05 朝焼けに眠る猫

 勉強、趣味、将来の夢に向けた努力などなど、やらなければならないことを置き去りにして、自堕落に迎えた日曜日の朝。

 小学生のころから子供部屋として使っている離れのガレージに、勝手知ったる様子でノックもなくガガガっと扉を開けて、これでも一応は男の一人部屋である隠れ家に遠慮なく入り込んでくる中学生の少女がいた。

 誰かと思うまでもない。同じクラスの有末ありすえさんだ。


柴森しばもり君、また徹夜?」


「そ、徹夜。休日の朝はこうやって迎えるのが一番充実している感じがするんだよな、俺」


「徹夜明けの気分で朝日が昇るのを見る感じ? 今日みたいな休日はそれでいいけどさ、一度でも生活リズムを崩したら明日が大変そうだね。月曜日、また遅刻して先生に怒られるよ」


「休み明けの月曜日は休みがちな有末さんには言われたくないな。いくら遅れたって顔を出している分だけ遅刻のほうがマシじゃないか」


「じゃあもう言わない。みんなが学校に行ってる月曜日の朝を眠って過ごす快楽を奪われるのは過酷だもん」


 言いながら髪を結んでいたヘアゴムを外すと、有末さんはふわぁっとあくびをする。

 月曜日の朝は学校を休んででも眠って過ごすと言うが、休日でもある日曜日の朝はこうして早起きして俺の家に遊びに来る。


「柴森君、いったん寝る? それとも今日は昼まで起きてる?」


「どうしようかな。有末さんが来てくれたけど、さすがに眠くなってきたから三時間くらい寝ようかな」


「そっか。だったら私も一眠り付き合うよ。春の朝は心地よくって駄目だね。家主の特権だからベッドは柴森君が使って。私はソファで眠るから」


 とことことソファに歩いて行った彼女は力尽きたように、うつぶせに倒れ込む。そして、うーんと伸びをする。おそらくこのまま本当に眠ってしまうのだろう。

 他人の家だというのに、とんでもなく無防備だ。

 まるで猫みたいだな、と思う。

 もしも彼女が猫だったら、こんなにも俺の心が浮つくことはないだろうが。


「あ、これ新しい奴だよね? 昨日が発売日だったけど、もう買ったんだ」


 そのまま寝るのかと思った彼女だけど、これ見よがしにテーブルの上に置いていたゲーム機を手に取った。ソフトのケースも近くに置いていたので、目ざとく発見したらしい。


「まあね。やりたかったら貸してあげるよ」


「ありがとう。柴森君はやっぱり優しいね。それに比べてうちの親ったら、どんなに頼んでもゲーム機とかパソコンとか買ってくれないんだよ。私がこれ以上ひきこもりになることを警戒してるみたいでさ」


「ガレージに引きこもってても何も言わないでくれる俺の親とは正反対だ」


「うん。すごくうらやましい。柴森君って兄弟とかもいないんでしょ?」


「一人っ子だね、俺は。だから兄弟とか姉妹には憧れがあるんだけど、実際にいるとなると、やっぱりうるさい感じなの?」


「うーん、どうだろ。いるのが当たり前になってるからわからないけど、喧嘩するとき以外は好きかな。どっちかっていうと、親がうるさいから姉妹で一緒に立ち向かってる感じ」


「へえ……」


 彼女の親には何度か会ったことがあるが、あまりうるさそうには見えなかった。もっとも、自分の親が特別うるさく感じ、周囲の親は人がよさそうに見えるなんて話は誰にでもありがちなのかもしれないけれど。


「このゲームは話題になってる新作だからやろうと思ったけど、今はいいかな」


「そう?」


「うん。やっぱり最近ハマってるあれをやらなくっちゃ。そのパソコン、使ってもいい?」


「いいよ」


 話しているうちに眠気がなくなったのか、ソファから起き上がって目を輝かせる彼女に席を譲る。

 カチャカチャっと右手でマウスを操作して、始めるのは最近流行しているオンラインゲームだ。


「そんなに面白い?」


「そりゃあね。つまんないゲームを何時間もプレイしようとは思わないよ」


「それもそうか」


 彼女がやっているのは銃で戦う一人称のシューティングゲーム、いわゆるFPSだ。いくつかのチームに分かれて、最後まで生き残っていたチームの勝ちという、単純明快なバトルロイヤルゲームである。

 課金要素はあるがキャラクターの強さには影響がなく、基本プレイ無料なので中学生の懐にも優しい。難易度的にもハードルが低いのか、グラフィックなどが簡略化されたスマホ版などは小中学生にも人気らしく、動画投稿サイトでは実況プレイも人気がある。

 そういう事情もあり、なんとなく気になって暇つぶしに始めたに過ぎない彼女だったが、今ではすっかりこのゲームにハマって、最近は時間があればそればかりプレイしている。


「……ま、俺はこのまま寝るから有末さんは気が済むまでプレイしてていいよ」


「うん、ありがとう。おやすみ」


「おやすみ」


 パソコンが一台しかないから一緒にはプレイできない……というのは表向きの理由だ。

 もともとこのゲームをインストールしたのは俺だったが、いまいち面白さがわからずに放置していたのだ。左手のキーボードで動き回りながら、右手のマウスで銃の照準を敵に合わせ、人差し指のクリックで撃つ。移動して、敵を見つけて、マウスで敵に照準を合わせてクリック。作業的には、ひたすらその繰り返し。

 長時間プレイしていると画面に酔うという致命的な理由もあるが、結局は熱中するほど面白いとは感じられなかったというだけの話。ゲームが悪いわけではない。相性の問題だ。

 普段からたくさんのゲームに触れているゲーマーなら、実にありふれたこと。

 だから、何があってもゲームのことを悪くは言いたくない。

 このゲームにハマっている彼女に対して不満があるわけでもない。

 ただ、何か、なんとも言い難い、もやもやした気持ちがくすぶっている。

 彼女がFPSにハマる前は、いろんなゲームで一緒に遊んでいた。一緒にアニメや映画を見て、読んだ本や漫画の感想を言い合って、ネットで見かけた面白い情報を教え合ったりした。

 なのに今では彼女がパソコンに向かって銃を撃ちあう音ばかりを聞いている毎日だ。

 もちろん、ここが俺の部屋であることを考えれば、彼女がパソコンでゲームをやっている間を俺が黙って過ごしているわけではなく、自由に使えるゲーム機もあれば、スマホもあり、漫画だって、本だって、テレビだってある。

 だから決して退屈はしていない。休日を邪魔されている感覚もない。

 それに、遠慮なく好きなゲームを楽しんでいる彼女に水を差したくはない。

 彼女も俺の気持ちを汲んでくれているらしく、一度それとなく断って以来、無理に一緒にプレイしようと誘ってはこない。それだけでなく、プレイする前には毎回ちゃんと俺にやってもいいか許可と確認をとってくれている。

 嫌なら嫌と言えばいい。やめてくれと言えば、きっと彼女は素直にやめてくれるだろう。

 でもそんなことは望んでいない。

 本音を言えば、隣にいてくれるだけでいいのだ。こうして休日にわざわざ有末さんが遊びに来てくれるだけで、彼女が何をやっていようと俺の心は十分に満たされる。

 むしろ、ゲームを楽しめずにいる俺に遠慮して顔を見せなくなってしまうほうがつらい。


「ん、むう……」


 パソコンから出てくる音がうるさかったわけでもないけれど、眠れずに寝返りを打つ。

 その視線の先、隠すようにしまった棚の下。

 彼女と一緒にやりたくて買ったゲーム機は埃をかぶっていた。

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