第717話 潰し合い

 アイザックは帰国したカニンガム伯爵から、モーガンと共に報告を受けていた。

 彼の報告を聞き終わると、真剣な面持ちで彼に近付く。


「ウェルロッド公もランカスター侯も高齢です。そろそろ体力的に他国へ訪問するのも厳しくなってきました。そんな状況で次の外務大臣を任せられる人材が現れたのはリード王国にとって幸運です。難しい訪問をよくやってくれました」


 アイザックは彼の手を取って、しっかりと握る。


「いえ、運が良かっただけです」


 カニンガム伯爵は謙遜するが、アイザックに褒められて悪い気はしない。

 なにしろ相手はリード王国の歴代でも最高の指導者だ。

 そんな相手から褒められたのだ。

 お世辞交じりであろうとも素直に嬉しいものだった。


「運だけで済ませられるほど国家間の交渉は上手くいきませんよ。これまでウィルメンテ公の影に隠れる生き方をしてきたので、すぐには難しいでしょう。ですがウィルメンテ公から離れて独り立ちした場合には、独自で動かねばなりません。……今すぐにというわけではありませんが、そう遠くないうちにアーク王国はアーク地方になります。その時、ウィルメンテ公爵領の近くと遠く。どちらに領地が欲しいかを考えておいてください」


 その言葉を聞いて、カニンガム伯爵の手にピクリと力が入ったのをアイザックは感じていた。


「領地をいただけるのですか?」

「今は伯爵ですし、外務大臣まで任せるのです。相応の見返りがあって当然でしょう」


 アイザックは笑顔を浮かべる。

 それは普通のものであったが、ノーマンが見ていれば「またあの笑みだ……」と思った事だろう。

 ザック達が見れば「ああ、こうすればいいんだ」と良い教材になったかもしれない。

 しかし、カニンガム伯爵には功をねぎらう優しい笑みに見えていた。


「実際に占領してから考えてもよろしいですか?」

「もちろんだとも」


 ――ウィルメンテ公爵領の近くに領地が欲しい。


 彼は、そう即答しなかった。

 それだけで「ウィルメンテ公爵の影に隠れ続けるのではなく独立したい」という気持ちが少しはある事がわかった。

 もしかしたら「近くにいるよりも離れたところにいたほうが役に立てる」と思った可能性もあるが、絶対に隣でベッタリとは考えていないようだ。


(それならそれでいい。カニンガム伯爵を引き抜く事ができれば、ウィルメンテ公爵家の詳しい動きを知る事ができる。そうすればウィルメンテ公爵家でケンドラがどんな扱いをされているか詳しく調べられるだろう)


 最近は嫌われているが、それでもケンドラの事は心配である。

 ウィルメンテ公爵の腹心であるカニンガム伯爵を味方にできれば情報を手に入れやすい。

 騎士やメイドを買収するよりも安全なはずだ。

 そういう意味でも、彼を味方に付けておくべきだとアイザックは考えていた。


「それでは明日にでも大使を呼びだすとしよう。奴に伝えておかねばならない事があるからな。その打ち合わせをしておこう」


 モーガンが話を変える。

 それは自分の存在感を示したかったというわけではなく、本当に必要な話があったからだった。



 ----------



 アーク王国の大使を呼び出したのは二日後の事だった。

 カニンガム伯爵を休ませるために一日を与えたためである。

 呼び出された大使は、帰国したばかりのカニンガム伯爵を不安そうに見ていた。


「まずは朗報だ。エルフの派遣をアーチボルド陛下と反乱軍の双方が認めた。これによりセントクレア地方の復興が進むだろう。派遣の準備は終わっているので、そう遠くないうちに反乱も下火になるはずだ」

「寛大なご配慮を賜り、感謝の言葉もございません!」


 モーガンの言葉を聞いて安心したのだろう。

 大使の頬は緩み、深々と頭を下げた。


「しかし、悪い報告もある」


 だが続けられた言葉に身を震わせる。


「カニンガム伯、教えてやれ」

「かしこまりました」


 カニンガム伯爵がリード王国とアーク王国が描かれた地図を広げる。

 そしてアーク王国の北部に小さな円を描いた。


「反乱軍の首魁、ジャック・マクドナルドが滞在しているのは、おそらくこの近辺です。前線から四日ほどの距離ですが、目隠しをされていたので詳細はわかりません。そして――」


 今度は小さな円から東へと線を引く。


「私はこのようなルートで帰国しようとしました。ですがマクドナルドは『アーク王国の北東部は平民が政治を行うべきだと考える者が多く、平和の使者であっても襲われるかもしれない』と言っていました」

「まさか共和主義者……。ファラガット共和国のような平民の国を作ろうとしている者達ですか?」

「私もそう思ったのですが、どうやら違うようです。共和主義者というには過激な者のようです。貴族はもとより、富豪なども襲撃しているそうです」


 カニンガム伯爵の説明を聞き、大使は顔を歪める。

 貴族にとって忌むべき相手が現れたと知ったからだ。


「マクドナルドから聞いた話では『奴らは平民のための政治をしたいのではなく、自分達が貴族になり替わろうとしているだけだろう』との事でした。反乱軍が結成された理由は、まともに被災者の支援を行わなかったアーク王国政府への不満が噴出したもの。反乱軍には貴族も参加しており、マクドナルドは貴族も含めた新アーク王国政府を作ろうと考えているようでした」


 反乱軍の首魁が「貴族を滅ぼす」という目的を持っていないとわかり、大使は少しだけ胸をなでおろす。


「北東部で勢力を伸ばしている者達はならず者の集まりのようなもの。反乱軍にとっても偉くなって威張りたいだけの不届き者には頭を悩ませているようでした」

「奴らも一枚岩ではないという事ですか……。それで、私を呼び出した理由とは?」


 さすがにこの情報を教えるためだけに呼び出したわけではないとわかっているようだ。

 それもそのはず、この情報を伝えるだけなら、カニンガム伯爵が帰国の途中でアーチボルドに伝えればいいだけだからである。


「内戦が始まってからは軍の支援のために馬車を派遣しているので、アーク王国から運び出せていない物資が多く残っている。そのアーク王国内に残っている武具を譲渡しよう。アルビオン帝国から輸入しようとしていた武具は、反乱軍に奪われた物がすべてではない。中部や南部を経由して運ばれていたものがアーク王国内の倉庫に眠っている」

「その数は?」

「およそ七千人分の武具と三十万本分の矢じり。反攻を仕掛けるのには十分な数だろう?」

「……譲渡の条件は?」


 七千人分の武具は喉から手が出るほど欲しいものだ。

 だがリード王国が無償で武具を譲渡するはずがない。

 その条件を確認しなければ、なんとも答えられなかった。


「薄々気づいてはいるだろうが、北東部の反乱軍を最優先で潰すのが条件だ。平民が貴族になり替わろうと考えるなど、思い上がりもはなはだしい。国境を接している以上、我が国の国民を扇動して混乱をもたらしかねない。早急に叩き潰してもらいたい」


 モーガンが伝えた条件は、大使にとってもわかりやすいものだった。

 ファラガット共和国のような「平民の国を作ろう」という気運は、貴族にとって悪夢そのもの。

 その芽を早い段階で摘んでほしいという要求は当然かもしれない。


「我が国の失政ではなく、アーク王国のせいで我が国まで内戦になるかもしれない。そのようなカニンガム伯からの報告を受け、私は怒りのあまりめまいがした。いっその事、全軍挙げて反乱軍共々アーク王国を滅ぼしてしまおうかと考えたくらいだ」

「陛下! それは……」


 アイザックの言葉で、大使の表情は一変した。

 反乱軍を滅ぼす武具を供与されるかと思っていたら、正反対の事を言い出したせいだ。

 しかし、すぐに気を取り直す。

 本当に攻めると決断したのなら、こうして武具の供与を言い出したりはしないと気づいたからだ。


「私も申し訳なく思っております。本国でも反乱軍討伐の計画を立てているでしょうが、なんとか北東部の反乱軍を優先するように伝えます」

「そうしてもらおう。北東部の反乱軍を倒すために徴兵する動きを見せれば、商人達に引き渡すよう伝えておく」

「陛下のご厚意に感謝いたします! しかと本国に伝えさせていただきます!」


 大使がまた深々と頭を下げる。

 彼に向けるアイザックの目は冷ややかなものだった。


「それとこれは最後通牒と考えてもらっていい。これ以上、私を失望させるような事があればリード王国軍を動かす。アーチボルド陛下にもよろしく伝えておいてもらおう」

「かしこまりました!」


 同盟を解消した相手に多くの武具を無償で譲り渡すのだ。

 これほどまでに大きな譲歩はない。

 しかもアイザックは、これまでにもアーク王国に配慮した姿勢を見せている。

 これ以上、彼を裏切るような事になれば、本当に攻め込んでくるかもしれない。

 大使は決死の思いで、北東部の反乱軍を叩き潰すように本国へ伝えようと決意していた。



 ----------



「敵同士を潰し合わせるとは……。陛下は恐ろしいお方ですな」


 大使との話が終わったあと、カニンガム伯爵はついこぼしてしまった。

 すぐに彼は「しまった」と口を手で塞ぐが、もう手遅れだった。


「敵と敵を戦わせて弱らせる。それは戦略の基本でしょう?」


 だがアイザックは怒りもせず、笑顔で答えた。


「もしハーミス伯に協力する時に生き残っていては厄介だからな。貴族になり替わろうとする者などさっさと処分するに限る」


 モーガンは平静な態度で答える。


「味方になってからでは処分しにくくなるという事は私も理解しております。あまりにも自然に恩を売る形で話を進められておられたのでつい……。申し訳ございません」


 ――二人が不快感を示す事なく普通に接してくれている。


 カニンガム伯爵にとって、それがなによりも恐ろしかった。

 いっその事、失言を咎めてくれたほうが気が楽だっただろう。

 この二人が特に反応を見せないほうが、得体の知れない不気味さがあったからだ。


「外交に携わるなら、それくらい割り切ってもらわないと」

「しばらく私のところで教育いたしましょうか」

「いえ、カニンガム伯にはエルフに同行してもらうつもりです。実際に現地へ行った人が同行したほうがいいですしね」

「なら帰ってきてからですな」


 アイザックは「内戦で大変なところに行ったんだし」と大目に見てやり、モーガンもアイザックが怒らないならと合わせていただけだ。

 しかし、カニンガム伯爵には、アイザック達が許してくれていないように感じられた。

 セントクレア地方に向かうのも危険であるし、モーガン直々の指導もなかなか辛そうだ。

 負い目があるせいで物事を悪く受け取ってしまうというのもあるが、相手が相手だったので仕方ない面もあるのかもしれない。

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