第657話 モーガンの帰還

「なんだ、これは……」


 王都に帰還したモーガンは、外務大臣の執務机に置かれていた書類を見て驚愕する。


 ――ノイアイゼンからの領内通過要請。

 ――アーク王国との同盟破棄。


 副大臣のランカスター侯爵が他の仕事を片づけておいてくれたとはいえ、この二つの問題が残っているだけで山積みの書類を見るよりもウンザリとさせられた。


「なに、ただの大問題が同時期に二つ起きただけだ」


 軽く報告するランカスター侯爵を、モーガンはジト目で見つめる。

 ランカスター侯爵は苦笑いを浮かべる。


「そんな目で見てくれるな。これでもやる事はやったんだ。同盟国を含む周辺国に、どちらの教皇を支持するかを確認する使者は出しているし、その他の案件は処理している。半年の人質生活をしていたウェルロッド公のために、その二つの案件をどうするかだけ決断してくれればいい状態にしたんだぞ」

「それは助かるが……。片付けてくれた案件とこれを天秤に載せれば、こちらのほうに傾きそうだがな」

「こちらで話し合った内容を教えるから、それを参考に決断してくれ」


 ランカスター侯爵は別室に誘う。

 そこで茶を飲みながら話し合おうというのだろう。

 モーガンは彼の誘いに乗り、別室へ移動する。

 椅子に座ると深い溜息を吐いた。


「それで? どのような会議をしていたのだ?」

「ノイアイゼンの方は、まぁ受け入れるしかないだろう。軍だけではなく、こちらに負担をかけないように自前で輸送部隊まで用意している。それに段階的にではあるが三万人分の武具を無償供与してくれるそうだ。そして今後は我が国に武器の無制限輸出を許可してくれるらしい」

「ドワーフ製の武具を自由に買えるようになるか……」


 これは魅力的な提案ではあった。

 あったが、以前ほどではない。

 今はウォリック公爵領などで高炉を使った精錬が行なわれている。

 徐々にドワーフ製にも負けない品質の物が作られ始めている。

 今はありがたいが、そう遠くないうちにありがたみが薄れるだろう。


 だが重要なのはそちらではない。

「武具自体よりも、武具の無制限輸出」という申し出の方こそが重要だった。

 輸出の期限が決められていないのならば、いつか優れた武具が開発された時に購入できる。

 武具の無償供与もありがたいが、武具の輸出を制限されている通商条約を改定できる方にこそ魅力を感じさせられた。


「決断は摂政殿下や宰相閣下に確認をしてからになるが、これは引き受けてもかまわんだろう。ファラガット共和国の政治家共が悲惨な目に遭うだろうが、それは自業自得だ。ウォーデンの出来事は耳を疑ったぞ」

「それは同感だ。ドワーフ達の怒りを我らにぶつけられるわけにはいかない。ファラガット共和国で恨みを晴らしてもらうのが一番だと思う」

「戦闘に参加するエルフが二千人も増えれば前線も助かるはずだ」


 ノイアイゼンは戦闘要員と後方要員、合わせて三千名以上のエルフを集めているらしい。

 それだけのエルフが増えるだけでもアイザックは助かるはずだ。

 もっとも、怒り狂った彼らの扱いに関しては頭を悩ませる事になるだろうが。


「まずはロックウェル地方へ移動してもらい、彼らをどう扱うかはアイザック陛下の判断に委ねよう」

「春頃には再侵攻の予定があるそうだな。有効活用していただこう」


 彼らはどう扱うかに関しては、アイザックに判断を委ねる事にした。

 ウォーデンで行われていた事を知っている者ならば、ノイアイゼンの軍を受け入れる事は断れないからだ。

 さすがにファラガット共和国の者達を庇う気にはなれないため、積極的に止めようという気にもなれなかった。


「それにしても、アーク王国もウォーデンで何が起きていたかは知っているのだろう? だというのによくファラガット共和国に同情したな」


 話はアーク王国の話題へと移る。

 モーガンには彼らの行動に「あいつらは正気か?」としか思えなかった。


「種族間戦争でエルフやドワーフを警戒しているのだろう。そこに我が国が交流を再開したという話を聞いて、警戒心が高まっていたのかもしれん。人間同士で団結して身を守ろうという考え自体は理解できん事もないが、そもそもが彼らを強引に奴隷化しようとした祖先が悪い。その事を棚に上げて彼らを警戒するのはどうかと思うな」

「ウォーデンで何があったのかを知っているからこそ警戒しているのかもしれん。またしても大陸全土で種族間戦争が起きようものなら、暴く必要のないものを暴いた我々が非難されるようになるかもな」

「そうなるとリード王国は孤立するかもしれんな……」


 二人は深刻な表情で考え込む。


(アイザックが初めてエルフと接触した時、驚きはしたがそれ以上に名を上げるチャンスだという気持ちが強かった。実際そうなったし、後悔もしていなかった。だがそれはここまで情勢が変わると思っていなかったからだ。こうなってしまうと交流を再開するべきではなかったかもしれん)


 人間の国ならば、心情的にアーク王国側になびくだろう。

 誰でも自分の安全が一番大事だからだ。


「……最悪の場合、リード王国対他のすべての国という構図になるかもしれんな」


 モーガンは考えるのも嫌な勢力図を思い浮かべた。


「ファラガット共和国とグリッドレイ公国を併合できるのならば、リード王国単独で耐えられるかもしれない。そうなったらノイアイゼンも協力してくれるだろうから完全な孤立ではないだろうが……。厳しいものになるだろう。ならば我らがやる事は一つ」

「味方を増やすか、最低でも中立を保ってくれる国を増やす事だな」


 二人は視線を合わせて力強くうなずく。


 ――外務大臣と副大臣。


 彼らの肩書きを考えれば、自然とそういう答えが導き出される。


「楽隠居を決め込むつもりだったのだろう? いいのか?」


 ランカスター侯爵の声はからかい交じりだった。


「そっちこそ身体的な都合で外務大臣をやめたクセに、副大臣だと務まるのだな」


 モーガンもからかい交じりの声で言い返す。


「それは先代のウェルロッド公が悪い。あの方の後任など嫌がらせでしかないんだぞ?」

「まぁそうだろうな。私もお前のあとで苦労した」

「ほう、言ってくれるじゃないか」


 ランカスター侯爵が笑みを浮かべる。

 それに対し、モーガンは真剣な表情を浮かべていた。


「サム。いや、サミュエル。お前は本当によくやってくれていたし、今もよくやってくれている。本当に感謝している。ありがとう」

「よせよ、照れるじゃないか」


 照れるランカスター侯爵。

 モーガンは彼とまた視線を合わせ、今度は笑みを見せる。


「曾孫達のためにも、もうしばらく頑張らんとな」

「ああ、そうだな。アーク王国の思惑通りにさせるわけにはいかん。ロウソクの炎は消える瞬間が一番明るくなる。我らも最後に輝きを残そうじゃないか」

「おい、サム。縁起の悪い事を言うな!」

「ハッハッハッ」


 モーガンの抗議の声を、ランカスター侯爵は豪快に笑い飛ばした。

 彼に合わせてモーガンも声を出して笑う。


 帰還したばかりのモーガンと、これまで対応してきたランカスター侯爵は覚悟を決める。

 二人はリード王国を取り巻く状況を悲観するのではなく「最後の奉公をしよう」と前向きに受け止めていた。

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