第661話 カニンガム子爵、一世一代の演技

 カニンガム子爵は憂鬱な気分だった。


 ――アイザックが身を切ってまで支援してくれたのに交渉を失敗したら?


 世の中に絶対など存在しない。

 交渉が失敗する事だって十分にあり得る。


 ――そうなった時、アイザックはカニンガム子爵をどのような目で見るか?


 カニンガム子爵にとって想像もしたくもない事だった。

 自分のためにも成功させるしかない。

 だが成功させるために堂々とした態度で交渉に挑めば失敗するかもしれない。

 なんとももどかしい気分だった。


(他にも優秀な人材がいるというのになぜ私なのだ……。フィリップの友人だったせいで陛下に目を付けられてしまったせいか?)


 カニンガム子爵は自分の境遇を呪うしかなかった。

 しかし、任された以上はやるしかない。

 彼は挨拶もそこそこに、クレイヴン元帥に本題を切り出す。


「兵士一人当たり百万リードの賠償金と捕虜の返還を求めます。今回の事件にはアイザック陛下も大層ご立腹です。即時行動される事をお勧めしましょう」


 カニンガム子爵は、フッとクレイヴン元帥を鼻で笑う。

 その傲慢な態度にクレイヴン元帥はイラッとするが、正式な使者である以上はリード王国の代表である。

 できる限り丁重な態度を見せる必要があるため、意識して感情を抑える。

 

「周辺の部隊から聞き取り調査を行ったが、どの部隊も渡河すらしていなかった。よって我が軍の仕業ではない。どのような根拠を持って我らを責めるのだ?」


 クレイヴン元帥は公国の元帥であり、侯爵でもある。

 リード王国に喧嘩を売るつもりはないが、カニンガム子爵格下に媚びへつらう気などまったくない。

 内心では冷や汗をかいていたが、グリッドレイ公国の格を下げぬためにも譲る事のできない一線があった。


「それは……。現場周辺には他の部隊もいて、哨戒部隊を襲うとすればキンバリー川を渡るしかない状況だったからです」


 カニンガム子爵は即答する事ができなかった。

 まるで事前に「こう話せばいい」と言われた内容を思い出しているかのように、グリッドレイ公国側には見えていた。


(少しつついてみるか)


 クレイヴン元帥は、まずカニンガム子爵の反応を確かめる事にする。


「なるほど、ではリード王国軍がやった可能性もあるのではないかな? 政治闘争による結果、その部隊が被害に遭ったのかもしれんぞ」

「えっ!?」


 カニンガム子爵が露骨にうろたえる。

 自分の随行員に視線を送ったり、頬を掻いたりして彼から落ち着きがなくなる。


(これは想定していなかったというのか? まず真っ先に言い返される事を想定すべき質問だろうに? アイザック陛下ならば、こういう問いにどう答えるべきかを教えているはずだ。まさか本当に彼に交渉を失敗させようというのか?)


 ――カニンガム子爵はあまりにも交渉事に向いていない。


「カニンガム子爵ではなく、逆にこちらが罠を仕掛けられているのでは?」と疑ってしまうほどである。

 だが今の段階で決断を下すのは早すぎるので、カニンガム子爵の返答を待つ。


「違うと即答できない事情でもお有りかな?」

「いや、違うっ。違いますっ! あまりに突拍子もない事を言われたので驚いていただけです!」


 カニンガム子爵は必死に否定する。

 リード王国側の随行員も含めて、誰もが「そこまで慌てて答えなくとも……」と思ってしまう姿だった。

 グリッドレイ公国側では「こいつの相手は簡単だな」と警戒が緩み始める。


「そ、それを言うならそちらもでしょう? 元帥閣下が新しい領地を貰える事は立場的に確定です。他の地域の将軍達が足を引っ張ろうとして我が軍の兵士を襲ったのではありませんか?」

「それはないな。我が軍はしっかり統制されている。そのような私利私欲で動く者などいない」


 クレイヴン元帥は即答した。

 その姿は「心から仲間を信じている」というものだったが、心中は違った。


(その可能性は十分にあり得る。大規模な戦闘が起きる事なくファラガット共和国東部を占領できた。それはいいが、私が占領計画を作ったわけではない。すべてアイザック陛下がもたらしてくれたものだ。だというのに、私が元帥という立場だけで領地を貰うのに不満を持つ者もいた。奴らが仕組んだ可能性もあるな)


 カニンガム子爵の苦し紛れの言葉に対する真っ当な反論ではあったが、どうやら藪をつついて蛇を出す行為だったらしい。

 グリッドレイ公国も一枚岩ではない。

 血を流さずにあっさりと手に入れた新領土の取り分を増やすため、水面下では激しく牽制しあっていた。

 ひょっとすると占領時の混乱による小競り合いで流れた血よりも、これからグリッドレイ公国の貴族間で流れる血のほうが多くなるかもしれない。

 リード王国軍兵士に攻撃を仕掛け、クレイヴン元帥を追い落とそうとする馬鹿が現れてもおかしくない情勢だった。


 だがそんな心中をクレイヴン元帥はひた隠しにする。

 万が一にも、リード王国軍を襲撃した可能性を表沙汰にするわけにはいかない。

 それが交渉に挑む時に必要な態度だったからだ。

 カニンガム子爵のように感情を露わにするなど問題外である。


「そもそも我が軍がやったという証拠はあるのか? 状況証拠だけならば言いがかりに過ぎんぞ」


 内心、うんざりしているクレイヴン元帥の発言に、カニンガム子爵が何かを思いついたかのようにハッとした表情を見せる。


「証拠はあります! 現地住民が川を渡るグリッドレイ公国軍兵士の姿を見ていました!」


 まだ指紋などの犯罪捜査の技術が発展していない時代だ。

 こういう場面では証言が状況を左右する最も重要な。

 カニンガム子爵がドヤ顔を決める。

「これで勝負は決まった」と言わんばかりに。


 クレイヴン元帥も証人が存在するとわかっていた。

 もし彼がリード王国側にいれば、確実に証言を捏造・・・・・していたからだ。

 だからカニンガム子爵が証人の存在に自信を持っていたとしても、彼はあっさりと認めるつもりはなかった。


「現地住民か。ではその証言は信用できんな」

「なんですと!?」

「ファラガット共和国の人間ならば、両国の関係を悪化させようとして嘘の証言をしているのかもしれんぞ。そもそも先ほどは川を渡らねば他に誰もいないと言っていたではないか。なぜ今になって現地住民の事を持ち出してくる? 本当にその証人は存在するのか? いたとしても、その現地住民が哨戒部隊を襲ったかもしれないではないか。なぜ我が軍の仕業だと決めつける?」

「それは……」


 カニンガム子爵は口をパクパクとさせ、目が泳ぎ始める。

 その反応から、クレイヴン元帥は「本当に証人など存在しないのではないか?」と疑い始める。


「これ以上話す事はない。お帰り願おう」

「お待ちを! それでは、それでは……。一人当たり十万リードの賠償金で結構です。私は全権を委任されておりますので、金額も私の裁量で変更できるので大丈夫です」

「話にならん。お帰り願おう。アイザック陛下によろしくな」


 クレイヴン元帥は話を打ち切ろうとする。

 要求してきていた賠償金が、いきなり十分の一になったのだ。

 リード王国側に、犯人がグリッドレイ公国軍だという確固たる証拠はないと踏んだからだ。

 もうカニンガム子爵に配慮する必要などない。

 ただ強気に行くだけである。


「待ってください!」


 カニンガム子爵は立ち上がると、テーブルに頭をこすりつけるくらい深く頭を下げる。


「私が立て替えておきますので賠償金は結構です。ただアイザック陛下に向けて謝罪文の一つでもいただければ、あとはこちらで対応しておきますので――」

「断る!」


 クレイヴン元帥は、カニンガム子爵の言葉を遮った。

 彼の提案は到底受け入れられないものだったからだ。


「アイザック陛下への詫び状を書くという事は、我が軍が襲撃したと認めたようなものではないか。私は金を惜しんでいるわけではない。我らは何もしていないと主張しているだけだ。この交渉を成功させて手柄を立てたいのだろうが、こちらに責任をなすりつけるな!」

「ですが……、アイザック陛下は一兵卒まで大事にされておられます。せめて捕虜の返還だけでも……」

「くどい! 貴公と話す事はもうない。帰りたまえ」

「そんな、元帥閣下……」


 ――クレイヴン元帥には取り付く島もない。


 これ以上の交渉は無駄だと悟ってカニンガム子爵は肩を落とす。

 その姿を見て、クレイヴン元帥は「彼はどう考えても交渉向きではない」と思っていた。

 そして、お世辞にも平均以下・・・・という評価を付けてやる事もできない無能である。

 アイザックやウィルメンテ公爵が実力で用いるような人材ではない。

「今回は要求を退けるのが正解だった」「こうするのが正解だったのだ」と、クレイヴン元帥は確信していた。



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「ほう、クレイヴン元帥は聞く耳を持たなかったと?」

「はい。兵士の家族に払う見舞金は、こちらで支払う。だから捕虜だけを返してくれればそれでいいと申し出たのですが……。もう話す事はないと追い返されました」

「他の部隊を捜査するとも言わずにか?」

「捜査に協力するとは一言も言われませんでした」

「残念だな、こちらはそれほど譲歩したというのに。この件については重大に受け止めている。また後日対応を話し合おう。ご苦労だった。下がってよろしい」

「失礼致します」


 カニンガム子爵がうやうやしく一礼をしてから退出する。


「聞いての通りです。我が軍の兵士を殺し、生き残った者を捕虜として連れ去ったのに知らないと言い張る。そんな不届き者に対して、我が軍は捕虜の奪還とともに報復行動を取る事になるでしょう。我々の戦争に巻き込むわけにはいかないので、皆さんにはお帰り願います」


 アイザックが語りかけているのは、ヴォルフラムやクロード、マチアスと言った者達だった。


 ――人間同士の戦争に巻き込むわけにはいかない。


 そうは言うものの、実際は彼らを参戦させるための流れを作ろうとしていた。

 そのためにカニンガム子爵には、みんなの前で報告してもらったのだ。

 どうせ失敗するとわかっていたのだから。


「ふむ、ならば我らも参戦させていただきましょう」


 しかしヴォルフラムからの返答は、アイザックの予想通り・・・・だった。


「よろしいのですか? 人間同士の戦争に参加しても?」

「奴らはファラガット共和国の政治家を取り込んでいるのでしょう? ならばグリッドレイ公国は我らの敵です。あなた方もそう思うでしょう?」


 ヴォルフラムは、マチアスやアロイス達に向かって同意を求めた。

 彼らも思うところはあるものの、わざわざ反対する理由はない。

 うなずいてヴォルフラムの意見に同意する姿勢を見せた。


「まぁ、できる事なら、手を貸す報酬としてフランクリンやメイヒューといった者達を引き渡してほしいところですが」

「彼らにはやってもらう事があります。今はまだ処刑するわけにはいかないので我慢していただきたい」

今はまだ・・・・ですか。ならば、こちらも今はまだファラガット共和国と変わらぬグリッドレイ公国を相手にする事で我慢致しましょう」


 ――グリッドレイ公国は、リード王国の兵士を殺し、捕虜を取っておきながら悪びれる様子がない。


 グリッドレイ公国の信義を感じられない対応を知って、ファラガット共和国と重ねて見えたのだろう。

 それがアイザックの狙いだった。


「……本当によろしいのですね?」

「ええ、もちろん!」


 それでもアイザックは悩むフリをする。


(ドワーフを引き込む事ができれば、なし崩し的にエルフも本格参戦させる事ができるだろう。アーク王国という潜在的敵国が増えた今、彼らの力は頼もしい。直接参戦させられなくとも『彼らが参戦してくるかもしれない』という圧力は有効なはずだ。今後が楽になる)


 アイザックが王位を狙っていた時は、彼らの力に頼るのは最終手段だった。

 彼らに頼れば、アイザックが即位しても「エルフやドワーフ頼りの王」と見くびられていただろう。

 だが今は違う。

 今ならば、アイザックが力を借りるわけではない。

 奴隷を解放するため、彼らに力を貸す・・・・立場となる。

 彼らとの共同戦線は「統制の取れない殺戮」が起きない限り、今のアイザックにとって歓迎するべきものだった。

 とはいえ、アイザックもこの申し出に飛びつくわけではない。


「クロード大臣はどう考えますか?」

「私は……」


 クロードの表情は暗い。

 もしかすると反対されるかもしれないが、種族融和大臣という立場にある以上、彼の意見を聞かないわけにはいかなかった。


「私はウォーデンで女子供問わず殺されるところを見て、これまでの人生で感じる事のないほど気分が悪くなりました」


(だから戦争には反対だと言うつもりかな?)


 アイザックはそう思ったが、クロードの話には続きがあった。


「でもそれはファラガット共和国が長年やってきた事と同じ。彼らがやってきた事をやり返されているだけです。私は拷問などの過剰な報復をしない限りは、ドワーフを止めるつもりはありません。ファラガット共和国に囚われていた人々が味わってきた思いと比べるまでもないでしょう。心苦しくはありますが……。ファラガット共和国とグリッドレイ公国の両国限定であれば参戦もやむなしと考えています」

「私も報復の機会は与えたいとは思っていました。それでは軍人と政治家にのみを対象とし、民間人には手を出さないと約束していただければ参戦を認めましょう」

「感謝致します。武器を持たぬ者を殺すのは、どこかスッキリしないものを感じておりました。これで我らも気分が晴れるかもしれません」


 ヴォルフラムは安堵の表情を見せる。


「初戦は戦ってもらうかもしれませんが、そのあとは私と共に後方で予備兵力として待機してもらう事になるでしょう」


 だが彼の表情はすぐに曇った。


「ですが私のもとにはファラガット共和国の政治家達が集められます。その処理についてはお任せするとお約束しましょう」

「いきなり最前線を任せるというのは難しいのでしょうが……、致し方ありません。ただ可能な限り出番は作っていただきたい」

「配慮しましょう」


(よし、これでノイアイゼンの軍が使える! 戦争を早く終わらせる事ができるかもしれない。彼らが暴れ過ぎた場合は戦後処理が大変になるかもしれないけど……。それでも戦力が増えるのは助かる。これで早く帰る事ができるぞ! そうすればアーク王国の裏切りに対応しやすくなる。なんとしてでも国を守り切らないと)


 ――アイザックがノイアイゼンの参戦を受け入れた理由。


 それはエルフやドワーフの恨みを晴らすためだったり、アーク王国に備えるためだったりする。

 だが何よりも子供達を守るために、戦争を早く終わらせたいという気持ちが勝っていた。

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