第678話 義父と子の腹を割った話し合い

 アイザックも鬼ではない。

 フランクリン達の測量はグリッドレイ地方から始める事にした。

 住所を設定するのは大変だろうが、旧来のリード王国の領土から始めるよりも、まだ占領が終わったばかりの土地のほうが抵抗は少ないだろうという配慮によるものだ。

 分断工作を行っているのでグリッドレイ地方の住民からは憎まれているが、貴族が定着している土地よりまだマシなはずだ。

 彼らは感謝の涙らしきものを流しながら任地へと送られていった。


 帰国までの間、エルフやドワーフも有効活用する。

 ちょうど大勢集まっているので、エルフにはロックウェル地方の浄化をしてもらっている。

 だが鉱毒が流れ出ているところを浄化しても目に見えるわけではない。

 住民は不安を覚えているので、作物を植える心理的抵抗は時間をかけてどうにかしていくしかないだろう。


 ドワーフには高炉の製造方法の伝授や運用などを頼んだ。

 彼らも同胞を救い、戦争が終わった事で気が緩んだのだろう。

 久々の物作りに精を出し、各種工房にも顔を出して技術交流を行ってくれている。

 意外と教えたがりが多かったので、ロックウェル地方の職人はこの機会にドワーフの技術を学ぼうとしていた。


 リード王国軍も春の帰還に備えて準備を進めていた。

 その一環として、ファラガット地方を治めるウィンザー公爵軍のもとへと向かう。

 義父のセオドアと会うためだ。


「義父上にお願いしたい事があります」


 アイザックの頼みなど嫌な予感しかしない。

 だがセオドアに断れるはずもなかった。


「どのようなものでしょうか?」

「このままファラガット地方に駐留し、交代が来るまで統治を続けていただきたいのです」

「ああ、そういう事でしたら大丈夫です」


 セオドアは事もなげに答えたが、アイザックの方は申し訳なさそうな表情を見せていた。


「本当に大丈夫ですから。私も家族と会いたいという気持ちはありますが、これも国のために必要な事。家族もわかってくれているはずです」


 セオドアも家族と離れ離れになっている。

 アイザックも子供を持って親の気持ちがわかるようになってきた。

 だから自分だけ先に帰る申し訳なさがあった。

 それを見抜いたセオドアは気にするなと答える。


「そう言ってくださると気が楽になります。できるだけ多くの者に凱旋式へ出席させてやりたい。しかしながら占領地の統治に誰かを残しておかねばならない。だからこちらは義父上に、グリッドレイ地方はファーティル公爵家のマクシミリアン殿にお任せする事にしました。義理の父という事もあり、お二方に貧乏くじを引いてもらう事になりました。ですが帰国の際は改めて凱旋を祝うとお約束致します」

「そうしていただけると兵士達も喜ぶでしょう。ところで交代要員はもう決めておられるので?」

「ええ、グリッドレイ地方はキンブル元帥に、ファラガット地方はウリッジ侯に総督をお任せしようかと思っています。特にファラガット地方は商人共が好き勝手やっていたので引き締めが重要になってきます」

「だからこそウリッジ侯の採用というわけですか」


 セオドアもウリッジ侯爵の人柄をよく知っている。

 彼ならば商人達の頭を押さえつける事ができるだろう。

 しかし心配もある。


「ですがやり過ぎないかが心配です。彼の性格だと……、まず間違いなく衝突するでしょう」


 ――ウリッジ侯爵は自分の正義感に強い信念を持つ男。


 誰もが言い辛い状況で「ジェイソンを討つべきだ!」と声高に叫んだだけあって、彼は自分の信念を強く持っている。

 だがそれだけに、融通を効かせろと要求してくる商人達との間で衝突が起きるかもしれない。

 それが彼を総督に選んだ場合の不安な点だった。


「いえ、それでいいのです。我々が彼らを甘やかさないという態度を見せる必要があります。もう時代が変わったのだという事を思い知らさねばなりません。不正を許さないという意思表示をするためにも、ウリッジ侯には何人か見せしめに処刑してもらわねばならないでしょう。そのための人選です」

「彼ならばやってくれるでしょう」


 ウリッジ侯爵に対する信頼は固い。

 賄賂で心が動く事がないので調子に乗っている商人を締め付けるには適任だろう。

 今の社長は前社長一族の代わりに椅子を与えてやったに過ぎない。

 社長を変えても大きな問題が起きなかったのは彼ら自身が証明している。

 彼らが自分の立場を忘れているのなら、また首を挿げ替えるだけだ。


「ですが我々もサポートせねばなりません。領土が増えたからとすぐに利益は出ないでしょう。持ち出しも増えるはずです。ですが長期的には利益が出るはずです。義父上もその事は覚悟しておいてください」

「かしこまりました。心に留めておきましょう。ところで陛下」

「なんでしょう?」

「義父から聞いたのですが、帝国化と共にレオン殿下をリード王国の後継者に指名されるとか? 本当にザック殿下を皇太子にすると信じてよろしいのですね?」


 ――ロレッタがうるさいからレオンにリード王国を継がせる。


 帝国化の話もセットで聞いていなければ、アイザックが心変わりしたとしか思えない決断である。

 だからセオドアは「パメラが捨てられるのでは?」と不安になってしまったのだ。

 これは愚問である。

 アイザックにパメラを捨てる気などないし、ザックを後継者にするという気持ちも本物だったからだ。


「信じてくださって結構です。私はパメラを裏切るつもりはありませんし、ザックを後継者にという気持ちも変わりありません。レオンをリード王家の後継者にするのは、エンフィールド皇家の後継者にはなれないというロレッタへの意思表示です。高みを目指す彼女に、自分の行動が息子の邪魔をしていると思い知らせれば今後は大人しくなるでしょうから」

「私は……、陛下のお言葉を信じるしかできません。何卒よろしくお願い申し上げます」

「言われるまでもありません。では私を信じていただけるように、腹を割った話し合いをしましょうか」


 アイザックは立ち上がり、セオドアの隣に座る。

 そして彼に耳打ちする。


「こちらに来てから、随分と羽を伸ばしておられるようですね」

「な、なんの事でしょうか?」


 セオドアの目が泳ぐ。

 やはり彼には心当たりがあるようだ。


「パメラが生まれてからロイが生まれるまでの九年間。婿養子として肩身の狭い思いをしながら子作りに励まれた事でしょう。時には家庭から離れた場所で羽を伸ばしたいと思うのも理解できます。だから私はその事を誰にも言いません。男同士、秘密を守るという事で信用の証と致しましょう」


 ――いつ死ぬかわからない戦地で禁欲的な生活を続けるのは難しい。


 それができるのは「毎日のように妻の相手をするのが大変だったから戦場にいる間は休日」と思っているアイザックくらいだろう。

 アイザックの身近にも女を買っている者は多かった。

 だからセオドアも例外ではないと思ってかまをかけたのだが、それがクリーンヒットだったようだ。

 普通の当主や後継者とは違い、彼は婿養子である。

 浮気をしたと知られれば家庭内で肩身が狭くなる。

 だからそれを黙っている事で、アイザックは彼からの信用を勝ち取ろうとしていた。


 だがそれは「男同士の秘密」で収まる問題ではなかった。

 セオドアはアイザックがパメラを手に入れるためにリード王家を裏切った事を知っている。

 これも「バラされたくなければ大人しく従えという遠回しな脅迫ではないか?」と真っ先に疑われていた。

 悲しい事に、負の信頼に関しては抜群だった。


「私のところに密偵を潜り込ませておられたのですか?」

「まさか、そういう噂を聞いただけです。……あっ」

「あっ……」


 今のはアイザックの失言だった。

 噂が流れているという事は、誰かがウィンザー公爵に伝えているかもしれない。

 もちろん、アリスにも伝わっているだろう。

 セオドアの顔色がみるみるうちに青ざめていく。


「もう帰りたくない……」

「まぁまぁ、大丈夫ですよ。ここにいるのはウィンザー公爵家の者ばかりとはいえ、指揮を執っているのは義父上です。指揮官を裏切るような者などいないでしょう。それに義父上が密告されるような間抜けだとは思いません。きっと知られてはいませんよ」

「そうでしょうか?」

「ちょっとした息抜きくらいは誰でもするものです。咎められはしないでしょう」

「そ、そうですよね」

「ええ、そうですよ。大丈夫です、何かあっても私は義父上の味方ですから」

「私も別にアリスに不満があったわけではありません。ただちょっと魔が差しただけで……」


 それからセオドアの言い訳が始まる。

 アイザックが思っていた形ではないが、彼の信用を勝ち取れたようだ。

「もし本当にアリス達に知られていたらかばってあげなきゃいけないのか」と思うと気が重いが、彼は義理の父であり、重要な仕事を任せる相手でもある。

 安心して働ける仕事環境を上役として作ってやらねばならなかった。

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