第714話 カニンガム伯爵の受難 後編
歓待を受けたあと、カニンガム伯爵は北へと向かう。
反乱軍――アーク人民解放戦線のリーダーと話をするためだ。
アーチボルドと会うだけでも苦痛に感じる心労があったというのに、今度は反乱軍だ。
(どうかしっかりと統制を取ってくれていますように)
彼はこれまでの人生で、かつてないほど真剣に祈りを捧げた。
正規軍ですら戦場では規律が乱れるのだ。
主に民兵で構成される反乱軍が規律を守れているはずがない。
出身国など気にせず「貴族が来たぞ!」となぶり殺しにされる可能性だってあるのだ。
――アーチボルドと反乱軍。
ダブルで嫌な仕事を押し付けられてしまった。
アイザックからは「次の外務大臣を任せる」と言われているが、この調子で仕事を任されたのでは素直に出世を喜べない。
彼の下で働くなど、ただの罰でしかないのだから。
「この道を北上する!? 正気ですか?」
「ああ、正気だ。我々リード王国が諸君らの仲介をするためには、反乱の首謀者とも話し合わねばならないからな」
「それはありがたいですが……。危険ですよ?」
「覚悟の上だ」
「我々にはここを守る任務があるので兵を付けられません。どうかお気をつけて」
馬車の外では護衛と見張りの会話がされている。
やはりこの先は危険なようだ。
帰りたくなるが、ここで逃げ帰った場合の事を考えるまでもなく、そちらのほうが恐ろしい。
カニンガム伯爵には任務を遂行する以外の選択肢などなかった。
「閣下、通行の許可が出ました。この先へ進みます」
「よろしく頼む」
(本当に頼むぞ! お前達が頼りなんだからな!)
護衛は五十名しかいない。
民兵とはいえ、集団で襲いかかられたらひとたまりもない数だった。
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「おー、リード王国から来なさったか。若い衆を道案内に何人か付けるので、それで先に進んでください」
「それは助かる。いや、本当に」
森の近くの街道を通ったところ、伏兵に取り囲まれた。
しかし、彼らに名乗ったらすぐに武器を降ろしてくれた。
護衛達も衝突が起きずに済んで胸を撫でおろす。
(よかったぁ……)
カニンガム伯爵も安堵した。
前線だけあって反乱軍の数も多い。
この護衛の数では危ないところだったので、話が通じて心底よかったと思う。
心配する必要があったのはここまでだった。
道案内のおかげで、警戒はされるものの襲われそうになる事はなくなった。
おかげでカニンガム伯爵に周囲を確認する余裕ができる。
(この辺りはまだマシと聞いたが、それでも酷いものだな。これでは洪水の被災地はどうなっているのか……)
前線付近の街や村は戦火で焼かれていた。
反乱軍の支配地の奥へ進んだが、それでも家は焼け落ちていた。
前線と違うのは、少しだけ復興の兆しがあるという事くらいだろう。
少なくとも、リード王国内とは比べるまでもない。
なかなか心にくる光景だった。
しかし、二日もすればまともな街並みに変わっていく。
そこからまた徐々に街並みが荒れ果てていった。
武装蜂起が始まった街の周辺は、やはり戦火の傷跡が残っている。
その光景は「自国を戦場にしてはいけない」という決意をカニンガム伯爵一行に抱かせた。
「ここからは目隠しをしていただきます。馬も用意していますが、ボスのところへは五人程度までにしてほしいのですがよろしいですか?」
「よろしいですか?」と尋ねてはいるが、断れば案内しないという意思が込められていた。
実質、断る事ができない要求だった。
「かまいませんよ。私と秘書官、護衛を三人で向かいましょう」
「それでは失礼いたします」
カニンガム伯爵達は目隠しをされる。
今回は恐ろしく感じなかった。
少なくとも相手の代表と会わせる気はあるのだろう。
なければ、さっさと殺しているはずだ。
分散させて命を狙っている可能性もあるが、それなら道中どこかでやれていた。
だから今の段階で暗殺の心配はない。
目隠しをされて馬に揺られながら、カニンガム伯爵は自分が役目を果たせるかどうかを心配していた。
しばらくして馬の歩みが止まる。
そこで降りるように促されたので、誰かの手を借りながら馬を降りる。
「もうしばらく我慢をしてください。さぁ、手を取って」
今度は手を引かれながらどこかへ歩く。
すぐに木々の匂いから違うものへ変わった。
湿った匂いがする。
(地面の感じからすると洞窟の中みたいだな。街中だとスパイによる暗殺を警戒しないといけないからか? 用心深いようだ。もっとも、アイザック陛下に大仕事を任されるくらいだから能力はあるんだろう)
階段を降りたわけではないので地下室ではない。
匂いや音の反響で、カニンガム伯爵は現在地がどのような場所かあたりをつける。
「ここから先は足元が危険なので目隠しを外します」
どうやら外の景色がわからないところまで進んだのだろう。
目隠しを外される。
カニンガム伯爵達は視界が開けた事に安堵する。
さりげなく周囲に視線を向けると、ここはやはり洞窟だった。
だが思っていたよりも広く、数人が横になって歩けそうなくらいだ。
「なにぶん、我らはアーク王国に命を狙われていますのでご理解を」
「わかっているとも。警戒心の強い方のようだから王国軍とも戦えているのだろう。その事に不満はないさ」
「ではこちらへ」
道案内人が先導する。
松明の明かりが洞窟の中を照らす。
「ゆらゆらと揺れる影が今のアーク王国の情勢のようだな」とカニンガム伯爵は思った。
やがて奥の方に明かりが見えた。
そこでは十人ほどの男達がテーブルを囲んでいた。
「ようこそ、リード王国の特命大使殿。私がジャック・マクドナルドだ」
ハーミス伯爵は本名を明かしていないのだろう。
先に彼から名乗って「ここではそう名乗っている」とアピールする。
カニンガム伯爵もそれはわかっていた。
「お初にお目にかかる。リード王国特命大使、ジャック・カニンガム伯爵だ。同じジャックという名前同士よろしくな」
一応、カニンガム伯爵は貴族であり、ハーミス伯爵のほうは爵位を持たない貴族の傍流という設定である。
だからカニンガム伯爵は、貴族としての立場を保ちつつも友好的であるという態度を見せていた。
(彼にジャックという名前を付けたのは、まさか最初から私を派遣するためだったのではなかろうな?)
これまでのアイザックの所業から、自分をからかうために名前をつけたのだと考える。
だが実際はそこまで考えていない。
ノリで歴史上の人物名を使ったら、たまたまカニンガム伯爵と名前が被っただけだった。
「会談を認めていただき感謝する。だがあなた方にとっていい提案を持ってきたという自負はあります。こちらをご確認を」
カニンガム伯爵の秘書官が一通の手紙を取り出すと、それをハーミス伯爵に渡した。
彼はすぐさま中を確認する。
「ほう、セントクレア地方の復興を手助けしていただけると?」
「アイザック陛下は被災者の存在に心を痛めておられます。天罰を受けるべきはアーチボルド陛下であり、アーク王国民ではありません。被災者の救済を行い、以前のような暮らしをする手助けをされたいとの事でした」
「さすがはアイザック陛下。聖人認定されるだけの事はありますな」
ハーミス伯爵は納得したとうなずく。
だが彼もアーク王国攻略の駒にすぎないと知れば、そんな感想など出てこなくなるだろう。
「今のところ、トライアンフ王国方面からの食料支援は十分か?」
「戦争に関わりたくないという者には食料を持たせてアルビオン帝国に向かわせています。そのおかげで食料の消費量を減らせているので、冬越えもなんとかなりました」
「セントクレア地方の堤防が修復されれば、河を使った輸送もできるようになる。そもそも他国の支援を受けずとも自給自足ができるようになればかなり楽になるはずだ。ただし、この提案には条件がある。エルフはもとより、場合によってはドワーフの技術者を派遣するかもしれない。彼らの安全を保障してほしい」
「なるほど、我らの信仰について心配されておられるのですね。少なくとも人民解放戦線に参加している者は大丈夫でしょう。皆、リード王国のセス教皇聖下こそが正統なるお方だと信じております。ですが民衆全員となると、全員が鞍替えしたとは断言できません。自衛手段は持って入国していただく必要があるでしょう」
「なるほど……。本当にそれは信仰の問題だけですか?」
疑問が浮かんだカニンガム伯爵は、少し突っ込んだ質問をする。
ハーミス伯爵は困ったような表情を見せた。
「ある程度は統制を取れていますが完全ではありません。私の指示に渋々従ってはいるものの、あわよくば自分がトップに立とうとする者もいます。他にはこの機会に貴族を皆殺しにし、ファラガット共和国のような共和制を目指す者も参加しているのです。今は共通の敵と戦うために団結していますが、それ以外では彼らの動きを予測するのは難しくなっています」
元々、この混乱はアイザックの野心から始まった事である。
だから今更ではあるが、これまでの暮らしに満足していなかった者達が出現し始めたのだろう。
ハーミス伯爵も国の未来を憂いてはいるが、行動理由のほとんどが復讐である。
誰もがアーク王国の未来を憂いて行動しているわけではない。
彼らを非難できる者はいなかった。
「この内乱で野心を持つ者達が姿を現したわけか。平和な時代ならば何もできなかった連中だろうに……」
「そういった者達でも利用しなければ戦えません。武器の支援をしていただけるのならば助かるのですがね」
ハーミス伯爵は「もっと武器をくれ」と要求する。
だがここには彼の背後関係を理解した者ばかりではなく、反乱を起こした八人の貴族以外の者もいる。
そのためリード王国との関係を露骨に見せるわけにはいかなかった。
そんな事をすれば「裏切り者だ」と命を狙ってくる者が出てきてしまうからだ。
今のリード王国は、まだ
「我々が行うのは陛下が
カニンガム伯爵は一息入れてもったいつける。
「ファラガット地方で元正規兵や傭兵が集まった義勇軍が結成されたそうだ。どうやら平民の苦境を見過ごせなかったらしい。いずれトライアンフ王国経由で参戦する事になるだろう」
「人数はいかほどで?」
「三千ほどだと聞いている」
「ほう、それは助かりますな。本当に」
三千人分の武器を送られても、それを扱るように鍛えるのには時間がかかる。
武器に慣れた三千の兵は、たとえ寄せ集めであったとしても、今の反乱軍には万の援軍を得たような気分だった。
「アイザック陛下はあなた方を反乱軍だと見下さず、
「そのお言葉、肝に銘じておきます」
カニンガム伯爵は「アーク国民」という言葉をあえて使った。
これでハーミス伯爵にも「援軍要請は有効で、そのために動いている」と伝わったはずだ。
そもそも、アイザックが直接約束しているので、不必要なやり取りではあった。
しかし、再確認のためには必要な事でもあった。
「アイザック陛下はこの状況に心を痛めておられる。だから食料支援なども一年は続けられるとの事だ」
「一年、ですか?」
「そう、一年だ。増え続ける難民の対策を始め、様々な準備にそれくらいはかかるそうだ」
「……それまでにできるだけの事はやりましょう」
――参戦するには一年ほど時間がかかる。
カニンガム伯爵の言葉に含まれた意図を、ハーミス伯爵はしっかりと読み取った。
一年後の参戦までは独力で耐えねばならないという事だ。
リード王国は有形無形に支援をしてくれている。
そのおかげでおそらくなんとかなるだろうとは思うが、絶対がないのが戦争だ。
これまで以上に気を引き締めてやらねばならない。
それはハーミス伯爵だけではなく、アイザックも同じである。
(自分が支配する側に回ろうとする者、理想を実現しようとする者。そういった者達をどう排除するのか。アイザック陛下に伝えねばならぬな)
カニンガム伯爵は、ハーミス伯爵からの情報を、アイザックがどう活用するのかが気になった。
そしてハーミス伯爵も気になった事があった。
「帰りは南下されるのですか?」
「ん? このまま東へ向かえばウォリック公爵領が近いのでは?」
「ウォリック公爵領、というよりもリード王国との国境付近は危険です。難民が王国正規軍に殺されたところを見ていたので、戦意旺盛な過激派が集まっています。リード王国は難民の支援をしてくれていたので配慮はしてくれるでしょうが……。おすすめできません。南下するルートをおすすめします。もっとも、そちらも兵士ではなく、民間人が襲いかかってくる可能性がありますが」
「……どちらも危険だな。だが南からのルートで問題はなかったので、一度南下する事にしよう」
(無事に帰る事ができるかな? アイザック陛下に目をつけられなければ、これもウェルロッド公の仕事だっただろうに……)
行きも帰りも命の危険を覚える道中となりそうだ。
これからもアイザックから似たような任務を任されるだろう。
カニンガム伯爵は、外務大臣として働く未来の自分を想像して泣きそうになっていた。
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