第676話 婚約の申し出

 グリッドレイ公国の仕上げはキンブル元帥達に任せ、アイザックはロックウェル地方へ移動する。

 これはキンブル元帥達から遠回しに「陛下がいると安全に気を回すのが大変だから戦地から離れてくれ」という要望を聞かされたからだった。


 キンブル元帥や将軍達ならば代わりはいる。

 だがアイザックの代わりはいない。

 王族や上位貴族を処刑された事に恨みを持った者達に襲われては困るので、安全な場所に移動してほしいと要望されていたのだ。

 アイザックもレジスタンスに狙われたくはないので、大人しく彼らの要望を聞き入れてロックウェル地方へと移動した。

 元ロックウェル王子という事もあり、なぜかアルヴィスも同行している。

 彼は領都ブロンコに着くと、アイザックに同行して街を案内していた。

 しかし、今回の行き先は決まっていた。


 ――ジーンとデニムの店。


 以前、店の前を通った時に気になっていた店である。

 戦前だったので立ち寄りはしなかったが注文だけはしておいたのだ。

 今日はその商品を受け取りに来ていた。


「鉱夫向けのこんな店にどのようなご用事で?」

「肉体労働者向けの商品を取り扱っているから用があるのさ」


 ――店の名前と店頭に並んでいる商品。


 それは前世のジーンズを彷彿とさせるものだった。

 店頭に青いデニム生地が見えた時点で、アイザックは衝動的にズボンとオーバーオールを注文していた。

 その商品を二年越しで受け取りにきたのだ。


「い、いらっしゃいませ……」


 労働者向けの商売をしているのでいかつい店主かと思いきや、スレンダーな男が出迎える。

 アイザックが来店した事により、それまでいた客がそそくさと店を出ようとする。


「諸君は帰らなくていい。むしろ私が注文したものを見ていってほしいんだ」


 客達はアイザックを国王だと一目で見分けられない。

 だが見るからに偉そうな男にそう言われ、無視して退店する度胸を持つ者はいなかった。


「受け取りが遅れてすまないな。これまで戦場にいたんだ。大目に見てくれ」

「お申し付けくだされば戦場であろうとも陛下のもとへお届けに参りましたのに……」

「陛下!?」

「嘘だろ!?」

「あれがフォード元帥に勝った奴か!?」

「まだ若ぇぞ!」


 店主の「陛下」という一言に反応して客達が騒ぎ出す。

 立派な服装はしているが、あまり威厳を感じさせないアイザックが国王だったのだ。

 ただの貴族の坊ちゃんが訪れたわけではないので、余計に強い驚きを与えた。

 こういう反応には慣れているので、アイザックは気にしなかった。


「では早速試着させてもらおうか」

「こちらへどうぞ」


 店主に案内されてアイザックは試着室に入る。


(ジーンズを履くのは何年振りだろうな)


 前世以来の体験に少し胸が躍る。

 懐かしい履き心地に感動しながら、アイザックはオーバーオールを履く。

 彼は試着室から出ると、店主ではなく客に向かって声をかける。


「さぁ見てくれ」


 アイザックは両手を広げて自分の姿をアピールする。


(なんかあの格好ダセェ……)


 見慣れない格好に周囲の反応はかんばしくなかった。

 だがこれはファッションのために着ているわけではない。

 自分のため、そして労働者のために作らせたものだからだ。


「これは腰ベルトを使わない作業着だ。どうしてもベルトをして作業していると立ったり座ったりした時に腰が擦れていたくなる。だが肩紐にする事で腰への負担を減らす事ができる」

「でもなんで王様がそんなものを作るんだ?」

「私も花を育てたりしている。何度も立ったりしゃがんだりしている時に、ベルトのせいで腰回りに痛みを覚える事があった」

「あぁ……」


 客達も覚えがあるのだろう。

 アイザックの言葉に共感する。


「だからこのオーバーオールを作らせる事にした。これならば腰回りへの負担を減らす事ができる。ただし肩に負担が行くようになるので、まだまだ改良の余地はあるがな」

「ですが、陛下ならばもっと良い素材で作らせてもよかったのではありませんか?」


 アルヴィスの素朴な疑問ではあるが、これには「ジーンズのオーバーオールが欲しい」という以外にも理由があった。


「ロックウェル地方は鉱毒のせいで作物を作れない土地が多い。だから食料を作れない土地を使って綿花の栽培が盛んで、木綿を使った衣服の生産も活発だろう?」

「その通りです」

「では私がロックウェル産のデニム生地を花壇の手入れをする時に愛用していると広まればどうなると思う?」


 アイザックの言葉に、アルヴィスはハッとする。


「貴族か平民か関係なく、陛下の真似をしようとする者が出るでしょう。そうすれば他領への輸出が増えるかもしれません」

「この生地は丈夫で農作業に向いている。いや、丈夫さを売りにしてドワーフに売り込んでもいいかもしれないな。そうなると今よりもっと多くの綿花を栽培し、生地を生産する必要が出てくる。ほら、これで一つの産業が生まれたな」


 アルヴィスは、今度は衝撃を受けた。

 アイザックはロックウェル地方の最大の悩み。


 ――いつか鉱脈が枯れたらどうするか?


 というものを解消しようとしている。

 しかも特別難しいやり方ではない。

「国王陛下の愛用品」という肩書きを与えるだけで、平民向けの商品をロックウェル地方の一大輸出産業にしようとしているのだ。


(地方の経済を、こんな何気ない動き一つで救えるというのか!? やはり陛下は凄い! ブロンコに滞在されておられる間にあの話を切り出すか)


 一見「作業用の服を買いにきただけ」にしか思えなかったが、ただの買い物にすら大きな意味を含ませるアイザックの行動に、アルヴィスは器の違いを実感させられていた。



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 王宮に戻ると、アイザックのもとへアルヴィスがロックウェル公爵を連れてやってきた。


「私の娘を殿下と婚約させるというのはいかがでしょうか?」


 ――娘を王子と婚約させたい。


 これはいつか切り出す予定だった。

 だが先ほどの一件で、アルヴィスはすぐにでも婚約させたいと思うようになっていた。

 アイザックとの繋がりは誰でも持ちたいはず。

 王子の数が限られている以上、限られた席は早めに確保しなくてはならないからだ。


 しかし、アイザックにとってこの話題は禁忌であった。

 彼はまだ子供の婚約者を探すつもりなどまったくなかったからだ。


(こいつ、なんて事言い出すんだ! 子供に婚約者などできたら、その子が婚約者と過ごす時間が増えるだろう! 俺と過ごす時間が減るじゃないか! ただでさえ友達と遊ぶようになっているっていうのに!)


 ――子供と過ごす時間を誰かに奪われる。


 その事を何よりも危惧していた。

 ただでさえ戦争で家を留守にしている。

 これ以上、子供と過ごす時間を減らす事など認められなかった。


「誰と婚約させたいと思っているんですか?」


 だが、今回は違った。

 すべての精神力を動員して、なんとか言葉を絞り出す。


「私はザック殿下との婚約を考えております」


 ロックウェル公爵は、ザックの名前を出した。

 王太子と婚約できれば孫娘が未来の王妃となる。

 ロックウェル公爵家のみならず、ロックウェル地方の安定へと繋がるだろう。

 これは当然の申し出だろう。

 しかし、アルヴィスは違った。


「私はクリス殿下を希望します」


 彼はザックではなく、クリスの名を出した。

 これにはアイザックも興味を持つ。


「ほう、ザックではなくクリスですか。なぜでしょうか?」

「そりゃあ、クリス殿下のほうがいいからですよ。ザック殿下は王太子でしょう? ただの新参者というどころか、戦った間柄ですからね。そんなロックウェル公爵家がザック殿下の婚約者を輩出したとなると、他の貴族から顰蹙を買ってしまうじゃないですか。下手に欲をかかないほうがいいと思ったんです。それにクリス殿下はウェルロッド公爵家を継ぐのでしょう? ウェルロッド公爵家は陛下の原点。公爵夫人になるのは名誉な事だと思ったのです」


(正直に話し過ぎるところはあるけれど、こいつの言っている事自体はそう悪くはないな。いや、とてもいいな。なんだ、思っていたよりも良い奴じゃないか)


 かつてクリスの妹クレアは、アーク王国に「母親が男爵家出身なんて……」と出自を理由に婚約を嫌がられた。

 だがアルヴィスは違う。

 ウェルロッド侯爵家の跡継ぎになるとはいえ、クリスもリサの息子である。

 家柄を理由に敬遠されるかと思ったが、アルヴィスのほうから申し込んできた。

 アイザックの中でアルヴィスの評価がうなぎ登りで高まる。

 そして同時にロックウェル公爵の評価が下がる。


「なるほど、理由はわかりやすいですが……」 


 しかし、それでもアイザックは渋る。

 やはり子供を誰かに奪われる可能性が生まれるのは嫌だったからだ。


(あの陛下が子供の婚約者を決める程度でここまで悩むはずがない。きっと演技だ。カイルが言っていたように、渋る事で子供の価値を高めているんだろう。親馬鹿だという噂も自然に渋る姿を見せられるようにわざと流しているのかもな)


 その渋る姿を見ながら、アルヴィスはカイルの言っていた事が正しかったと知る。


(だけどあまり強く出て断られたらこっちの立つ瀬がない。陛下の演技に乗るとするか)


「クリス殿下との婚約、何卒宜しくお願い致します。私の娘と会っていただければ、きっと陛下も気に入っていただけるかと思います」

「うーん……。妻と相談したいので、この案件は持ち帰りにしましょう。ですが前向きに検討させていただきます」

「急な申し出なので仕方ありません。しかし私達は本気だという事は覚えておいていただきたい」


(やはり即答はしてくれないか。だがあれだけ子供がいるんだから婚約者も大勢選ばないといけないんだ。拒否はされなかったから断られはしないだろう)


 アルヴィスの考えはアイザックには通じない。

 だが妻達には十分通じるものである。

 彼女達は「その話を受けましょう!」とアイザックを説得するはずだ。

 反対するとすればリサだけだ。

 彼女は「私の子供がロックウェル公爵家のお嬢様と婚約する」というのに遠慮するだろう。

 だがアイザックのような強い反対ではないので簡単に説得できる。

 やはり問題はアイザックだった。

 しかしその前に最大の問題がアルヴィスには残っている。


(こいつ、私を前にして言い過ぎだろう。)


 アイザックの狙いに気付いたつもりの彼だったが、まだ気付いていない事があった。

 隣に座る父が「ザック殿下に婚約を申し込んだら、他の貴族がどう思うかくらいわかって申し込んだんだ! それくらいわかってやっているんだ!」と内心で息子に腹を立てているという問題が。


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