07 謝罪と拒絶(2)

 迷うことのない確かな足取りで歩く志賀さんに連れられてどこに向かうのかと思えば、なんとそこはカラオケ店だった。学校が終わった放課後に仲のいい友達と連れ立って遊びに行くにはピッタリの場所だが、それほど親しくない女子と二人で行くには意外性のほうが強い。

 これが普通の精神状態な時だったら喜べたかもしれないけれど、今の俺には難しい。

 入口のところで立ち止まった俺は入るかどうかを考えて、ためらいなく先に入ろうとしていた志賀さんを呼び止める。


「あの、ちょっといいかな?」


「何? どうしたの? お金なら心配しないで、誘ったのは私だからおごるよ」


「ありがとう。……いや、そうじゃなくってさ」


 あまり深刻な雰囲気になりすぎないように意識して、少しだけ頭を下げる。


「ごめん。誘ってくれたのは嬉しいし、本当にありがたいんだけどさ、正直に言えば、今は歌えるような気分じゃないんだ」


「それはそうだろうね。でも安心して。二人きりで話せる個室に行きたいだけだから」


 暗い気分の時ほど思いっきり歌いたがる友達がいるんだけどね……と、これは俺を元気づけようとしている彼女が付け加えた。確かにすべてを忘れて歌うのは気分がよく、少しくらいは暗い感情もまぎれるかもしれない。

 でもそれは結局のところ歌うのが好きな人間だけだろう。歌を聴くのは好きだが、自分で歌おうとはあまり思わない俺みたいな人間にとっては楽しい息抜きになるとも限らず、むしろ人前で声を出して歌うのはストレスにもなりかねない。

 有り体に言うと、恥ずかしくて緊張するのである。

 ともかく、ここまで来たんだからと観念した気持ちになって、志賀さんに案内されるがままカラオケの個室に二人で入る。相手が女子だと遠慮があるので少しだけ距離を開けて、だけど自然な声の大きさで問題なく会話ができる程度の位置に座る。

 さて、ここで今から彼女と話をすることになるわけだが……。


「だけどせっかくカラオケに来たなら、やっぱり歌ったほうがいいんじゃないかな。志賀さんが歌いたいっていうなら何曲でも好きに歌ってくれてもいいよ。俺はライブに来た観客みたいにずっと聴いてるから。それなら俺も無理せず黙っているだけでいいし」


「黙っているだけって……いや、そこはせめて手拍子くらいして盛り上げてよ。ううん、そうじゃない。しゃべりたい気分じゃないのもわかるけどさ、落ち込んでいる時って思っていることを口に出したほうが気が晴れるかもしれないよ。……もしかしたら私も力になれるかもしれないしね」


「力になれるかもしれないって、志賀さんが?」


 なんとなくの印象で誰にでも優しい人だとは思っているが、ここまで俺のことを気にかけてくれる理由がわからない。距離感でいえば、友達ですらない単なるクラスメイトだ。自分の目の前で幼馴染に振られて死にそうなくらい落ち込んでいたからと言って、わざわざカラオケに誘って二人きりになろうとするだろうか。

 所在なさげに意味もなくマイクを手に取っていじっていた志賀さんが、それを丁寧にテーブルの上に戻した。スイッチを切っているのか、コトンと乾いた音だけが小さく響く。


「ごめん、ちょっと卑怯な言い方をしちゃったね。より正確に言うなら、力になりたいんだ」


 こちらから頼んでいるわけでもないのに、力になりたい?

 そんな関係性だとも思いないが、ふざけた気配は一切なく冗談を口にしている様子はない。

 どうして? と尋ねようとした瞬間、ようやく気分が落ち着いてきた俺は彼女がそうしたがる理由と目的に見当がついた。

 考えてみれば簡単な話だ。


「そっか。俺というよりも美夜の力になりたい、というわけだね」


「うん。彼女の友達だから」


 友達。友達か。

 高校に入学してから友達らしい友達を作れていない俺と違って、美夜にはちゃんと友達ができていたんだな。


「ちゃんと話すようになって一週間かそこらだけど、友達は友達だから。今日、いつになくすごく落ち込んでてね、心配になって私が声をかけても素っ気なく対応されちゃった。何か悩んでいるなら、友達として彼女の力になりたい。武虎君には上手く説明できないんだけど、彼女が落ち込んでいるなら私にも責任があると思っているの」


「それは、どうして?」


 今度は実際に尋ねてみる。こればかりは考えてみてもわからないからだ。

 美夜が落ち込んでいるならば、それは冷たい態度をとってしまった俺の責任と罪であり、友達だという彼女が責任を感じる必要など微塵もないように思える。

 飲み物も食べ物もなく手持無沙汰なのか、テーブルの上に置いたマイクを指先でころころと転がしながら志賀さんは口を開く。


「高杉君が君の前で美夜ちゃんに告白するっていう時ね、後先考えずに突っ走っちゃう彼を止めるんじゃなくて、成り行きに任せてこっそり物陰から覗いていたの。彼女の話を聞いていた限り、本当はあなたたちって両想いなんじゃないかなって思っていたから、彼の告白をきっかけに事態が好転すると期待してたんだ」


 そこまで言って、傷つけない程度にマイクをいじっていた手を止める。


「でも、結果は全然違った。彼女を泣かせてしまった。だからね、これは私なりの贖罪なの」


「違うよ。彼女を泣かせたのは俺だ。志賀さんが悪いんじゃない」


 多くのことに自信がなくなっていたとしても、それだけは確実にそうだと言い切れる。

 悪いのは俺だ。他の誰でもない。

 志賀さんが謝る必要なんてないのだ。


「それなんだけど、私にはよくわからないの。武虎君、あなた、美夜ちゃんのことが好きなんだよね?」


 相手の真意に踏み込むための礼儀か、こちらの目を見て背筋を伸ばした志賀さん。その動きに応じてマイクから完全に離した手を自分の膝の上に置いて、言葉を濁すことなく飛んできた直球の疑問だ。

 今までの俺だったら恥ずかしくて答えられなかったかもしれないが、今の俺は誰に対しても即答できる。


「うん、好きだ。一体いつから、というのは自分でもわからないけど、もうずっと美夜のことが好きなんだ」


 より正確に言うなら大好きだ。

 好きで好きで、もうどうしようもなく愛おしくて仕方がない。

 幼馴染だからではない。いつもそばにいてくれた美夜だから、俺は世界で一番大切に思っているんだ。


「だったら、どうしてあんなに冷たくしていたの? まるで嫌っていたみたいだったけど」


「それは……」


 当然なされるべき、核心に迫る問いかけが来た。

 きちんと答えなければならないのはわかるが、悲しいことに自分でも理屈がわからない。今となっては不思議なまでに素っ気なかった昨日までの態度はどういうことなのだろう。

 どう考えてみても原因が思い当たらないせいで言葉に詰まる。まるで自分の悪行をお代官様から突きつけられているようだ。


「私には言えないこと? 何か深い事情があるの?」


「ごめん、ちょっと待って。言えないわけじゃないんだ。言いたくないわけでもない。俺の中でいろいろなことを整理して言葉にするまで、少しだけ待ってもらえるかな?」


「いいよ。たっぷり時間はあるから、納得がいくまでいくらでも考えて。いい加減な答えを聞かされるよりは、夜までかかっても本音を聞かされる方がいい」


 許しを得られたので、ゆっくりと考えることにする。

 中学を卒業するころ、美夜とは二人で流れ星を見に行ったことがある。その時は確実に彼女のことを好きでいて、不思議とあやふやになっている当日の記憶が確かなら、俺は流れ星にも彼女と恋仲になれるように願ったはずだ。

 ああ、そうだ。俺は彼女と本気で恋人同士になりたかった。

 その後、どういうわけか時間とともに少しずつ彼女と会話をする機会が減っていって、高校に入ったころには、もう完全に彼女を避けるようになっていた気がする。

 だとすると、一つの仮説は立つ。


「高校生活が不安だったからか?」


「そうなの?」


 けど、それは理由として不十分だ。

 実際に不安だったとして、それが大好きだった彼女を避けることと、いったいどうつながるというのだ。新生活に不安があるとすれば、むしろ幼馴染である彼女に安心感を求めそうなものだ。どんなに情けない姿を見せてしまったとしても、優しい彼女ならいくらでも相談に乗ってくれただろう。


「……違う。高校生活が不安だったのは事実だと思う。でも、その不安というのはもっと大きなものへの漠然とした不安だったんだと思う。それも、その悩みや不安に彼女を巻き込みたくないと思えるほどの」


 そうだ。そうとしか考えられない。

 もっと言えば、無力感。

 ここまで来たからには見栄を張って本音を隠しても意味がない。

 言葉や感情が流れ出すまま、すべてを打ち明ける。


「勉強を頑張れって、部活を頑張れって、将来の仕事を選ぶための準備を今からやっておけって、でもさ、結局のところ俺は何を頑張ればいいんだ? 大学で学生たちが具体的に何を学んでいるのかもわからないのに、高校に入ったら理系と文系を選べとか、一年生のうちから進学したい大学を選べとかって言われても困るんだ。世間の大人たちがやってる仕事も実際に何をやっているのかよくわからないのに、小学生のころから夢は何だと執拗に聞かれるじゃないか。それで現実性がないと馬鹿な子供だと笑われる。かといって夢がないと、ため息をつかれる」


 何を言いたいのか自分でもよくわからない。

 この悩みや不安が美夜とのことに関係があるのかもわからない。

 それでも志賀さんが黙って聞いていてくれるので、とにかく思いつくことを思いついたままに白状する。


「俺、夢があったんだ。その夢が何だったのかっていうのは目指していた俺にもよくわからないけど、ちょっと前までは本気で小説を書いてたんだ」


「え、小説?」


「そう。高校受験の勉強をしながら、息抜きを兼ねてずっと小説を書いてた。それでさ、ひとまず書き上がった小説をネットに公開して、どんな感想が来るんだろうって読者の反応を楽しみにしていたんだけど、それはもう手ひどく酷評されたんだ」


 つまらない、稚拙だ、文章の意味が分からない。

 お前なんかには才能ないからやめろ。

 そういう言葉の数々は、それなりに時間が経った今でも鮮明に脳裏によぎってくる。


「それがつらかったの?」


「いいや、違うんだ。つらかったのは事実だけど、それだけじゃない。全部、あれもこれも、厳しいことを言ってくる感想のすべてが的を射ていたんだ。だから本当は酷評じゃない。正当な評価だったんだ。中学時代に頑張って俺が書いた精一杯の小説は、誰かに読ませるレベルじゃなかった。ただそれだけの話だ」


 そう、たったそれだけの話。

 少なくとも俺が中学生の時に書いた小説についての話に限るなら、ネット越しに匿名で寄せられた感想や指摘は一つとして間違いがなかった。オブラートに包まれることを知らない言葉は残酷で荒々しかったが、それだけに心に響いた。


「だけど、もう俺には自分の限界がそこに見えたんだ。小説だけじゃない。部活やスポーツを頑張ったって、どんな勉強を頑張ったって、好きなはずの趣味を頑張ったって、うまくやれない。そういう生き方しかできないんだ」


 小学校の六年間と中学校の三年間を経て、それを察してしまった。

 これから始まる高校の三年間で、自分が変われるとも思えない。

 たとえば大学に進んだとして、その四年間で世間に胸を張れる大人になれるとも。


「ある種の自暴自棄になっていた。だから、もしかしたら自分でも気が付かないうちに彼女に八つ当たりしていたんだと思う。そうとしか思えない」


 そこまで考えがまとまると、さすがに自嘲したくなってくる。


「最低だ、俺。どうしようもないほどに最低で馬鹿だった。こんなんじゃ美夜に嫌われてもしょうがない」


 最初からわかっていたことだけど、やっぱり自業自得だったんだ。

 もう一度、しっかり目を見て謝りたい。彼女の許しを得て、美夜に好かれたいからではない。そういうこととは関係なく、自分本位で冷たく当たってしまった美夜に対して、心の底から申し訳なく思えてきたからだ。


「事情はどうあれ、過ぎてしまったことはどうしようもないと思う。でもさ、少なくとも自分なりに何が原因だったか気づけたんでしょ? だったら、後はこれからのことで挽回するしかないんじゃないかな」


 お前が悪いんだと強い口調で責めるでもなく、むしろ俺に寄り添って優しく励ましてくれる志賀さん。

 美夜のためだとは言え、それが今の俺はすごく嬉しく響いてくる。

 だけど彼女の言葉を信じたい一方では、本当にそうだろうかと俺は疑問に思えた。


「あんなに冷たい美夜の顔は初めて見たんだ。俺を拒絶する彼女の声は、今までに聞いたことのない温度だった」


 もう取り返しのつかないほどに嫌われた。そうとしか思えない。


「あなたたちの関係性を全部わかっているとは決して言えないけれど」


 そう言って、遠慮しながらも中腰になって近づいてきて、頼れるお姉さんくらいの距離で隣に座り直した彼女が俺の肩を優しく叩く。


「けど、あきらめないで。私が見ていてもわかるくらい、昨日までの美夜ちゃんは確実に武虎君のことが大好きだったんだよ」


 そうだったら嬉しい。

 もしそうだったら、俺は、もう少し頑張ってみる必要があるかもしれない。

 自分が報われるためではなく、昨日までの彼女の好意に報いるために。





 週末、土曜日。日曜日まで続く連休の初日を家で寝て過ごすのではなく、動きやすい私服に着替えた俺は遊びに出かけていた。

 出かけるといっても、自由気ままに街を散策するような一人きりの予定ではない。珍しいことにクラスの男子に誘われたのだ。


「おい、武っ虎! おっせーぞ!」


 一緒に遊ぼうぜと誘ってくれたのは高杉で、つまるところ俺と彼とは友達のようなものになっていた。美夜との件が尾を引いていないと言えば嘘になるが、それはそれとして高杉は俺のことを許してくれたらしい。


「君も今さっき来たばかりじゃないか。厳密にいえば集合時間には遅れてるんだから偉そうにするのは変だよ。五十歩百歩って言葉を知ってる?」


 その隣に立っているのは野村で、この穏やかで真面目そうな男子生徒とは、中学生のころからの高杉の友達だという関係で俺とも仲良くなった。友達の友達は友達。そうやって自然と交流の輪が広がっていくのを心地よく受け入れていられる。

 気が付けば五月。高校に入って一か月が経ち、こうして俺にも二人の友達ができたことになる。なかなか周囲に溶け込めずに高校生活がうまくいかないんじゃないかという、入学当初にあった不安はひとまずなくなってくれたと思っていい。

 問題はこの数日で湧き上がった新しい問題なのだが、それについてはもう自分でもどうすればいいのか活路を見出せない。

 努力に費やした時間がそのまま結果につながるわけでもないから、どんよりと浮かない顔で思いつめていても状況を打開する名案が出せるとは限らず、かえって悪い思考に引きずられてしまう可能性もある。

 つらいことはいったん忘れて心の隅に置き、今日はできる限りの息抜きをしよう。

 そうするのが新しくできた友達に対する誠意でもある。

 そう思っていると、その友達がこちらを見て腕まくりをした。


「よっし。今日は思う存分、正々堂々と真正面から武っ虎をぶちのめしてやろう。楽しみにしているがいい」


「何度か教えたはずだけど俺は武虎だよ。その『武っ虎』ってのは何?」


「たけとらは普通だろ? そこをあえて『たけっとら』と呼ぶことにより、けっ、っていう舌打ちの気分を混ぜてみた」


「混ぜないでくれるか。友達なんだよな?」


「何を言ってるんだよ、武っっ虎。友達に対しても、けっ、って思うことはあるだろ。仲がいいからこそ許せないことだってある。そうだろ? 武っっっ虎!」


「ん、まあな……」


 どんどん舌打ちの気分が大きくなっているのはともかくとして、仲が良かったはずである美夜とのことが頭をよぎって黙り込むしかなくなった。

 仲がいいからこそ許せないことだってある。実にその通りかもしれない。信じていた相手に裏切られたら、どうでもいい相手に同じことをされる以上にショックを受けるだろう。

 美夜に対してやってしまった事の重大さを改めて思い知らされつつ、やたら元気がいい二人に連れられる形で向かった先は大型のアミューズメント施設であった。せっかくの陽気だから何か運動をしようとなって、今からバスケをやるらしい。

 ゴールネットを何回揺らすことができるかを競うシュート対決ではなく、二つのチームに分かれた試合形式にしたいなら、ある程度の人数をそろえなければ形にならないチームスポーツ。

 たった三人で楽しめるだろうかと思っていたが、どうやら同じクラスに所属する他の男子も後から何人か合流するようだ。つまりクラス会を兼ねた親睦会みたいなものだろう。

 さすがに男子全員が参加するわけではないにしても、高校生活のスタートを上手く踏み出せたとは言えない俺にとって、今日は新しいクラスに打ち解けるチャンスだ。ここは悩みを忘れて、友達を作るためにも精一杯に楽しんでいくことにしよう。

 しかし、それは難しかった。

 ぞろぞろとやってきた六人前後の男女の中に、美夜の姿があったのだ。


「ごめんなさい。私、今日は帰るね」


 こんなところに来るなんて意外だな、と思っていると、美夜は明らかに俺の顔を見て帰ることを決めた。間違いなく、俺と一緒に遊びたくはないという意思表示だろう。

 本気で避けられていることを実感して悲しくなる。

 待ってくれ、と言いたくても声には出せず、とっさに追いかけようとした足が数歩で止まる。迷いと恐れがそうさせるのだ。

 すると、いつの間にか隣に来ていた志賀さんが俺の背を押した。


「追って」


「うん、わかった」


 どれほど逡巡していたとしても、切れかかっている絆をつかみ直したいのなら今はそうするしかない。彼女に礼を言って、一度は止まった足が勢い良く動き出した。

 走っているわけではないはずなのに、意外にも足の速い美夜。逃げるように、ではなく、追いかけられることを想定して本当に逃げているのかもしれない。

 距離にして数十メートル、よもや数百メートルは走ったのではないかと錯覚するくらいの地点で、慢性的な運動不足の俺はようやく彼女に追いついた。


「美夜!」


「武虎……」


 俺に負けず劣らず運動は得意ではないので、これ以上の速さで逃げることは難しいだろうと観念した美夜が立ち止まって振り返る。

 その顔はやはり無表情に近く、ポジティブな面でもネガティブな面でも何か特別な感情を見せてはくれない。


「どうしたんだよ、急に帰るだなんて」


 体力のある普通の人からすればちょっと走っただけなのに、情けないくらいに息が荒れている。何か言わなければならないのに、考えもまとまらない。

 何を伝えればいいんだろうと思っていると、美夜が口を開いた。


「私がいたら、みんなの迷惑になるかと思って。だって私、楽しめないもん」


「それは、やっぱり俺がいるからか?」


「そうだと言ったら、納得してくれる?」


 納得は……できる。否定したいけれど、俺がいると楽しめないという美夜の気持ちは痛いほどに理解できてしまう。それも当然、まさしく俺こそが彼女を傷つけた当事者だからだ。

 なので、立場的には決して強くは出られない。

 しかし、彼女が本気で帰りたがっているにしても、このまま帰すわけにはいかない。

 ここで彼女を黙って見送ってしまえば完全に縁が切れて疎遠な関係になってしまいそうな予感があったからだ。

 誠心誠意を込めて俺は頭を下げる。


「ごめん、美夜。本当にすまなかった。俺は自分の都合で美夜につらく当たっていたんだ。今さら全部を許してくれなんて高望みはしない。でも、どうか俺の話を聞いてくれ」


 祈りを込めるように言葉を紡ぐ。

 身勝手な願いであるにしても、もう一度美夜と仲良くしたいという想いが届くようにと心を込めたが、彼女には届かなかった。


「ごめん、武虎、やめて」


「けど、美夜、俺は……」


 とにかく言葉が出てくるままに続きを言おうとして、どうかお願いだと訴えかけるように彼女の目を見つめていた俺は口を閉ざした。


「やめてよ、武虎」


 そう口にした瞬間、ぽろりと彼女は涙をこぼしたのだ。

 一目でわかる大粒の涙を流して、美夜が泣いている。

 ……いや、そうじゃない。

 目の前の事実を正確に表現するなら、俺が泣かせてしまったのである。


「だから、私、そういうのはやめてって言った。ねえ、武虎。もう関わるのはやめよう」


「美夜……」


「じゃあね、武虎。さよなら」


 そう言い残して立ち去る彼女を俺は追えなかった。

 あまりにも明確な拒絶。

 涙ながらに伝えられたそれを真正面から受け取ってしまった以上、もはや俺は彼女を黙って見送ることしかできなかった。





 その日、おぼつかない足取りで傷心のまま家に帰ると、しばらく確認する余裕のなかったスマホに三つの連絡が入っていた。

 一つは高杉からのもので、どこに行ったのかと問われたので家に帰ったと返事をする。

 一つは志賀さんからで、あの後どうなったのかと問われたので駄目だったと返事をする。

 そして残る一つは陽菜ちゃんから、遊びの誘いだった。

 美夜の妹である陽菜ちゃん。幼馴染の妹であるから、なんだかんだと昔から仲はいい。最近は彼女がハマったゲームの相手をさせられることが多く、今日もその誘いだろうと文面を見るまでもなく予想がついた。

 ゲームは昔から好きで、昔は美夜ともよく遊んでいた。それがいつからか、最近ではめっきり一緒に遊ばなくなったことを痛いくらいに寂しく思う。

 陽菜ちゃんを通じて、なんとか美夜と仲直りできないだろうか。

 一瞬そう考えた俺だったが、すぐにそれは否定した。それは陽菜ちゃんに対して失礼だし、美夜に対しては卑怯な気がした。謝罪を受け入れてほしければ、正々堂々と本人に直接伝えなければ意味がない。相手の身内を利用して許しを引きずり出すなど、誠実ではない。

 けれど、真正面から立ち向かって許しを得ることなど可能だろうか。

 あそこまでの拒絶を受けたのは初めてだ。あんな泣き顔を見たのも初めてだった。

 ひょっとすると、もう二度と俺たちは元の関係に戻れないかもしれない。

 そう考えると胸が痛くなって、俺は美夜への恋心を必死に忘れようとした。

 好きでなくなるのではない。興味がなくなるのでも、嫌いになるのでもない。

 ただ、今の俺は彼女のことを考えるのがつらくなった。

 彼女との関係を考えるのが悲しくて、耐えられなくなった。

 だからだろうか。

 俺は夜、ひどい悪夢を見た。

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