03 こんなにも好きなのに(2)
放課後、目標としていた武虎以外の友達を手に入れて浮かれていたはずの私はいたたまれない気分に包まれており、早々に帰りたくなっていた。
ここはどこだ?
カラオケだ。
悩んでいた私を気遣って遊びに行こうと誘ってくれた志賀さんはもちろん、誘われたときに同じ場所にいた閨崎さんが一緒にいるのはいい。志賀さんと違って彼女の口から明言してくれていないとはいえ、もう私にとっては友達みたいなものだから。
大丈夫でないのは他のメンバーだ。信じがたいことに、気が付いた時には追加で二人も知らない人間がついて来ていた。それも女子ではなく男子である。
一人はおとなしそうな人で、もう一人はやけに騒がしいタイプの人。
第一印象から判断できる以上の人となりも知らないので嫌いというわけではないけれど、あまり親しくない異性が二人もいては気まずくて口数は少なくなる。もともと小さかった私の存在感が消えてなくなってしまったようだ。
このままそっと帰っても、しばらくは誰も気が付かないんじゃないかとさえ思えてくる。
しかも、よりにもよって遊びに来た場所がカラオケである。自分で認めるほどに交遊関係の狭い私には未踏の領域であり、あんなに仲が良かった武虎とも来たことがない。
学校を出て向かっている先がカラオケだと判明した時点で私の頭の中を駆け巡ったのは、果たして歌える曲があるだろうかという問題だ。積極的にアンテナを張って知ろうとしていないせいで、恥ずかしながら最近の曲はよく知らない。なんだかんだと流行りの曲はいたるところで流れるので印象的なサビくらいは耳にするけれど、逆に言うとサビ以外はわからない。
知ったかぶりはよくない。あやふやな状態で歌い始めると恥をかくのは私だ。
もちろん私にだって歌える曲が全くないわけではない。問題は数少ないレパートリーの中にある歌える曲が彼女たちの好みに合うかどうかという部分と、後はやっぱり人前で歌うという行為そのものに抵抗感があることだ。
一言で言えば恥ずかしい。
声なんてちゃんと出そうにない。
なので戦略としては聞き手に徹する作戦を立てた。
あなたが歌う番だとマイクを渡されそうになったら話をそらして、ひたすら次の曲が始まるのを待つという、素晴らしい作戦Bも。
「ほらほら、退屈なんじゃない?」
「え……」
「歌おうよ、歌おうよ」
結局は作戦も何もなく、ビュービューと風が吹く激しい嵐をやり過ごすように己の精神へと戸を立ててじっとしていたら、いつの間にか隣に来ていた男子にマイクを渡されそうになった。これを受け取ると歌う羽目になるので、すかさずジュースを手に取って今は飲んでるから……という顔をしながら作戦Bの発動だ。
痺れを切らした誰かが歌い始めるのを待つ。
「そうだなあ……。ミヤちゃんさぁ、何か知ってる歌ある?」
やけに馴れ馴れしい感じがするのは、二人の男子のうち騒がしいタイプに分類した高杉君。
あまり記憶にないけれど、どうやら同じクラスだという彼からは顔を合わせた瞬間に「俺のことはぜひタカチーと呼んでくれ!」と自己紹介されたものの、初対面の距離感ではないので「それはちょっと……」と断って高杉君と呼ぶことにする。
「私は大丈夫。高杉君が好きなの歌ったら?」
「あ、そう? だったらこれにしようかな」
よかった。何が何でも強引にマイクを押し付けてくることなく、悩む間もなく自分が好きな歌を決めてくれた。もしも私が知っている曲を答えていたら、おそらく高杉君が余計な気をまわして自動的に私が歌う羽目になっていただろう。
あとは一人で歌うための準備をしてくれるかと思っていたら、なかなか高杉君は動き出そうとしない。
なぜか私にマイクを差し出したままでいる。
何? という意味を込めて首をかしげると、朗らかに彼は笑った。
「一緒に歌おうよ。これ、ハモリが気持ちいいから、さ!」
「ハ、ハモリ……」
ハモリっていうのはあれか、二人の歌声がよく調和して心地よいハーモニーを奏でるってやつか。いつも口パクや小さい声で乗り切ってきたせいもあって合唱の経験も乏しいので、カラオケ初心者には難しいことを言われている気がする。
助け船の出航要請を出すつもりで顔を向けると、こちらの視線に気付いた志賀さんは優しく微笑んだ。
「一人で歌うのが恥ずかしいなら誰かと一緒の方がいいと思うよ。よく知らない歌ならサビのところだけでいいから」
なるほど。どことなく発表会みたいな雰囲気になってしまうので、どんな曲であっても確かに一人で歌うのは恥ずかしい。
だったら彼と一緒に歌ったほうがいいかもしれない。
たとえハモリが失敗して不協和音を奏でてしまったとしても、勢いやノリでごまかしてくれそうな頼もしささえある。
「それじゃあ、あの、よろしくね。高杉君」
「もちろんもちろん。最強のデュエットを俺たちで見せてやろうぜ」
「う、うん」
最強はともかくとして、魔王討伐のための聖剣を渡された気分でマイクを手にした私は息をのんで歌詞の始まりを待つ。ついに始まったイントロがあたかも試験開始のカウントダウンに思えてくる。Aメロはぼそぼそ、Bメロはふわふわ、それなりに激しい曲が選ばれた歌の大部分はマイクごと腕を振る元気な彼に任せて、どこかで聞いたことがあるようなサビの部分をちょっとだけ頑張って控えめに声を出す。
長いようで短い四分半。
ひとまず何事もなく歌が終わり、マイクを片手に余韻に浸っていた彼が私の方を向いて親指を立てた。
「な? 気持ちよかったっしょ?」
いや別に……。むしろ終わって解放された気分だ
けれど、さすがにネガティブな感想は口にしない。いくらなんでも退屈そうにしていた私を気にして一緒に歌ってくれた高杉君に悪い気がするので、ここは愛想笑いをして頷いておく。
決して悪い人ではない。むしろ優しい人だ。
すると今度はマイクを持っていた反対側の手で人差し指を立てた高杉君がニッと白い歯をのぞかせて笑う。
「それは俺たちの心が共鳴したって証なんだ、ぜ!」
「へ、へえ……」
どう反応したらいいのかもわからず、無理に出していた愛想笑いが引きつりそうになった。おそらく悪意はないだろうから悪くは言いたくないけれど、緊張していただけで共鳴した感覚はちっともない。
でも本来、音楽というものはそのためにあるのかもしれない。一つの楽曲を介して人々が心を響かせ合って、周りにいる人たちと一体感を抱いたり、悲喜こもごもの感情を共有するためにあるのかも。
だったら、一度くらいは武虎とカラオケに足を運んでいればよかったかもしれない。
今さら過ぎるけど、そうしていたらもっと深いところで武虎の心を知れていたんだろうか。
後悔や未練が胸に広がって、思わず暗くなる。
「よし、じゃあ今度は僕が一緒に歌わせてもらおうかな」
「……え?」
いつの間にか今度は隣にもう一人の男子、どちらかと言えば真面目でおとなしそうに見える野村君がいた。陸上競技のリレーでうまくいったバトンパスみたいに高杉君からマイクを受け取っていて、歌う準備は万端だ。
「安心して。相手のことを考えない自分本位な彼と違って、僕が選んだのは君にも歌いやすい静かな曲だから」
有無を言わせず、もうイントロが始まっている。見かけによらず強引だ。ひとまず一曲は歌ったので私の番は終わりだからと誰かにマイクを渡して逃げるには遅い。
正直なところ人前で歌うこと自体に苦手意識があるので、恥ずかしいかどうかは選ばれた曲の問題ではないけれど、アップテンポで激しい曲よりはバラードみたいに落ち着いた曲の方が確かに歌いやすい。
ならやるしかない。
そう覚悟を決めて二曲目。
「えっと……あれ?」
何か変だなと思っていたら、あんまりうまくない私でもわかるくらいに音を外している。
こっちが間違っているのかもしれないと不安になるせいで声は小さくなり、ただの一度もハモることなく私たちのデュエットはめちゃくちゃなままで終わった。
「これでも自分ではうまく歌えているつもりなんだけどなぁ。いやあ、恥ずかしいところを見せちゃったよ」
てへへ、と子供みたいに笑って頬をかく野村君。恥ずかしいと言う割には恥ずかしそうにしていない。
そんな彼の姿を見て、私は一つ勉強させられたように思えた。
何かをするときに誰かと比べて下手だったとしても、自分が楽しいと思えば楽しいのだ。他人の顔色をうかがうばかりが人生ではない。
「ううん、一緒に歌ってくれてありがとう。高杉君も」
二人にお礼を言って、今度こそ私の番は終わりだとマイクをテーブルに置く。
あまりに体力がないせいか、おなかの奥から大きな声を出していたのでもないのに、たった二曲ほど歌っただけでいっぱいになった疲労感を抱えて席に戻ると、ぐったりする私を心配そうに眺めながら志賀さんが肩をすくめた。
「悪くは思わないでね、美夜ちゃん。嫌がらせがしたかったんじゃなくて、あれでも彼らなりに元気を出してほしいと思って頑張った結果だから」
「うん。それはなんとなくだけどわかる」
きっと、それくらい私がわかりやすく落ち込んでしまっていたのだろう。
そうでもなければ私と一緒に歌おうと声をかけてくれる人なんていないように思える。
たぶん、彼らは本当にいい人なのだ。優しくて、思いやりがあって、友達の友達を放っておけない人。最初は面識のない男子だというだけで苦手意識があったけれど、根っこの部分を知れたおかげで彼らとも友達になれそうだ。
私たちの会話をそばで聞いていた閨崎さんがくすくすと笑う。
思わせぶりに目を細めて、チラッと誰かを見る。
「どうかな。少なくとも一人は下心があると思う」
「こらこら、俺を見ながら言うな!」
二人の男子のうち、弁護士が指を突き付ける勢いで異議ありと言わんばかりに腰を上げて反応したのは高杉君だった。黙っていれば冗談で済んだのに、慌てて声を荒げたせいで図星だったと表明するに等しいものではなかろうか。
ということは、どうだろう?
つまり、もしかしてとは思うけれど、彼は私に対して下心があるんだろうか。
いまいち信じられない。でも、もしそうだとしたらどうなんだろう。
下心。それは恋心だろうか。
うまく状況が処理できずにポカンとした表情で高杉君の方を見ていたら、こちらを見た彼と目が合った。
何を言えばいいのやら、沈黙が気まずい。
見る見るうちに顔が赤くなるにつれて誤魔化しがきかないと思ったのか、ええいとマイクを手に取って高杉君が叫ぶ。
「ミヤちゃん、好きだ! 教室で初めて見た瞬間に一目ぼれしました! よかったら俺と付き合ってください!」
耳が痛くなるほどの大音量で部屋に響いた告白。
ここまでストレートに愛の告白を受けたのは人生初だ。
あまりのことに対処が追い付かず、頭が真っ白になった。
それでも告白の答えなら改まって考えるまでもなく、最初から決まっている。
彼が彼なりに本気で伝えてくれたなら、私も私なりに本気で答えなければならない。
マイクは握らず、歌う羽目になった時よりも緊張して立ち上がった私は息を吸い込んでから答える。
「ごめんなさい! 私、武虎が好きだから!」
ぐいっと頭を下げて、数秒後、慌てて顔を上げる。
「いや、その、武虎が好きっていうのは……!」
告白に対して誠実であろうとするあまり、言わなくていいことまで口走ってしまった。
あらゆる秘密や内緒ごとの中でも、私が武虎を好きなことは何重にもセキュリティをかけておきたいトップシークレットだ。そうでなければ誰かの口から武虎に私の秘めている恋心が伝わってしまうかもしれないではないか。
どうせ伝わるのならば自分の口からだ。それ以外の可能性は今のところ考えていない。
「否定しなくてもいいよ。そうだろうなっていうのはわかってたから」
「私もそうね。その話を聞きたくてついてきたようなものだし」
意外な話でもなかったのか、隠していたつもりだった私の恋心を知った女子二人はまったく驚いていない。
「武虎君か」
ふーんと頷くにとどめた野村君も落ち着いている。
ただ一人、彼女たちと様子が違うのは私に告白してくれた高杉君だけだ。
「た、たけとら……」
ここにはいない武虎の名前を呼びながら、がっくりと肩を落とした。
「ご、ごめんなさい」
そこまで落胆するとは思わず驚きと申し訳なさで頭を下げると、その必要はないよと野村君が私に顔を上げるように言ってくる。
「わざわざ謝らなくてもいいよ。彼は中学生のころから女子に告白しては振られているから。失恋には慣れてるんだ」
「慣れてるとはひどい言い草じゃねえか」
「でも慣れてるだろ?」
「……まあ、な。一度として成功体験はないくせに玉砕の経験だけは豊富だから、ショックを受け流す方法も知っている。今の場合なら歌うことだ!」
そう言ってマイクを手にした高杉君は周囲を無視して歌い始めた。ショックを受け流す方法というのは本当らしく、一人の世界に入り込んでいるようだ。
何かに熱中していると、その間は嫌なことを忘れられる。
私にも気持ちはわかるので邪魔はできない。
「すっかり熱唱モードに入っているタカチー君のことは忘れて、私たちは私たちの話をしようか」
「そうね。喫茶店で流れているようなBGMにしてはうるさいけど、余計な茶々を入れられるのに比べたらマシね」
ということで、その後の私たちは会話に専念することになった。
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