第667話 グリッドレイ公国の反撃

 リード王国軍はスタンレー山脈の東端にまで到着した。

 かつてウェルロッド公爵軍とグリッドレイ公国軍が戦ったフリをした場所だ。

 以前の到達点まで順調に進む事ができた。

 だが、それは良い事ばかりでもなかった。


「戦争ってこんなもんなのか? 戦いもなく、ほとんど歩いてばっかりじゃないか」

「全部アイザック陛下のおかげだろ。ファラガットもグリッドレイの奴らも、陛下の前では逃げるか降伏するしかないんだからさ」

「俺は戦闘がないほうがいいなぁ。人殺しなんてしなくて済むなら、それに越した事はない」

「何言ってんだよ。手柄を立てたいじゃないか。二つの国を相手にした戦争だぞ。大手柄を立てたら貴族になれるかもしれないんだ。戦いになってくれたほうがいいよ」

「それもそうだな。どうせ腰抜け揃いなんだから」


 ――リード王国軍内で浮ついた雰囲気が流れている事だ。


 ファラガット共和国とグリッドレイ公国。

 どちらも連戦連勝、多数の捕虜を確保している。

 敗走したのは、グリッドレイ公国と芝居を打った時のみ。

 ここまで「負けた」と思うような出来事はなかった。

 そのせいでリード王国軍兵士は「もう勝ったようなもの」と慢心していた。


「今回は撤退した敵軍も多い。だからアイザック陛下も『偵察を厳にせよ』と命じられたのだ。油断しているとやられるぞ」


 偵察部隊長も部下に注意するが、彼自身も戦争が終わったあとの事を考えていた。

 貴族にはなれないだろうが、戦争からの帰還者として、どこかの貴族に騎士として登用されるかもしれない。

 今よりも明るい未来を夢見ていた。


「グリッドレイの奴らはどうせ自国まで――」

「ガハッ!」

「伏兵だ!」


 グリッドレイ公国軍の伏兵により偵察部隊に弓が射かけられる。

 慢心していたリード王国軍に痛烈な一撃となった。



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 ――グリッドレイ公国軍が反撃開始。


 その一報はアイザックのもとへ届けられた。


「ついに対峙する時が来ましたか。被害は?」

「先行していた部隊で二百名ほどです。ウェルロッド、ファーティル両軍も合わせれば千名ほどが殺されました」

「ファラガット共和国軍と戦った時にも、ここまでの被害は出なかったというのに……」


 ――戦死者千名。


 この知らせはアイザックを落ち込ませていた。

 これまで順調だったが故に、大きな被害報告を受けるのは初めてだったからだ。


「勝利を確信して気が抜けていたのでしょう。ですがこれで気を引き締めるでしょう。そう考えれば最低限の被害で済んでよかったと考えるべきです」


 落ち込むアイザックに、グラッドストン将軍がフォローを入れる。


「そうですね。常に自分の思い通りに行くわけではないですから」


 アイザックも「戦争は敵が有ってのものだ」と気を取り直し、地図に視線を落とす。


「各部隊が敵と遭遇した位置を考えると、デイルという港町を中心に防衛線を張っている感じですね」

「私もそう思います。ファラガット共和国北東部は森が多く、大軍の移動に適した場所は限られます。グリッドレイ公国へ向かうには海岸ルートのデイル周辺を通らねばなりません。だからここで待ち伏せしていたのでしょう」

「それとファラガット共和国内で戦っておきたかったのかもしれないね。誰だって自国を戦場にはしたくないだろうから」

「もし私がクレイヴン元帥の立場なら、ファラガット共和国で戦っておきたいという気持ちがわかる気がします。もっとも、自国を戦場にしたくないという考えではなく、まともな戦果も残せずに占領地から撤退するのが嫌だという感情を持っているのでしょう」

「完全に撤退する前に、せめて一勝というところですか。気持ちはわからないでもないですが」

「ファラガット共和国東部を失ったのです。普通の武官であれば手ぶらでは帰れないと考えるでしょう」


 グラッドストン将軍の武官としての言葉で、アイザックは一つ思い浮かんだ。


「ならば無理に攻める必要もないですね。ここにグリッドレイ公国軍の主力を引き付けておけばキンブル元帥が楽になります」

「その通りでございます」


 答えるグラッドストン将軍の目が少し泳いだ。

 アイザックはクスリと笑う。


(手柄が欲しいのはクレイヴン元帥だけじゃないな)


「でも安全に勝てるからと、これまでまともに戦ってこなかった弊害が出ています。多少の被害を覚悟してでも兵に戦闘経験を積ませるいい機会だと考えるべきでしょう。グラッドストン将軍、他の軍と連携して敵軍と戦ってください」


 グラッドストン将軍の表情が一瞬明るくなるが、すぐに表情を引き締める。


「いえ、私は陛下の護衛が任務ですので」

「私の護衛は近衛騎士団とノイ――」


 アイザックは「ドワーフやエルフに護衛してもらう」と言おうとして、それが間違いだと気付いて口を閉ざした。

 王国軍の将軍がいるのに、他の国の軍隊に守ってもらうわけにはいかない。

 そんな事をすれば「王の安全を守らせる信用がない」という烙印をグラッドストン将軍に押すようなものだ。

 王国軍の主力がここにいれば交代で戦わせられたが、ほとんどはキンブル元帥と共に行動しており、ここにはグラッドストン将軍が率いる部隊しかいない。

 彼に手柄を立てさせるために、自分と別行動を取らせるのは、かえって彼の名声を傷つける行為だった。


「いえ、護衛はグラッドストン将軍と近衛に任せます。ただ場合によっては前線に出てもらう事になるでしょう。覚悟だけはしておいてください」

「了解致しました!」


 グラッドストン将軍も手柄は欲しいが、アイザックの護衛をおろそかにしてはいけないとわかっている。

 それにアイザックは目に見えない手柄も評価するタイプだ。

 改めて自分に護衛を任せてくれた事に感謝し、やる気を出していた。


(ロックウェル王国との戦いの時みたいに護衛を手薄にするような事はしない。しかも俺は国王というだけじゃなく、夫で父親でもある。軽率な行動は控えないとな)


 グラッドストン将軍の事だけではなく、アイザックはちゃんと自分の立場を考えるようになっていた。

 もうロックウェル王国との戦いの時のような油断をするつもりはなかった。



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 一方、グリッドレイ公国側は初戦の勝利を素直に喜べなかった。


「倒したのは偵察部隊だけか。せめて伯爵の一人くらいは打ち取りたかったが……」

「連戦連勝中とはいえ、偵察をおろそかにするほど油断はしていなかったようだな」

「ですがこれはこれで結構。奴らの目はこちらに向いているはずです。きっとデイルへ攻撃を集中させるでしょう」

「ああ、それでこそアイザックを打ち取る事ができる」


 デイルにはクレイヴン元帥だけではなく、アーヴァインもいた。

 アーヴァインが本国に逃げなかったのは、逃げても意味がないとわかっていたからだ。

 きっと今頃テルフォードはロックウェル方面から攻めてきたリード王国軍に囲まれているだろう。

 そこに自分一人が戻っても意味がない。

 戻るよりは主力と共に行動し、アイザックに一矢を報いる事を選んだ。


「アイザックこそリード王国の強みであり、最大の欠点ですからな」


 クレイヴン元帥の言葉に、アーヴァインは力強くうなずく。

 アイザックのおかげで異種族との交流を再開し、ジェイソン動乱から素早く立ち直る事ができた。

 誰もが認める優秀な王である。

 彼が国王という手腕を自由に振るう事ができる地位にいるのはリード王国の強みだった。

 その反面、アイザックに頼る比重が大きければ大きいほど、彼を失った時に国が傾くという大きな欠点でもあった。


「リード王家には王太子がいる。だが他の子供とのパワーバランスは危うい。4Wの二家とファーティル公爵家出身の王妃の子供だ。ウィンザー公爵家の血を引く王太子と言えども、他の二家を圧倒するほどではない。むしろ他の有力者の動き次第では王太子などいくらでも変わるだろう」


 アーヴァインの説明に、今度はクレイヴン元帥がうなずく。


「4Wだけならば、まだまとまっただろう。だが新参者のファーティル公爵とロックウェル公爵が加わったせいで、リード王国の政治バランスは大きく崩れた。あの国は強いリーダーシップを持つ者がいるからこそまとまっていられるのだ。あの男がいなくなれば崩壊する。我が国を救う事はできないかもしれないが、リード王国が絶対的覇者として君臨する事は防げるだろう」


 ――アーヴァインの狙いはアイザックの首一つ。


 王太子とはいえザックはまだ幼く、国をまとめあげるには頼りない。

 ではモーガンやランドルフが変わりを務められるかというと、それは無理だ。

 モーガンは今のリード王国をまとめるほどの器量はなく、ランドルフは武に偏り過ぎている。

 アイザックが死んだ時点で後継者争いが勃発するだろう事は想像に難くない。

 グリッドレイ公国は負けるだろうが、リード王国が勝利する事もなくなるのだ。

 一矢報いるだけにしては十分な結果だろう。


「混乱したリード王国軍が撤退する、というのが最善の結果だが、そこまで望むのは難しいだろうな」

「ウェルロッド公爵軍を率いるバートン子爵、ファーティル公爵軍を率いるマクシミリアン。二人とも文官寄りだと聞いています。アイザックが戦死すれば撤退する可能性は十分あります。そうなった場合は西部に攻め込んでいる敵軍にどう対処できるか次第でしょう」

「そうなればいいがな」

「今回の作戦は奴らも想定できないはずです。アイザックの安全を考えれば考えるほど奴らは術中に嵌ります。きっと打ち取れます!」

「期待しているぞ」

「はっ!」


 グリッドレイ公国軍も、ただ逃げていたわけではない。

 彼らはせめて一矢報いようと牙を研いで待っていたのだった。


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明日14日(火)はコミックスの発売日です!

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