第709話 ヴィンセントの怒り
「また難民が増えただと!? ふざけるな! アーチボルドはなにをやっている!」
一方、アルビオン帝国でもヴィンセントが激怒していた。
財務大臣が肩をすくめる。
「日に日に難民が増えていきます。食料はありますが、どうにも予算が……」
――数十万人の難民。
彼らに食わせる食料はある。
だが継続的に食べさせるとなると大きな負担だ。
そもそもアイザックですら、三十万を超える大軍を食わせるために入念な準備をしていた。
突然現れた難民のための備えなどアルビオン帝国にはない。
日に日に増えていく難民の対処に頭を抱えていた。
「ならばどこかで働かせろ」
「国境付近の領地では、もう働かせるところがありません」
「アーチボルドの奴め! とことん足を引っ張ってくれるな!」
アーチボルドからアルビオン帝国に「難民を奴隷にはしないでほしい」という要請があった。
その時はまだ内戦も本格化しておらず、難民も数千人程度しかいなかったため承諾した。
彼らは働かせれば富を生む財産である。
だから一応は同盟国として配慮してやった。
しかし、数十万人にもなると話は変わってくる。
難民が勝手に逃げ出さないように見張りを付けるにしても、その見張りを雇う予算が必要だ。
兵士にやらせるにしても、人を動かす以上は費用がかかる。
多少ならばどうにでもできるが、数十万人もの移動には莫大な費用と時間がかかる。
当然、彼らに与える食料にも金がかかるので、それは大国のアルビオン帝国でも大きな負担だった。
「どこかへ移動させろ」
「そうしてもよろしいのですが、やはり予算が問題になります……」
「……宝物庫の一部を売り払ってどうにかしよう。これまでの略奪品をいくらか売り払えばどうにかなるだろう。それと属国にも金を出すよう言っておけ」
「かしこまりました。陛下の英断に感謝いたします」
「まったく、厄介な事態になってしまった」
ヴィンセントは平民の反乱などすぐに収まると思っていた。
だがアーク王国は鎮圧に手間取っている。
彼は「アーク王国を引き取ってくれて感謝している」というアイザックの言葉を思い出した。
(こんな事になるのならばアーク王国との同盟など受けるのではなかった。あやつらは足を引っ張るばかりだ。ここまで役に立たないとは思わなかったぞ)
――無能な味方ほど厄介なものはない。
味方である以上、理由もなく粛正する事はできないからだ。
難民もそうだ。
一応は同盟国の国民である。
入国した時に問答無用で農奴にでもしていれば、早い段階で状況は落ち着いていたかもしれない。
だがもう事態の収拾が困難な段階にまで進んでいる。
同盟国の国民だからと、配慮したせいでアルビオン帝国は難しい問題を抱え込んでしまった。
そのせいで自腹を切って状況を改善しなくてはいけなくなった。
これならば敵国だった時のほうがマシである。
敵国民であれば、入国した時点でどうとでもできたはずだ。
ヴィンセントが頭を悩ませていると、財務大臣が一つ提案する。
「陛下、属国の王や領主達に金や食料を供出させる対価として、難民を自由に奴隷として持ち帰ってもいいと伝えてはいかがでしょうか? こちらで移動させるための負担を軽減した上で、不満を最低限に抑える事ができるかと」
「ふむ……、悪くない考えだ。金を出させて、その上で荷物を引き取らせるとはな。搬送費用も奴らに負担させれば、こちらは楽になる。難民全員を帝室の奴隷にできれば将来的な収入に繋がるが、欲をかいて共倒れになってもつまらん。そうしよう」
「ではそのように対応いたします」
財務大臣が一礼して退出する。
彼も拡張戦争を続けるアルビオン帝国の国庫を預かる身だ。
仕事はできる。
(だが問題は予算がない時だ。予算のある時は頭が働くが、あやつはどんな手段を使ってでも予算を作り出すという気概が足りん。もう少し荒波に揉まれて鍛え上げられなければ困るな)
問題は大国の大臣しか経験がない事だった。
国家予算の運営は十分信頼に足る実力を持っている。
だが予算が尽きた時に「どこから金を持ってくるのか」という事に関しては頼りない。
――安定した国家、安定した領地。
もちろん優秀な人物も生まれてはいるが、彼らも積めない経験がある。
(やはりアイザックは異常だな。平和だったリード王国でなぜあのような化け物が生まれてしまったのか……)
ファラガット共和国を攻め滅ぼしたのは、アイザックの計画という事は知られている。
――戦争、内政、外交、技術開発。
すべての分野で一流である。
乱れに乱れた国ならば、時折歴史に名を残す英雄が姿を現す。
それが平和だったリード王国で生まれ育ったのだ。
不思議で仕方がない。
(そうなると、やはり子供の頃の教育が影響しているのだろう。幼い頃から家督争いで苦労していたようだからな。そうなると、やはり母親の影響が強いか)
――稀代の賢母ルシア・ウェルロッド。
彼女の噂がアルビオン帝国にも広まっていた。
それまで無名だったのに闘将、剛勇、剛槍といった肩書きを付けられるようになった、本性を隠すランドルフの影響もあるかもしれない。
だがそれ以上に、母親が家督争いで勝てるように教育を施した影響のほうが大きいと世間では見られていた。
ヴィンセントも、その噂を信じていた。
(完成品を求めるのは、まだ容易い。子供を完成品に仕上げるのが最も難しい。サンダース子爵が妻を家格で選ばなかったのは、こういう事だったのか)
ヴィンセントは親が決めた婚約者がいたが彼女との話は破談にし、継承権争いに有利な相手の娘と結婚した。
もしルシアのように権力争いで頼りにならない家の娘と結婚していれば、今のヴィンセントはなかっただろう。
しかし、彼女のような妻がいれば、アルビオン帝国はリード王国の代わりに史上最も広大な版図を築いていたかもしれない。
(だがアイザックほどではないが、息子達も悪くはない。高望みは危険だな)
ヴィンセントは皇帝でありながらも、足るを知る者だった。
(……そうか、奴か)
アイザックの事を思い浮かべた事で、ヴィンセントはある可能性に気付く。
「誰かいるか」
声をかけると、侍従が姿を現した。
「反乱軍をまとめているマクドナルドとかいう男を調べさせろ。地元の名士でもなく、誰も名前も知らなかった奴だ。たかが平民が軍を率いるなどできるはずがない。背後に誰かがいる」
――背後に誰かがいる。
対象はボカしているものの、ヴィンセントの脳裏にはアイザックが浮かび上がっていた。
(私と話が合うような奴が聖人なはずがない。おそらく教皇が受けた神託を利用してアーク王国を追い込んだに違いない。裏切り者には死をというのは、奴も同じ考えのはずだからな)
状況があまりにもアイザックに都合良すぎる。
ならば最も利益を得る者が、この騒動の真犯人だと思うのが自然だった。
(アーク王国との同盟は失敗だったな。同盟ではなく不可侵条約にでもしておけばよかった。東に防護壁を作って、大陸西部へ侵攻しようと思っていたところにこれだ)
ヴィンセントは、アーク王国との同盟が失敗だったと判断する。
だが、それで素直に諦めはしなかった。
「それとアーチボルドにも使者を出せ。これ以上内戦が長引くようであれば、我が軍が介入して早期に決着をつけるとな」
「かしこまりました」
アイザックが関わっているのなら、アーク王国の内戦は一刻も早く鎮めなければならない。
そのためには派兵も必要になるだろう。
だがそれはそれで悪くない。
アルビオン帝国の援軍のおかげで反乱が収まれば、アーク王国の権威は失墜する。
それに送り込んだ軍を使って、アーク王国をそのまま支配下に置いてもいい。
リード王国と直接国境を接する事が難点だが、同盟国の尻拭いよりは、自国を発展させるための手間のほうがマシである。
(しかし洪水が起きるほどの大雨が降る時期がわかっていたとしても、アーク王国への報復をするにしては行動が早すぎる。もっと以前からわかっていたのか? それともセスという者は自在に雨を降らせる力でも持っているというのか? ……まさか!?)
ある可能性にヴィンセントは気付いた。
(アーチボルドの奴、同盟関係を解消する前から、それをほのめかしていたのではないのか!? だとすればアイザックは手を切ったあとに追い込む計画をじっくり考える事もできただろう。それならばここまでボロボロの状態にされるのもわかるが……。やはりなぜ洪水が起きるとわかったのかがわからんな。神託によるものとなると、セスが神に選ばれた正統な教皇という事に……。厄介だな。せめてアーク王国と同盟を結ぶ前ならばどうとでもできただろうに)
今からアーク王国を捨ててリード王国と同盟を結ぼうとしても、きっとアイザックは断るだろう。
裏切り者とその協力者をまとめて叩き潰すチャンスなのだ。
(我が国も危ないとなると、本気で軍を動員――厳しいな)
軍を動員しようにも、やはり難民が足枷となった。
リード王国軍に備えられる規模の軍となると、かなりの大動員になる。
そうなると難民に回す食料を運ぶ余裕などなくなってしまうだろう。
難民を放置して暴動でも起こされれば厄介だ。
仮に難民を虐殺するとしても、数十万人を殺すのは実質的に不可能だし、それだけで莫大な労力を払う事になる。
少人数の時ならばともかく、今となっては手遅れだ。
(我が軍の動きを鈍らせるために難民をこちらに誘導でもしたか? まさかな……)
疑い始めればきりがない。
相手を甘く見るのはよくないが、過大評価し過ぎてもよろしくない。
ヴィンセントはアイザックの事を考えるのをやめ、目の前の問題に取り組もうとし始める。
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