第663話 駐屯地に仕掛けた罠
中部方面では、アイザック自らが出陣した。
まずリード王国軍は小規模な部隊が駐屯している村に向けて軍を動かした。
戦争が始まると、小規模な守備部隊ではリード王国軍を防ぎきれなかった。
彼らはまともな抵抗もできず、リード王国軍の降伏勧告に応じて大人しく撤退する。
そしてそのままキンバリー川東岸にある駐屯地へと連行された。
王国軍とノイアイゼンの連合軍三万は駐屯地を包囲し、さらにその外側で捕虜達が様子を見守っていた。
「グリッドレイ公国は我が軍の兵士を殺し、更には捕虜の返還まで拒否した。クレイヴン元帥は我が軍の襲撃を否定したが、本当に襲撃したかどうか調査すらしようとしなかった。このような仁義に反した行為を到底許す事はできない!」
すべてアイザックの自作自演なのだが、彼はグリッドレイ公国の対応を公然と非難する。
「しかし、兵士諸君に責任はない。責任を取るべきは卑劣極まりない外道の集まりであるグリッドレイ公国軍首脳部だ。大人しく降伏するのなら危害は加えない。それは我が軍がファラガット共和国軍兵士に簡単な労役を課しているだけだという噂でわかってもらえるだろう。駐屯地内にいる兵士諸君、武器を捨てて外へ出てくるといい。だが武装したままであれば即座に射殺す」
そして即座に降伏勧告を行う。
駐屯地内では動揺が走った。
これまでは戦争ごっこをするだけだったが、今回は本当の戦争が始まろうとしている。
普通に戦えばリード王国軍に敵うはずがない事がわかっているため、戦意のある者達は少数だった。
グリッドレイ公国軍がファラガット共和国に動かした兵は、三万五千ほど。
駐屯地内にいる兵の数は、およそ三千。
周囲の街や村で捕虜になった者は四千。
治安維持に回している兵の事を考えれば、中部の前線に頑張って集めたほうだろう。
だがリード王国の侵攻を防ぐフリをするには十分だが、本当に防ぐにはまったく足りなかった。
「迷っているようだが、迷っている暇はないと教えておいてやろう。諸君らの手で駐屯地を補強したようだが、そこはあくまでも駐屯地に過ぎない。幾分か手を加えたようだが、お世辞にも戦える砦にはなっているようには見えないぞ。そこに立て籠もっても援軍が来るまでは耐えきれないだろう。早めに降伏する事を勧める」
アイザックの降伏勧告で兵士は動揺を見せる――が、それだけだ。
さすがにファラガット共和国軍の兵士のように、我先にと降伏しようとしたりはしない。
こんな状況でも、しっかりと士気を維持しているようだ。
平等の名の下に搾取を続けてきたファラガット共和国軍とは違って、まだ上位者に対する忠誠心が残っているのだろう。
(口先だけじゃあ、降伏はしてこなさそうだな。なら手っ取り早くやるか)
アイザックは包囲し、時間をかけて降伏させる方法は選ばなかった。
いや、選べなかった。
それはパメラから送られてきた手紙のせいだった。
――ザックとクリスが初めて喧嘩したという内容である。
喧嘩の原因は「どちらが先に弟のレオンにおやつを食べさせてあげるか」という微笑ましい理由ではあったが、やはり子供が喧嘩したと聞いては落ち着いていられない。
相手側に多少は被害が出ようが、この戦争に早く決着をつもりだった。
グリッドレイ公国軍兵士には不幸ではあったが、こればかりはパメラからの手紙が届いたタイミングが悪かった。
「我らには客人もいるのでな。あまりここでのんびりとしているわけにはいかんのだ。早く決断を下す手助けをしてやろう。火矢を放て!」
アイザックの下知により、駐屯地内に向かって火矢が放たれる。
火は瞬く間に燃え広がっていった。
(なんで俺がわざわざ駐屯地を作って、大量の物資を置いていったか。その事をよく考えるべきだったな)
アイザックは「駐屯地」という事を強調して、グリッドレイ公国軍に陣地を引き渡した。
なぜなら「砦」と言ってしまえば、兵士が寝るための宿舎や物資集積場に使う天幕などを配置し直されるかもしれないからだ。
「駐屯地に過ぎない」という意識を植え付け、戦うための備えをおろそかにさせるよう思考を誘導していたのだ。
戦うための拠点であれば、火矢くらいで簡単に火事が起こるような配置にはしない。
だが簡易的な駐留拠点だと思えば、宿泊施設や物資集積場が多ければ多いほど便利である。
そこに「本格的な要塞化をするとリード王国が不快に思うかもしれない」という配慮も加わり、内部はリード王国から引き渡されたまま使っていた。
改修したのは外壁部分のみである。
それが今回は裏目に出た。
戦闘になるとすればグリッドレイ公国の統治を拒む旧ファラガット共和国勢力であって、リード王国とは戦闘にならないと思い込んでいたせいでもあった。
駐屯地内から悲鳴が上がり始める。
以前の駐屯地であれば、川側に出入りしやすくなっていた。
しかし、そちら側もアイザックの勧めにより補強されたため出入りが困難になっているので川から水を汲むのが難しい。
そもそも消火のための水汲みをリード王国が許すはずがない。
消火作業の甲斐なく延焼し続ける状況を前に、グリッドレイ公国軍はなすすべもなかった。
駐屯地の門が開かれ、剣を腰に下げた騎士が姿を現す。
立派な鎧を着ているので貴族だろう。
「何かの間違いです! まずは話し合いによる解決を求めます!」
「放て」
アイザックが命令を下すまでもなく、弓兵隊の隊長が射撃命令を出した。
たちまち騎士は矢で射抜かれてハリネズミのような骸を晒した。
「陛下がこうおっしゃったはずだ! 武器を置いて出てこいと! それが代々家に伝わる家宝かどうかなども関係ない! 武器を持って出てきた者は誰であろうと撃つ!」
どうやらアイザックに強い忠誠心を持ち、その命令をしっかりと遂行しようとする者らしい。
(えっ、そこまで融通が利かないわけじゃないんだけど……。降伏交渉に出てきた奴くらいは武器を持ってても別に……。ああいうのは部隊長止まりで、将軍とかにはしちゃいけない奴だな)
一言一句違う事なく絶対に命令を遂行するほど忠誠を誓われても、それはそれで怖くなる。
いつか「陛下のご意思だ」と勝手にアイザックの名前を使って虐殺でもしかねない。
「あいつは出世させないでおこう」と決意する。
彼はアイザックの命令を実行しただけなのに、不幸にもいつの間にか出世の道が閉ざされてしまった。
だが今の行動が功を奏したのだろう。
今度は完全に手ぶらの騎士が姿を現した。
「我々に戦う気はありません! まずは交渉による解決を望みます!」
「断る! 交渉による解決を拒んだのはクレイヴン元帥だ! 諸君らには戦うか降伏するかの二つの道しか残されていない! 決断しろ! できなければそこで焼け死ね!」
まだ交渉を求めてきたが、クレイヴン元帥の対応を理由にアイザックはハッキリと拒否した。
これで彼らが取れる行動は強制的に二つに絞られた。
しかも延焼し続けているので時間はない。
騎士は慌てて中へと戻る。
アイザックにできる事は、彼らが打って出てくるか、大人しく降伏するかの選択する時を待つだけである。
さすがに焼死は選ばないだろう。
「陛下」
待っているのが暇だからか、クロードが話しかけてくる。
「どうしました?」
「あの中に捕虜がいたらどうするのですか?」
「あぁ……、その心配はありません。捕虜は他の場所で見つかって解放されました。さすがに捕虜の場所がわかっていないのに燃やしたりはしませんよ」
本当は存在しない捕虜だが、今回の言いがかりを知らない者にとっては心配の種だったのだろう。
捕虜がいないとわかって、クロードは安心した表情を見せる。
しかし、すぐに険しい顔に変わった。
「これが戦争なのですね。あんなに火が燃え広がって……」
「ええ、以前は野戦だったのでこのような光景にはなりませんでしたが、攻城戦や街を攻めた時はこうなるでしょうね」
以前にロックウェル王国と戦った時は野戦だった。
死屍累々という光景ではあったが、大規模な火災は起きなかった。
すべてを焼き尽くす炎の恐ろしさは、森林火災などでクロードもよく知っている。
その火災を人為的に起こす行為に、クロードは恐れを抱いた。
「でも味方の被害を最小限にして、敵に被害を最大限にする。これはやらねばならない事です。そのためには今後、街の一つや二つを焼く事になるでしょう。ですがこれも正義のためです。今、私達が大損害を受けるわけにはいきませんから」
「はい、それはわかっているつもりです。ですが、この光景は慣れそうにありません」
「慣れなくてもいいんですよ」
アイザックは真剣な表情を見せる。
「クロードさんまでマチアスさんのようになられたら困りますから」
そしてフッと小さく笑う。
それに釣られて、クロードも笑みを見せた。
「種族融和大臣が好戦的では融和になりませんから、爺様のようにはなりませんよ。なりたくもありませんので」
「今のままのクロードさんでいてください。マチアスさんが悪いというのではなく、皆が同じでは話し合いをする意味がなくなってしまいますので。様々な意見がぶつかるから話し合いに意味が生まれますからね。おっ」
二人が話している間に、駐留部隊が白旗を掲げた者を先頭に駐屯地の外へと出てきた。
これで中部方面だけで捕虜は七千。
あとは残りの部隊を各個撃破しつつ前進するだけである。
しかし、その前に進むというのが難しかった。
奇襲を考えたのはアイザックの案である。
だがここからは奇襲ではなく正攻法となるので、リード王国軍にも被害は増えるだろう。
それを如何にして減らすのかは、最も難しい問題であった。
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