15 特別な日にはしたくない

 放課後や休日に有末さんがガレージまで遊びに来なくなると、不思議と学校でも話をする機会が少なくなり、二人で過ごす時間は減少していった。目立った喧嘩や衝突があったわけでもないのに、なんだか疎遠になった気がする。

 その代わりというわけでもないけれど、同じクラスの古川さんと遊ぶ機会が増えてきた。良くも悪くも適当に相手ができる男子と違って女子に対する遠慮や緊張感が多少はあるものの、寂しさを忘れられるくらいにゲームの話をできるのは楽しかった。

 根底にあるのは恋ではなく、あくまでも趣味でつながった友達だ。しかも、彼女は有末さんと違って積極的な性格なので、黙っていても声をかけてきてくれる。

 これはこれで楽しい毎日だな、と思い始めたのは、あまり積極的に交友関係を広めたがらない自分でも意外なくらいだった。

 もちろん有末さんのことを忘れたわけではない。本当は今まで通りに仲良くしたいけれど、それができなかっただけなのだ。

 どうやら彼女は毎日のようにパソコンで遊んでいるようなので、こちらから邪魔をするわけにもいかなかった。相手をしてほしいからと焦るあまりに余計なことを言って嫌われてしまうくらいなら、いっそ距離を置いていたほうがいい。

 そんなこんなで夏休みに入り、ほとんど毎日のように有末さんと遊んでいた例年と違って今年は予定が特に何もないなと落胆していると、同じく暇を持て余していたらしい古川さんから遊ばないかと誘われるようになった。

 さすがに毎日ではないが、それなりの頻度で連絡を取り合って顔を合わせるようになると、自然と次の予定も立てたくなってくる。

 ある日、急用ができて友達との約束が流れたからと、代わりにプールに誘われて二人で待ち合わせた。最初は何も問題がなかったけれど、私服から水着に着替えた彼女が恥ずかしそうにしたのを見て気まずさを覚えた。

 今までずっと友達の感覚で接していたから特別に意識していなかったものの、そこに新しい恋愛対象としての存在がいるのではないかと思えた。

 果たして俺は彼女のことを好きになるのだろうか。

 彼女は彼女で俺のことを恋愛的な意味で好きになりつつあるのか、あるいは男子相手なら誰にでも持ち合わせている程度の恥じらいを俺に見せていただけなのか。

 なんにせよ、気まずさなのか緊張なのか、以前までと同じように平常心を維持したまま接することが難しくなって、今度は古川さんとも精神的な距離を感じるようになった。

 八月。

 お盆の時期に開催される地元の夏祭りがあり、これに古川さんから誘われた。

 デートでもないのに二人きりで会うのは気まずいが、詳しく話を聞いてみると、他にも何人かクラスの男女が来るらしい。それなら問題もないだろうと快諾した。


「どうかな。似合う?」


「うん。すごく似合ってるよ」


 夕暮れ時でも蒸し暑さを感じる夏の祭りにふさわしく、水色を基調とした涼しげな浴衣姿だ。お世辞の言葉を選ぶまでもなく、実際、すごく似合っていた。

 真正面から直視していられず、照れ隠しで顔を背けたいくらいに。

 その後、わたあめやかき氷や焼きそばなどを買いつつ、とりとめのない雑談をしながら楽しい雰囲気で露店を回っていると、同じく数人で行動していたらしいクラスの男子たちと出会った。


「おや、君は……」


 その中の一人が前へと出てきて、やや遠慮がちではあるものの俺に声をかけてきた。

 男子に仲のいい友達はいないけどな……と思えば、なんとウィン君だ。

 祭りに合わせた着物姿ではなく、動きやすさを優先しているのか薄手のシャツに紺色のデニム姿である。


「何?」


 彼との間に直接的な確執はないものの、チームを組んでいるという有末さんとのことがあるので、勝手に嫉妬心が燃え上がって思わず冷たい声が出てしまう。

 しかし、つっけんどんに対応されても彼は気にしていないようだ。


「いや、有末さんはどうしてるのかなって。君は仲がいいんだよね?」


「まあ、そうだけど。……どうしてるのかなって?」


「いつもネットでゲームの相手をしてもらっているし、せっかくだからと今日は有末さんを誘ってたんだ。でも直前になってやっぱり行かないって連絡が来たからさ」


「え、そうなの?」


「うん。最近は元気もなさそうだったから、何か理由でもあるのかなって」


 そう言って、見るからに心配そうな顔をするウィン君。彼の言うことが事実なら、確かに心配だ。

 ここ最近は異常に暑かったので、夏バテだろうか。クーラーの付け過ぎで夏風邪をひいたのかもしれない。それとも何か変なものを食べてしまって食あたりとか。

 様々な可能性を考えていると、みんなで回った方が楽しいからと、そのままウィン君たちも一緒に回ることになった。

 だが、最初よりも賑やかさを増したグループの輪には入り込めず、俺の意識は違うところにあった。

 有末さんのことが心配だ。

 会話が一段落して屋台を巡るために歩き出した彼らを追いかけることなく、数歩ほど動いただけで俺は立ち止まり、少し前にいた古川さんに声をかける。


「ごめん。ちょっと俺、先に帰ってもいいかな?」


「え? それはもちろんいいけど、花火は見ていかないの?」


「うん……。ごめんね、せっかく誘ってもらったのに」


「いいよいいよ、気にしないで。また遊ぼうね」


「うん、ありがとう」


 わざわざ誘ってもらったのに勝手な都合で帰ることになった非礼さに対する謝罪も込めて頭を下げると、続けざまに他のメンバーにも別れの言葉を残して、みんなのもとを離れる。

 何はともあれ様子を見るために有末さんの家に向かった俺だったが、そこではインターホンを鳴らす必要はなかった。

 おとなしく部屋に引きこもっていると思っていた彼女は外に出ていたからだ。

 お祭り会場にいてもおかしくない浴衣姿で、一人きり寂しげにたたずんでいた。

 家の前まで来た俺の姿に気が付くと、意外そうに目を丸くする。


「あれ、柴森君? どうしたの?」


「えっと……」


 思いのほか元気そうだったので、心配だから様子を見に来たんだとは言えない。

 恥ずかしさを隠すように、慌てて言い訳を用意する。


「いや、ほら、今日は夏祭りに行ってきたからさ。お土産を買ってきたんだ」


「あ、そうなの? ありがとう」


 パチンと両手を合わせて、嬉しそうに笑顔を見せた有末さん。その顔を見ると、こちらまで嬉しくなってくる。

 何かあったんじゃないかと心配するあまり急いで様子を見に来たので、まだまだ時間には余裕がある。可能であれば、今からでも夏祭りに向かいたい。でも、ウィン君の話が確かなら彼女は直前になって断ったんだったか。

 理由はわからない。普通にしゃべってくれているため、体調面が悪いようには見えない。普段着ではなく浴衣姿でいるということは、少なくとも最初は行くつもりがあったのだろう。

 自分が行きたいからといって、無理に誘っては迷惑だろうか。

 彼女は彼女なりに、どうしても夏祭りに行きたくない理由があるのかもしれない。

 しばらく考えた俺は妥協案を思いついた。


「よかったらガレージに来ない?」


 問いかけには即答せず、髪をいじった彼女は目をそらしながら数秒後に頷いた。


「……行く」


「じゃあ行こう」


 日没の時間が遅くなる夏の時期とはいえ、もうすでに夜は始まっている。一時間後か二時間後かはわからないが、有末さんが帰るころには暗くなっているに違いないだろう。

 ひとまず家の玄関を開けて彼女の親御さんに挨拶をして、後でガレージまで迎えに来てもらうことにした。

 時刻は午後七時半。

 街灯がいらない程度に明るさを残した夜道を二人で歩いて、もっと暗かったら危なさを理由にして平気で手を握れたんだろうかと夢想する。

 そう遠くない距離。子供部屋の代わりに使っているガレージに着いて、ほんのちょっぴり隙間を開けてソファに座る。

 目の前のテーブルにお土産を並べて、その中から好きな食べ物や飲み物を選んでもらうことにした。


「わたあめはないの? 私、あれ好き」


「ごめん。買ったけど食べちゃった」


「ふーん、そうなんだ。おいしいもんね。……楽しかった?」


「そりゃ夏祭りだからね、楽しかったよ。楽しかったけど……」


 何を言おうとしているのか自分でもわからず、台本を忘れた役者みたいに言葉に詰まる。口の中が乾いた気がして、ぬるくなった炭酸ジュースを流し込んだ。

 有末さんが一緒だったら、もっと楽しかっただろうな。

 そういうことを言いたかったんだと、遅れて気づく。

 どこまで正直に気持ちを伝えようかという迷いもあり、結局は言葉を続けるタイミングを失って黙っていると、もじもじと膝をすり合わせた有末さんが俺から視線を外したままつぶやいた。


「この格好を見れば簡単に想像はついちゃうかもしれないけどさ、本当は今日、私も夏祭りに行くつもりだったんだ」


「うん、聞いた。それで、直前になってやめたっていうから、いったいどうしたんだろうと心配になって様子を見に来たんだ。お土産を持ってきたのは口実というか……」


「そっか、心配してくれたんだ。そっか……」


 何かを誤魔化すように爪楊枝を刺して、すっかり冷たくなっているたこ焼きを口に頬張る有末さん。

 ゆっくりと噛んで、ごくりと飲み込んでから口を開いた。


「ウィン君たちと行けば柴森君とも会えるかなって。でもさ、古川さんと二人で楽しそうにする柴森君は見たくなくて……」


 有末さんが最後まで言い切る直前、遠くで花火が打ちあがった音がした。窓越しの夜空に光は見えないが、太鼓のような音がドンドンと響いてくる。

 今なら声をかき消せるかと思って、遠雷のように響いてくる花火の音に身をゆだねながら、隣にいる有末さんの方を見ずにつぶやく。


「俺もさ、他の誰かと仲良くする有末さんは見たくない」


 返事はない。

 聞こえなかったのか、聞こえない振りをしているのか、反応らしい反応もない。

 その時、ふと思った。

 いつの日か、俺たちは恋人同士になれるんだろうかと。

 一緒にいると楽しくて安心できて嬉しいけれど、それは俺だけの話で、有末さんはドキドキしてくれているのだろうか。単なる友達や幼馴染ではなく、一生を共にする恋人候補に思われているのだろうか。

 それを尋ねる勇気も度胸も俺にはない。

 今ここで確かめる必要性があるのかもわからない。

 ただ、こうして今までみたいにガレージに二人でいられるこんな日を、これから何度も過ごしたい。

 今日という日を特別な日にはしたくない。

 一つだけ確実に言えるのは、俺は彼女と離れたくない、ということだ。

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