第664話 ロックウェル方面からのグリッドレイ公国侵攻
ロックウェル地方からもグリッドレイ公国への侵攻が始まろうとしていた。
「この戦争では我らの真価が問われる事になる」
キンブル元帥は部下に発破をかける。
これまではアイザックの作戦で勝利を収めてきた。
今回の奇襲もそうだが、一か月もすれば状況は変わってくる。
今度は簡単に降伏してくる戦意の低い敵ではないし、敵の背後から刺してくれる裏切り者もいない。
被害を少なくして勝つには指揮官の力量が問われる事になる。
つまり、元帥や将軍達の働きが重要になってくるのだ。
ここで情けないところを見せれば「リード王国が勝てるのはアイザック陛下の力のおかげだ」と思われてしまうだろう。
それだけはどうしても避けねばならない。
勝利はアイザックの力によるところが大きくとも、彼の作戦を遂行するには一定の力量を必要とする。
せめてその最低限の力があるという事は証明しておかねばならなかった。
それだけにキンブル元帥の気は重い。
「アイザック陛下がこちらに多くの正規兵を割いてくださったのだ。失敗は許されんぞ!」
キンブル元帥は王国軍を一万五千任されている。
国王であるアイザックを守るのが近衛騎士団と追加の護衛で五千ほどしか直轄軍がいないのだ。
多くの兵を任されたキンブル元帥は責任を果たさねばならない。
ロックウェル地方軍が三万五千。
そしてリード王国からやってきたウィルメンテ公爵軍一万五千が集まっている。
グリッドレイ公国も臨時徴兵は行っているようだが、主力はファラガット共和国東部にいる。
この状況で攻略に時間がかかったり、敗北しようものなら自害ものである。
「同盟国を守るための派兵」という経験はあるが「他国を自分が主導で侵略する」という経験はない。
(これまでアイザック陛下が立てた作戦に従うだけだったが……、よくあれだけ自信を持って命令を下せたものだ。私も自分の作戦計画に不安を持っていると部下に思わせぬよう振る舞わねばならんな)
キンブル元帥は六十を越えて、初陣以来の武者震いをした。
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「今回はファラガット共和国の時のように流血を最小限にしろという命令は出ていない! グリッドレイ公国軍を血祭りにあげろ!」
ロックウェル地方軍をまとめるアルヴィスはノリに乗っていた。
今回は民間人に対する攻撃以外の行動は現地部隊に任されている。
グリッドレイ公国軍兵士を殺すも生かすも彼らの気分次第だった。
ファラガット共和国で溜まっていた鬱憤を、グリッドレイ公国軍にぶつける事ができるのだ。
彼らの戦意は高い。
「ですが積極的に殺していいというわけではありません。歯向かってくる者だけですよ」
「それくらいわかっているさ。お前も雰囲気を楽しめ」
「雰囲気に呑まれて暴走する者が出てくるかもしれないので気を付けてください」
「まったく心配性だな。もし暴走が起きても大丈夫だよ。どうせファラガット共和国の共犯者とでも処理しておけば問題にはならないさ」
カイルが冷や水を浴びせるが、アルヴィスは軽く聞き流した。
多少のガス抜きは必要だと思っていたからだ。
「それに俺には秘策がある。俺の子供とアイザック陛下の子供の誰かを婚約させる事だ。あちらもロックウェル公爵家との関係は強化しておきたいはず。娘くらい喜んで差し出すさ。あれだけ子供がいるんだ。どこかにねじ込めるだろう」
アルヴィスは「アイザックに子供を差し出そう」と考えていた。
そして、その成功率が極めて高いとも思っていた。
もし子供がザックだけならば、他国の王族と婚姻を結ばせるだろう。
だがアイザックは子供の数が多い。
最近生まれた子供を入れれば九人もいるのだ。
王族にふさわしい結婚相手を探すのも一苦労だろう。
そういった点から、アルヴィスは「自分の子供をアイザックの子供の誰かと婚約させるのは容易だ」と思っていた。
しかし、カイルは渋い表情を見せる。
「父から聞いた話では、アイザック陛下は子供を大事にしておられるそうです。そんな軽い気持ちで王女殿下を差し出しても怒りを買うだけではありませんか?」
「あぁ、娘を惜しむ気持ちところを見せて価値を上げろという事だな」
「いえ、それもありますがそれだけではなく、アイザック陛下は
「嘘だろっ! ただの好き者って事だったのか!? あんなに大勢の子供を作っているのは政略結婚の駒にするためじゃないのか!?」
「違うようです」
カイルの言葉に、アルヴィスは目を丸くして驚く。
しかし、すぐに気を取り直した。
「もちろん子供を愛しているのかもしれないが、それだけ愛していると見せる事で子供の価値を高めている可能性もあるな……」
先ほどカイルに言われた事を、アイザックにも当てはめて考える。
そうすれば、アイザックの子供への執着も理解できるような気がしたからだ。
「かもしれません。今回の戦争で陛下に認めてもらえる働きをするのが婚姻への近道となるでしょう。ですから敵兵を血祭りにあげろと命じるのではなく、いかに被害を少なくできるかを考えたほうがよろしいのでは? 陛下は被害が少なく済ませるのを好む傾向があるようですので」
「そうだな、そうするか。アイザック陛下には正攻法で向かっていった方がよさそうだしな。というわけで先ほどの命令は撤回だ。捕虜にできる奴は捕虜にしてくれ。ロックウェル公爵家がリード王家の縁戚になれば、ロックウェル地方の地位も自然と高まる。長期的に見れば、みんなのリード王国内の立場を固められる事になるからな」
アルヴィスはさっさと方針転換を決める。
大半の貴族が落胆した表情を見せるが、新参者のロックウェル地方の貴族がリード王国内で受け入れてもらうためだと思い、涙を呑んでグリッドレイ公国への報復を我慢するべきだと自分に言い聞かせる。
「さぁ、辛酸を舐めてきた分だけグリッドレイ公国の人間に思い知らせてやろう。今度は自分達が搾取される側だと知った時の表情を見るのが楽しみだ」
無差別に殺すのを避けねばならないと悟ったため、アルヴィスは穏便な方法で恨みを晴らそうと皆に告げた。
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ウィルメンテ公爵軍は、両者とは違って重苦しい雰囲気に包まれていた。
その理由は明白である。
「今回、グリッドレイ公国に攻め込む大義名分を作ったのはカニンガム子爵だ」
――今のところ、ウィルメンテ公爵家に縁のある貴族で最大の功績を立てたのがカニンガム子爵だという事だった。
カニンガム子爵は、多くの貴族に「ウィルメンテ公爵の友人でなければ、すでに貴族ですらなくなっていそうな愚か者」と思われている。
ウィルメンテ公爵の友人でなければ、序列は最下位であってもおかしくない人物である。
その彼が新しい領土を獲得する口実を作った、作ってしまった。
彼に負けぬ功績を立てねば立つ瀬がない。
そのプレッシャーは、これまでカニンガム子爵がダメな男っぷりを見せていた分だけ重みを増す。
ウィルメンテ公爵家傘下の貴族達は、グリッドレイ公国軍よりも強大で、戦争で負けるよりも深刻な危機に直面していた。
「このままではカニンガム子爵よりも功績を立てられていないと、アイザック陛下に思われる者も出てくるだろうな」
自信のある者以外――多くの者がビクッと体を震わせる。
だがウィルメンテ公爵も、皆を脅かすだけではない。
彼らを奮い立たせようとしていた。
「だが安心してほしい。いくら私と彼の仲が良いとはいえ、諸君らをないがしろにはしない。ちゃんと諸君らも手柄を立てられるようにするつもりだ」
ウィルメンテ公爵の言葉で、少しだけ場の雰囲気が和らいだ。
「我らは他の部隊とは違い、一年間国を守ってきた。その間も訓練を行っていたので楽な一年ではなかったが、異国の地で一年を過ごした他の部隊よりかは楽だったはずだ。負担が軽かった分だけ、我らに対する期待は重くなっている。期待が重い分だけ、任務を見事成し遂げた時の評価も高くなるだろう。だが焦るな。焦って失敗しては元も子もない。まずは与えられた任務をこなし、その上で良い結果を残せるようにしよう」
彼は傘下の貴族を安心させる事に尽力する。
今言ったように、焦って失敗されるほうが困るからだ。
実は彼自身も焦っているので、その言葉は自分にも向けられていた。
(ウェルロッド公爵家は戦争の下準備、ウィンザー公爵家はファラガット共和国西部の統治、ウォリック公爵家はドワーフの解放で結果を残している。ここで私もグリッドレイ公国侵攻で結果を残しておかねばならない。だからせめて失敗だけはしてはならないのだ)
――留守居役だった事もあって、4Wの中で唯一まともな功績がない。
もちろんアイザックは国を守っていた事を評価してくれるだろう。
ウィルメンテ公爵が国を離れてからアーク王国が同盟の破棄を通告してきたのだ。
それまでは睨みを利かせていたと言えない事もない。
だがそれでも結果は結果だ。
目に見える結果がない以上、他の貴族がウィルメンテ公爵家をどう見るかを考えねばならない。
「ウィルメンテ公爵家は4Wの中で最も頼りない」などと思われるわけにはいかないのだ。
名誉のために目に見える結果を残さねばならない。
しかし、焦って仕損じては名誉を損なうのみ。
先ほどの彼の言葉は誰よりも自分自身を戒めるためのものだった。
(ジャックの奴め! 私を差し置いて先に手柄を立てるなんて……。おかげで余計な苦労を背負う事になったじゃないか!)
彼は心の中でカニンガム子爵を責める。
カニンガム子爵の評価が低いのは、ウィルメンテ公爵のせいでもある。
お互いに話し合って、家中をまとめやすくする手伝いをしてもらっていたからだ。
だがカニンガム子爵の評価の低さが回り回ってウィルメンテ公爵を苦しめていた。
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――リード王国が攻め寄せてきた。
その知らせは、キンブル元帥が捕虜に渡したアイザックの手紙によって公王ベネディクトのもとへ届けられた。
「なぜだ!? あれほど関係は上手くいっていたではないか! なんと卑劣な!」
だが手紙の中身を読むと、その考えは変わる。
『グリッドレイ公国軍兵士により、我が軍の兵士が殺された。しかしながら、それだけで戦争を仕掛けるほどではないので、クレイヴン元帥に賠償金の支払いと捕虜の返還を求める事にした。だがクレイヴン元帥からは一切の謝罪もなく、一人あたり十万リードにまで賠償金の額を下げたものの、それすら拒否した。こちらは精一杯信頼を損なうような行動は避けていたにも関わらず、このような信義に欠けた行動を取られるのは心外である。このような行為を許す事はできない。リード王国はグリッドレイ公国に宣戦を布告する』
「クレイヴン元帥は何をやっている! その程度のはした金など払っておけばよいではないか!」
ベネディクトの怒りはクレイヴン元帥に向けられる。
金で済む問題なら金で済ませておけばいいのだ。
はした金を惜しんだせいで国家存亡の危機である。
「急いで和平の使者を出せ! それと臨時徴兵を行うように!」
これまでの人生にないくらい彼は焦っていた。
アイザックに誘われたからファラガット共和国を東西分割するため、名目上の戦争状態にしただけだ。
元々リード王国と戦うつもりなどなかった。
まともに戦えば勝ち目などないとよくわかっていたからだ。
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