第716話 父親としての役割

 ある日の事。

 朝食後の談笑中に、パメラが話を切り出した。


「陛下、そろそろ子供達に教育を施してくださってもよろしい頃では?」

「教育? それはしっかりされているはずじゃないか?」


 ――読み書き、計算、芸術、運動、礼儀作法。


 王国でも最高峰の教師達によって様々な教育がされていた。

 アイザックも子供と過ごす時は、一緒に勉強を見てやってもいる。

 そもそも、あれだけ大事にしている子供に教育を施していないわけがなかった。

 だが、パメラはそんな当たり前の事を言っているわけではなかった。


「一般的なものではなく、人の上に立つ者の心得です」


 ――人の上に立つための心得を教える。


 その話を聞いていたザック達が目を輝かせながらアイザックを見る。

 しかし、アイザックとしてはまだ教えたくないものだった。


(もちろん、これは大事な話だ。ウェルロッド公爵家の貴族の男としての教育に不安があったから、婆さんはネイサンを後継者に推して、ウィルメンテ公爵家の力を借りようとしたくらいだからな。大事な話だとはわかっている。でも――)


「どうやって人を罠に嵌めて奈落に落とすかなんかを教えるのには、まだ早いんじゃないか? せめて十歳くらいになってからでも……」


 子供に立ち回りを教えるとなると、どうしても人間の薄汚い部分を教えてやらねばならなくなる。

 アイザックには、まだそこまでの覚悟はできていなかった。


「あぁ……」


 パメラが呆れた声を漏らす。

 いや、他の妻達も同様だった。

 アイザックは彼女達の反応を理解できずに困惑していた。


「今回はそういう話ではありません……。もっと普通の内容。それも初歩中の初歩から教えてあげてください」

「あ、あぁ、そういう事か」


 リサが、アイザックの疑問に答えた。

 それでアイザックも納得する。


「陛下の子供時代はよく理解しています。けれど、誰もが同じ考えを必要としているわけではありません。子供達には一般的な事だけ教えてあげれば大丈夫かと。それ以上の事はもっと大きくなってからでいいと思います」

「わかったよ、ティファニー。私の考えすぎだったようだ」


 ティファニーも「子供の頃のようなライバルを出し抜く方法」を教えてほしいわけではないと言った。

 早とちりした事で、アイザックは照れ笑いを浮かべる。


「じゃあ……、今回はザックとクリスの二人に話そうか」

「はい!」


 二人はいい返事をした。

 元気のいい返事に、アイザックは頬が緩む。



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 アイザックの表情は強張っていた。

 いや、彼だけではない。

 ザックとクリスも緊張している。

 その原因は明白である。


 ――妻達も見学に来ているせいだ。


 大事な話をするから緊張しているというわけではなく、見守られているせいで緊張していた。

 これにはアイザックも「なんか雰囲気が台無しだな」と思ってしまう。


「あー……、ママ達の事は気にしないでおこう。今回話す内容は――」


 アイザックは一拍置く。

 そうする事で子供達に緊張感を与えるためだ。


「人との信頼関係について教えよう」


 アイザックにとって、信頼関係は重要なものだった。

 デニスやキンケイド子爵のようなお友達脅迫関係になるだけではない。

 ノーマンやトミー、マットのように信頼のできる者がいたから助かる事もあった。

 だから最初は信頼関係について教える事にする。


「信頼関係は本当にささいな事から始まり、終わる事もある。だから日頃の言動が大切なんだ。たとえば――」


 アイザックは身近な例を思い浮かべる。


「侍女にも挨拶をしたり、名前で呼んだりするのも大事な事なんだよ」

「なぜですか?」


 子供達は不思議そうにしている。

 彼らは物心ついた頃からそうしていたからだ。

 それはアイザックがそうさせていたからである。


「そうだな、ママ達もいるから聞いてみよう。誰か侍女や騎士に『そこのあなた』とか言って仕事を命じていた人はいるかな? 正直に答えてほしい」


 せっかく同席しているのだ。

 アイザックは彼女達も教材に使おうとする。

 すると、ロレッタとジュディスの手が上がった。

 侯爵令嬢だったパメラとアマンダの反応がないのが不思議だったが、パメラは前世の記憶から無駄に偉ぶらず、アマンダはおそらく友達感覚で接していたのかもしれない。

 ロレッタは王女だったからで、ジュディスの場合は少ない口数で頼み事をするためだろうという事が想像できた。


「一応言っておくけど、王族や貴族なら侍女に『そこの君、飲み物を持ってきてくれ』と命じるのは普通の事だ。二人の対応はおかしなものではない。ではなぜ私はそういう事をしないのか? それは気持ちよく働いてもらうためだ」


 難しい話だと子供に説明するのも大変だが、初歩的なものならアイザックも説明しやすい。

 母親達が「子供にどんな事を教えるのか?」と注目されている中で失敗したくないので、無難な話題を選んでいた。

 しかし、生粋の貴族には珍しい話題なので問題はないはずだ。


「彼女達は給与を貰って働いている。ではお金さえ払えばなにをしてもいいのかというと、それは違う」


 アイザックは子供部屋から持ってきた積み木を二カ所に積み上げる。


「こっちは仕事に対する誇りや、働かせてもらっているという恩義――わかりやすく言えば好きという気持ち。もう片方は嫌いという気持ちだ」


 アイザックは嫌い・・のほうに更に積み上げる。

 高さは好き・・のほうよりも、嫌いのほうが高くなった。

 そして好きのほうを崩した。


「人というものは嫌いという気持ちが好きという気持ちより積みあがってしまうと、好きだという気持ちがいとも簡単に崩れてしまう。だから相手を侍女ではなく、一人の人間として扱っているんだ。二人とも名前じゃなくて、お前とか呼ばれたら嫌だろ?」

「嫌だと思います」

「僕も嫌です」

「そうだろう。私も子供の頃から侍女達は名前で呼んでいた。自分が嫌な事はしない。相手に嫌われてしまうからね。でもこれはあくまでも使用人が気分良く働けるようにするための気づかいだ。『僕と仲良くしてください』と下手に出ていいわけじゃない。日常で『いつも掃除をしてくれてありがとう』といった感謝の気持ちを時々伝える事で相手のパフォーマンスを引き出すんだ」


 これはアイザックの経験によるものである。

 居酒屋で働くという事は、相手をするのは酔客という事でもある。

「おい、店員!」や「前と同じの!」と言われて「知るか、ボケ!」と何度思った事か。

 そういう客が多いからこそ「店員さん」や「〇〇おかわり」と普通の対応をしてくれる人が、相対的に神客という評価へと変わる。


 それは貴族社会でも同じ事。

 貴族、それも直系でなければ人にあらずという態度を見せる者も少なくない。

 だからこそ物腰の柔らかい対応をするだけで自分の評価が上がるのだ。

 暗殺などの危険を考えれば、ちょっと優しい顔をするだけで忠誠心を少しでも買えるのなら易いものだ。

 不必要に偉ぶる必要などない。

 だがアイザックも「味方にはいい顔をして、これから潰す敵には遠慮のない態度を見せてもいい」とまでは言わなかった。

 今はそこまで話す段階ではないからだ。


「たとえば、そうだな……。クレア達が遊んでいて、ボールがザックの足元に転がってきたので投げ返してあげた。するとクレアが『もっと早く投げ返してよ』って言ってきたら嫌だろう?」


 ザックとクリスは、アイザックが言った状況を想像したのだろう。

 少し暗い表情を見せる。


「そんな風に言われても、二人ならまた次に投げ返してあげるだろう。でもずっとそんな態度を取られるとクレアに関わるのが嫌になってくる。でもいつものようにクレアが『ありがとう、お兄ちゃん』とお礼を言ってくれたら、またやってあげようと思うはずだ。言葉一つで相手に対する印象が変わってくるだろう?」

「はい、いつものクレアがいいです」

「この人のためになにかをしてあげたい。仕える者達にそう思わせてあげるのも人の上に立つ者の役目だ。特に近衛騎士は命を懸けて私達を守ってくれている。そんな彼らには『命を懸けて守ってよかった』と思わせてあげるべきなんだ。だから私も時々『いつもありがとう』と声をかけている。ザックとクリスも、まずは宮廷料理人に『いつも美味しい料理を作ってくれてありがとう』と言ってみたりするといい。きっと喜んでくれるよ」

「はい!」

「はい!」


 一通り話し終わったところで、アイザックはパメラを見る。


「最初はこんな感じでどうだろうか?」

「家臣の忠誠心を引き出す方法の第一弾としてはよろしいかと思います」

「それならよかった。いきなり難しい事を教えようとしても、教えるほうも難しいしね」


(だがこの子達は天才だから、もっと難しい話でも理解してくれるだろう)


 前世の自分がザック達と同じ年の頃は、もっと聞き分けがなかった気がする。

 こんな風に大人しく話を聞いてはいなかっただろう。

 もしくは聞いているフリをしていたかもしれない。

 まだ六・七歳だというのに、これだけしっかりしているのだから、きっと二人は自分を軽々超える天才に違いない。

 アイザックは、そう確信していた。


「これは他人だけじゃなく、家族にもやってあげるといい。パパとママ大好きや、兄弟にも大好きだと伝えてあげるとみんな喜ぶよ。じゃあ、今日はこのくらいにしておこう。これから少しずつ学んでいこうね」

「はい!」

「パパ大好き!」

「おいおい、ハハハ」


 さっそく実践する子供達にアイザックの顔がほころぶ。

 子供達が部屋を出ていくと、彼は妻達に話しかける。


「子供は財力や権力といった力を持たない。だからお金もかからず、労力も必要としない感謝の言葉が便利なんだ。子供の内から周囲に好感情を抱かせて味方にできる下地作りをするには、相手の名前を憶えて感謝の意を示す。子供が無邪気な笑顔を見せてお礼を言ってきたら、誰も悪い気はしないからね」


 その言葉を聞いて、妻達は「ああ、やっぱりこの人はウェルロッドの血の集大成なんだな」と思った。


 ――言葉一つで人を翻弄するウェルロッド公爵家の血筋。


 最後の一言だけで、アイザックがどのような幼少期を過ごしてきたのか想像させるのに十分だった。

 特にリサとティファニーは幼い頃の彼を知っているだけに「子供の頃の事は全部計算による行動だったのか」と改めて驚かされていた。

 そして、アイザックの根幹を少し覗き見る事ができたような気がしていた。

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