだけでも決めておくこととなり、まずは推薦と投票によって、劇の主役が野村になった。にぎやかな人間が多い男子の中では、同性である男子からも異性である女子からも真面目な人間だと信頼されているからだろう。

 負けてなるものか! と対抗心を燃やしたらしい高杉も慌てて立候補したものの、あまり票は集まらずに涙をのんだ。

 続いてはヒロインを誰にするか決める番だ。全体を通して出番が少ない脇役なら率先してやりたがる人がいても、否応なく観客の注目が集まり、覚えるべきセリフも多いヒロイン役はハードルが高いようで、なかなか誰も名乗り出ない。

 実行委員の女子が懇願するように呼びかけ続けていると、最後には志賀さんが名乗り出た。野村と高杉の二人で争った主役の時とは違い、今度は他に対抗馬も出なかったので、あっさりと彼女にヒロイン役が決まった。


「武虎君に脚本をやらせたようなものだから、私も何かやらなくちゃね」


「いや、脚本をやると決めたのは俺だから。やりたくもないのに無理をして誰かにやらされてるわけじゃないんだ。確かに志賀さんの存在もきっかけの一つではあるけれど、だからといって志賀さんが責任を感じることはないよ」


「そっか。……でも、ちょっとは責任を感じさせてほしいな。劇で演じることになるのは私たちだし、せっかくだから脚本は手伝うよ」


 という申し出があり、先ほどのクラス会議で主役とヒロインに決まったばかりの志賀さんと野村も脚本会議に参加することになった。

 依然として美夜とはろくに会話もできていない状態なので、人数が増えると今までに増して気まずい。しかし、まさか彼女を俺一人の権限で脚本チームから追い払うわけにもいかず、無視されるのが怖いからといって無視するわけにもいかない。

 どうしようかと迷っていると、気が付けば美夜よりも志賀さんとばかり話をしてしまう。

 美夜も美夜で、閨崎さんや野村とばかり話をし始める。

 同じ場所に集まって五人で会議をしてはいるけれど、事実上、組み合わせとしては二人と三人だ。

 そういう不自然な状況に気付いているのか、二人でちらちらと目配せしあう閨崎さんと志賀さんも俺たちに気を遣ってくれている。

 なんだか申し訳ない思いがした。





 ある日の放課後、脚本会議が終わって教室を出て廊下で二人きりになって、このまま一緒に下校する感じで歩いていた野村が俺の顔色をうかがいながら問いかけてきた。


「武虎君、こういうことを僕の口から言ってもいいのかわからないけど、今後のためにも一応は尋ねておくことにするよ。君、もしかして有末さんとは仲が悪いのかい?」


 不必要な喧嘩を避けるためにも意識的に美夜との会話を避けているのだから、脚本チームに加わって一緒に作業をしていれば彼がそう思うのも当然の疑問だろう。

 興味本位で俺たちの関係が気になったから質問しているというよりも、クラスメイトなんだから仲良くしろよ、という野村の非難じみた忠告が言葉にせずとも言外に伝わってくる。

 頑張れば言い訳も可能で、質問には答えず適当に誤魔化すこともできたが、クラスでもそれなりに信頼されている野村を相手に下手なことを言って話が美夜に伝わると、修復不可能なレベルで新たな誤解を生む原因となるかもしれない。

 できる限り正直に答えた方がいいだろう。


「仲が悪いというか、正確に言うと俺が避けられているんだ。もっと正直に言うなら嫌われているんだと思う。美夜とは小学生のころに仲良くなった幼馴染で、俺は彼女のことが好きなんだけどな」


「へえ……。あえて事情は聞かないでおくけど、複雑なんだね」


「複雑というか、なんというか……」


 本音を言えば、すべてを洗いざらいにぶちまけたい。

 おかしくなったと心配されかねないので、天使の話を馬鹿正直に伝えるわけにもいかないが。

 たとえ天使の存在が美夜の見た夢であり、ラブシーソーと呼ばれる不思議な現象が勘違いだったとしても、それはそれで普通の関係ではない気がする俺たちである。

 やはり言葉で説明するのは難しい。

 ただ、なんとなくではあれど野村には伝わったらしい。


「つまり、武虎君は有末さんに片想いしているけれど、どうやら彼女には嫌われているらしい、と。だから僕の目からは君たち二人のやりとりがぎこちなく見えている、と」


「一から十まで細かく説明できない以上、そう理解してくれるのが一番だ」


「ふうん……」


 と、一度は納得したかに見えた野村だったが、すぐに首を傾げた。

 目を細めて、何かを思い出そうとする。


「だけど、それはちょっとおかしいな。僕の記憶が確かなら、夏休みの前、一学期の最初のころは有末さんと君が逆だったようにも思うんだけどね」


「それは……」


 その通りだ。あのころは美夜が俺のことを好きで、俺が美夜を嫌って避けていた。

 ラブシーソーとかいう天使の力のせいだったとしても、そうでなかったとしても、その事実は変えられない。自分でも完全に理解できているわけではないからこそ、何を言っても言い訳にしか聞こえないだろう。

 どう答えようかと迷って情けなく口ごもっていると、野村が頬をポリポリと指でかいた。


「いや、ごめん。あまり深入りするのはよくないね」


「いやいや、野村は悪くないんだから謝らないでくれ。こればかりは悪いのは完全に俺だ。美夜にはもちろん、周りの人間にも迷惑や心配をかけているのは事実だからな。俺たちがぎくしゃくしていたら、みんな気を遣って脚本会議にも悪影響が出るだろう」


「それがわかってるなら、もう僕から言うことは何もないかな」


 本当に何も言うことがないらしく、深堀されないまま話はそれで終わってしまった。

 ありがたい反面、もっと責めてくれてもいいとさえ思えた。あまりにも簡単に許されてしまうと、それを悪く思っていた自分の反省や後悔さえ大したものじゃないように感じてしまうから。

 嫌われてしまっている美夜に直接謝ることができないからこそ、代償的に彼女の周りにいる人間に謝罪の対象を見ているのかもしれない。ある意味では逃げだ。遠回しに美夜へと俺の気持ちが伝わるように、他力本願的に願っているに過ぎない。

 ため息をつきたくなる。こんな自分のままでは美夜に好いてもらえないわけだ。


「おい、武っ虎!」


 考え事をしながら歩いていると、急に後方から大声で名前を呼ばれた。

 返事をするより前に、びくりとして反射的に立ち止まって振り返る。

 特徴的な呼び方で察してはついていたけれど、顔を見てみれば高杉だ。廊下で俺を見かけたので声をかけたらしい。ゆっくり歩けばいいものを、叫んだ勢いで駆け寄ってくる。


「どうした。何か用でもあるのか?」


「ない!」


 ないのかよ。


「けど、今作った! 大事な用事だ。頼む。まだ配役は決まっていないが、俺の演じそうな役があったら出番を増やして少しでも目立たせておいてくれ」


「何かと思えば脚本の話か。そんなこと頼まなくたって、どんな役になろうと勝手に目立とうとするだろ。セリフが一言しかなくてもアドリブで頑張りそうなくせに」


 むしろ意図的に出番を減らさなければならないくらいだ。たった一人の暴走でクラスの劇を台無しにされるわけにはいかない。

 まあ、それくらい無茶をしたがる人間が一人くらいクラスにいたほうが、結果的には劇が盛り上がって面白くなりそうだけども。


「そりゃあ当然ながら精一杯に頑張るつもりだが、どんなに頑張ったって俺の考えたアドリブだと場を固まらせてしまうだろ。悲しいことに俺、どうやら空気が読めないんだ。しかも自分が思っているほどには面白くもないらしい。主役の投票で負けたのはそういうところが原因だと思うぜ」


「……驚いた。まさか自覚があるとはな」


「言ってくれるぜ。けどよ、驚いたと言えば、お前だって自分の悪いところを自覚していたじゃないか。なんだかんだと言いながらも、俺はお前を見習ったんだぞ」


「俺を?」


 意外だ。こうして友達として仲良くしてくれているが、実際には嫌われているか見下されているかと思っていた。


「最初に仲良くなったころがそうだった。自分が悪いと、はっきりそう言っていたじゃないか」


「あの時か。よく覚えてたな……」


 もう何か月も前の話だ。ラブシーソーのことを知らず、その現象に悩まされ始めたころの話。

 遠い昔のように懐かしく思っていると、同じく立ち止まっていた野村が首を傾げた。


「何の話?」


「ああ、そうだな……」


 俺が美夜とのことをべらべらしゃべっていないこともあって、この件について野村は何も知らないのだろう。恥ずかしさもあるので適当に誤魔化そうかと思ったけれど、いい機会だから言える範囲で教えておくことにした。

 高杉がそうであるように、野村も大切な友達の一人だ。

 役に立つアドバイスがもらえることを期待しているわけではないものの、これからも俺と美夜とのことで迷惑をかけてしまう可能性が高い以上、何もかも隠しておくわけにはいかない。

 うっかり天使のことを口にしないように気を付けながら、俺と美夜とのことを振り返る。

 後悔と反省と、ある種の決意や覚悟のようなものも声ににじませながら。

 しばらく黙って俺たちの事情を聞いていた野村が、最後まで聞き終わって何でもないことのように口を開いた。


「君さえよかったら、僕たちが協力しようか? 有末さんと仲直りできるように」


 親切な奴だ。

 だからこそ自分たちが原因で心配や迷惑をかけたくはなくなる。


「いや、そこまでしてもらわなくても大丈夫だ。なんとしても彼女と仲直りしたいのは事実だけど、これは俺と美夜の問題だから。手を煩わせてしまうのは申し訳ない」


「そっか」


「でも、ありがとう。そう言ってもらえて本当に嬉しいよ。……やっぱり友達って大事だよな。お前たちにも嫌われないよう、俺、頑張るよ」


 とは言っても、何をどう頑張ればいいのだろう?

 人間関係というのは難しく、頑張れば頑張るほど空回りすることもある。

 どんな手を切っても勝てそうにないカードゲームに挑もうとしている気分だ。空振りが約束されている選択肢ばかりを前にして悩んでいる俺を励ますためか、へへっと笑った高杉がバシンと元気よく肩を叩いてきた。


「だったら俺にふさわしい役を作って、観客を魅了するセリフを用意しておくんだな。俺が人気者になって人脈が広がれば、それだけお前の力にもなりやすくなるぜ」


「それはともかく、任せられた仕事はちゃんとやらないと駄目だよな」


 まずは脚本だ。これが中途半端な完成度になってクラスの劇が失敗してしまっては、みんなに申し訳が立たないどころではなく、自分の将来や美夜との関係修復にも悪い影響が出かねない。今まで手を抜いていたというつもりもないけれど、今まで以上に本腰を入れて取り組もう。


「ふむう……」


 しかし実際に文章を書き始めてみると、改めて難しさに思い至った。

 ある意味では「自己満足の世界」とも呼べる、独りよがりの小説とは違う。劇の脚本の場合、最後にはみんなが演じなければならないのだ。

 中学生のころ、右も左もわからない俺が小説を書くに当たり、親切にも相談に乗ってくれていた波多野先輩のことを思い出した。今は大学生で、この前の夏休みからは美夜の家庭教師をしているという頼れる男子の先輩だ。

 もう一年以上は顔を合わせてしゃべっていないから気まずさはあるが、スマホでメッセージを送るだけだから久しぶりに連絡を取ってみるのもいいかもしれない。迷惑だったら気が付かなかった振りをしてスルーされるだけだし、もしかしたら大学生なりの視点で役に立つアドバイスをもらえるかもしれない。

 けれど、スマホの画面をじっと眺めながら数分ほど悩んだ末に結局はやめておいた。疎遠になっていた先輩に対する気まずさや申し訳なさもあるが、今回ばかりはちゃんと自分の力で挑戦しておきたいのだ。

 何よりも、俺には最大の危惧があった。

 危惧というか、不安と恐怖だ。

 もしも美夜と先輩との間に小さくない恋愛感情があると知れたら、その時はもう、二度と立ち直れない気がした。

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