第679話 パメラの仕込んだ罠

 アイザックはグリッドレイ地方を守るマクシミリアンとも会って、あとを託した。

 三月になると駐留部隊以外は順次帰国する。

 戦前はアイザックに複雑な感情を持っていたロックウェル地方の住民も、今度は表向きではなく心から彼を称える言葉を送った。

 二百年に及ぶ外圧を二年足らずで終わらせたのだ。

 フォード元帥を討ち取った者であろうと評価せざるを得ない。


 ファーティル地方では、より大きな歓声で出迎えられた。

 街道沿いの村々で「リード王国軍が通る」と聞いた住民が総出で見物にきていたからだ。

 戦死者も出てはいるが、動員の規模を考えれば極わずか。

 そのわずかな犠牲で圧倒的な戦果を挙げた英雄達を前に、人々は興奮を押さえられなかった。


 それはファーティル大公も同じだった。

「孫娘の婿にしたい」と思った相手が予想通りの大活躍を見せた。

 自分の見る目が正しかったと誇らしく思い、同時に「ロレッタが正室であれば」と惜しんだ。

 だが将来的にはレオンがリード王家を継ぐ。

 悔しいのは今だけだと思い、アイザック達を歓待してから送り出す。


 ランカスター侯爵領に入ってからも歓迎は続いた。

 王家直轄領に入っても帰国を祝う民衆の列は絶えなかった。


(なるほど、エリアスがパレードをしていた理由が少しわかる気がする)


 ――アイザックは神輿で、民衆は祭りを見に来た観客。


 娯楽の少ない時代なので、こうして騒げるネタが貴重なのだろう。

 民衆のガス抜きには最適なのかもしれない。

 それに大勢から称えられるのは気持ちがいい。

 まるで自分が絶大な人気を持つアイドルにでもなったかのような勘違いをしてしまいそうになる。

 癖になったらダメな気がするので、調子に乗ってしまわないよう、ほどほどにしておかねばならないだろう。

 アイザックは自分を戒める。


 王都までもう少しというところで、キンブル元帥らと会議を開く。

 議題は「誰が先頭で王都に入るか」だった。

 王都への凱旋を先導するのは名誉な事である。

 なのでアイザックが先頭を行くという方向で進むと皆が思っていた。

 だが、そのアイザック自身の意見で流れが変わる。


「先頭はキンブル元帥に任せましょう」

「この戦争は陛下が終わらせたようなもの。陛下が先導するべきではありませんか?」

「いえ、私は戦争計画を立てましたが、それを実行して成功させたのは元帥のおかげです。計画を実現できる者がいなければ、どんな計画でも机上の空論に過ぎません。この戦争に勝利できたのはキンブル元帥を始めとする軍部の作戦実行能力のおかげです。胸を張って堂々と先導を務めてください」

「本当によろしいのですか?」

「ええ、もちろんです」


 キンブル元帥は周囲の将軍達と顔を見合わせる。

 そして意を決したかのようにうなずいた。


「それでは先導の役目、ありがたく頂戴します」


 アイザックにこうまで言われたのだ。

 断るほうが失礼である。

 彼らは快く引き受ける事にした。


「よろしくお願いします。第二陣はノイアイゼンにお願いしましょうか。今回の戦争は奴隷解放戦争という一面もあるので、ドワーフやエルフとの共同戦線だったというアピールにいいでしょう。その次に各領主軍、そして私と近衛騎士団という順番でいいのではないでしょうか?」

「陛下は本当にそれでよろしいのですか?」

「かまいません。戦争は個人で行うものではなく、国家で行うものです。私が目立とうとする気はありません。むしろこれだけ活躍した者達がいると誇示できる事が何よりの名誉だと思っています」


(前王陛下とは大違いだな……)


 アイザックの言葉は、エリアスとの差を思い知らせるのに十分だった。

 エリアスは自分が目立つ事を優先していた。

 それはそれで国の安定に繋がっていたので文句はないが、文句がないだけである。

 功績を挙げた者も一緒にパレードに参加させてもらえるが、どちらかといえば添え物。

 主役はエリアスだった。


 だが、アイザックは違った。

 自分のアピールは控えめにし、手柄を立てた部下のアピールを優先する。

 しかも「優れた部下を持っている事が上に立つ者にとっての誉である」とまで言うのだ。

 アイザックとエリアスの違いは腹黒さだけではない。

 上に立つ者としての心得も正反対だった。


 しかしこれはどちらが優れているというものではない。

 ケースバイケースで考えねばならないものである。

 だが、この場にいる者には嬉しい言葉だった。

 少なくとも「自分もその心構えを持つようにしよう」と思う程度には彼らの心に響いていた。


「我が軍にも犠牲者は出た。しかし、より多くの人々を救い、新たな領土を獲得する事もできた。胸を張って帰ろう。キンブル元帥、その先陣はあなたに任せます」

「お任せください! 国民を失望させない姿をお見せいたします!」

「頼みましたよ」


 アイザックは鷹揚にうなずく。

 その姿だけは名君の片鱗を見せていた。



 ----------



(くそー! 俺が先に行けばよかった!)


 アイザックは、キンブル元帥に先頭を譲った事をすぐに後悔する。


 ――前世で見た事のある大きな凱旋門があったからだ。


(道理で帰還ルートを指定してきたわけだ。きっと昌美辺りが考えたんだろうな)


 祖父とは違い、これは良いサプライズだ。

 巨大な凱旋門を通って王都に向かうだけでも優越感のようなものを覚える。

 これならば余裕ぶって先頭を譲らず、最初に通って見たかった。

 だが過ぎてしまったものはしょうがない。

 後悔している表情は見せないように気を付けながら、帰還を祝ってくれている民衆に手を振って応える。

 やがて王宮が見える距離まできた。


(あぁ、見える。見えるぞ)


 遠い城門の上に陽の光を受けて輝く金髪のドリルヘアーが見えた。

 その周囲に他の妻や子供達の姿も見えたような気がした。

 やはり彼女の存在感は頭一つ抜けている。

 急く気持ちを抑え込んで、ゆっくりと王宮へ近づいていく。


 ――気持ちを抑えられなかったのは子供達のほうだった。


「ぱぱー!」


 城門に到着すると、子供達が駆け寄ってきた。

 アイザックは馬から降りて子供達を受け止める。

 小さいとはいえ、七人もの子供がぶつかってきたのだ。

 バランスを崩して倒れそうになるが、なんとか踏みとどまる。


「ただいま、みんな。大きくなったなぁ」


 アイザックは一人一人順番に抱き上げる。

 二年も経てば、以前に会った時とは大違いだ。

 はっきりと重みを感じるようになった。


(前もって肖像画を送っておいてよかった。これで『あんた誰?』みたいな反応をされたら泣けるからな。昌美が『子供は一年も顔を覚えていない』みたいな事を言って驚かせてきたけど、おかげで肖像画を送るという方法を取れたしよかった)


 子供の成長も嬉しいが、何よりも顔を忘れられていない事が嬉しかった。

 地道な行動が功を奏したらしい。

 子供達の歓迎を受けていると、妻達も近づいてくる。

 アイザックはパメラの立場を考え、彼女を真っ先に抱き寄せてキスをする。


「ただいま」

「お帰りなさい」


 彼女は照れていた。

 中身を考えなければ一級の美女である。

 照れる姿も絵になっていた。

 アイザックは他の妻達とも、ただいまのキスをする。


「みんなには寂しい思いをさせてしまった。だけどこの戦争は必要なものだったんだ。わかってほしい」

「陛下、お帰りをお待ちしておりました」

「ボク達も寂しかったけど、子供達がいました。陛下のほうが寂しかったと思います」

「程度の差はあれど、どちらが寂しかったかは関係ないさ。これからゆっくりと埋めていこう。ところで、その子がドウェインかい?」

「その通りです」


 アイザックはアマンダの背後に付き従う侍女に抱かれている子供に目を付けた。

 そしてもう一人、同じように抱かれている子供がいた。

 そちらがバリーだろう。

 アイザックは二人に近付く。


「ただいま、ドウェイン、バリー」


 バリーのほうは眠っていて反応がなかったが、ドウェインは近付けた指を握ってくれた。

 それだけでアイザックの頬がほころぶ。


「今日は家族でゆっくりと過ごそう。明日からは宴の準備で忙しくなるからね」


 アイザックは子供達と過ごす時間を思い浮かべる。

 そして、これまで一緒に過ごせなかった分の穴埋めをしようと決意した。



 ----------



 王都に帰ってきた最初の夜はパメラと過ごす事になった。


「アイザック陛下、おつかれさまでした。栄養ドリンクをどうぞ」


 ベッドのへりに座りながら話していると、パメラがアイザックにドリンクを手渡してきた。


「おっ、気が利くね。騎乗していても長距離移動は結構疲れるんだよ」


 パメラから受け取った栄養ドリンクは、以前にも飲んだ覚えのある味だった。

 美味しくはないが、きっと効果はあるのだろう。


「二年も戦場にいたんですもの。疲れて当たり前です」

「本当に前線で戦っていた人ほどじゃないけどね」

「またまたご謙遜を」

「……さっきから気になってるんだけど、二人きりなのになんでそんな話し方なんだ?」


 パメラはどこかよそよそしい感じである。

 アイザックは、先ほどからそんな彼女の態度が気になっていた。


「この二年、私がどんな気持ちで暮らしていたのかご存じですか?」

「えっ、なに? なんだか怖いんだけど」


 彼女は微笑む。

 だが、そこに優しさはない。

 どこか獰猛さを感じさせる笑みだった。


「アマンダ殿下とリサ殿下は二度目の懐妊をしたのに、パメラ殿下はまだなのね。やっぱりお情けで結婚したからかしら? そんな陰口を偶然聞いてしまった気持ちがわかりますか?」


 パメラがアイザックの肩を強く握る。

 その痛みでアイザックは顔をしかめる。


「いや、ちゃんと愛しているから。そんな事を言った奴を処罰すればいいじゃないか」

「なりません! それではただ力で黙らせただけではありませんか!」


 彼女は力任せにアイザックをベッドに押し倒す。

 その時、アイザックは自分の体の異変に気付いた。


 ――部分的に元気になっている事に。


「お前、さっきのドリンク!?」

「周囲を黙らせる方法はただ一つ! 二人目を産めばいいのです!」

「だからさっきからパメラとしての態度を取っていたのか!」

「夫婦だからよろしいではありませんか。どうせ遺伝子もまったくの別人ですし」

「いくら夫婦でも一服盛ってというのは倫理的にどうかと思うぞ!」

「陛下にだけは倫理観がどうと言われたくありません!」

「ちょ、ちょっと待て。心の準備が……」

「さぁ、お覚悟を!」


 パメラはアイザックが気を抜くであろうこの時をずっと待っていた。

 周囲の陰口を黙らせるには「二人目を産んだ」という既成事実が重要である。

 前世の記憶の事さえ考えなければ、見た目はまったくの赤の他人なのだ。

 負けず嫌いの気がある彼女は、王妃としての威厳を保つために必要な事にためらいはなかった。


 他国の不意を突いて大勝利を収めたアイザックだったが、パメラの不意打ちには抗えずに濃密な夜を過ごす事となった。

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