第718話 聖者への道

 被災地に派遣するエルフと護衛部隊は先に国境へ進ませ、カニンガム伯爵には三日の休暇を与えた。

 どうせ集団のほうが移動が遅いので、三日分の遅れは取り戻せる。

 負担をかける事になるが、まだ若い分だけ頑張ってもらうしかない。


 アイザックが気にかけている問題は他にもある。

 その解決のため、エルフの大使エドモンドを呼び出した。


「今はまだリード王国国民ではないため派遣費用や給与は国から支払われます。ですがリード王国の一員となった場合、軍の派遣は貴族の義務となります。国からも支援がありますが、これからは自腹での派遣を覚悟しておいてください。皆さんの場合は魔法による治療など、こちらからお願いする事もあるので、国からの支度金などは大目には支払う事になるとは思いますけどね」

「その件については財務省の役人から伺っております。これまでも出稼ぎ労働者の収益を分配などしておりましたが、今後は税金として徴収する事になるでしょう」

「ああ、もう話はそこまで進んでいるんですね。だったら話は早い。今後、三年間は国へ納める税の免除をしますので、その間に慣れておいてください」

「かしこまりました」


 ――リード王国の貴族となり、一地方となる。


 その事の意味をわかってもらわねばならない。

 だが彼らも二百年前にはリード王国で暮らしていて、貴族との交流を持っていたのだ。

 政治や税制の事がまったくわからないというわけではない。

 アイザックの心配は杞憂に終わった。

 エルフに関して残る心配は、派遣した部隊が無事に戻ってくるかどうかだけとなる。



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 そのエルフの派遣部隊はというと、ウォリック公爵領にいた。


「アーク王国北東部は治安が悪いそうですが……」

「大丈夫、大丈夫。我々も戦えるから、護衛だけに頼る事はないさ。それに一刻も早く堤防を直してやったほうがいいんだろう? このまま行こうじゃないか」

「そこまで言われるのなら……」


 彼ら自身も戦えるという事もあり、アーク王国北東部の危険地帯を安全に突破できるという自信があったからだ。

 この状況に誰よりも困っていたのが、同行する事になったカニンガム伯爵だった。


(あんたらはよくても、こっちは困る。なんでわざわざ危険地帯を進もうとするんだ……)


 彼は安全なルートを使いたかった。

 しかし、エルフ達は「困ってるなら早く助けてやろう」と、セントクレアまでの最短ルートを使おうとする。

 彼らの気持ちは人として大切なものだ。

 だが道中で危険な目に遭わないようにするのも大切だ。

 それは自分達だけのためではない。

 相手のためにも必要な事だった。


 ――被災地の復興へと向かうエルフが襲撃された。


 そんな事態になれば、困るのは反乱軍や彼らの支配地にいる民衆である。

 被災地は復興できないし、エルフの襲撃犯としてリード王国に狙われる。

 宗教の教義が違う国なのだ。

 こちらからも然るべき対応をしなくてはならない相手である。

 その事を指摘しても聞き入れないのだから仕方ない。

 カニンガム伯爵にとって「一緒に自殺しようぜ!」と足を引っ張られている気分だった。

 

「我々は洪水の被害に遭ったセントクレア地方の復興部隊です。通行の許可を願いたい」


 仕方なく、彼はアーク人民解放戦線の兵士に声をかける。

 その兵士は、意外にも笑みを見せた。


「ああ、ボスのマクドナルドからエルフのデリバリーが来るって聞いてるよ。通ってくれ。俺の親戚もセントクレアに住んでたんだ。なんとかしてやってくれ」

「もちろんだ。そのために我々が向かうのだからな」

「本当に頼むよ。ああ、それと言われた通りに怪我人を集めておいたよ」


 国境を見張っていた兵士達は、カニンガム伯爵が拍子抜けするほど、あっさりと道を開けてくれた。


(これなら大丈夫かもしれない)


 彼はそう思った。


「では順次作業に入ってくれ」


 カニンガム伯爵が命じた作業。


 ――それは街道整備だった。


 復興支援部隊は総勢五千人を超える。


・エルフ  二千。

・護衛部隊 千。

・輸送部隊 二千


 食料の現地調達などできないため、食料は自分達で持っていかねばならない。

 そして滞在期間によっては、追加の物資を送らねばならないのだ。

 今後に備えて街道の整備をしておくに越したことはない。


 それにセントクレアまでの道を整備する事で輸送がやりやすくなるのは、彼らに食料を送りやすくするためではなかった。

 将来的には、セントクレアを起点に各地の反乱軍への物資補給もやりやすくするためである。

 そのためにも必要な事だった。

 だがカニンガム伯爵は、それだけだとは思っていなかった。


(アイザック陛下は、セントクレアをリード王国が進攻するために利用されている。なにからなにまで無駄のない事を考えるお方だ)


 セントクレア地方は天罰を受けた。

 そこをリード王国が復興させれば、リード王国とアーク王国のどちらの教皇が本物かを世間に知らしめる事になる。

 しかもそれだけではない。

 セントクレアを復興の象徴とする事で、内戦で荒れ果てた他の地域にもリード王国への期待を持たせる事ができる。

 住民は生きるため、アーク王家よりもアイザックの支配下に置かれる事を望むだろう。

 アーク王国を攻めた時に、最も心配される住民の抵抗が薄れるかもしれない。

 これはただの善行ではなく、ただの布石にすぎないのだ。


 その布石を布石と思わせない用意周到さ。

 そして、たった一手で複数の結果を得ようとする貪欲さと奇抜さ。

 なにもかもがカニンガム伯爵には想像できないレベルに達していた。


(あの時、フィリップがウェルロッド公爵家と全面戦争に突入すると覚悟しなくてよかった。そんな事になっていれば、今頃私は死んでいただろう)


 ――ネイサンの十歳式。


 あのあと、たった一つの決断ミスが最悪の結果を引き起こしていたはずだ。

 友人であるウィルメンテ公爵が賢明な判断を下した事に、カニンガム伯爵は今更ながら感謝していた。



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 エルフによる街道整備は、見ていた者達の度肝を抜いた。

 彼らをさらに驚かせたのは、エルフによる治療だった。

 同行している教皇庁の治療師もいるが、彼らは軽傷者の治療に当たるのみ。

 重傷者はエルフが対応していた。

 そのやり方が独特すぎたのだ。


「右足が腐ってきている。無理に治そうとするよりは、一度切断してから治したほうがよさそうだ」

「足を切るだと! やめてくれ! 魔法で治してくれるっていうから来たのに!」


 当然、患者は嫌がった。

 付き添い人も嫌そうな顔をしている。

 だが、エルフや護衛の騎士達は平然としていた。


「腐った部分を切って、あとはそのままというわけではない。魔法で新しい足を生やすんだ。これはアイザック陛下が考案された再生医療というもので、エルフにしかできない方法だ。普通の治療をして腐った足から体中に毒が回るか、切り落としておしまいになるよりはいいだろう?」

「アイザック陛下が?」


 隣国の人間であろうとも、アイザックの噂は色々と耳に入っている。

 あのアイザックが考えた方法ならば、本当に効果があるのかもしれないと少しだけ思う。


「そうだ。しかもロレッタ殿下の傷を治療した方法でもある。隣国の王女様にいい加減な方法を試したりしないという事はわかるだろう?」

「ええ、まぁ……」


 騎士も説得を手伝おうとする。

 最初の一人が上手くいけば、あとはスムーズに進むからだ。

 しかし、騎士の持つ斧が恐ろしくて患者はひるんでしまう。


「どうせこのままだと死ぬんだ。だったらやってみるべきだろう? お前はみんなの前で治療を行う。失敗するような方法をみんなの前でやるはずがないんだから信じて受けてみてくれ。怖いし、痛いけど……」

「痛いんじゃないか!」

「でも、今だって痛いだろ? 一時的に痛いだけで、すぐ治るなら我慢するべきだ」

「くそっ、くそっ……。痛みのない方法は?」


 患者は一縷の望みに懸けてエルフに尋ねる。


「ない」


 返ってきたのは無情な答えだった。


「痛みを取る特殊な薬もあるが、それはあまり使わないほうがいい。そもそも持ってきていない。だから我慢しかない」

「あぁ……。でも歩けるようになるんだよな?」

「歩ける」

「なら、なら……。やってくれ……」


 患者は治療を決意をした。

 足を切り落とすという乱暴な方法だが、足が治るのなら我慢するしかない。

 彼は人前へと連れていかれる。

 そこで騎士が高らかに宣言する。


「これから彼の右足の治療を行う。方法は足を切り落とし、魔法で新しい足を生やすというものだ。初めての者は不安だろう。だがこの方法はリード王国で一般的なものとなっている。だから慌てずに見守っていてほしい。では始めよう」


 数人の兵士が患者に猿ぐつわを噛ませ、患者の体を押さえつける。

 その様子は、一見すると処刑するだけの光景にしか見えなかった。


「患部だけを切り落とす。下手に動くなよ。目を閉じ、歯を食いしばって我慢しろ」


 騎士は指示を出すと、斧を振り下ろす。

 患者は痛みで猿ぐつわを噛み砕かんばかりにもだえ苦しむ。

 周囲で見物していた者達は不安そうに見守る。


「オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ」

「おおっ、本当に治った!」

「聖者様だ……」


 だが、それは一時的な事だった。

 エルフが呪文を唱えると、みるみるうちに足が生えてくる。

 それはそれで気持ちの悪い光景だったが、やがて健康な足が生え終わると感嘆の声が周囲から漏れる。


「エルフの魔法は素晴らしいものだ。アーク王国の教会では人間第一を唱えているが、リード王国ではお互いが対等であり、協力し合おうという教義を教えている。アイザック陛下が方法を考え、エルフが実行する。それで今までは治療できなかった大怪我も治せるようになったのだ。種族を越えて協力し合う事の素晴らしさを皆にもわかってもらいたい」


 すかさず教会から派遣された者が、リード王国の教義の素晴らしさをアピールする。

 アーク王国の民にリード王国の教義を教える事で、双方の摩擦を減らすためだ。

 しかし、そんな事をする必要などなかった。


「私の父を助けてください!」

「娘が火傷で虫の息なんです!」


 戦火に巻き込まれて、まともな治療を受けられなかった住民達がこぞって集まってきたからだ。

 ほとんどの者にとって、多少の教義の違いなどどうでもいい。

 家族を救ってくれる者こそ信じるに値する存在だった。


「治療は順番に行う。まず我々が傷を調べて、急ぎの治療が必要な者を優先する。だから慌てずに待て!」


 護衛の騎士達が押し寄せる治療希望者を押しとどめる。

「雑踏整理など兵士の仕事なのに」と思わないでもないが「お前がやれ」と命じている間に、群衆がエルフに殺到してしまうので仕方がなく自ら行う。

 エルフは先行する街道整備部隊と、そのあとに続く治療部隊とで分かれている。

 この日は百人ほどの治療を行い、それから治療部隊は先へと進んでいった。


 ――問題が起きたのは翌日からだった。


「聖者様が今にも死にそうな大怪我でも治してくれるって? どこにいる?」


 復興部隊が通った街へ、噂を聞いた周辺住民が集まってきた。


「彼らはセントクレアに向かった。整備された街道を通っていけば、いつか追いつくだろう」

「わかった! ありがとう!」


 話を聞いた人々は、復興部隊のあとを追って街道を歩いていく。

 聖者まで続く道は、ボロボロの荷車を引いていても歩きやすく、驚くほどに平坦な道のりだった。

 救いを求める人の数は日に日に増していった。

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