第660話 まさかのアイザック、バカ親説

 アイザックは、まず「一週間後に使者を送る。それまでに事実確認をしておくように」という伝令を出した。

 それによってクレイヴン元帥達は混乱に陥る。


「リード王国の哨戒部隊を襲っただと!? それは事実か?」

「そのような報告を受けた事はありません。そもそも渡河を禁止しておりますので、あちらの部隊と衝突する事自体ありえません」

「度胸試しで渡河するような奴がいたかもしれんぞ」

「その場合は口をつぐむでしょうし、確認が取れません」

「知りません。確認を取れませんでしたで済む問題ではないぞ! なんとしてでも調べあげろ!」

「はっ!」


 この半年ほど、特に大きな問題は起きなかった。

 それはお互いに「戦うフリはしても、実際に殺しあったりはしないでおきましょうね」という不文律があったからだ。

 もしこの事件がきっかけで衝突が大きくなれば責任問題になるだろう。

 せっかく物事が順調に進んでいたのに、こんな事でご破算になるのだけは絶対に避けたいところだった。


「それと、なんだ。カニンガム子爵か。名前も聞いた事のない奴だが、そいつの事も調べておけ。アイザック陛下が一週間も時間をくださったのだ。きっと意味があるに違いない」

「了解です!」


 クレイヴン元帥は愚かではなかった。


 ――わざわざ「カニンガム子爵を送る」と使者を前もって指定してきた。

 ――伝令を送ったあと、すぐに使者を送るのではなく、一週間という謎の猶予期間。


 この二点から「ただの詰問の使者ではなく、裏の意味が隠されているはずだ」と見抜いていた。

 彼の配下がカニンガム子爵について調べるのに、半日もかからなかった。


「リード王国軍が橋を守らせている部隊長が知っておりました。どうやらカニンガム子爵は、ウィルメンテ公の腹心だそうです」

「ウィルメンテ公の……。そういえばウォリック公と交代で、こちらに向かってきているという報告があったな。彼の腹心という事はかなりの切れ者だろうな」


 クレイヴン元帥の目の前が真っ暗になる。

 4Wの一つであるウィルメンテ公爵家。

 その当主の腹心ともなれば、当然切れ者だろう。

 こちらをとことん責め立てて、大幅な譲歩を引き出そうとしているのかもしれない。


(これは私の手に負えないかもしれないぞ……。死傷者が十人程度の問題ではあるが、殿下に報告して指示を仰ぐべきか?)


 クレイヴン元帥も貴族ではあるが、武官一筋で生きてきた。

「リード王国軍の動きを牽制するため」という表向きの名目のためにキンバリー川付近の街に駐留しているが、実質的に戦争が起きていない以上は文官が担当するべき事案である。

 統治の最高責任者であるアーヴァインに対応をしてほしいと思ってしまった。

 しかし、その心配は杞憂に終わる。


「いえ、そうではないようです。カニンガム子爵はウィルメンテ公の親友ではあるものの、その能力は劣悪極まりないという評価を受けているようです。ウィルメンテ公と交友関係がなければ、まず子爵へ陞爵される事もなかっただろうとの事でした」

「……ならばウィルメンテ公に配慮して、そのカニンガム子爵に手柄を立てさせようとしているのか?」

「そこまではまだ……。ですが他の情報と合わせて考える材料になると思います」

「そうだな、では焦らず待つとするか」


 クレイヴン元帥は、軽挙妄動をしないように自分を戒める。

 その甲斐あって、六日後に重要な情報が彼の元へ届けられた。


「アイザック陛下は妹のケンドラを溺愛しており、彼女の婚約者であるウィルメンテ公爵家の次男ローランドを毛嫌いしているそうです。もしかするとカニンガム子爵に交渉を失敗させる事で、彼を親友に持つウィルメンテ公に恥をかかせる意図があるのではないかとの事でした」

「なんと馬鹿げた事を……。あの聡明なアイザック陛下が妹可愛さに、そのような愚かな行為をするはずがなかろう」


 クレイヴン元帥は「重要な情報」と聞いていたのに、その中身のなさにガッカリしていた。

 しかし、彼の側近は違った。

 この情報の入手元に自信があったからだ。


「信じられないかもしれませんが、これはアイザック陛下のご学友であり、近衛騎士団で部隊長を務めるデービス子爵家のポール殿から聞き出した情報です。兄とは家督争いで殺し合いになりましたが『妹は家督争いの相手にはならないため、素直に可愛がる事ができる』と、アイザック陛下が語っていたのを直接聞いたそうです」

「ほう」


 情報源がアイザックの友人と聞き、クレイヴン元帥は興味を持ち始める。


「過酷な幼少期を過ごしていたので、妹に癒しを求めていたのではないかと話していました。今は妻子ができたため、そちらへの傾倒が強くなっているものの、それでもまだ妹への愛情は極めて強いものだとの事です。誰の手にも譲りたくなくないと思い、隙あらばローランドとの婚約を解消させようと画策している模様です」

「なるほどな。だがそれだけで判断する事はできん」


 部下の報告を興味深く聞いていたが「ケンドラとローランドの婚約解消」という言葉が出てきた時点で「信憑性のないたわごとに過ぎない」と一気に興味と失った。

 しかし、彼の部下は報告を続ける。


「それがこの話には続きがあるのです。ポール殿は王妃殿下全員から『アイザック陛下が娘はどこにも嫁に出さない』と駄々をこね始めたら力尽くで黙らせるようにという密命を受けているそうです。実際、友人を集めた席が先日設けられた時に止めに入ったと話しておりました。他の友人にも確認したところ、アイザック陛下は子供に対する執着が強いという証言を得られています」

「まさか……、本当に……。ケンドラとローランドの仲を裂くために、カニンガム子爵を送り込もうとしているというのか? あのアイザック陛下が?」


 愕然としたクレイヴン元帥に対して、部下達は力強くうなずいた。


「使者を送るという先触れにしては一週間という猶予期間は長すぎます。我らにどう動くべきかを判断させる時間を作ってくれたのではないでしょうか?」

「ポール殿だけではなく、他の者達も多少の袖の下を渡しただけで、あっさりと情報を提供してくれました。それはつまりアイザック陛下が素直に話すようにと手をまわしていた事の証左であると考えております」


 部下達は次々に「アイザックは親バカを通り越したバカ親の可能性がある」という報告をする。

 こうなるとクレイヴン元帥も、彼らの意見に耳を貸してもよさそうだと思えてくる。


「なるほど……、では諸君らはアイザック陛下が『ケンドラ可愛さにローランドとの婚約解消を狙い、ウィルメンテ公の腹心に恥をかかせるために交渉しようのない問題に対処させようとしている』と考えているわけか。本当にその方向で確定していいのだな?」

「…………」

「…………」

「…………」

「おい、なにか言わんか!」


 クレイヴン元帥の問いに誰も答えられず、そっと視線を外した。

 彼らもその可能性が高いとは思ってはいたが、絶対に「その通りです」とまでは答えられなかった。

 誰もが「国王という立場にある者が政略結婚の重要性を理解していないわけがない」と思っていたからだ。

 しかも相手は智謀に優れたアイザックである。

「そんな幼稚な事をするはずがないだろう」という気持ちのほうが圧倒的に強かった。


「とりあえず、カニンガム子爵に会ってから判断されてはいかがでしょうか?」


 部下達は、つい先ほどまで話していた事から一転し、安全策を主張し始める。

 いくら情報があるとはいえ、誰もが「アイザック、バカ親説」を無条件で受け入れる勇気がなかったからだ。

 クレイヴン元帥も溜息を吐きながら彼らの意見を受け入れる事にした。


「哨戒部隊襲撃事件に対応する能力があるのならば誠実に対応し、能力がないようならば冷遇する、か。……アイザック陛下がウィルメンテ公への態度を考え直して、彼の腹心に手柄を立てさせてやろうと考えている可能性もあるのだ。話次第ではあるが、いずれにせよ早合点して行動するのは危険だ。基本的には話し合いで誤解を解き、穏便に解決する方向で進めるぞ」

「それがよろしいかと」

「まったく、アイザック陛下の考えがさっぱりわからん。これならこちらの仕業だと一方的に責め立てられたほうがよっぽどマシだな」

「同感です」


 ――カニンガム子爵を使者として送る。


 ただそれだけ知らせで、グリッドレイ公国軍首脳部は右往左往させられていた。

 その動揺こそが、交渉に入る前にアイザックが求めていたものだった。


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明日4/20の正午からコミカライズ4話の前編と後編がマグコミにて更新されます。

そちらもまた明日よろしくお願いいたします!

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