第711話 ケンドラの涙

 年が明けると、ウェルロッド公爵家とウィルメンテ公爵家を集めた。

 それはとても重要な話をするためである。


「とうとうこの日が来たか……」


 アイザックは感慨深く呟く。


 ――そう、来年はケンドラが王立学院に入学する年なのだ!


 ケンドラは母に似てどこかおっとりとした落ち着きのある大人のような風格がある。

 しかし、ローランドとデートする時は、ちょっぴりヤンチャなところを見せるらしい。

 アイザックも見た事のない姿を見ているローランドに、彼はそれなりに強い嫉妬を覚えてしまう。


 ついでにローランドも入学である。

 彼はフレッドを彷彿とさせるような立派な体格に育っており、武の名門を継ぐにふさわしい逞しさを持っていた。

 フレッドと違うところは、その顔に知性を感じさせるところだろう。

 ウィルメンテ公爵も必死になって教育したのかもしれない。


(でもこいつはケンドラの婚約者。ケンドラを連れていく悪の首魁だ! でもケンドラの婚約者だから露骨に処罰する事もできない……)


 だが、それはそれ。

 彼が立派な若者になればなるほど、ケンドラが気に入る危険は増す。

 妹の心を奪わせるつもりは、まだアイザックにはなかった。

 とはいえ、一応は妹の婚約者である。

 その感情を表には出さず、それなりに配慮をしてやらねばならない事は理解していた。


「私も入学する時は緊張しつつも楽しみにしていました。懐かしいです。あれから十五年――十五年も経つんだなぁ……」


 リサが過去を思い出して、一人でへこむ。

 もう十五歳も年を取ってしまった。

 その覆しようのない事実が彼女の心を痛めつける。


 そう、この集まりにはアイザックの妻達も参加していた。

 ウェルロッド公爵家からは、祖父母に両親、ケンドラの五人。

 ウィルメンテ公爵家からは、ローランドとその母親のナンシーの二人である。

 ウィルメンテ公爵自身は、ハーミス伯爵達への支援が必要になった時のために領地に留まっているので、この場にはいなかった。


 彼らに対し、アイザックと妻で七人。

 王家だけで二つの公爵家からの出席者人数と同数である。

 ここに子供を連れてくると収拾がつかなくなる。

 主役はケンドラなので、今回は子供を同席していなかった。


「私達も入学なんて十年前になるしね。結婚してからは日が過ぎるのが早く感じられるようになったよ」


 ティファニーもリサの言葉に乗ってきた。

 だが彼女は年齢を気にしていないようだ。

 まだ二十五歳か、三十路に入ったかという差が大きいのかもしれない。


「卒業まではあっという間だから、学生生活を楽しんでね」

「私達が……、色々ありすぎた……、だけ……」


 アマンダの言葉に、ジュディスが茶々を入れる。

 彼女達の年代は、本当に色々な出来事が多すぎた。

 そのせいでゆっくりできる時間も少なく感じたのだろう。

 もっとも、彼女達はアイザックを追いかけるのに忙しかったというのもあるので特殊な類だった。


「陛下が卒業されてからの一年は、とても寂しいものでした。二人で通えるというのは幸せな事だと思います」

「でもジェイソンのような事が起きると、とても辛い思いをする事になります。魅力的な相手と出会ったからといって、お互いに裏切るような事はしないようにね」


 ロレッタとパメラがかけた言葉は含蓄があるものだった。

 彼女達でなければ説得力がなかっただろう。

 もっとも、パメラの言葉は他の者でも説得力はあったはずだ。


「もちろんですとも。ケンドラの事は大切にしています」

「ローランドはとても優しい人ですから、きっと大丈夫です」


 ケンドラは、ローランドが優しいから大丈夫だと言った。

 しかし、ニコルに狙われた者達はそれまでの性格から打って変わってしまった。

 その事から、今のところ優しくても、それがずっと続くという保証にはならなかった。


「ケンドラと同年代に、ニコルのような娘がいるという噂は聞いていない。むしろケンドラが男達を魅了しないか心配しないといけないんじゃないかな。こんなに輝いている美少女はそうそういないぞ」

「もう、お兄様ったら。相変わらずですね」


 アイザックが兄馬鹿っぷりを発揮する。

 褒められて悪い気はしないが、それでもケンドラは恥ずかしさの方が勝っていた。

 成長するにつれて、兄のシスコンぶりに気付くようになっていたからだ。

 しかし、今日のケンドラは本当に光り輝いていた。


「そのペンダントも似合ってるよ。それが似合う年になったんだね」

「今日はお祝いをしてくれると聞いたから、初めて付けてみたの」


 ケンドラの首には豪奢なペンダントが付けられていた。

 それはかつてアイザックが贈ったドワーフ製のものである。

 贈った当時は三歳だった彼女も、今では宝石が似合うレディとなっていた。

 妻達にも似たクオリティーの物を贈っていたが、王妃が所有する物にも負けない立派なペンダントである。

 まだ若いケンドラには、付けるには勇気が必要なものだった。


「いつかお姉様達のように、宝石に負けない美しい女性になりたいです」


 ケンドラの言葉で、今度は妻達が照れる番だった。

 彼女はお世辞を言う事もあるが、小さな頃から慕ってくれているのがわかっている。

 きっと本物の言葉だろう。

 それだけに気恥ずかしさを覚えていた。

 先ほどアイザックに褒められたケンドラの時と同じである。


「お兄様のプレゼントも嬉しいけれど、婚約者からのプレゼントだったらもっと嬉しいだろうなぁ」


 ケンドラはローランドに視線を投げかける。


(やれやれ、まったく。魔性の女に育っちまったな)


 妹がおねだりする姿を見て、アイザックは思わず「俺が買ってやる!」と言いそうになってしまっていた。


 ――だがローランドは違う。


「それは無理だよ」

「えっ……」


 彼は無下にもケンドラのおねだりを断った。

 アイザックは怒りに震える。


「アーク王国では内乱が起きている。もしかしたらリード王国にも飛び火があるかもしれないんだ。そんなに立派なペンダントを買うお金があるのなら、その分を兵士の装備や食料の備蓄に回すべきだと思う」

「ローランド……」


 ケンドラが目に涙を浮かべる。

 それを見てアイザックの怒りが爆発した。

 彼は立ち上がると、ローランドのもとへ一直線に向かう。


 ――そして、ローランドの胸倉を掴んだ。


 しかし、アイザックも経験を積んでいる。

 これからする事のアリバイを作ろうとしていた。


「お前も家族だ」


 そう言ってから、ローランドの顔面に拳をお見舞いする。


「だから今回はこれで許してやる」


 本当は何度でも殴ってやりたい。

 だがウィルメンテ公爵家との関係が断絶してしまうのは避けないといけないという意識は残っていた。

 内戦の火種を残してしまっては子供達が困るかもしれない。

 だからギリギリのところで踏みとどまった。


「やめて!」


 アイザックを止めたのは、泣かされたケンドラだった。

 彼女はアイザックの手をローランドから引き離し、彼の顔をギュッと抱きしめた。


「なんでこんなひどい事をするんですか!?」

「なんでって、お前を悲しませたから……」

「私は嬉しかったの!」


 ケンドラの返事は、アイザックだけではなく、この場にいた者達を驚かせた。


「なぜだ?」


 当然、アイザックは理由を聞き返す。


「だって私がわがままを言っても、ローランドはいつも笑顔で受け入れるばっかりだったもの。彼は私の言う事になんでも従う召使いじゃないの。私の婚約者なのよ? 意見がぶつかる事があってもいいじゃない。だから否定してくれて嬉しかったの! なのに、なんでローランドの事を殴るの? お兄様なんて大っ嫌い!」


(ケンドラに嫌われた……)


 アイザックは世界が崩壊したような気がした。

 あれほど可愛がっていた妹に否定されたのだ。

 その衝撃は計り知れない。


「あ、あの。それは私達が悪かったのだと思います」


 ナンシーが状況の説明を始める。


「メリンダやネイサンの事もあったので、ケンドラの願いはできるだけ叶えてあげなさいとローランドに言い聞かせていました。そのせいでかえってケンドラに辛い思いをさせてしまっていたのでしょう」


 彼女の説明は端的でわかりやすいものだった。

 ウィルメンテ公爵家は、ウェルロッド公爵家との関係を改善するために細心の注意を払ってきた。

 ローランドにも、その事をしっかり教え込んできたのだろう。

 それが逆にケンドラを傷つける事になっていたのかもしれない。

 今回、彼女もその事に気付いたようだ。


「そう教えられていても、国のために必要な事だと思えばはっきりと意見を言える。立派な若者に育ちましたね」


 ランドルフがローランドを褒める。

 彼が立派に育ったという方向に話を逸らす事で、少しでもアイザックの行動の印象を薄れさせるためでもあるが、同時に本心でもあった。


「そうね、プレゼントを渡すだけが愛ではないですもの」


 ルシアもランドルフの流れに乗った。

 アイザックがケンドラを溺愛していた事はよくわかっている。

 この場はなんとしても切り抜けなければならない。

 そのためにも突破口を探す時間が必要だった。


 ――だが、その突破口はローランド自身によって切り開かれる。


「ケンドラ、そんな事を言わないで。僕は嬉しかったんだ」

「なにを言っているの?」

「だってさ、陛下は……。義兄上は僕に『お前も家族だ』って言ってくれたんだよ。その事が嬉しいんだ」


 ローランドは本気の口調だった。


「メリンダ叔母上の事もあって、兄は義兄上を敵視していた。だからウィルメンテ公爵家の次男がケンドラの婚約者になって不安だったんだと思う。これまでずっと敵を見るような目で見られていたような気がしたんだ。でもそれは違った。ウィルメンテ公爵家から来たお客様扱いじゃなく、義弟として扱ってくれたんだ。義兄上に初めて家族として認められて嬉しかったんだ。ありがとうございます、義兄上。あっ、義兄上と呼ぶのはまだ早かったですか?」

「……いや、いいんだ。義兄上と呼んでくれても」


 ――ローランドが真っすぐな子に育っていてくれて助かった。


 アイザックが保身のために放った言葉が、一応は効力を発揮してくれたらしい。

 しかし、この状況はアイザックにとって辛いものだった。


(本当に義兄上と呼ばせていいのか? これじゃあ、ケンドラを差し出して許してもらおうようなものじゃないか。ウィルメンテ公爵家の力は必要だけど、本当に必要なものだろうか? けど、ケンドラはローランドの事を気に入っているようだし……)


 ――ケンドラを取るか、ウィルメンテ公爵家を取るか。


 いつもならばケンドラのほうを即断していたが、それもケンドラ自身の気持ちを考えると難しかった。

 そこに助け舟が出される。


「もう、陛下ってば。ローランドさん、ごめんなさいね。私がチャールズに別れ話を切り出された時も、陛下は彼に殴りかかったの。普段は暴力なんて振るわないのに、身内の事になると手が出てしまうみたいなの。それだけケンドラの事を大事に思っているのだと思うし、大事にしているケンドラの婚約者として認めたのも大きな一歩だと思います」


 ティファニーが、アイザックの行動をフォローする。

 チャールズを殴ってアイザックが停学処分になったのは有名である。

 それを持ち出す事で、今回だけの特別な対応だったと伝えようとしていた。


「はい、ティファニー殿下。僕もケンドラの婚約者として恥ずかしくない大人になれるよう頑張ります!」

「ふふふ、頑張ってね」


 周囲のフォローにより、ローランドを殴った事がうやむやになろうとしていた。

 なにより、そういう雰囲気になったのはローランド自身のおかげでもある。

 こうなってはアイザックも「ローランドを認めない」と言い出し辛くなっていた。


(くそっ、これが計算による行動だったら、とんでもなく腹黒い奴だぞ! そんな奴にケンドラを渡していいのか? ……でもこんな事を考えていて子供達に顔向けできるだろうか?)


 自分が腹黒いからこそ、他の人間もそうだと思ってしまう。

 アイザックはケンドラに嫌われたという事実を簡単には受け入れられず、なんとかローランドを悪者にしようとしていた。

 しかし、一応は彼に助けられた形となったのだ。

 恩を仇で返しては子供達に顔向けできない。

 ここはアイザックが断腸の思いで大人になるべきだった。


「ローランド、すまなかった。私はリード王家、ケンドラはウェルロッド公爵家。一緒に暮らさなくなって久しいのに、ケンドラの事を理解していると思ってしまっていた。二人の関係に詳しくないのに口出しをするべきではなかったと反省している」

「いえ、いいんです。義兄上と呼ぶいいきっかけになりましたから。これから王都で暮らす事になるので、義兄上と話をする機会が増えると嬉しいです」

「ああ、お前も家族だ。これから仲良くやろう。義兄弟喧嘩とかはなしでな」


 今回はアイザックが折れた。

 そして今回の敗北は、ケンドラとローランドの仲を認めなくてはならないという失態へと繋がる。

 みんなにとっては良い事なのだが、アイザックにだけは久々の惨敗という結果になっていた。


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急に寒くなってきてちょっと体調を崩して集中が続かないので、今週の金曜日はお休みです。

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