08 開け放つ鍵

 前のめりになってパソコンのモニターを覗き込んでいた有末さんが「やった!」という掛け声とともに両手を上げて、ガレージの天井を見上げるように椅子の背もたれに体重を預けた。


「いやー、安定して勝てるようになってきたなぁ」


 満足感たっぷりに感嘆を漏らす。

 土曜の夕刻、夜が近づく日暮れ前。

 そろそろ帰らないと外が暗くなってきて、心配した保護者にたっぷり怒られそうな時間だ。

 ちら、とこちらを見たのが視界の端で確認できたので、無視するわけにもいかず声をかける。


「おめでとう。やっぱ気分はいい?」


「そりゃあね。勝てなくっても遊んでいるだけで楽しいのは間違いないんだけど、やっぱり勝つとその何倍も楽しいんだよ。まず大前提として、こうやって人と対戦するゲームって勝つためにやってるわけだからね」


「それもそうか」


 ゲームを始めたばかりのころは負けて悔しがることが多かったけれど、最近では楽しそうにしているのが増えている。負けるにしても手も足もできずに完全敗北するのではなく、手ごたえのある負け方をできるようになっているようだ。

 もう何か月も同じゲームばかりプレイしているから、さすがに上達しているのだろう。

 そんなことを言ったら、感慨深げに「それもあるけど……」と言って、有末さんが嬉しそうに答える。


「私が強くなったっていうより固定のチームを組めたのが大きいんだよ。今まではランダムに振り分けられた即席のチームに参加して、名前も知らない野良の人たちと組むしかなかったんだけど、ゲームが好きな高校の先輩が一緒に付き合ってくれるようになってね。やっぱり知り合いと連携が取れるのは強いよ。何度もやっていれば息も合ってくるから」


「ふーん」


 その先輩というのは男子だということが、俺の方から彼女に直接尋ねたわけではないものの、これまでの会話からそれとなく判明している。しかも、その先輩についてくる形でチームを組んだ残る一人のメンバーも、俺たちと同年代くらいの男子だということがわかっている。

 このゲームは三人で一つのチームを組んで戦うバトルロイヤル。つまり彼女は俺の部屋に来て、俺の知らない男子二人と毎日のように同じゲームをプレイして遊んでいるのだ。

 あくまでもネット越しとはいえ、あまり気分はよくない。

 自分でもわかるくらい明確な嫉妬だ。

 卑屈で、身勝手で、つまらないやきもち。

 だからさすがに声には出さない。


「柴森君は何やってるの?」


 有末さんが俺の家に来てから数時間が経って、ようやく聞かれた。

 興味があるというよりは、ただ質問しただけな感じではあるが。


「スマホのリズムゲーム」


「どんなやつ?」


「名前を言っても知ってるかどうか……」


 もしかしたら彼女だって名前くらい知っているかもしれないのに、素直には教えず、つい冷たく言ってしまう。

 しかし彼女は気にしていないのか、ううんと背伸びをするついでに椅子から立ち上がって、俺のそばにまで近寄ってくると肩越しにスマホを覗き込んできた。


「あ、それ私も知ってる。最近すごく人気になってるやつだよね」


「うん。もしかして有末さんも興味ある?」


 あったらいいな。そう思って聞いてみたけれど、答えは芳しくなかった。


「いや、私はあんまり。リズム感がないからか、そういうゲームって苦手なんだよね」


 自分の好きなもの、興味のあるものが、相手には通じない。

 そんなの、長い年月を近い距離で友達をやっていれば、よくあることだ。

 なのに、まるで二人の間に深い溝ができてしまったかのような思いがする俺だった。





 火曜日、学校。

 休み時間に何をするでもなくぼーっとしていたら、教室の遠くの方から話し声が聞こえてきた。


「有末さん、ちょっといいかな?」


「え、えっと……」


 クラスの男子に声をかけられた有末さん。遠くからでもわかるくらい、露骨に警戒している。

 何の用事か知らないが、彼女に声をかける羽目になった彼は気の毒だ。学校での有末さんは口数が少なく、先生でも苦労するほどだから。

 俺以外の男子と普通にしゃべっているところを見たことがないくらいである。


「間違ってたら恥ずかしいんだけど、僕だよ僕。ウィンメーカー」


「え? ああ!」


「その反応、やっぱり有末さんみたいだね」


 ん? と思って俺は目を二人の方へ向ける。

 おかしい。なにやら意気投合した二人が楽しそうに会話を始めている。

 待て待て、クラスで接点のなかった二人は事実上の初対面じゃないのか?

 そもそもウィンメーカーってなんだ。

 気になって耳を傾けていると、おおよその事情がわかってくる。

 つまり彼は有末さんが組んでいるチームの一員なのだ。ウィンメーカーというのも、ゲームで使っている彼の名前なのである。

 あの時は危なかったよね、あれはすごかったよね、もっと勝率を上げるためにこうしたほうがいいんじゃないかな、この前はごめんね、有末さんってチャットだとよくしゃべるよね。

 会話と言ってもしゃべっているのはウィンメーカー君の方で、うんうん、そうそうと有末さんは基本的に相槌を打っているだけだ。

 それでも二人は二人で二人にしかわからない会話をして、普段から頻繁に遊んでいる友達同士のように楽しそうに盛り上がっている。教室の端っこで周囲を気にせず、同じゲームをやっている二人だけで話しているので当たり前だが、猛烈な疎外感を突きつけられる。

 聞いていられない。

 イヤホンを両耳にはめて、スマホに逃げる。

 視線を下げて隠れるようにプレイするのは、最近ちょっと熱中しているスマホのリズムゲームだ。

 息抜きを兼ねて、もう何度もフルコンボでクリアした得意な曲を開始する。

 なのに結果はボロボロだった。全く集中できていない。


「ん?」


 ふと気配を感じて顔を上げたら、そばに一人の女子が立っていた。

 確か、同じクラスの古川さんとかいう女子だ。

 ほとんど会話したこともないのに、何か言いたげに俺を見ている。ひょっとすると、休み時間とはいえ教室でゲームをしているのを見咎められたのかもしれない。


「えっと、何? もしかして音が漏れてた? だったらごめん」


 イヤホンを耳から外して尋ねると、怒っている様子でもない彼女が俺のスマホを指さす。


「柴森君もそのゲームやってるんだ」


「うん、そうだけど……」


 やっているとしたら、何だというのだろう。

 まさか馬鹿にされるんだろうかと思って警戒していると、彼女はニコッと笑顔になった。


「それ、私もやってるんだ。よかったらフレンド登録しない?」


「え、俺と?」


「うん。ほらほら、これが私のIDだよ。迷惑じゃなかったら登録してよ」


 ポケットからスマホを取り出した彼女が画面をこちらに向けてくる。自分もやっているだけに、よく見慣れたゲームのプロフィール画面だ。ここに表示されている彼女のIDを間違えずに打ち込めば、ゲームの中で彼女にフレンド申請が飛んで行って、おそらくそれを承認してくれるのだろう。

 なんとなく面倒に感じて知らない人間からのフレンド申請を拒否して友達がゼロ人のままだった俺の孤独なアカウントだが、緊張しつつも慣れない手つきで登録すると、プロフィール画面にフレンド数が1と表示された。このゲームのフレンド機能はおまけみたいなもので攻略においてほとんど重要ではなく、ゼロならゼロのままでよかったのだが、実際に増えるとなると嬉しいものだ。

 しかも相手は女子。

 恋をしている相手ではないにしても、仲良くしてもらえて喜びを隠せはしない。


「ついでだからスマホの連絡先も交換しておこうか。えっと、柴森君とはしてなかったよね?」


「あ、そうだね。教えてくれると助かるかも」


 同じクラスの男子とは友達であろうとなかろうと全員の連絡先を交換し合う流れができたが、女子とは交換するきっかけがなかった俺は有末さん以外の連絡先を教えてもらえずにいた。別に連絡する必要のある相手もいないし、それで困ったことは今まで一度としてなかったものの、やはり女子の連絡先が増えるのは喜ばしいものだ。

 こちらから連絡する気はないけれど、たった一人であれクラスに認められた気がしてくる。





 それから数日、学校では休み時間にちょくちょくと会話を、家に帰ってからはスマホで気軽にメッセージのやり取りをするようになって、少しずつではあるものの古川さんとは友達と呼べる程度に親しくなっていった。何と言っても同じ趣味を解する友達だ。有末さんにとってのウィンメーカー君ではないが、同じようなものかもしれない。

 土日の連休を控えた金曜日の放課後。いつものように俺の部屋にやってきた有末さんが俺のパソコンを占拠しているのは、お決まりのFPSをプレイするためである。

 たぶん画面の向こうでは学校帰りのウィンメーカー君も一緒になって頑張っているんだろうなと思うと、名状しがたいネガティブな気持ちが俺の心を締め付ける。

 でも、それを直接ぶつけるのは違う気がする。

 彼女には彼女の趣味を全力で楽しんでいてもらいたい。

 手の中に握りしめているスマホを眺めながら、ぼそっとつぶやいた。


「明日、遊びに行かないかって誘いが来たんだけど」


 少しだけ沈黙が挟まって、依然としてゲームに熱中している彼女がこちらを見ずに言う。


「へえ、よかったね。最近なんか彼女と仲良くしてるみたいだし、嬉しいんじゃない?」


「そりゃ嬉しいよ。誘われたのもそうだけど、ちゃんと俺の目を見て相手してくれるからね」


 あんまり相手をしてくれなくなった有末さんとは違ってね、という拗ねた気持ちがあまりに強く出すぎたかもしれない。

 そう言ったら彼女の手が止まった。

 画面を見つめたまま、それまで自分の操作していたキャラクターが立ち止まって敵に囲まれ蜂の巣にされて死んだのを最後まで見守って、さっきの俺を真似するように、ぼそっと彼女がつぶやく。


「ごめん。もしかして私、すごく悪いことしてる?」


 こちらの返答次第によっては、彼女はもう二度とここへは来てくれなくなるかもしれない。

 そして俺たちは疎遠になってしまうのかもしれない。

 そんなのは嫌だ。

 とっさに俺はスマホを手放した。


「いや、今のはちょっと俺が嫌味っぽくなった気がする。聞かなかったことにして、忘れてくれると嬉しい」


「だったら私の発言もなかったことにして」


「うん。最初からやり直そう」


「そうだね。私もそうする」


 わざわざ一度パソコンの電源を落としてから、ふーっと深呼吸をして、時間を置いてゲームを再開する彼女。

 どうやら致命的なすれ違いは避けられ、ひとまず危機は去ってくれたようだ。

 しばらくして、自分でもどうしたいのかわからない俺は何でもないことのように尋ねた。


「確認なんだけど、行ってもいいの?」


「どうしてわざわざ私に許可を求めるの? 行きたいなら行って来ればいいじゃん」


「わかったよ。じゃあ行く」


 つい反射的にそう言ったら、また彼女の手が止まった。

 さっきと同じように彼女のキャラクターが死んだ。

 ぼそっとではなく、普段よりも少しだけ大きくした声量で彼女が訂正する。


「違う。今のはゲームに熱くなるあまり、つっけんどんな感じになっただけ。行きたいなら行って来ればいいってのは、本当にそう思うんだよ。嫌味とか、拗ねてるとか、そういうんじゃなくて……」


「いや、ごめん。俺もちょっと当たりが強くなった」


 自分が嫌になる。

 彼女が遠くにいるような気がして、いじけているんだ。


「せっかく誘ってくれたんだから、行ってきたら?」


「そうだな……。有末さんもそう言ってくれるんなら、遊んでくるよ」


 そう決めたところで、ああ、そういえばという感じで有末さんに言っておく。


「明日だけど、朝からずっと鍵は開けておくよ」


「鍵? なんで?」


「なんでって、そりゃ、俺がいなくても有末さんがゲームをやりに来るからでしょ?」


 当然のことのように言ったら、それが不服だったのか彼女は口をすぼめた。


「私のこと、ただのゲーム馬鹿だと思ってんだ」


 また死んで、今日はそれを終わりにして彼女は帰るのだった。

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