11 ラブシーソー(3)

 もしかしたら私たちは両想いだったのかもしれない。もしかしたら、今頃は恋人同士になって楽しい毎日を過ごしていたのかもしれない。

 なのに、それが理不尽な天使の力によってゆがめられてしまった。発端は私たちの願いだったとしても、こんなことは望んでいなかった。

 好きになるほど嫌われて、嫌いになるほど好かれてしまう。

 得体の知れない天使いわく、ラブシーソー。

 ばかばかしい話だ。何がラブだ。何がシーソーだ。あまりにもふざけている。

 でも事実としてそうなってしまったからには対応するしかない。

 まずは、そう、現状の認識からだ。

 私が武虎のことを好きである以上、今の武虎は私のことを嫌っている可能性が高い。

 もしも武虎に好かれたいなら、まずは私が彼のことを嫌わなければならない。大好きでいるうちは、大嫌いに思われる。ちょっと好きだな、程度に抑えることができれば、ちょっと嫌い、くらいで済む。

 つまり私が武虎に対する「好き」という気持ちを抑えることさえできれば、解決の目処は立ってくる。

 しかし、ここで最大の問題にぶち当たる。武虎のことを嫌いにはなれそうにないのだ。

 天使と邂逅した翌日、朝の教室。


「おはよう、武虎」


 相手の気持ちを確かめるように声をかけてみるが、やはり無視されてしまったらしく、武虎からの反応はない。

 まあ、そうだろうな。だって私、今すごく武虎のこと好きだもん。

 昨日までは冷たくされるたびに心が張り裂けそうになっていたけれど、理屈がわかれば対処のしようもある。すべては私の恋心のせいだ。どうやらシーソーが私に傾きすぎている。


「……はあ、そっか。やっぱり私は武虎のことがどうしようもなく好きなんだ」


 事情がわかったおかげで心に余裕が出てきたような、そうでもないような。

 しかし安心するには早すぎる。このままでは高校の三年間、相手に冷たくされながらも武虎への恋愛感情を維持し続ける私の片想いで終わってしまう。周囲から見れば私は一途で健気な幼馴染かもしれないが、わけのわからない現象のせいで報われないと判明している以上、何か手を打たなければ永遠に恋人としての進展はない。

 かといって昨日の今日で名案が思い浮かぶものでもない。

 しかも肝心の武虎はもちろん、頼れる友達である閨崎さんや志賀さんにも相談できないと来た。


「でも大丈夫。今の私は武虎に本気で嫌われているわけじゃない。あくまでも嫌われているのは天使の力のせいなんだ」


 それだけが弱気にくじけそうになる私を奮闘させるための呪文だった。

 そうやって自分に必死で言い聞かせることで最初の数日は平気だったものの、さすがに時間が経ってくると少しずつ余裕がなくなり、大丈夫ではなくなってくる。

 悔しいことに天使の力は本物だ。だとすれば、もう一生このままなんじゃないか。

 その不安が現実味を帯びてくる。


「武虎、おはよう」


 今日も今日とて顔を見るなり笑顔で声をかけてみるが、やはり反応はない。

 こちらの好意を言葉にして伝えた方がいいのか、伝えない方がいいのか。相手に好かれる努力をした方がいいのか、嫌われる努力をした方がいいのか。

 あるいは、波風を立たせずにいる現状維持が一番の対処法なのか。

 なんにせよ、何もできないまま日に日に疎遠になっている気がしてならない。

 魔法や呪いみたいなラブシーソーが真実だとすれば、武虎との距離が近づけないのも不思議ではない。そもそも私が嫌いになれていないのだ。

 一週間、二週間。何をしようとも何事もなく過ぎ去っていく。

 意味もなく時間だけが経過していく。

 どんなに焦ったところで何も成果はなく、誰にも努力が知られない私だけの独り相撲。

 状況を変えたいなら、いっそ、武虎にも天使のことを打ち明けるべきかもしれない。

 たとえ信じてもらえないとしても、一度、きちんと相談したい。私だけの問題ではなく、他でもない私たちのことだ。

 天使が引き起こした現象に巻き込まれているのなら、私と同じ当事者である武虎にも知る権利がある。正しく事情を知ったうえで、やっぱり嫌われるなら諦めもつく。

 そうだ。こうなったら勇気を出して声をかけよう。


「武虎!」


「美夜か……」


 私が声をかけた程度で喜んでくれることを期待していたわけでもかったが、それにしても嫌そうな顔を隠そうともしない。

 それでも無視されずに立ち止まってくれたことが嬉しい。沈んだ声であっても、私の名前を呼んでくれたことが嬉しくてしょうがないのだ。

 ちゃんと相手をしてくれている!

 とはいえ嫌われていることは確実なので、このまま逃げられてしまう前に用件を切り出す。


「急に呼び止めちゃってごめん。実はちょっと話がしたくて」


「俺からは特に何もないけどな」


「お願い、そう言わないで」


「……わかったよ。そっちからの話を聞くだけならな。用件があるなら手早く済ませてくれ」


 一応は受け入れてくれたけれど、あまりにも素っ気ない対応だ。

 本当であれば一秒でも早く天使のことを相談したかったものの、それを切り出すべきタイミングではない気がしてきた。この場では何を言っても意味はなく、適当に相手をされて軽く聞き流されてしまいそうだからだ。

 期日を改める必要がある。不可思議な現象を打ち明ける私としても、信じてもらえるようにもっと準備をしておきたい。


「ありがとう。でも、ちゃんと落ち着いて話したいから、今週の土曜日とか空いてない?」


「いや、土曜は空いてないな。志賀さんと予定があるから」


「志賀さんと……」


 その名を聞いて、思わず眉が曇ってしまう。誰にでも優しくて、男女に分け隔てなくフレンドリーに接してくれて、一足飛びで仲良くなれてしまう志賀さん。

 わかってる。彼女に悪気はない。

 けど、私は勘違いをしていた。今は理不尽な現象のせいで嫌われていても、いつか好きになってくれるんじゃないかと期待していた。好かれようが嫌われようが、ある種の縁は切れないと思っていた。

 けれども実際には、嫌われている間に私ではない別の人を好きになってもおかしくないのだ。

 たとえば、これからどんどん仲良くなって、志賀さんと武虎が恋仲になってもおかしくはない。

 いや、もう好きになっているのかもしれないではないか。

 たとえそうだとして、恋人でもない私には止める権利がない。

 諦めて彼の前を立ち去るべきか悩んで、結局はあがくことにする。


「じゃあ、日曜日でもいいから」


 とにかく二人でゆっくりと話し合う時間さえ取れればいい、そう思っていたのに。


「あのさ、そんな苦しそうな顔をして誘われて、俺が楽しい気分になれると思うか? 二人で会うのはやめようって、声をかけてくるのはやめてくれって、また同じことを俺に言わせなくちゃ気が済まないのか?」


「違う。そうじゃない。そうじゃないんだよ、武虎」


「そうじゃないって、あのさあ……」


 あきれたように深いため息。天使の力のせいで嫌われているにしても、あまりにも冷たい武虎の態度が私の心を重くする。

 どこまでも沈んで行ってしまいそうだ。


「思わせぶりな態度をとって悪かったよ。関わらないようにしようと言ったのは俺だ。でもな、あれでも言葉を選んだつもりだった。もっとはっきり言っておくと、俺はもう美夜と関わりたくないんだ」


 ……私と関わりたくない。

 そう聞かされて、やっぱり泣きたくなってくる。

 どこまでが武虎の内側から生まれた気持ちなんだろう。

 どこからが天使の力によって強制された感情なのだろう。


「胸がむしゃくしゃくする。ざわざわする。ひどいことを言ってしまいそうになる。だから美夜、話はこれで終わりだ」


「待って!」


「……なんだよ?」


 こんな状態では何を言ったところで冷静に話し合いなんてできそうにない。可能であれば時と場所を改めて、少しずつ段階を踏んで丁寧に説明したかったけれど、こうなったからには時を逃すわけにもいかない。

 次からは呼びかけても立ち止まってくれないかもしれないのだ。もうここで言うしかない。

 意を決して私は伝えることにする。


「その気持ちは武虎のせいじゃない」


「じゃあ、お前のせいだっていうのか?」


「私のせい……と言えなくもないけど、それも違うの」


「お前は昔からそうだけど、今日は一段と要領を得ないな。結局、何が言いたいんだ?」


 そう多くはない語彙と手札の中から慎重に言葉を選んで、結局は私が見聞きした真実を伝えるためだけに口を開く。


「その気持ちは天使のせいなの」


「は? 天使? エンジェルのことか?」


「そう、その天使。実は私たちの願いを聞き届けた天使がいてね、私たちの間にはラブシーソーっていう不思議な力が働いているの」


「え、ラブシーソー?」


「うん。私と武虎の気持ちが連動しちゃってるの。それも、悪い方向に」


「悪い方向に気持ちが連動しているって、具体的にはどういうことだよ?」


「どう言えばいいのかな。好きになると嫌われて、嫌いになると好かれてしまうんだよ。つまり、自分の感情が相手に影響を与えてしまうし、相手の感情が自分の感情を変えてしまうの」


「そりゃあすごいな。他の人にもそうやって説明するのか?」


「もちろん今みたいに説明できたらいいんだけど、このことは他の人に教えちゃいけないの。どんな影響が出るかわからないからって」


 だから私が相談できるのは武虎だけだ。

 相談できたとして本当の意味で理解してくれるのも、同じ現象に巻き込まれてしまった当事者である武虎だけ。

 ふっ、と馬鹿にしたように鼻で笑う武虎。どうやら全く信じてくれていない。


「もっとうまい嘘を考えておけよ」


「嘘じゃないの。本当のことなの」


 とは言いつつも、逆の立場だったら私も素直には信じられないだろう。天使だとか、ラブシーソーという不思議な現象だとか、あまりに突拍子もない話だから。

 すでに天使は消えてしまったので、説得力のある証拠を出すこともできない。

 根拠があるとすれば、自分の中にある強烈な違和感だけ。

 まるで何者かに操作されているかのように、好きになったり嫌いになったり、不自然なくらいに激しく感情が揺れ動いてしまっていた自分の感覚だけ。

 その違和感を少しでも武虎が共有してくれていたなら、きっといつかはわかってくれる。誰にも頼れないと思っていた私にも救いはある。

 けれど、そこまで聞いた武虎は不機嫌そうに目を細めた。


「自分の感情が自分のものじゃないって、自分じゃない誰かに操られているって、そんなことを言われて気分がよくなると思うか? 美夜だから言葉を選ぶけどさ、お前、おかしいよ」


「おかしいのはわかってる。けど!」


「やめてくれ!」


 想像以上に強い拒絶が来たので、驚いて後ずさった私は何も言えなくなって口を閉ざした。

 ばつの悪そうな顔をした武虎が顔をそらして小さくつぶやく。


「これ以上お前のことを嫌いになりたくない」


「武虎……」


 原因がわかったから、どうにかなると思った。すべてを説明すれば、もしかしたら解決のために協力してくれるかもしれないという期待があった。

 だけど、違ったんだ。

 武虎はもう、私のことを本気では考えてくれないくらいに心が離れてしまったんだ。

 嫌われて、無視されて、それが耐えきれなくなって、この状況を解決したいと願ったのは私のエゴ。武虎がそう考えているとは限らない。

 理不尽な現象を口実にして、私の前から離れていこうとする武虎を私のものにしたいだけ。

 天使だとか、ラブシーソーだとか、普通だったら簡単には信じられない与太話。おそらく本当は、まどろみに見た夢の話に過ぎない。

 天使に対して文句を言いつつ、私はそういうものにすがりたいと思ったんだ。

 どちらかと言えば、天使の存在を嘘だと断じるよりも積極的に信じたかった。武虎の本意ではないと信じたかったから、何もかも天使のせいにしたかった。

 ぽろぽろと、後悔や情けなさがにじんで自然と涙がこぼれてきた。一方的に怒りや悲しみをぶつけているみたいで、どうしてわかってくれないんだと感情に訴えているみたいで、何があっても武虎の前でだけは泣きたくなかったのに。

 これが最後の別れだとしたら、後悔のない言葉を伝えておきたい。

 涙をぬぐって、なるべく笑顔になるように頑張って伝える。


「私、ずっと好きだったんだよ。武虎、あなたのことが好きだったんだ。ありがとう」


「…………」


 無言だけど、それでいい。答えが欲しくて伝えているわけじゃないから。


「あなたのこと嫌いになれなくて、それでも嫌いになったら、その時は私のことなんか好きにならずに嫌いのままでいいからね」


 それが私にとっての最後の別れの言葉。


「何を言ってんだか」


 まるで理解できないと馬鹿にしたように肩をすくめた武虎は私に背を向けて、もう話は終わりだと立ち去っていく。

 追いすがることもできず、見送ることもできず、下を向いた私は涙を地面に落とし続けた。

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