04 こんなにも好きなのに(3)

 志賀さんと閨崎さんという二人の友達ができた私は、学校での居心地がだいぶよくなった。

 妙に距離を置かれてしまった武虎とのことがあるから順風満帆とは言えず、ネガティブな考えに支配される瞬間が多々あるけれど、それでもやっぱり友達がいて、色々な話を聞いてくれるのは救いになる。どうでもいい無駄話をしているだけでも気晴らしになるからだ。

 あとは武虎と仲直りをすることができれば、ひとまず高校生活における不安はなくなってくれるのだけど……。

 数日後、やけに真剣な目をした高杉君に声をかけられ、用事があるからと放課後に呼び出された。

 一度は振ってしまった相手なので、どんな顔をして話せばいいのかもわからなくて、理由もなく二人きりになるのは若干の抵抗がある。だけど彼も友達の一人なのには変わりないので、話も聞かずに冷たく拒否するのや、そんなの知らないと無視するのもためらわれた。

 まさか、また告白されるというわけでもあるまい。

 そう思ってついていったら、二人きりで話をするよりも気まずい状況が待っていた。

 武虎だ。

 春だというのに妙に寒々とした校舎の裏、楽しい表情を一人も浮かべていない私と高杉君と武虎の三人で向かい合う。


「急に呼び出して悪いな。けど、やっぱり俺は宣言しておきたかったんだ。はっきりさせておかないと次には進めない」


 ごくりと唾をのんだのは他の誰でもない私だ。冷たいのか熱いのかわからない温度で手に汗を握る。

 なんだか嫌な予感がする。

 たった一言で「嫌な」と表現してしまうのは何かを覚悟した高杉君に失礼な気もするけれど、喜ばしい事態ではない。

 このまま具体的な話が始まってしまう前に止めに入ろうかどうしようか迷っていると、私ではなく高杉君を見る武虎が怪訝そうに眉をひそめた。


「はっきりさせるったって、こんな場所で何をどうするつもりなんだ? 宣言しておきたいことって、俺と美夜に関係ある話なのか?」


「あると思ったから呼び出したのさ。まあ、まずは聞いてくれ。……告白だ。俺は彼女が好きなんだ。ミヤちゃんに恋をしている。好きなんだ」


 あまりにも正直で、どこまでもストレートな高杉君。

 悪意はないようだけれど、放っておくわけにもいかない。

 思わず私は二人の間に入ろうとする。


「え、えっと。それは……」


 志賀さんたちと一緒に行ったカラオケで高杉君に告白されて、だから彼が言っていることは事実だけど、あの場で私は断った。

 でも、そこまでは言えない。そうなると私が高杉君の告白を断った理由も武虎に伝わってしまいそうで口が重くなる。

 どこまで伝えるべきか迷っていると、武虎が表情を変えずに口を開いた。


「それは別にいいが、ここに俺がいる必要があるのか?」


 何かを言おうとして何も言えず、グッと、声に詰まる。

 それは別にいいって、いいの?

 私が誰に好かれていても、それを武虎はまったく気にしないの?

 怒りたいのか、悲しみたいのか、自分の感情が自分でもわからなくなる。

 どういうことなのか問い詰めたいのに、武虎の真意を確かめるのも怖い。つらい現実を突きつけられてしまうくらいなら、もういっそ何も知りたくないくらいだ。

 高杉君が怒ったように声を少しだけ荒げる。


「大いにある。ここ数日お前たちの動向をこっそり眺めさせてもらったが、意図的に避けてる感じだったじゃないか。そういうのやめろ。あまりにも彼女がかわいそうだ」


 これに武虎も声を冷たくする。


「どういうことだよ」


 ここまで来ても何も伝わっていないらしく、一方的に責められている武虎は鈍感に苛立ちを見せ始めていた。

 ああ、結局、私の存在って武虎にとってはその程度なんだ。

 誰に好かれていて、誰を好いていても気にしない、その程度のどうでもいい存在。

 ただの友達、ただの幼馴染というより、もはやただのクラスメイト。

 言葉が、感情が、風のように過ぎ去っていく。


「どういうって、お前、彼女のこと好きじゃないのかよ」


「単なる質問というより、まるで俺が彼女を好きじゃなきゃおかしいって言いたげだな」


「だったらお前、嫌いなのかよ」


 好きなのか、嫌いなのか。

 私の運命を左右するであろう核心に迫る問いかけ。

 聞きたいのか、聞きたくないのか、急に激しく吹いた風にあおられて立ち尽くす私は耳をふさげずにいる。

 本人を無視して勝手に騒ぎ立てるマスコミを相手にするように迷惑そうな表情で、しょうがないから教えてやるかと、重い腰を上げるように答える武虎。

 余計なことを聞いてくる奴だな、みたいな声色が響く。


「好きとか嫌いとか、そういう感じじゃないんだよ。俺と美夜って幼馴染だからさ。仲のいい友達としてずっと付き合ってきたけど、だからといって恋人として扱われるようになるのは、俺だけじゃなくて彼女にも悪いだろ」


 その口調からは痛いほどに伝わってくる。

 私のことを嫌っているというか、恋愛対象としては興味がないのだと痛感してしまう。

 ああ、もう、どうしようもないほどにショックだ。

 あまりにも簡潔に「ショック」という一言で表現できる悲しみではないけれど、だからと言って一つ一つの感情を明確な言葉にしていくことはできない。頭が理解を拒絶している。きっと心が先に耐えられなくなって、ダムが決壊したように涙がこぼれてきてしまう。

 そうじゃないよね、口にしているのは本心なんかじゃないよね、と、すがりたくなってしまう。


「だから俺はこの場にいないほうがいい。告白するなら俺抜きでしてくれ」


「本当にいいんだな?」


「それを決めるのは俺じゃないだろ? 今から美夜に告白をするっていうお前と、お前の告白を受ける彼女の問題だ。その結果お前が振られるかどうか、それを俺が見届ける義理はない」


 じゃあな、と言って、あっさりと背を向けた武虎は立ち止まることも振り返ることもなく去っていった。

 その足取りには未練の色が見えず、本当に興味がないらしい。


「見届ける義理はないって、そりゃあ、そうかもしれないけど……!」


 校舎の角を曲がったところで完全に後ろ姿が見えなくなって、限界近くでこらえていたものが爆発した。

 わかりやすく要約すると「美夜のことは好きじゃない」と答えていた武虎の言葉。それを自分でも認めるみたいだったから絶対に泣きたくなかったのに、ぽろぽろと涙があふれては流れ落ちていく。

 悲しみのあまり我慢できなくなった泣き声に反応して、くるりと振り返って私の顔を見た高杉君が露骨にうろたえた。


「あ、ごめん。俺、そんなつもりじゃあ……」


「ううん、謝らなくていいよ。高杉君が私を傷つけたんじゃないから。武虎の気持ちが伝わってきただけ。私の恋心が成就しないんだって、諦めがついただけ」


 気を遣われるのも、同情されるのも苦手だ。

 喜びであれ、悲しみであれ、人前で感情をあらわにするのも苦手だ。

 みっともなく泣いている姿を見られたくなくて、慌てて涙を拭い去る。すぐには枯れてくれない、悲観に染まった涙。冷たいのか熱いのかもわからない。心が凍ったのか、火傷したのかも。

 情けなく、ずるずると鼻をすすった。何か言わなくちゃと思うのに、肩が震えるばかりで顔を上げることができない。

 どこにいたのやら、足音が二人分、どたばたと駆け寄ってくる。


「だ、大丈夫?」


「泣きたいときは泣きなさい。私の胸を借りてもいいから」


 数日前に友達となったばかりの私を心配してくれているらしい志賀さんと閨崎さんだ。帰りがけにたまたま泣いている姿を見かけたのではなく、どこかに隠れて覗いていたのだろう。そんな彼女たちに不快感がないのは、面白がっている気配が一切なく、心から私を心配してくれているのが伝わってくるからだ。

 いつもの私なら絶対にしないであろうが、弱り切った今だけは我慢できない。両手を広げて待っている閨崎さんに抱き着いて、親に泣きつく子供みたいに彼女の胸に顔をうずめて涙を隠した。

 こうして支えてくれる友達の存在がありがたい。

 でも、これまで一番の友達であったはずの大切な幼馴染に振られたばかりの私には、その優しさが傷口に塗った消毒液のように痛みを伴って胸に染みた。

 今までの人生において何度となく私に優しくしてくれた幼馴染の武虎。

 そんな彼には、もう二度と、こういうふうに優しくしてもらえないんじゃないか。

 そう思うと、息ができないくらいに胸が苦しくなってくる。

 志賀さんが悔やんだように声を絞り出す。


「ごめんなさい。彼を止めるべきだった。まさかこんなことになるなんて」


「ほ、本当にごめん。俺も、どこかで止まるべきだった。恋愛のこととなるといつもこうなんだ。後先も考えられずに見境がなくなって、つい熱くなってしまう」


 彼女たちのおかげで涙が落ち着いてきてくれたので、もう大丈夫だと言いながら閨崎さんの胸から顔を離す。


「ううん、謝らないで。志賀さんと閨崎さんはもちろん、高杉君も、誰も悪くないよ。武虎だって、自分の気持ちに正直なだけで悪いことをしたわけじゃない。私のことを恋愛的に好きじゃないって、いつかは絶対にわかることだもん。告白をしようとした高杉君が武虎の気持ちを変えたんじゃない。むしろ、こんなに早く知れてよかったかも」


 そうだ。よかったんだ。

 ひょっとしたら好かれているんじゃないかと勘違いしたまま生きていくよりは、ずっと。

 好かれているのかどうか、いつまでも不安で生きていくよりは、ずっと。


「私、付き合えると思ってた。幼馴染だからじゃない。武虎だから、武虎となら恋人になれるって」


 でも、違ったんだ。

 私の思い違いだったんだ。

 こんなにも好きなのに、それは私の一方通行で、武虎には伝わってくれていなかった。

 こんなにも好きなのに、何年も一緒にいて、武虎は私のことを好きでいてくれなかった。


「こんなにも好きなのに、結局、同じくらいに好かれたいって、自分が報われたがってただけなんだ。武虎のこと好きなのに、私、自分が好かれてなくちゃ、好きって気持ちにも自信が持てなくなるんだ」


 こんなにも好きなのに、好きの相手である武虎の気持ちを知っただけで揺らいでしまう。

 いや、こんなにも好きだからつらいのか。

 どうでもいい相手なら、嫌われたところで悲しくもなんともない。

 好きだから、好かれたいから、相手の感情一つでこんなにも心を揺さぶられてしまうんだ。

 好きになった相手の気持ちがこちらに傾いてくれないからといって、それだけで嫌いになることはない。好きでなくなることもない。けど、燃えるように熱かった気持ちが急速に冷めていくというよりも、これ以上はっきりと失恋を痛感して傷つくことを恐れて、安全圏まで心が引いていくのを感じる。

 大切なものを壊したくない、なすすべもなく壊れていくのを見たくない。そう思って遠ざかるように。

 重くて分厚い扉が閉まるのを感じる。

 固く、強く、簡単なことでは決して開かないように。





 この世の終わりみたいに傷心したまま家に帰ると、二階に上がった廊下で中学生の妹と顔を合わせた。

 最近、毎日のように出かけて同学年の友達と遊んでいるという妹の陽菜ひなだ。

 私も陽菜も自分の世界に閉じこもりがちの性格で、誰にも邪魔されず自由に生きたいという相手の気持ちを知っている。なので必要以上の過干渉にならないよう、家でも適切な距離を置いて過ごしている。

 根本にある価値観は似ているものの微妙に趣味が違うためか、めったに喧嘩するわけでもないけれど、世間の姉妹に比べると仲睦まじい姉妹というわけでもないのかもしれない。手を取り合って団結するのは親と喧嘩するときくらいだ。

 その妹が私の顔を見るなり、柄にもなく心配してくれているのか「お姉ちゃん、大丈夫?」と言ってきた。

 大丈夫じゃないけれど、まさか妹に泣き言を漏らすわけにもいかない。なけなしのプライドを総動員して強がった私は大丈夫だと答えて、お姉ちゃんらしく「友達は大事にしなきゃだめだよ」と言った。

 特に問題を抱えていないであろう陽菜は笑って、どこか自慢気に「そんなの当たり前じゃん」と言う。

 その言葉が私には痛く胸に突き刺さって、その晩は悪夢を見た。

 武虎が離れて、遠くに行く夢を。

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