第713話 カニンガム伯爵の受難 前編

 春が訪れる頃、カニンガム伯爵に不幸が訪れた。


 ――特命大使としてアーク王国行きを命じられたのだ。


(あー、これは死ぬ。殺されて死ぬ……)


 アーチボルドがアイザックを嫌うのを通り越して敵視しているのは周知の事実。

 しかも今は反乱が起きており、彼の機嫌が悪いのはわかりきっている。

 一つミスれば処刑されかねない。

 そもそも彼はアイザックの下で外務大臣になどなりたくないので、本当に迷惑な任務だった。

 しかし、命じられては行くしかない。

 アーク王国へ向かう道中、ウィルメンテ公爵と会って愚痴ったあと、アーク王国の王都へと向かった。


 幸いな事に、アーク王国で嫌がらせを受けるような事はなかった。

 内乱が起きている状態で、リード王国を敵に回すような対応を誰もしなかったおかげだ。

 だがそれは道中で出会った貴族や兵士に関してのみ。

 アーチボルド達がどう対応してくるかは完全に未知数だった。


 カニンガム伯爵は「このまま着かないでほしい」と願ってはいたが、現実は無常である。

 馬車は順調に王都へと到着し、予定していた謁見の日もすぐにやってきた。

 この時、彼が違和感を覚えたのは謁見・・というところである。

 いつもアイザックは使者に対して会議室や応接室で応対していた。

 謁見の間で会うのは普通の事ではあるが、アイザックのせいで珍しい事のように感じてしまう。


 謁見の間には人が集まっていた。

 しかし、その数は少ない。

 戦争中なので貴族や騎士が出払っているのだろう。

 それでもこうして謁見するのは、リード王国の使者がひざまずくのを見たいのかもしれない。


(それならば望みを叶えてやろう)


 カニンガム伯爵は適度な場所まで進むと、片膝をついて首を垂れる。


「この度はお忙しい中、このような貴重な機会を与えていただき、誠にありがとうございます。国王陛下に拝謁できたことは、私の人生にとって大きな喜びであり、光栄に思います。リード王国特命大使カニンガム伯爵ジャック。ただいま参上いたしました。アイザック陛下より親書を預かっております。まずはご確認をお願いいたします」

「よかろう」


 アーチボルドの側近がカニンガム伯爵から親書を受け取る。

 それはそのままアーチボルドのもとへと届けられた。

 彼はすぐにその内容を確認する。

 すると、見る見るうちに彼の顔が紅潮していった。


「セントクレア地方にエルフを送り込むだと! そのような事を認められるか!」


 アイザックの親書には「大量のエルフをセントクレア地方に送り込み、堤防の修復作業を行いたい」という内容が書かれていた。

 それだけならば検討の余地もあったが、アーク王国側には認められない理由があった。


「お前達が反乱軍と接触している事はすでに掴んでいる! 奴らの手助けをするつもりだろう!」


 そう、彼らはリード王国と反乱軍が接触しているのを知っていた。

 だからアーチボルドは、アイザックの申し出に怒ったのだ。

 堂々と許可を取って、奴らの手助けをするつもりだと思って。


 しかし、話がそう単純ならばアイザックも使者など送らない。

 カニンガム伯爵を送り込んだ理由があった。

 彼はオロオロとして周囲を見回す。

 しばらくしてから恐る恐ると口を開いた。


「あの、アーチボルド陛下。申し上げにくいのですが……」

「なんだ?」

「洪水が起こったセントクレア地方を実際に統治しているのは反乱軍なので、まずは彼らにエルフの安全を保障してもらう必要があったから接触していただけなのです」

「…………」

「…………」


 気まずい沈黙が訪れた。

 アーチボルドもなにか言い返そうと考えるが、手順としては間違っていない。

 反乱軍が「絶対にダメだ!」と答えれば、アーチボルドの許可を取っても意味がないからだ。

 だから「先に反乱軍から許可を取る必要があった」と言われれば、それを非難しづらい。


「それでもアーク王国の国土である事は変わりないので、アーチボルド陛下の許可を得ようと私が参った次第でありまして」


 カニンガム伯爵は空気を読めないフリをして、事情を説明する。

 これでこの場に居合わせた者達には「リード王国はアーク王家をないがしろにしているわけではない」という印象を与えられたはずだ。

 そしてアーチボルドにも「実質的に統治しているのは反乱軍ではあるものの、アーク王国の立場を無視しているわけではない」という主張を伝えられたはずだった。

 彼は説明を続ける。


「なぜ堤防を修復するかと申しますと、今回の反乱は洪水による被害で被災者が多く出たためです。今も雨が降れば壊れた堤防から水があふれ出るせいで、セントクレア地方の復興もままならないとか。ですのでまずは堤防の修復。それからまた作付けができるように田畑の復元。エルフは魔法で家も作れますので、住居の心配もなくなるはず。反乱のきっかけとなった根本の原因を断てば、反乱軍の勢いも衰える――と、アイザック陛下がおっしゃっていました」


 周囲からは感嘆の声が漏れた。

 反乱の原因を潰すだけではなく、被災地の復旧が進めば被災者も地元へ戻るだろう。

 国外に出た戦争難民のほうはすぐに対処するのは難しいが、それでも反乱が下火になれば帰りやすくなるはずだ。

 事態の収拾に一歩踏み出せる。

 それに堤防の修復のために労役を課せばまた不満が溜まるだろう。

 安くて速やかに対処できるという、反乱軍を皆殺しにするよりかは現実的な提案だった。


 しかし、それは普通の者が考えるもの。

 アーチボルドは違った。


(反乱の鎮圧にリード王国の手を借りてしまってはアーク王国の威信が失われる。そもそもあちらの教皇が余計な事を言ったせいで、ただの洪水で済んでいたはずなのに反乱にまで発展してしまったのだ。これではリード王国にいいところをすべて持っていかれるだけではないか)


 彼はアイザックの提案に不満を抱いた。

 だが問答無用で断れるほど状況がいいものではないともわかっていたので即答は避けた。

 アルビオン帝国やトライアンフ王国からも「難民をなんとかしろ」と突かれている。

 この状況を打破するための提案を簡単に断れはしなかった。

 そこで考える時間を作るため、親書に目を落として他の話題に変えようとする。


「そちらの要求は……。ハンフリー一帯の銅鉱山の採掘権か」

「同盟国であれば無償でもよかったそうですが、今は同盟関係ではありません。ですがアイザック陛下は友好国価格で対応するとの事でした。エルフの派遣に、これまでの難民への支援。そういった出費の対価としては格安だそうです」

「……まぁ、悪くはないな」


 ハンフリーは、ウィルメンテ公爵領に近い場所にある街で、それなりの規模の銅鉱山が存在する。

 採掘権を奪われるとそれなりに痛手とはなるが、これまでの出費を考えれば悪くはない取引である。

 それはアーチボルドも素直に認めざるを得なかった。


「だがなぜ銅鉱山なのだ? この条件なら、金や銀でも要求できただろう」


 とはいえ疑問のある点は聞き出しておかねばならない。

 アーチボルドは、アイザックの言う友好国価格などという言葉を信じていなかった。

 カニンガム伯爵は、なにかを思い出そうとする仕草をする。


「理化学研究所所長を務められるパメラ殿下が望まれたそうです。なんでも銅を大量に使う研究を始める予定だとか」

「妻に贈るためにか。それならば宝石が採掘できるところを選んだほうが喜ばれるだろうに……。夫婦揃って私には理解できんな」

「偉大過ぎるお方の考えは凡人には理解できないものです。私もさっぱりわかりません」


 さすがにアイザックやパメラを非難されて黙っているわけにはいかない。

 カニンガム伯爵は、さりげなくアーチボルドに「お前も凡人だ」とやり返した。

 アーチボルドも意味を理解してムッとするが、今回は我慢した。

 一応、今のは自分の失言である。

 それと助け舟を出してもらって助かったという思いもあったので、今は我慢するべきだとわかっていたからだ。


「本当にハンフリーの銅鉱山の採掘権だけでいいのだな?」

「そのように聞いております。ただこれは反乱軍がエルフの派遣を認めるかどうか次第ですので、反乱軍との交渉結果次第となります。鉱山の引き渡しはエルフの派遣が決まったら、というのでいかがでしょうか?」

「別途エルフへの報酬を用意せねばならんという事はないのだな?」

「エルフへの報酬はリード王国で用意します。難民の対策費用を考えれば安いものですから、その点の心配はご無用です」

「ふむ……」


(堤防の修復には長い年月の間、労役を課さねばならない。街や畑の事も考えれば鉱山地帯の一つくらいは安いものか)


「ではエルフが派遣され、反乱軍が降伏すれば引き渡そう」


 アーチボルドは折れた。

 この半年以上続く内乱を収めるための苦渋の決断だった。


「えっ、それは話が違います」


 だが、カニンガム伯爵によってあっさり否定された。


「我々は堤防などを修復するまでが仕事。反乱軍の士気を挫くまでです。反乱軍との降伏交渉はそちらでやっていただかないと。ですからエルフを派遣した段階で鉱山を引き渡していただかねば困ります」


 カニンガム伯爵は愚直に話を進めようとする。

「こいつはアイザックの命令通りにしか動けない男だ」と思わせるためだ。

 そうする事で、相手が無駄に交渉してこないようにする。

 ただアイザックの提案を受けるか、受けないかの二択にさせるための態度だった。


「むぅ……」


(さすがに降伏交渉まで押し付けるのは無理だったか。まぁいい。私の手で反乱軍を降伏させれば傷ついた面子も取り戻せるだろう。それにリード王国が援軍を送り出そうとしているという噂も流れている。これ以上、奴らに介入させる口実を与える必要もないか)


 アーチボルドは「せっかく折れてやったのに」と思ったが「自分の手柄にすればいい」とポジティブに考えた。


「仕方あるまい。ではエルフが派遣されたのを確認次第、引き渡す事にしよう」


 だが渋って見せる。

 あっさりと認めては、こちらが乗り気だと思われてしまうからだ。

 渋々といった様子で銅鉱山を引き渡す事で、鉱山の価値が高いように見せるためだ。

 少しでも対等な取引に見せようと、アーチボルドも努力していた。


「ありがとうございます。アイザック陛下もきっとお喜びになられるでしょう。それともう一点お願いが」

「まだあるのか」


 アーチボルドはうんざりとした表情を見せる。


「反乱軍と交渉するのを認めるという公文書をいただきたいのです。そうしないと貴国の軍が通行を認めてくれないでしょうから」

「それくらいならばよかろう。だが通行を認めるのは被災地の復興に関する使節団のみという限定はさせてもらう」

「もちろんですとも。リード王国軍を送り込むなどといった事はしません。ですがエルフを派遣する場合、護衛部隊くらいは同行させる事になるでしょう。その場合は、また改めてお伺いいたします」

「わかっておるならばよい」


 話が上手く進んだ事で、カニンガム伯爵は胸を撫でおろす。

 この場にいたアーク王国の貴族達も表情には出さないようにしているものの、口元が少しほころばせる。

 内乱など続いても良い事はない。

 また平穏な日々が戻ってくるという安堵感から、彼らはこの状況を喜んで受け入れていた。

 それは信心深い者でも同じ。

「エルフに頼るのではなく、力を利用するだけだ」と教義に外れた事も受け入れようとしていた。

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