第684話 ブリジットとの結婚話、再び

 エルフから会談の申し込みがあった。

 用件はブリジットとの婚姻についてである。

 正直なところ、アイザックは「まだ諦めていなかったのか」とうんざりした。


(もう六人と結婚しているんだぞ。これ以上はきついんだよ! 神様だって六日働いて一日休んだだろ!)


 ――七人目の妻。


 新しい妻を持つのはアイザックもきつい。

 彼女と結婚すれば休む日がなくなる。

 これまではパメラと過ごす日は休めていたが、帰国以来休めなくなっている。

 これ以上は本当に厳しい。

 いや、苦しい。

 もうブリジットの入り込む隙などなかった。


 だが大使のエドモンドだけではなく、アロイスやマチアスまで連名で会談を申し込んできたのだ。

 戦争で手助けしてもらった借りもあるので無下に断るわけにもいかない。

 彼らの要求通り、モーガンとランドルフ、ウィンザー公爵を同席の上で会談を開く事となった。


「私の答えは変わりませんよ」


 会談の流れを握るべく、アイザックが先制する。

 その言葉にエドモンドが怯えてみせた。


「我らの同胞がファラガット共和国で酷い扱いを受けていたという話を聞いて、私は心が張り裂けそうになりました。やはり人間は信用ならない存在なのだと恐ろしくなりました。ですが私は絶望しませんでした。我らの良き友人であり、信頼の置ける人間がいる事を知っていたからです。それがアイザック陛下なのです」


 ――最も信頼できる人物としてアイザックの名を挙げる。


 そうする事で、まともに話を聞こうとしないアイザックが悪者扱いになる雰囲気となった。

 これではアイザックも、本物の悪者にならないために話を聞く姿勢を見せるしかない。


「王族にエルフの血が入る事によって、現状に不安を覚えるエルフを安心させる事ができるでしょう」

「それではブリジットさんはエルフという種族の安全のために生贄に差し出されたと思う者も出てくるのではありませんか?」

「アイザック陛下のお人柄から、そのような邪推をする者はいないでしょう。何よりもブリジット本人も陛下に対して好意を持っているというのが大きいです」


 アイザックが「ブリジットはエルフのための生贄代わり」という見方をされるのをこれまでの話し合いで恐れている事を知っていた。

 だからその心配はないと主張する。

「政治的な結婚は嫌だ」とアイザックは断れない。

 パメラに関する事実を知らない者達には、リサとティファニー以外は全員政治的な要素から結婚したと思われていたからだ。

 ほとんど政治的な理由で王妃に迎えておきながら、ブリジットだけを断るのはまずい。

 それはブリジットだけではなく、エルフ自体を軽んじていると思われかねないからだ。


 ――アイザックが、この話に乗り気ではない。


 その事を見て取ったモーガンが「エルフと繋がりを持てるのは悪くない事なのに」と、外務大臣として残念に思いながらも助け船を出す。


「本人とご両親も同席している前で言いたくはないが、外務大臣として言っておかねばならない事がある。ブリジット殿とは私も長い付き合いがある。だから正直なところ、彼女に王妃が務まるかについて不安がある。他の娘ではダメなのだろうか?」


 モーガンの言葉に、ブリジットが体をこわばらせる。

 そして、今にも飛びかかりそうなほど凄まじい形相で彼を睨んでいた。


「正にこれですな。後宮内で掴み合いの喧嘩、場合によっては魔法を使った喧嘩をされては困る。もう少し穏やかな娘ならば、大臣として陛下に進言もできるのだが……」


 ブリジット自身の行動により、モーガンの不安は的中している事を証明していた。

 アイザックは「爺ちゃんナイス!」と内心小躍りしていた。

 対して、出鼻をくじかれたエルフ側の表情は暗い。

 だが黙っているわけにもいかないので、アロイスが口を開いた。


「ブリジットは穏やかなほうです。例えば――陛下が以前モラーヌ村を訪問された時の事を思い出していただきたい。村の子供達は魔法を使って遊んでいたでしょう?」

「そうですね。私も風の魔法で作ったクッションなどを楽しませていただきました」

「では彼女がウェルロッド公爵家に滞在していた時、遊びで魔法を使っておりましたでしょうか?」

「……いいえ、覚えがありません。私達が頼んだ時か、誰かが怪我をした時くらいでした」

「そうでしょうとも。ブリジットを大使に選んだのは、彼女が陛下と初めて接触したエルフだというだけではありません。若者の中では比較的分別がつく方だったからです」

「くっ……」


 アロイスの言葉に、エドモンドやマチアスが恥辱にまみれた表情を見せる。


(えっ、本当に彼女がマシだっていうのか? そりゃあ村ではみんな気軽に魔法を使ってたけども)


 彼らの表情を見て、アイザックはそう思った。

 思い返せば基本的に頼まれた時に使うくらいで、確かにブリジットは軽々しく魔法を使っていない。

 一応は自制ができていた。

 それに対して村の子供達は気楽に魔法を使っていた。

 あの子達が大使として来ていれば、もしかすると大混乱が起きていたかもしれない。


「ウチの娘が分別ついているというのなら、そんな嫌々認めるしかないみたいな態度を取らなくてもいいじゃないですか……」


 ブリジットの父、ユーグが不満を漏らす。

 だがそれも彼が父親だからであって「他の子よりはマシという程度」という事実は認めるしかなかった。


「ブリジットが最良の選択だという説明をしなくてはならなかったのだ。すまない」


 アロイスが謝る。

 ブリジットは腹を立てたが、それでもこの場で行動するのは我慢した。

 昔ならば噛みついていただろう。

 彼女も成長しているのだ。


「それにここ数年はウェルロッド公爵夫人の教育を受けている。まさか公爵夫人の教育に不備があったのでしょうか?」

「いや……、ないはずだ。問題はどこまで教育が終わっているかでしょうな」


 モーガンもマーガレットの事を持ち出されると、これ以上は否定しづらかった。

 公爵夫人のマーガレットの教育を受けているのなら、名目上が王妃候補として十分である。


 ――人格面ではエルフの若者の中ではマシ。

 ――教育面では公爵夫人の教育を受けている。


 ブリジットの事を強く否定すれば、教育を行っていたマーガレットの責任も追及されるかもしれない。

 モーガンは、これ以上否定する事はできなくなった。

 彼ができるアイザックの援護もこれまでである。


「ウェルロッド公爵夫人の薫陶行き届いたエルフの娘。これほど王妃に最適な者が他にいるでしょうか?」


 エドモンドはモーガンが黙ったところで攻勢を再開する。


「もちろんすでに愛する妻子がいる以上、正室にしてほしいなどとは申しません。ただ序列には我らとの関係を考慮してほしいという要望はありますが」


 ウィンザー公爵は宰相であり、パメラの祖父である。

 彼を敵に回すよりかは味方にするほうがいい。

 パメラのライバルにはならない事をアピールし、エドモンドは彼に邪魔されないように牽制する。

「我々はあなたの邪魔をしない」と伝えるためにウィンザー公爵も呼び出していたのだ。

 彼の狙い通り、今のところウィンザー公爵も静観する。

 パメラの邪魔をしないのならば、リード王家の立場を強化する婚姻に強く反対はしないつもりだった。


「ブリジットさんと結婚するつもりはないという私の意見を聞く気はないと? エルフが不安に思うからというだけで強引に嫁がせられるほど王家の権威は軽いと思われているのですか?」


 だが肝心のアイザックが反対の立場をはっきりと表明する。


「いえ、リード王家を軽んじているわけではありません」


 慌ててエドモンドが否定する。

 確かに婚姻関係を結ぼうとしていたが、それはアイザック、ひいてはリード王家の存在を重く見ているからだ。

 断じて軽んじてなどいなかった。


「ふむ、おかしいな」


 慌てふためくエドモンドとは正反対に、マチアスはあご髭を撫でながらアイザックの様子を冷静に見ていた。


「これまでは断るにしても理性的な話し方をしていた。それが今回は王家の権威を持ち出した。感情が含まれているように思えるが……。その理由はなんなのだ?」


 マチアスは直感でアイザックがいつもと違う事を感じ取った。

 その理由を問う。


「私はいつも通りですが……」

「本当にそうかな?」


 アイザックも否定はするが、マチアスの鋭い視線からは逃れられない気がした。


「もう無理なんですよ……」

「なにがかな?」

「妻を増やす事がです」


 アイザックは観念して話し出した。

 父と祖父も同席しているので恥ずかしかったが、それでも正直に話さねばならない。

 話さねば、これからもずっとブリジットとの結婚を何度も申し込まれる気がしていたからだ。


「妻が六人います。毎日のように誰かの相手をしているんです。だからゆっくりと眠れるのは週に一日だけ。もしブリジットさんと結婚すれば私は休む事ができなくなる。これ以上は体が持たないんですよ」

「…………」

「…………」

「…………」


 会議室内が沈黙に包まれる。

 アイザックの魂の叫びは、それだけインパクトの強いものだった。


「あの陛下……。いや、アイザック。今は父親として言わせてもらう」


 意外な事に、この状況から最初に立ち直ったのはランドルフだった。


「新婚当初なら毎晩妻の相手をする。それは子供を作るためだ。特に後継者となる男児が生まれるまでは頑張らないといけない。でも子供が生まれれば、毎日相手をしなくてもいいんだ」

「えっ……、でも私は毎日のように誰かの相手をしていますが、妻にとっては週に一回です。相手をしてやらねばならないでしょう?」


 妻を平等に愛そうとして自分を苦しめている。

 アイザックの変に生真面目なところが出てしまっていた。


「そう思う気持ちは大事だけど、夜の相手をするだけが愛情表現ではないのよ」


 ブリジットの母、コレットが女の立場からの意見を言おうと口を挟む。


「そりゃあ求められれば嬉しいわよ。でもそういう気分の時じゃない時もあるの。お喋りをしたいと思っている時にまで求められて内心うんざりしてるんじゃない?」

「みんな積極的でしたが……」

「国王陛下に求められて嫌だって断れるの? 顔に出さないだけで、本当は二人でゆっくり過ごしたいなと思っているかもしれないじゃない。ちゃんと話してみた?」

「いいえ、そういった話はしていません」

「ならしてみるのをお勧めするわ。そうすれば余裕ができるでしょ? 無理に頑張らないでいいのよ」

「そうですね」


(おいおい、天才か! 夜のお勤めをしなくていいなんて考えた事もなかった! 一緒に寝る時に休んでもいいのならかなり楽になるぞ!)


 彼女の意見は、アイザックが考えた事のなかったものだった。

 彼は「結婚すれば夜は夫婦の営みをするもの」と思い込んでいた。

 妻がパメラとリサの二人だった時は、適度な休みを取る事ができていた。

 だが妻が増えた事で、無理をしてでも実行しなくてはならない義務と化した。


 それがコレットの言葉で一転した。

「無理に頑張らないでいいのよ」という一言で、アイザックは救われた気分になった。


「……ブリジットさんとの結婚を前向きに考えてもいい気がしてきました」

「ほんと!」


 これまで静かだったブリジットが反応する。


「ええ、本当です。ですが条件もありますけど」

「条件って?」

「条件はブリジットさんにではなく、エドモンド殿に対するものですけどね」


 アイザックはニヤリと笑う。

 エドモンドは嫌な気がした。


「ブリジットさんの立場を補強するため、エルフの住む森全体をモラーヌ男爵領としませんか? それと同時にリード王国に編入するなら伯爵として迎え入れますが」

「それは……、即答しかねます」

「エドモンド殿だけではなく、アロイス殿もこの場で答えられませんよね?」

「無理ですな」


 リード王国南東部からファーティル王国南部に広がる広大な森に住むエルフ全体の問題だ。

 エドモンドとアロイスの二人が勝手に答えられる問題ではない。

 それが問題だった。


「以前から思っていたのですよ。エドモンド殿はエルフの大使ではあるものの代表者ではない。意見を代弁するだけです。アロイス殿も同じです。エルフにはドワーフのノイアイゼンのような国という一つの集合体ではなく、村が集まっているだけ。交渉の一本化ができればいいなと思っていました」

「クロードを伯爵としてエルフの代表にするおつもりですか?」


 クロードはアイザックとの付き合いがある。

 彼を操る事で、エルフ全体を操ろうとしているのかもしれない。

 それは危険な事なので、エドモンドも慎重になる。


「いいえ、モラーヌ伯爵はクロードさんでなくとも結構です。そもそもモラーヌ伯爵位に関しては世襲でなくとも結構です。ファラガット共和国のような選挙でもいいし、長老の話し合いでもいい。モラーヌ伯爵はエルフの代表者、大統領のような存在として扱ってもいいと考えています。森に住むエルフを束ねる代表者、そのエルフを代表して決定権を持つ者の肩書きとお考え下さい」

「大統領や首相のようなもの……。ならば我らでエルフの国を作ってもいいのではありませんか?」

「それでもいいですが、出稼ぎ労働者の入出国の管理や税関など色々と面倒な事が増えますよ。それよりはブリジットさんと結婚させたいと思うほど信頼している私のもとへ来てもよろしいのでは?」


 アイザックもただでは転ばない。

 信頼を利用してブリジットを押し付けようとしてきたのだ。

 その信頼を逆手に取って、エルフをリード王国に取り込もうとしていた。

 エドモンドはアロイス達を視線を交わす。


「……侯爵ではいかがでしょうか? それならばブリジットの王妃としての序列も悪くはならないでしょう? ただ、これは正式な返答ではなく、持ち帰りとなりますが」

「侯爵ですか」


 今度はアイザックが悩む番である。

 しかし、エルフを取り込むメリットを考えれば、侯爵位の一つは安いものに思えた。

 とはいえ無償で渡す気はない。


「いいでしょう。ですが今後も戦争になるとわかれば治療要員としてエルフを派遣してもらう事。あとはモラーヌ侯爵領では税金を徴収し、その一部を王家に上納していただきます。これは他の貴族と同じですね」

「税金、ですか……」

「ええ、王国貴族になるのですから当然でしょう?」


 アイザックを信頼していると言った以上「やっぱり信頼できないからリード王国の一部になるのは断る」とは言い出せない。

「伯爵ではなく、侯爵にしてほしい」と要求したのも彼だ。

 階級が高くなれば責任も重くなるという当然の事である。

 エドモンドは自分の言葉のせいで追い込まれてしまう。 


「もっとも、モラーヌ領の税率は領主に決めてもらって結構です。その徴収した税金の一割ほどを納めてくださればいいのですよ。今ならばファラガット共和国で捕まっていた人達の自立支援などの名目で税金を設定すれば反対は弱いでしょう」

「その辺りも一度持ち帰って相談させてください。……もしリード王国に編入するのがダメだった場合、結婚はどうなりますか?」

「その場合でも結婚は前向きに考えましょう。私もブリジットさんには世話になってきたので悪いようにはしません。ですが世間的にはモラーヌ男爵家から嫁入りしたという扱いになるでしょう」


 ――侯爵家や伯爵家ではなく、男爵家からの嫁入り。


 それは社交界におけるブリジットの立場を危うくしかねない。

 肩書きというのは、それだけ重要だという事をエドモンド達はよくわかっていた。


「信頼には信頼で返します。それはこれまでの行動で示してきたはずです。ですから『若い娘を宛がっておけば満足だろう』と思わず、大人の皆さんもどう信頼に応えればいいかをよく考えてきてくださいね」

「重々承知しております……」


 エドモンド達からは「エルフの若い娘と結婚できればアイザックも幸せだろう」という考えが透けて見えていた。

 だから利益だけではなく、お灸を据える意味でもモラーヌ領化の提案はしておきたかった。

 エルフの取り込みが上手くいけば、もっと交流が盛んになる。

 出稼ぎ労働者も増えてインフラ整備も捗るだろう。

 今回の会談はリード王国に大きな利益をもたらすものになりそうだった。


(でも一番はコレットさんの話だったな。そうだ、無理に毎日子作りに励まなくていいんだよな)


 すでにアイザックは大きな利益を得られていた。

 例え破談になったとしても、アイザックは恨んだりしないだろう。

 それほどまでに夜の生活についての助言はありがたいものだった。


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今週も用事が入って時間に余裕を持てなさそうなので週末の投稿はお休みです。

また来週以降よろしくお願いいたします。

また以前お知らせした通り、村上先生の体調不良によりコミカライズの七月分は残念ながら休載となります。

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