第710話 怒れる者達

 フィッツジェラルド侯爵やヴィンセントが怒り狂っている頃、アイザックも少しイライラしていた。


「ねぇ、こっちはどうかな? それともこっち?」


 ――ブリジットの買い物が長いからだ。


 王宮に呼び出した商人が用意した品物を一緒に見ているが、彼女はそれを楽しそうに見比べるばかりで、どれにするかなかなか決めなかった。

 しかし、アイザックも「全部買ってあげるからもういいよね?」などとは言わない。

 こうして買い物を楽しめるのも、選ぶ楽しみがあるからである。

 すべてが簡単に手に入っては面白くないという事を知っているから、彼女の行動を見守っていた。


(それにしても、なんでリード王国の一部になるなんて重大な問題をエルフはあっさり認めたんだ。もっと悩んでくれてもいいじゃないか……)


 こんな事になったのも、エルフ達の意見が予想よりも早くまとまったからである。

 ウェルロッド公爵領東部からファーティル地方の南部に広がる広大な森。

 そこに住むエルフ達は「我々の意見を王宮に直接届けられるのなら、それもいいだろう」と、リード王国の貴族になる事を決断した。

 大陸各地に点在したままでは、またどこかの国がエルフを奴隷にしようとした時に対抗できない。

 ファラガット共和国の存在が、今アイザックを苦しめていた。


(今のところ妊娠しているのはジュディスだけ。これじゃあ、体が持たないぞ……)


 そしてイラつきの一因には、妻の妊娠にもあった。

 今の状態でブリジットとまで結婚すれば体を壊しかねない。

 エルフの迅速な決断が、アイザックに命の危険を覚えさせるほど困らせていた。


「ブリジットさんは金髪なので、ルビーのペンダントとかどうですか? きっとワンポイントで似合うと思いますよ」

「うーん、ルビーもいいんだけど……。アメジストも似合うと思わない?」


 アイザックが主にイラつくのは、彼女のこの態度が原因だった。

「こっちがいいんじゃないか?」と言っても「こっちもいいんじゃない?」と何度も繰り返すのだ。

 これは婚約を兼ねたプレゼントなのでアイザックも根気強く付き合っているが、少しだけ「早く決めてくれ」と思わないでもない。

 ヴィンセント達に比べれば平和的なイラつきだった。


「それと、さ……」


 ブリジットが上目遣いをしながらアイザックの様子を窺うそぶりを見せた。


「ブ、ブ、ブリ……」


(おならかな?)


「もう、名前で呼んでって事よ!」


 彼女は「ブリジットって呼んで」と言おうとして言えなかった。

 その恥ずかしさを誤魔化すようにアイザックの肩をバンバンと叩く。


「ブリジット」

「えっ、いや、急になによっ、もう!」


 呼んだら呼んだで、彼女は頬を赤らめて顔を背けてしまう。


(そういえば、リサとかも最初はこんな感じだったっけ)


 アイザックも初々しい反応を見せてもらってもちろん嬉しい。

 嬉しいが「もうちょっとパッと買う物を決めようよ」と思う気持ちは別物である。

 アイザックはじれったい気分と戦っていた。

 そして商人も「目の前でイチャつきやがって」とウンザリしていた。


 だがアイザックも愚かではない。

 前世の父が結婚指輪を選ぶ時に「どっちでもいいよ」と反応して、母がその事を根に持っていた事を知っている。

 面倒になってきたからといって、投げやりな反応はしなかった。


「うーん……」


 アイザックは悩むふりを見せる。

 それからエメラルドのペンダントを手に取った。


「エメラルドなんてどうだろう? 他の色も似合うけど、緑は森の色。故郷を思い出して寂しくなった時、これを見て寂しさをまぎらわせるというのはどうかな?」

「エメラルド……」


 アイザックがブリジットの首にペンダントを付けてやると、彼女がニッコリと笑った。


「じゃあ、これにしようかな。……あなたも変わったわね。昔はレディに対する扱いがなってなかったのに、今はこんな風に扱えるようになるなんて」

「それは子供の頃の事でしょうに……」

「でもたった二十年くらい前の事じゃない。やっぱり人間は成長が早いわね」

「ブリジットが成長しなさすぎるだけでは?」

「もう!」

「いたっ!」


 ブリジットがアイザックの太ももをつねる。


「本当に成長しない人ですね。昔のままじゃないですか」

「あらいいじゃない。男の人って若い女の子のほうが好きなんでしょ?」

「それは人によるとしか……。そういえば、そういう事をみんなの前で言ったらダメだからね。古今東西、若さの煽りはロクな事にならないんだから」

「大丈夫だって。私もそれくらいわかってるから」


 アイザックは本気で心配していた。

 彼女は元々軽いところがあり、特に今は浮ついている。

 彼女と結婚する事で休みがなくなる事も心配だが、いつか妻達と衝突しないかも心配だった。


 アイザックにとって本当に心配な事だらけだった。

 しかし、そういったやりとりも商人にはイチャついているだけにしか見えなかった。


(国王陛下ともなると、こんな美女がなびいてくるんだなぁ。羨ましい)


 ここに一人、嫉妬で怒りを覚える者がまた増えていた。



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 ――ブリジットとの婚約とエルフの貴族化。


 このような重大な案件を持ってきたのは、大使のエドモンドだけではない。

 新領土のエルフを説得に回っていたクロードも同行していた。

 今回は彼の働きをねぎらい、世間話をするために呼び出している。


「報告は受けています。これまでお疲れ様でした。ですがアロイスさん達が貴族になったとしても、おそらく若いクロードさんに外交官としての仕事を、これからもお願いする事になると思います」

「そうなるだろうなとは思っていました。ただ、これからは若者に世間を学ばせるためにも、同行させるなどして教育していかないとならないでしょう。ウェルロッド公爵領で働いたり、交易所で働いていたりしていて人と接する経験のある者を採用していくつもりです」

「それなら早くしないと奪い合いになると思いますよ。貴族も増えますしね」


 ブリジットと結婚し、エルフがリード王国の貴族になるという事もあり、エルフの領域は侯爵領にする事となった。

 現時点で人口五百人以上の村の村長は子爵、五百人未満の村長は男爵となり、同時に各村の代官に任命される。

 慣れるまで猶予期間は与えられるが、貴族社会に参加する事になるのだ。

 人との交流に慣れた者は重宝される事になるだろう。

 これから人材の争奪戦が始まる。

 クロードもゆっくりとはしていられなかった。


「ところで、本当に爵位は必要ないのですか? クロードさんには特別に用意しましたのに」

「必要ありません。いつかは爺様の爵位を継承するのなら、それで十分です。私だけを特別というのはやめていただきたい」


 爵位を授かるエルフは村長達だけではなく、マチアス達のような長老衆にも与えられる。

 これは主に東部侵攻作戦での協力の対価と、過去にリード王国で活躍していた者達を評価するためだ。

 昔のリード王国も、エルフやドワーフだからといって爵位を与えなかったわけではない。

 だが種族間戦争が起きた時に、爵位を捨ててリード王国を離れていた。

 思い入れがある者は以前の家名と同じものを与え直すが、そうでない者は新しい爵位を与える予定だった。

 クロードは、マチアスの爵位をいつか継承するので十分らしい。


「そうですか、わかりました。そうさせてもらいます。ところでアロイスさんから聞きましたよ」


 アイザックはいやらしい笑顔を浮かべる。


「私がブリジットと結婚する事になったので、最近マチアスさんが『ワシも曾孫の顔を見たい』とボヤくようになったと。様々な村に立ち寄って、どなたか気になる方とお会いになられましたか?」


 本当は「ボヤくようになって鬱陶しい」という言葉だったが、そこまで正直に話す必要はない。

 本命の「クロードの恋愛話」こそが重要だった。

 このままだとアイザックは七人の妻を相手にしないといけない。

 だから少しだけ疲れそうにない、誰かの恋愛話を聞いてみたいという気分になっていた。

 しかし、聞かれたクロードの反応は渋いものだった。


「家族には再婚してほしいと思われている事はわかっています。実は……、そろそろ再婚してもいいかなと思っていました」

「ほう!」


 これまでクールを気取っていたクロードが、ついに嫁の尻に敷かれるところを見る事ができる時が来たのだ。

 アイザックは目を輝かせる。


「実はファラガット共和国に捕らえられていた者を嫁に迎えてもいいかと考えていたんです。彼女達も幸せになる権利がある。だからまずは私が行動しようかと」

「これまでに何度か会った事があるんですか?」

「いえ、ありません。これから会って話が合う人がいればと思っていました」

「うーん……」


 クロードの考え自体は悪いものではない。

 だがアイザックは無条件で賛同しにくいものだった。


「助け出された人を見て一目惚れしたとかなら応援できたんですけどねぇ……。それって愛ではなく、可哀想だから幸せにしてあげたいっていう同情心ですよね? どこか気に入ってとかならともかく『同情で結婚された。同情されるほど自分はみじめなんだ』って更に傷つけたりしませんか?」

「それは……、努力でなんとか……」

「いい夫婦関係になっても、きっかけが同情によるものだと知られたら、やっぱり傷つくと思います。まずは保護された人達と会ってみてから考えてもいいのではありませんか? これまで何十年も再婚を待っていたんですよね? だったらもう少しお互いを知り合う機会を作ってもいいと思います。心境の変化があったのは喜ばしい事ですが、だからといって焦ってはいけません」

「そう……、ですね……。その通りだと思います」


 クロードはアイザックの意見を聞き入れた。

 彼は「奴隷にされていた女性は不幸だ」と思っていた。

 確かに不幸だろう。


 ――だが「お前は不幸そうだから俺が幸せにしてやるよ」と結婚を迫られるのは幸せだろうか?


 きっと違う。

 一方的な決めつけは相手を不幸にする行為だ。

 そう思い直したクロードは、ちゃんと人となりを知っている相手を選ぶべきだと考える。


「これまで会った中にも魅力的な女性はいました。問題はあちらが私をどう見ているかですが」

「ならいいじゃないですか。クロードさんには、これからも色々と動いてもらう事になるでしょう。きっと会う機会がありますよ。それはそうと、心境の変化があったのなら、ご家族にご自身の口から話してあげてみてはどうです? きっとご家族も安心しますよ」

「そうします。陛下と知り合ってからのこの二十年間、本当に色々とありました。私自身の事もそうですが、陛下とブリジットが結婚するなど当時は想像もできなかった事です。願わくばそれが良き方向に動かせるよう、微力ながら尽力いたします」


 クロードが頭を深々と下げる。

 彼が頭を上げると、アイザックは手を差し出した。


「私も一人の友人としてクロードさんの心境の変化を喜んでいます。良い世界になるようにするには、一人一人の意識が大切ですから。これからもお願いします」

「もちろんですとも。そのために種族融和大臣になったのですから」


 クロードがアイザックの手を取る。

 二人は固い握手を交わす。

 彼には助けられる事が多かった。

 だから彼に関しては、アイザックも比較的素直に幸せになってほしいと思う事ができていた。


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今月分のコミカライズは村上先生の体調不良により休載です。

次回更新をお楽しみにお待ちください。

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