第659話 グリッドレイ公国攻略への布石

 ウォーデンは、かつてドワーフが捕らえられていた最奥の区画が政治犯収容所となっていた。

 そして居住区画には、ウォーデンで働いていた役人や兵士が家族と共に収容されている。


 ――ドワーフを外部に逃さないために作られていた街が、今では彼らを逃さないための収容所となっている。


 なんと皮肉な事だろうか。

 だが彼らが救済される時が近づいてきていた。


 三月五日。

 ノイアイゼンの軍がウォーデンに到着する。

 彼らは殺気立っており、守備についていたロックウェル公爵家の兵士達も、自分達に怒りを向けられたわけではないのに怯えてしまうくらいの恐ろしさだった。


「ここに奴らがいるのだな?」


 軍の指揮官にはヴォルフラムが選ばれていた。

 観戦武官として同行し、奴隷をノイアイゼンへと連れ帰った彼が代表にふさわしいと任命されたからだ。

 初めて来た時は「本当に奴隷がいるのか?」と半信半疑の目で街を見ていた。

 しかし今は違う。

「忌々しい街をすべて消し去ってやる」という強い意志を籠めた目で見ていた。


「ええ、リード王国が支配している西半分の政治家達はですが」


 クロードもファラガット共和国の非道に怒りを覚えてはいたが、見境なしに皆殺しにしたいと思うほど理性が飛んではいなかった。

 だから「ただ支配されてきた大多数の平民は見逃してやろう」と説得し、道中の街や村に出さないようにしていた。

 しかし最初は強い反発を受けた。

 それはドワーフだけではなく、エルフからも非難されるくらいだった。

 だが道中でお世辞にも裕福だとはいえない平民の姿を実際に見た事で、彼らの考えも変わる。

「エルフやドワーフと変わらない搾取される側の人間」と理解されたおかげで見逃される事となった。

 でなければ、道中の村はすべて滅んでいただろう。


「西半分は、か。グリッドレイ公国が支配している地域では、何の心配もせずにのうのうと暮らしているのだろうな」


 ヴォルフラムは、ギリギリと歯ぎしりをする。

 罪人が平穏に暮らしているのが、それだけ悔しいのだろう。

 グリッドレイ公国がリード王国に引き渡したのは奴隷にされていたエルフのみ。

 奴隷として飼っていた者達は引き渡されてはいない。

 実際、グリッドレイ公国軍が制圧したのは政府関係者のみで、反抗してきた者以外は処罰はしていない。

 統治しやすいように協力をさせていたからだ。

 そういうところが、ドワーフ達にとって腹立たしかった。


「そちらは陛下が交渉中です。皆様が納得できるようにしてくださるでしょう」

「アイザック陛下が動いてくださっておられるのならば……」

「まずは目の前の問題に集中しましょう」

「そうだな」


 ロックウェル公爵軍の指揮官が、グリッドレイ公国の話題から話を逸らす。

 ただでさえ恐ろしいのに、これ以上激怒されては困るからだ。

 だが、ウォーデンの話題もできれば避けたかった。

 どうせこちらもあまり気分の良い話にはならないとわかっていたからである。


「リード王国軍の撤退は?」

「終わっています。それとこちらが街の住民と囚人のリストです」


 囚人とその家族はともかく、街の住民はどこまで責任を取らせるか迷うところだ。

 だから簡易的ではあるがリストを作り、誰をどうするかの選択をドワーフに任せるつもりだった。


「住民は以前から住んでいた者だけか?」

「ええ、そのようです」

「なら確認は必要ない。ここの住民は全員共犯だ。従うしかなかった者もいるかもしれんがな。……不満か?」


 ヴォルフラムは「一人でも助けようとしているのではないか?」と思って訪ねる。

 しかし、指揮官は首を左右に振った。


「ロックウェル地方は長年ファラガット共和国に虐げられてきました。彼らに同情する事などありえません」

「ならよかった。では早速始めるとするか」


 ヴォルフラムを始め、ドワーフ達は獰猛な笑みを浮かべた。



 ----------



「街が消えた? 本当にとんでもない事をやってくれたな」


 報告を受けたアイザックは、ただただ驚いていた。


 ――ウォーデンの街が消えた。

 ――住民が皆殺しになったからというだけではない。

 ――文字通り街が消えたのだ。


 これはエルフの仕業である。

 ウォーデンはドワーフが逃げ出しにくいよう、山を切り崩して作られていた。

 ドワーフ達が破壊の限りを尽くしたあと、エルフが魔法で山肌を崩壊させて街を丸ごと埋めてしまったらしい。

 エルフ達にとっても、あの街を残すのは許しがたい事だったのだろう。


 ウォーデンは完全に地図から消された。

 いずれファラガット共和国の悪行として、その名が語られるだけになる時がくるかもしれない。


「ノイアイゼン軍はこちらへ向かって移動しています。ヴォルフラム殿がファラガット共和国東部の事について陛下と会談したいと先行しているとの事です」

「グリッドレイ公国との戦闘に参加してくれると楽なんだけどねぇ」


 アイザックは衝撃から立ち直り、自分の正面に座るカニンガム子爵に微笑みかける。


「まったく、とんでもない事件が続いて困りますね」


 他人事のように語るアイザックを、カニンガム子爵は怯えた目で見ていた。

 それは猛り狂うドワーフを見ていたロックウェル公爵軍の者達の目つきに近い。

 その理由は、彼の前にあった一枚の報告書が原因だった。


 ――キンバリー川沿いを哨戒していた部隊が襲撃された。

 ――死者は九名、行方不明者が一名。


 実質的に停戦しているとはいえ、表向きは戦争中だ。

 戦争中ならば、これくらいよくある事だ。

 しかし、これはよくはない事だった。


 ――なぜならこれはアイザックが命じた事だからだ。


 いくらアイザックが禁じたとはいえ、どうしても略奪行為などを起こす者は出てくる。

 暴行、殺人、強盗、放火。

 そういった者達を集めて処刑し、哨戒部隊のフリをさせていたのだ。

 ではなぜそんな報告書をカニンガム子爵に見せているかというと、彼に仕事を任せるためである。


「グリッドレイ公国を攻撃する口実に、この事件を利用します。そこであなたの出番が来たのですよ。どういう意味かはわかりますね?」

「私に行方不明者の返還を求める使者になれというのでしょう?」

「その通り。話が早くていいですね」


(いいわけあるか! 私はお前とは違うのだぞ!)


 カニンガム子爵は「陛下から直々に任務を与えられた」と素直に喜ぶ事などできなかった。

 誰がどう考えても一方的な言いがかりで戦争を仕掛けるのだ。

 そのきっかけを作る事になる交渉になど出向きたくはない。

 これまで彼は演技で人を騙してきたが、それはウィルメンテ公爵が傘下の貴族をまとめやすくするのを手伝っていただけだ。

 誰かを陥れるための演技ではない。

 笑みを浮かべて平然と「戦争の口実を作ってこい」と命じるアイザックとは大違いである。

 だが不満を顔に出すわけにはいかない。

 ここで断ったらどうなるかわからなかったからだ。


「まずは謝罪の要求から初めて、死者の賠償金、捕虜になったであろう行方不明者の返還を求めていってください。ただし、相手が要求を受け入れないように上手く調整していただきたいのですよ」

「要求を受け入れられたら、戦争を仕掛ける口実に使えないからですね」

「だからカニンガム子爵には上手く演技をしてもらいたいのです。こちらが本気で問題解決をしようとしていないと思わせてください。そのためにウィルメンテ公爵からあなたを借りてきたのですから」

「そこまで評価していただき、ありが――」


 カニンガム子爵は答えている途中、アイザックの言葉に引っかかりを覚えた。


「最初から密約を破るつもりだったので?」

「ああ、カニンガム子爵はご存じありませんでしたか。最初からグリッドレイ公国も潰す予定でしたよ。でなければファラガット共和国の東半分を渡したりはしません。血を流しもしない奴らに土地を分け与えるわけがないじゃないですか」

「なるほど……。今思えば、グリッドレイ公国に攻め込むフリをしてファラガット共和国へ攻め込んだ時からなにかおかしかったですね。すべて陛下の手のひらの上というわけですか」

「もっとも、ウォーデンでのドワーフの扱いに関しては完全に想定外でしたけどね。本当にノイアイゼンの軍をどう扱えばいいのか……。何か妙案が浮かんだりしませんか?」

「いえ、私にはそのような案はございません。陛下ならば何か思い浮かばれるのでは?」

「ないんですよね、それが」


 アイザックは、ハハハと力なく笑う。

 カニンガム子爵は「陛下でもノイアイゼンの軍をどう扱えばいいのか困るのか」と、アイザックが悩んでいるという事を基準に、ドワーフの扱いの困難さを実感させられていた。

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