第715話 それぞれの思惑
四月上旬、ブリジットはモラーヌ村へと帰っていった。
嫁入り前の準備のためだ。
彼女にはモーガンが同行する。
これはブリジットの家族へ挨拶するためであると同時に、アーク王国へ派遣するエルフの志願者を募るためでもあった。
エルフはまだ正式にリード王国の貴族になったわけではない。
だから今は志願者を募るという方法でしか動員できなかった。
――アーク王国の被災地復旧支援。
それは人々によって見方が変わる人道支援である。
ある者は「人助けをしようだなんて偉い人だ」と思い、またある者は「アーク王国を占領しやすくするために民心を得ようとしているのだ」と考えた。
――しかし、アイザックの本当の考えは誰にも予想できない域のものだったのだ!
(セントクレア地方……、フフフッ。まさかクレアにピッタリな領地があったなんてな。しっかり復興して、クレアが領主になった時に困らないようにしてやろう)
――そう、長女クレアのためにセントクレアを復興しようとしていたのだ。
ウェルロッド公爵家は次男のクリスが継ぐ事になっている。
しかしクリスの双子の妹であるクレアは貰える領地がないので、どこかに嫁入りしなくてはならない。
――ではファラガット地方やグリッドレイ地方よりも近い場所で、彼女に与えられる領地があればどうだろうか?
アイザックは今もまだ子供の婚約者を探したくないと思っている。
彼は諦めの良いほうではないからだ。
もし諦めが良ければ「婚約者がいるんだったら諦めよう」と、パメラの事も諦めていただろう。
だから娘の嫁入り相手もできれば探したくなかった。
だがアイザックも学んでいる。
ただ王宮で何不自由なく養うだけでは鳥籠に囚われた鳥のようなもの。
娘の生きがいを作るためにも、領主という道を用意してやりたかった。
そこに降って沸いたのが、セントクレアの話である。
――天罰を受けた地を、
これほど娘の評価を高められる機会など二度とないかもしれない。
だからセントクレアを復興させようと考えたのだった。
とはいえ、それはアーク王国を滅ぼさねば意味のない話である。
そのため一応は本気でアーク王国を潰すための一手でもあった。
復興させようという気持ちは本物である。
彼の理由が、ほんの少しばかり他人が考える理由と違うだけでしかない。
その一見くだらなく思える理由が多くの人を救うのだから、誰にとっても悪い事ではなかった。
アーク王国では多くの人命が失われる非常事態となっているが、リード王国はこのように平和そのものだった。
しかし、それも今だけだ。
来年にはリード王国も本格的に介入する。
戦争を他人事のように自分達の時間を過ごせる時間は長くない。
平和な今だけ考えられる事なのだ。
もっとも、アイザックはきっと戦争中でも子供達の未来を考えるだろうが。
――だがこうして裏で画策しているのはアイザックだけではなかった。
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アーク王国もなにもしなかったわけではない。
「アルビオン帝国からの援軍を認めるべきです。内戦だからと他国の介入を拒否し続けるにも限度があります。このままでは我が国は破産してしまいますよ」
フューリアスが、アーチボルドに働きかける。
彼は大臣達から頼まれて、父を説得しようとしていた。
「歳入が大幅に減って、歳出が大幅に増えたせいだろう?」
「わかっているのなら、なぜ援軍を認めないのですか?」
「求める必要がないからだ。物資の支援はいい。難民を受け入れてもらうのもいい。だが他国の軍を国内に入れるのだけはダメだ。そんな事をすれば平民の反乱よりも酷い被害を受ける事になる。奴らは現地調達と称して略奪するだけだぞ」
「……ではなぜリード王国との同盟を解消されたのですか? 少なくとも、彼らは同盟国内で略奪などはしなかったはずですが」
フューリアスの言葉に、アーチボルドは顔を歪める。
少し悩んでから重い口を開いた。
「ジェイソンの子供と、孫の誰かを結婚させようとしていたのを邪魔されたからだ。もう少しでリード王国をアーク王家の血を濃くして乗っ取る事ができるところだった。それをジェシカが死に、ジェイソンまで死んだせいで完全に諦めねばならなくなった。きっと私の考えを見抜いたアイザックの奴が先手を打って二人とも殺したに違いない! せめてジェシカとエリアスだけでも生きていればどうとでもなったというのに!」
アーチボルドには、彼なりの考えがあったようだ。
それをジェイソンの反乱がきっかけとはいえ、一度に二人とも失ってしまった。
妹や甥への情もあるが、それと同じくらい自分の計画を壊された事にも怒っている。
そのせいで自暴自棄となり、リード王国との同盟を解消する大きな一因となっていた。
「計画に気づかれた可能性があるのなら、アイザックのところへはアーク王家の血を送りこめまい。だからアルビオン帝国に乗り換えたのだ。今すぐには無理かもしれんが、いつかは帝室をアーク王家の血で乗っ取る事ができる。いつまでも大国に挟まれた小国などという地位に甘んじる必要などないのだからな」
「それではファーティル王国のような形が理想的というわけですか」
「可能ならばな。奴らには先を越された。今頃はロレッタが産んだ子供を王位に就かせるための裏工作に励んでいる頃だろう。吞気なものだ。だがそれは本来我らの立場だったのだ。ジェイソンさえ生きていれば……」
アーチボルドは悔しさで表情を歪める。
しかし、それは一瞬の事。
すぐに彼は気を取り直した。
「だが今は耐える時だ。お前や孫の代になればアルビオン帝国に娘を嫁がせる機会が来るだろう。何代にも渡って娘を嫁がせ、帝室を乗っ取る時がな。今の困難は私がなんとか乗り越えてやるから任せておけ」
「……わかりました。ではもう援軍を求めようとは言いません。代わりに他の方法を考えてみます」
「ああ、今を乗り切ればどうにかなるさ」
アーチボルドは今を乗り切れば、お礼を兼ねてアルビオン帝国に「両国の絆を深めよう」と、誰か王女を嫁入りさせようと考えていた。
そのためには「婚姻に価値がない」と思われないよう、国土をこれ以上ボロボロにするわけにはいかなかった。
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「なにがなんでも援軍を受け入れるように説得しろ!」
ヴィンセントが外務大臣に対して怒りをぶつける。
当然だが、アルビオン帝国にも彼らなりの考えがあった。
「一年もすれば、普通は難民の流入も減るはずだろう? なぜいまだに増え続けている?
アーク王国の内乱は落ち着いている。
どちらも決め手がなく、戦線が停滞しているからだ。
だというのに、なぜか難民の流入が止まらない。
一時的な対処なら宝物庫を開くだけでよかったのだが、長期的かつ大勢の難民を養うには限度がある。
国家予算を本格的に振り分けないといけない状況になったため、ヴィンセントは痺れを切らしていた。
「一応は属国ではなく同盟国ですので、許可なく派遣は難しいかと……」
「ならば許可を取ってこい! もう我慢の限界だ! なぜアーチボルドの尻拭いを私がやらねばならん!」
「名目上とはいえ同盟国ですので配慮――…」
「わかっておる!」
語気を荒らげるヴィンセントに、外務大臣は身を縮こまらせる。
彼の怒りの原因をわかっていたからだ。
本来ならば、今頃アルビオン帝国は西方進出を目指して動いていたところだ。
それが攻めるどころか、軍の大半を難民のために駆り出さねばならない事態になっている。
しかも物資を備蓄する余裕もない。
アーク王国のせいでヴィンセントの計画が年単位で遅れる事になってしまった。
難民のせいで資金を浪費してしまうというだけではなく、国家の方針にまで悪影響を与えてしまっているのだ。
彼が怒るのも無理はない事だった。
「あちらも混乱しているので対価を支払わせるのは難しいだろう。だからせめて早期解決するために派兵を受け入れさせろ!」
「私もそのように働きかけております。フューリアス殿下経由でも説得しようとしているのですが、アーチボルド陛下の決意は固いようです。頑なに受け入れようとしません」
「派兵の費用もこちら持ちだというのに、なにに不満がある?」
「私にもわかりません。これほどいい話は通常ありえないのに、なぜ受けないのか……」
「せっかく同盟国として手助けしてやろうとしているというのになぜだ……」
彼らにはアーチボルドの考えが理解できなかった。
それもそのはず、彼らには攻める側と攻められる側という大きな立場の違いがあった。
アルビオン帝国も攻められる事はあったが、大体の場合は国境付近の戦闘で終わり、大きな被害が出る事はなかった。
だから「自国領内に他国の軍が侵入する」という事に関しての忌避感が少ない。
その違いが「アーチボルドの考えを理解できない」という結果に結びついてしまっていた。
「とにかく早期解決のためにできる事をやらせろ。さもなくば北部の反乱軍の支配地へ許可がなくとも我が軍を突入させるとな。まともな答えをもらえるまで戻ってこなくていいぞ」
「かしこまりました。なんとかしてみます」
(言われる前にやれ)
そう思ったが、ヴィンセントはその言葉を飲み込んだ。
彼を外務大臣に任命したのは、ヴィンセントだ。
不満があるのなら、それは彼を任命した自分の責任である。
その事を知っていたから、大臣のやる気を削ぐ決定的な言葉を飲み込む事ができたのだ。
(エリアスが羨ましい。アイザックのような使いやすい者を散々利用できたのだからな)
――なにを任せても結果を残してくれる使い勝手の良い家臣。
ヴィンセントはアイザックを利用するだけ利用し、多少なりとも楽をできたエリアスの事を羨ましいと思ってしまった。
アーク王国を取り巻く状況は、三者三様の思惑により混迷を深めていく。
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