第658話 青天の霹靂
十二月に入った頃、アイザックは王都からの手紙を読んでいた。
(そうか、ついにこの時がきたか……。だがいつかはこの時がくるとわかっていた。落ち着かないと)
アイザックは胸の高鳴りを落ち着かせようとする。
だが簡単にはできそうになかった。
――バリーとドウェインの誕生!
リサの息子バリーが九月九日、アマンダの息子ドウェインが九月十日。
最初はバリーの誕生を知らせる手紙だったが、慌ててドウェインの事が追加されているようだった。
パメラも二日続けての出産に驚いていたのが目に見えるようだ。
だが彼女だけではない。
リサやアマンダからの手紙も喜びと驚きが多分に含まれていた。
(リサは三人目だから落ち着いているけど、アマンダは望んでいた男児だから格別に嬉しそうだ。ウォリック公爵家の跡継ぎができた。跡継ぎを産まないといけないっていうプレッシャーがあったようだし、これでいくらか気持ちも軽くなっただろう。良かったな、アマンダ)
特にアマンダは男児を求めていたので、息子が生まれたのをアイザックが思う以上に喜んでいるはずだ。
アイザックも子供が無事に生まれてきた事を喜んでいたが、アマンダが重荷から開放された事も同じくらい喜んでいた。
だが、少し冷静になると悲しみがアイザックを襲ってくる。
(せっかく生まれてきてくれたっていうのに、子供達はまだ父親に会えていないんだよなぁ……。早く帰りたいな。他のみんなのためにも)
戦場に出る前に妻が妊娠していたのはアイザックだけではない。
当然、他にも大勢いるだろう。
彼らのため。
そして何よりも自分のために戦争を早く終わらせようと心に決めた。
(戦争を終わらせるためにも、グリッドレイ公国との戦端を開かないといけない。そのための下準備を実行しないといけないな。……ああ、早く戦争になーれ)
一刻も早く子供達に会いたいあまり、アイザックは物騒な事を願ってしまっていた。
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二月に入る頃。
アイザックの願い以上に物騒な報告が届いた。
「ノイアイゼンからの援軍がこっちに向かっている!? しかもアーク王国から同盟の破棄が通告された!? なんだ、この報告は! 間違っているんじゃないか?」
「外務大臣のウェルロッド公だけではなく、摂政閣下や宰相閣下の連名による報告書ですので……」
彼自身が悪いわけではないのに、まるで自分が叱られているかのようにファーガスが身を縮こまらせる。
基本的にアイザックは温厚であり、部下にも柔らかな態度で接していた。
その彼が珍しく声を荒らげているのだ。
怒りの矛先が自分に向けられた時の事を考えると、どうしても怯えてしまう。
「署名がお祖父様だけだったとしても内容は信じるさ。間違っていてほしいと思っただけだよ。とりあえずクロード大臣とドワーフの随行員を何人か呼んできてくれ」
彼の怯えを感じ取ったアイザックは、言葉に怒りを含ませないように気を使った。
しかし、内心ではまだまだ荒れている。
ファーガスが退室したあと、気分を落ち着かせるために考えにふける。
(アーク王国の態度は以前から怪しかったけど、まさか同盟を破棄してくるなんて。それもこの時期に。本当は奇襲を仕掛けてくるつもりなんじゃないか? 同盟を結んでいたくせになんて卑怯な奴らなんだ!)
アイザックは自分が人を騙してきただけに、アーク王国の「攻め込んだりはしない」という言葉を素直に信じられなかった。
(軍の一部を帰国させるか? でも春の大攻勢に必要な衝撃力を失ってしまうかもしれないから、それはできない。アーク王国が攻め込んできたら、ウォリック公爵軍を中心に時間を稼いでもらうしかないな。それに爺さんも味方を増やすために動いてくれるらしいから信じよう)
アイザックは軍を分散する事を嫌った。
東西で二正面作戦になるくらいならば、先に東側へ全力を注いで問題を解決するべきだと考える。
アーク王国が本当に攻めて来ないのならばいいが、攻めて来た場合は本国に残った部隊で時間を稼いでもらうしかない。
彼には「さすがに王都までは攻め落とされないだろう」という考えが根底にあった。
兵士の数だけを考えれば危ういかもしれない。
だが国内には衛兵という警察組織がある。
仮にも
まとまった数を集めれば時間稼ぎくらいはできるはずだ。
(そうなると予定を早めるか……。いや、それはダメだな。まだ冷える季節だ。水も冷たい。こんな時期に渡河作戦を強行して、凍えて動きが鈍った兵士が一方的に殺されるような状況だけは避けないといけない。どんなに早くとも四月半ばまでは待たないと。クソッ、こんなに早く動きがあるなんて。どうしてこんな事に……)
アイザックも戦争は望んでいたが、それはグリッドレイ公国との戦争だ。
しかもアイザックは準備を整えてから、自分で統制できる戦争を仕掛ける傾向がある。
アーク王国の突然の裏切りは、アイザックにとってまさに青天の霹靂だった。
この情勢の変化は、そう簡単には片付けられないだろう。
(ここは爺さんの外務大臣としての力量に頼るしかないか。あとは国に残った有力貴族が裏切ったり――はしないか)
――摂政ランドルフ。
――宰相ウィンザー公爵。
――外務大臣モーガン。
――外務副大臣ランカスター侯爵。
――国防責任者ウォリック公爵。
現段階で重要なポストは身内が占めている。
ウォリック公爵達が「パメラを廃して我が家の娘を正室にしよう」と考えない限りは大丈夫だろう。
そして彼らは、そこまで短絡的で愚かではない。
(ウォリック公爵はちょっと不安だけど、そんな方法はアマンダが止めてくれるだろう)
考えれば考えるほど「意外となんとかなりそうだ」という気分になってくる。
アーク王国に関しては本国に残っている者達に任せておけばなんとかなるだろう。
こうなると、ドワーフの方が問題が大きく思えてくる。
(こっちは、なんとかできそうにもないからな……)
「他国の軍の領内通過を認めた」とアイザックに事後報告をするくらいだ。
モーガンが「止める」や「断る」という選択肢を取れないほど怒り狂っているのだろう。
彼らをどうにかしなければ、ファラガット共和国が焦土と化してしまうかもしれない。
それはアイザックが望む結果ではなかった。
「陛下、クロード大臣をお連れしました」
「どうぞ」
どうしようか考えている時に、ファーガスがクロードとドワーフの随行員を連れてきた。
彼らが入室し、テーブルに付くとアイザックは早速問題を切り出す。
「――という事になっていますが、ドワーフとしての意見を聞かせていただけますか?」
「ファラガット共和国の人間は皆殺しにするべきです!」
「見せしめは必要です!」
「今すぐにでも殺してやりたい気持ちを押し殺して我慢しているくらいです!」
やはりウォーデンの出来事は許し難いらしい。
アイザックは、クロードの意見を求めてチラリと視線を送る。
「この話はエルフの間でもされていました。我々も到底許し難い行為だと思っています。下手にファラガット共和国の人間を庇い立てすれば、アイザック陛下の評価も地に落ちるでしょう」
クロードは「エルフ、ドワーフ問わず、それくらいデリケートな話題だ」と忠告してくれている。
だがそれはそれでアイザックも悩まされる。
「ではノイアイゼンの軍が到着する前に、妥協できるラインを探りましょうか」
「妥協などありえません!」
ドワーフは強硬姿勢を崩さない。
しかし、アイザックも彼らの意見を丸呑みする事はできなかった。
「いや、してもらわねば困ります。今回の戦争は、ロックウェル公爵から『ファラガット共和国では、エルフやドワーフが奴隷として存在している』という情報を聞いた事で始まったのです。しかしながら本当に存在するかどうかはわからない。だから『侵略者』という汚名を被る覚悟で私や貴族達は軍を動かしたのです」
まずは戦前の覚悟から説明する。
「軍を動かした貴族達には領地を与えねばなりません。そして領地とは土地があればいいというわけではなく、そこに住む領民がいて価値が出てくるのです。領民も財産です。皆殺しにしてしまっては、助けに動いた貴族達が困ります」
「それではリード王国から移住させてみてはどうですか?」
「領民も財産だと言ったでしょう? 移住させるという事は、領主達の財産を奪う事になります。それは今、軍を動かしてくれている貴族に損害を与えるという事ですが、ノイアイゼンは恒久的にその損害を埋める事ができますか?」
「それは……、難しいです」
――国一つ分の人口が生み出す経済の穴埋め。
それは頭に血が登っている者でも、軽々しく「埋められる」とは断言できない規模だった。
「そもそも、あなた方もこの国の平民を見てきたはずです。彼らがドワーフを搾取してきたように見えますか? 利益を享受してきた立場に見えましたか?」
アイザックの問いに、誰も答えられなかった。
ファラガット共和国の平民は貧しい。
ロックウェル地方の平民とそう変わらないだろう。
――しかし、両者には大きな違いがあった。
ファラガット共和国の支配者層は、そのほとんどがリード王国の貴族や商人と比べても裕福だと断言できるレベルの富裕層ばかりだった。
それに対しロックウェル地方の貴族の大半は、無理をして見栄を張っているのがわかるレベルだ。
――国自体は豊かなはずなのに、一部の者が富を独占していて、ほとんどの者が貧しい暮らしをしている。
その事実は「ファラガット共和国国民の大半が、エルフやドワーフと変わらない搾取される側」という証拠となっていた。
「ただし、ウォーデンの住民は違います。彼らはドワーフの存在を知っていたはずです。あとはエルフを権力者の所有物として受け継いできた歴代の国会議員や知事と彼らの家族。報復するのならば、この辺りではないかと思うのですがどう思われますか?」
「それは……、そうです! 彼らは許せません!」
「搾取されていた平民は同情の余地がありますが、商人共は絶対に許せません!」
アイザックが適度な生贄を用意した事で、大半の平民を庇う事ができたようだ。
(種族融和大臣の随行員という事は、まだ大人しく理性的な人物のはず。怒り狂っていても、明確に本当の敵を指定すれば理解する事はできるか。彼らを説得できなければ武闘派の軍人を説得する事なんてできなかったが、まだ希望はあるな)
アイザックも同情や親切心で平民を助けたわけではない。
彼らに説明した通り、不毛の大地を手に入れても意味がないから助けただけだ。
「クロード大臣、彼らと共にノイアイゼンの軍を迎えに行ってください。そして今話したように、ファラガット共和国の平民の大多数は敵ではないという事を説明してくれませんか?」
クロードはアイザックの命令に困った表情を見せる。
だがすぐに気を取り直した。
「正直なところ自信がありませんが……。人間である陛下から説明するよりも、エルフの私から説明した方が彼らも聞き入れやすいかもしれません。なんとかしてみましょう」
「ありがとうございます。私もただ庇おうとしているわけではなく、実利の面での提案という事を理解していただけるように頑張って説得してください」
「かしこまりました」
「お願いします」
(あぶねぇ! なんとか理屈で説得はできたけど、彼らが聞く耳を持たなかったら国全体で大虐殺が始まるところだったよ。まだウォーデンが消えるだけならマシな結果だろう)
今のウォーデンは各地から議員経験者や知事経験者を集めた政治犯収容所のようになっている。
ちょうど外部に逃げられない作りになっているからだ。
これまでドワーフの血を流してきた街が、そう遠くない内に今度は罪人の血を流す場所になるだろう。
その事についてアイザックも覚悟を決めておかねばならなくなった。
早く戦争になって欲しいと願った代償は大きかったようだ。
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