第694話 アルビオン帝国皇帝との会食
アーク王国の王都グローリアス。
この街の周囲には平原が広がり、水源も豊富なため昔から栄えていた。
教会の本庁もあったので多くの人が行きかう交易の中心地でもある。
だからかリード王国の王都と比べても遜色のない大きな都市だった。
ロックウェル王国の旧王都も規模では負けていなかったが、活気ではこの街の足元にも及ばない。
リード王国の後ろ盾があったとはいえ、アルビオン帝国が攻めあぐねていた国だ。
文化的にも経済的にも、アーク王国は侮れない。
この国を攻め滅ぼすのなら正面からぶつかっては被害が大きくなる。
やはり、いつものようにまともに戦えないような状態にしてから攻撃を仕掛けるしかないだろう。
アイザックがそんな物騒な事を考えているとは露知らず、王太子のフューリアスが出迎える。
いくら同盟関係を解消したとはいえ、リード国王を出迎えるのに相応の人物を迎えに出したらしい。
アーク王国に期待を持っていないアイザックも、出迎えが役人Aといったモブであれば不快に思っていただろう。
さすがにそこは配慮したようだ。
「実はヴィンセント陛下が、アイザック陛下との会食をご所望です。他国の国王陛下が集まってくるまでまだ日がかかるので、一度ご一緒に食事をいかがでしょうか?」
「ヴィンセント陛下からのお誘いですか。それは断るわけにはいかないでしょうね」
――ヴィンセント・アルビオン。
家名が示すようにアルビオン帝国の皇帝である。
その彼がアイザックが到着すれば一度会いたいと望んでいる。
アイザックとしても「初めての人と一緒に食事をするのは気を遣うから嫌だ」などと言っていられない。
そもそも、初めて会う人が多い会合である。
それ以前に「サシで会うのを逃げた」などと思われるわけにはいかない。
会わないという選択は最初からなかった。
「では、ヴィンセント陛下にご確認ののちに日程をお決めいただくこととしましょう。アイザック陛下からレストランのご希望がなければ、王宮で開かせていただきたいと考えているのですがいかがでしょうか?」
「レストランですか……」
(そういえば出された物を食べるだけで、食べ歩きとかあまりしてこなかったな。帰ったらみんなとどこかに食事に行ってみるのもよさそうだな)
アイザックはこれまで最高の環境を用意されていた。
だからたまに外で食べるのは庶民向けの安い料理屋くらいで、それも食べに出かけたのは数えるほど。
外へ食べに行かずとも、自宅で最高級レストランの味を出してもらえていたから困った事もない。
そのためアイザックはレストランで食べるという行為に興味を持った。
「どこにするかはヴィンセント陛下にお任せしましょう。私はこの街のレストランに詳しくありませんので」
「かしこまりました。ではそうお伝えしておきます」
(とはいえ、レストランとはならないだろうな)
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(やっぱり)
アイザックの予想通り、どこかのレストランとはならなかった。
王宮での会食となる。
(アーク王家としては、俺とヴィンセントの二人が自分達の知らない話をされるのは面白くないだろう。『王宮でどうぞ』と親切心で場所を提供しながら、堂々と同席するつもりだとはわかっていたさ)
弱小国ではないとはいえ、リード王国とアルビオン帝国が結託すればアーク王国など吹き飛んでしまう。
最初の対面に同席してお互いの様子を見ておきたかったのだろう。
アイザックがアーク王家の立場なら同じ事をしただろう。
そのため彼らの魂胆は見抜きやすいものであり、抗議するほどのものでもなかった。
「アルビオン皇帝陛下とリード国王陛下が直接会うのは二百年来なかった事。こうして我が国でこのように話し会う機会ができた事は私としても光栄です」
アーク国王のアーチボルドがホスト役を務める。
そしてそれぞれが自己紹介を済ませる。
今回、リード王国側の出席者はアイザックだけだったが、アルビオン帝国側は違った。
「この子は私の娘のエメラインだ。今回の会合はいい相手を見つけてやるのにちょうどいい機会だと思って連れてきた。どうだ、可愛い子だろう?」
「ええ、お美しいお嬢さんですね」
「ああ、この世で一番美しいだろう?」
エメラインは確かに美しい。
しかも彼女は気品を感じさせながらも、他者を寄せ付けないという雰囲気を持っていなかった。
話しかけやすそうな人の好い印象を持たせる。
ヴィンセントは五十前後の「確かに皇帝っぽい」とアイザックに思わせる威厳を持つ男。
正反対の印象を持たせる親子だった。
「そう思います。ただエメライン殿下の世代では、と言わせていただきますが」
「ほう、それでは誰がこの世で一番美しいと思うのか教えてほしいものだ」
ヴィンセントは挑戦的な目でアイザックを見る。
アイザックは、その目をフッと軽く受け流した。
「ケンドラです。でもそれもあの子と同じ世代の中ではという事になりますね。あとは娘達も同世代の中では一番でしょう」
アイザックは「この世で一番」という言葉を無視した。
彼には誰か一人を選ぶ事などできない。
だから「同世代では」と限定的な表現をした。
これならばみんなに「この世で一番」という肩書きを与えられる事になる。
誰か一人だけ選んで一番を与える事など、アイザックにはできなかった。
みんなが一番だからである。
そんなアイザックの答えにヴィンセントは一瞬困惑してみせた。
だがすぐに気を取り直して次の話題へと移る。
「末っ子だからか可愛くてたまらなくてな。この子と結婚した者には国の半分を与えてもいいと考えている」
「ほう、それは凄いですね。今回の会合で彼女にふさわしい男が見つかる事を願っていますよ」
この状況でこのような話をされるのだ。
アイザックに向けて「娘を嫁にもらわないか?」と持ち掛けてきている事はわかっている。
だがアイザックは彼女に興味を持たなかった。
身長はロレッタくらいだろうか。
しかし、アマンダほどではないがそのスレンダーな体付きはアイザックの好みではなかったからだ。
美しく、アルビオン帝国の半分を貰えるとはいえ、彼にとってはどうでもいい。
――なぜなら、もうこれ以上妻は増えてほしくなかったからだ。
もし彼女が一目見て「あなたと結婚したい」と声が漏れるほどの美女だったとしても、実際にはアイザックは結婚しないだろう。
それほどまでに夜の生活に疲れていた。
だからアイザックは空気を読まずに他人事のように答えていた。
「家族連れでもよかったのならば、私も連れてくればよかったですね。子供には世間の広さを教えてあげたいですからね」
「……その通りだ」
(なんで突然不機嫌になったんだ? 自分から食事に誘っておきながら、それはないだろう。器の小さい奴め)
娘との結婚に興味を持たなかったからか、ヴィンセントは露骨に不機嫌になった。
その事にアイザックは心の中でバカにする。
だが彼自身、娘をコケにされた事でアーク王国を滅ぼそうと決めたので、彼をバカにする権利はない。
今回の会食中、ヴィンセントはずっと難しい顔をしていた。
ホスト役のアーチボルドやフューリアスが必死になって、両者の間を取り持つように話を盛り上げようとする。
彼らは「これなら王宮に招かず、最高級のレストランを紹介しておけばよかった」と後悔していた。
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会食後、ヴィンセントは迎賓館に戻って側近を集める。
「あのアイザックという男、只者ではないぞ。女好きという噂だったが、エメラインとの結婚をチラつかせても眉一つ動かさなかった」
「リード王国には国を乱した傾国の美女がいたはず。アイザック陛下と同世代なので、彼女の印象が強かったのではありませんか?」
「……かもしれん。だがエメラインと結婚した者には国の半分を譲るとまで言ったが、そのような条件を提示してもまったく反応を見せなかった。それがどういう意味かわかるか?」
側近達は顔を見合わせて悩む。
その中の一人が口を開いた。
「最近、十一人目の子供が生まれたと聞いています。ですから女に興味がないという事はないでしょう。あちらはその話題の時、なにか話していませんでしたか?」
「エメラインは同世代では一番だろうと言っていた。その時、妹や娘達も同世代では一番だと言っていたな」
「ではエメライン殿下を利用して、娘達の価値を高めようとしていたのではありませんか? エメライン殿下は殿下の世代では一番美しい。そして自分の娘も同世代では一番美しい。そう答える事で、自分の娘達にもエメライン殿下と同じ価値があると主張する気だったのではないでしょうか?」
ヴィンセントは部下の考えに納得できるところがあると思った。
しかし、彼はもっと違うものを感じていた。
「その可能性もあるか……。だがあまりにも自然だった。自分の娘が世界一の美しさだと本気で信じているかのように見えた。それにエメラインと結婚すれば国の半分をやると言った時もそうだ。まるで自力で簡単に我が国を奪い取る事ができると言わんばかりに、結婚に興味を持っていなかった。あれは恐ろしい男かもしれん」
「アルビオン帝国と戦おうなどとは思っていないでしょう。エリアス陛下の治世でアイザック陛下は、無欲な忠臣という評価をされていました。本気で他国の領土に興味がなかっただけではありませんか?」
「その無欲な男は、ファーティル王国とロックウェル王国を取り込み、気が付けばファラガット共和国とグリッドレイ公国を飲み込んでいたぞ。本当にたまたまエルフやドワーフを救うために戦争を仕掛けたと思うか?」
結果を見れば、アイザックはアルビオン帝国にも負けないほど野心的で攻撃的な君主だった。
最も「無欲な忠臣」という評価からは遠い存在である。
「しかも奴は『自分も子供に世間の広さを見せてやりたかったから連れてくればよかった』とまで言ってきた。私に『領土の分割をちらつかせれば飛びつくような者ばかりではない。ガキのように了見の狭い奴だ』と遠回しに小馬鹿にしてきた。腹立たしい奴だ!」
語気は荒いが、ヴィンセントの表情は笑みを浮かべていた。
「奴はこのアルビオン帝国皇帝を前にしても一歩も引かなかった。まるで本当に食事にきただけのように平然としていた。奴は只者ではない。それは認めよう。そして奴と同じ時代に生きている事に神に感謝する。あのような挫折を知らぬ者を屈服させるほど楽しい事はないからな。お前達はリード王国の事を今以上に調べておけ。今回の会合はきっと面白い事になるだろう」
――アルビオン帝国皇帝ヴィンセント。
彼は帝位を継承してから周辺国に戦争を仕掛け、帝国の版図を最も広い範囲に広げていた、帝国史上最も偉大な皇帝である。
ジュードの時代にウェルロッド公爵家とも因縁があるため、アイザックと対峙する日を楽しみにしていた。
そして、それはアイザック本人と会ってから、より強いものへと変わっていった。
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