第665話 ファラガット共和国の降伏
ファラガット共和国東部への侵攻は一応成功していた。
侵攻から一週間でグリッドレイ公国軍の兵を一万五千名ほど捕虜にした。
しかし、それだけである。
各地に分散していた二万の兵には逃げられてしまった。
それはクレイヴン元帥のせいである。
彼はファラガット共和国の二の舞にならぬように、リード王国の侵攻が始まれば即座に撤退しろと念のために各部隊に指令を出していたのだ。
そのせいでキンバリー川東岸の州以外では、捕虜を取る事も抗戦される事もなかった。
ファラガット共和国軍とは違い、グリッドレイ公国軍の命令系統はちゃんと機能していたようだ。
今後、集結した彼らとの決戦になる事を覚悟しなくてはならない。
だが今のところは順調である。
グリッドレイ公国軍に東半分を明け渡す前に占領していた地域では、立ち寄った村々で村民が旗を振って出迎えてくれた。
――戦争が続いている限り、税率は三割。
――ファラガット共和国時代とは違い、平民の訴えも聞く姿勢を見せる。
軍の維持のために臨時徴収を行っていたグリッドレイ公国軍とは違い、彼らはリード王国軍を解放者として歓迎してくれた。
――グリッドレイ公国は過剰に奪うが、リード王国は過剰に奪わない。
このイメージを植え付けるためにアイザックは戦争の準備をしっかりとしていたのだ。
西側の占領地域だけではなく、グリッドレイ公国に明け渡す領土にも「寛大な統治をする」と伝えていたのもそのためだ。
さらに交易を行う商人の口によって、東西の情勢の違いが広まっていく。
都市から離れた村落にもリード王国の統治方針が知れ渡っている。
この地道な印象操作のおかげで、アイザックが一番恐れていたレジスタンスの発生が抑えられていた。
グリッドレイ公国の伏兵を恐れてゆっくりとした進軍ではあったものの、開戦から一か月でファラガット共和国の首都デューイ付近に到着する。
ここでもアイザックは占領後の統治を考え、民衆に好印象を与えようと画策していた。
デューイは交易都市から発展していったので防衛設備が少ない。
そのため街の北西にある丘に衛兵や志願兵が集まり、街を守るために決死の抵抗を行おうとしていた。
――そこへアイザックが第一の矢を放つ。
防衛部隊のもとへ、ファラガット共和国の国旗を掲げた一団が接近する。
「ファラガット共和国大統領テッド・フランクリンである」
フランクリンの呼びかけで防衛部隊にざわつきが起こる。
「私はグリッドレイ公国に援軍の要請を送り、彼らは援軍を送ってきた。だが彼らは援軍ではなかったのだ。メイフィールド外務大臣と共謀し、私達を裏切った。そして用済みになったメイフィールド外務大臣を処刑し、ファラガット共和国を我が物にしようとした」
彼は嘘ではないが、完全な真実でもない事を語り始めた。
「私は裏切り者の手によってリード王国に引き渡されたが、事情を知ったアイザック陛下が汚名返上の機会を与えてくださった。それがこのファラガット正統政府軍である!」
彼は自ら率いる軍を指し示す。
捕虜から千名ほど選抜して編成された部隊なので、本物のファラガット共和国軍ではあった。
「我が国は休戦協定を破ってエルフやドワーフの奴隷を所持し続けてきた。だから彼らとの関係が深いリード王国が攻め込んできたのは仕方のない事だ。しかし、同盟関係にあったグリッドレイ公国の突然の裏切りは到底許せる事ではない。だからグリッドレイ公国をこの国から追い出す手伝いをしてほしい」
防衛部隊のざわめきが大きくなる。
しばらくして、代表者が顔を見せた。
「家族の安全の保障は?」
「アイザック陛下が奴隷に関わった者だけを処罰すると約束してくださった。私も戦争が終われば大統領としての責任を問われる事になっている。だが最後にグリッドレイ公国に報復する機会を与えてくださったのだ。アイザック陛下は話の通じない方ではない。大人しく投降しろ。義勇兵ならば捕虜にされず、そのまま家に帰してもらえるかもしれない」
「リード王国に利用されているだけでは?」
「利用されているとも。しかしこちらもグリッドレイ公国を追い出すために利用している。一方的に蹂躙されるよりかは、お互いが利用している関係のほうがマシだ。そもそも国同士の関係はお互いをどう利用しあうかの関係に過ぎない。今回はお互いの利害が一致し、お互いに利用しあう事になっただけだ。何も悪い事ではない」
フランクリンは落ち着いた態度で質問に答える。
そういう態度を見せて、事実だと思わせる事が重要だったからだ。
今回も彼は嘘を言っていない。
すべてを話していないだけだった。
「希望者がいれば正統政府軍に入れるように頼んでみよう。だから武装を解除し、投降してほしい」
「相談する時間が欲しい」
「わかった。皆と話し合ってくれ」
それから一時間ほどして、投降の使者が送られてきた。
捕縛された指揮官と共に。
防衛部隊の指揮官はフランクリンも見知った顔で、彼は何ともいえない気まずさと共に対面した。
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防衛部隊が降伏した事で、グリッドレイ公国軍が撤退しているデューイは無血開城となった。
アイザックは、ここでもフランクリン率いる正統政府軍を先頭に入城させる。
街の住民は「なぜリード王国と一緒に行動しているのだろう?」と思ったが、グリッドレイ公国の支配から解放された事を喜び、フランクリンの帰還を歓迎していた。
正統政府軍はフランクリン率いる部隊が大統領官邸へ。
メイヒュー率いる部隊が国会議事堂や各庁舎の制圧へと向かった。
「ひどいな、これは……」
フランクリンは大統領官邸の惨状を目の当たりにする。
ここを宿舎として使っていた者――おそらくアーヴァインが慌てて逃げたのだろう。
玄関ホールは紙が散乱していた。
きっと持ち出せなかった書類だろう。
それを大統領官邸で働く使用人達が片付けていた。
「閣下! お帰りなさいませ!」
一人の使用人がフランクリンに気付くと、近くで作業していた者達も彼のもとへ集まってくる。
「出迎えご苦労。今、戻った。グリッドレイ公国軍は、いつどこへ行ったかわかるか?」
「アーヴァイン殿下は二日前に船でデューイを出られました。残りの部隊は機密書類などを運び出したあと、昨日撤退しました」
「そうか、彼らもギリギリまで残っていたのだな」
フランクリンは周囲を見回す。
「……皆には苦労をかけるが、昼下がりにはアイザック陛下がお越しになられる。それまでには執務室までの通路を片付けておいてくれ」
「かしこまりました。……閣下、この国はどうなるのでしょうか?」
本来ならば使用人が政治的な質問などしてはならない。
だが今ばかりは越権行為だとわかっていても聞かざるを得なかった。
フランクリンは寂しそうな表情を見せる。
「今日を持ってリード王国ファラガット地方となるだろう」
「くっ……」
グリッドレイ公国に占領されていた時も感じていたが、フランクリンの口から「国が亡びる」と聞かされて実感が湧いてくる。
使用人は込み上げてくる感情に堪えようとする。
「あとは頼んだぞ」
フランクリンは、それだけを言い残して執務室へと向かう。
様々な意味が込められた言葉を残して。
(ここはまだマシか。しかし公太子といっても節操のない奴だ)
大統領の執務室は、玄関ホールよりは片付いていた。
だが歴史ある絵画などは持ち出されてしまっている。
アーヴァインが持ち出したのだろう。
リード王国軍が接近するギリギリまで残ってやる事が略奪に励む事とはみっともないと、フランクリンは思っていた。
彼は貴公子然としていながら中身は盗賊と変わらないアーヴァインの事を胸中で笑いながら椅子に座る。
(一年も経っていないのに、この椅子に座るのは何年振りかのようだ)
彼は大統領にしか座れない椅子を堪能する。
これは今しかできない事だ。
(どうしてこうなってしまったのか)
――この国がエルフやドワーフを奴隷化していた事か?
――ロックウェル王国を周辺国と協力して食い物にしていた事か?
どれも自分の力では変えられなかった事だ。
ならば各派閥の力関係の都合で仕方なく大統領に任命された事が不運だったといえるだろう。
だが、フランクリンはどちらも違うような気がしていた。
(グリッドレイ公国はリード王国と共同歩調を取っていた。だというのに国境付近の小規模な小競り合いで戦争を仕掛けられた。……アイザック陛下にとって
――エルフやドワーフの事などただの口実。
――本当の狙いは、ハッキリとした味方ではない隣国を制圧する事だったのではないか?
机周りを整理しながら、彼はそんな事を考えてしまう。
(味方ではないから潰す。そんな小心者が王になれるはずがない。あのアイザック陛下にはあり得ない事だ。つまらない事を考えてしまったな)
国が亡ぶ直前だ。
センチメンタルな気分になっているせいで、まずあり得ない事まで想像してしまう。
こんな時、気を紛らわすために一杯やりたいところだ。
しかし、残念な事にアイザックを出迎える前に酒を飲む事はできない。
手持ち無沙汰になったので、部屋の中で以前と変わっているところがないかを調べて回る。
金目の物がなくなっているので、アーヴァインもただでは逃げなかったようだ。
略奪を禁じ、本人も禁欲的な生活を過ごしているアイザックとは大違いだ。
歴然とした器の大きさの違いを感じて、アーヴァインもそう遠くないうちに自分と同じ境遇になると暗い笑みが自然と浮かんでくる。
「閣下、アイザック陛下がお見えになられました」
「そうか、ここまで案内してくれ」
部屋の中を見て回っているうちに時間がきたようだ。
彼は椅子に座ってアイザックを待つ。
「アイザック陛下をお連れしました」
使用人がアイザック一行を連れてくる。
フランクリンが入室を許可すると、彼らは中に入ってくる。
フランクリンが座ったまま待っているのを見て、アイザックではなくファーガスやマットが不快そうな表情を見せた。
彼らが何かを言う前にフランクリンが口を開く。
「大統領は国の代表であり、国王のようなもの。アイザック陛下の足元にすがり、みじめに和平を乞う真似はできません。最後くらいは意地を通させていただきます」
彼は死を覚悟していた。
降伏文書に署名すれば自分は用済みとなる。
ならば最後は大統領としての面子を保つために命懸けで意地を張るだけだ。
これは「アイザック陛下も降伏してもらいたいと思っている」とわかっていたからできる事だった。
アイザックは彼を咎めたりはしない。
ファーガスに文書を取り出すように指示をするだけだった。
フランクリンは差し出された降伏文書に大人しく署名する。
「ファラガット共和国は無条件降伏致します。これから大統領として各地のファラガット共和国軍に停戦を命じます」
「ええ、公文書には『フランクリン大統領は、ファラガット共和国の代表として恥ずかしくない毅然とした態度で調印した』と残しておきましょう」
「ありがとうございます……」
この降伏文書に署名するという事は、自分の死刑執行書に署名するも同然である。
だから最後につまらぬ意地を張った。
アイザックは、その意地を不快に思わず受け入れてやった。
それだけではなく、名誉を保るための配慮までしてくれたのだ。
フランクリンの体から一気に力が抜ける。
「これで思い残す事はありません」
「はぁ?」
覚悟を決めたフランクリンに、アイザックが怪訝な表情を見せる。
「なぜもう死ぬと思っているんですか?」
「……私はもう用済みでしょう? 大統領としてファラガット共和国がしてきた事の罪を背負って処刑するのではありませんか?」
「処刑して『はい終わり』とはいきませんよ。まだまだ利用価値があるんですから働いてもらいますよ」
「そ、そうでしたか……」
(まさか奴隷として一生働かせるつもりか!? エルフやドワーフの苦しみを思い知らせるために!? しまった、これなら意地を張らずに下手に出ておけばよかった!)
処刑されて終わりだと思っていたが、どうやら違ったようだ。
アイザックがどのような事を考えているのかわからないが、フランクリンは「どんな地獄を見せられるのだろうか?」と落ち込んでいた。
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