第654話 モーガンの帰還

 グリッドレイ公国の首都テルフォード。

 ここには戦争に大きく関係していながらも影の薄い男がいた。


 ――モーガンである。


 けっして忘れ去られているわけではなかった。

 だが彼は人質としての滞在ではなく、バカンス気分で過ごしており、特になにもしていなかったため影が薄かったのだ。

 どうやらファラガット共和国へ向かう使節団に同行した時に、なにもしない時間の贅沢さを味わったのが忘れられなかったようだ。


 それはグリッドレイ公国側にとっても好都合だったので、彼のバカンスを邪魔する者はいなかった。

 グリッドレイ公国としては、モーガンに精力的な政治活動をされるよりも、バカンスを満喫してくれていたほうが安心だったからだ。

 万が一を考えて護衛にだけ気を付けていたくらいだった。

 だが、モーガンのバカンスも終わりを告げる。


「ウェルロッド公、ご無沙汰しております」

「おお、ギルモア子爵。久しいな」


 ファラガット共和国の首都デューイにいたギルモア子爵達が連行されてきたからだ。

 もっとも、連行とは名ばかりで立派な客人扱いではあったが。


「そちらの方は?」

「彼は元アルバコア子爵のヒューです。アーヴァイン殿下の命により、テルフォードまで彼の家族と共に護送されてきました」

「ほう、あのアルバコア子爵か。話は聞いているぞ」


 モーガンも彼の名前は知っていた。

 興味深そうにヒューを見る。

 するとヒューは申し訳なさそうな表情を見せる。


「ウェルロッド公、お目にかかることができて光栄です。……僭越ながら申し上げますと、私は爵位を持たぬ身でございます。本来ならば、このように話しかける事のできない卑しい身分でして――」


 そう、今の彼は爵位を剥奪された平民である。

 今回はギルモア子爵が連れてきたが、本来ならば公爵であるモーガンに声をかけるどころか、前に立つ事すら許されない身分である。

 ほんの一言で処刑されかねない。

 だがモーガンの前に来た以上は挨拶をしないわけにはいかない。

 身を縮こませ、死の恐怖に怯えながらの挨拶だった。

 そんな彼に、モーガンは笑みを浮かべて優しく肩を叩く。


「今回の任務を上手く遂行すれば、元の子爵位を叙爵されるそうではないか。ならば任務を遂行した以上、もう子爵と呼んでもかまわんだろう」

「ですがそれはまだですので……」

「なにを言うか」


 モーガンは、ハッハッハッと声を上げて笑う。


「アイザック陛下は約束を守るお方だ。ならばアルバコア子爵に返り咲いたも同然だ。私はアルバコア子爵と呼ばせてもらおう」

「ウェルロッド公がそうおっしゃるのでしたら、私はただ受け入れるのみです」


 アルバコア子爵は、うやうやしく頭を下げる。

 その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。


(まだ正式に爵位を返してもらっていないのに、ウェルロッド公が私を貴族扱いしてくださるとは。今度こそ爵位を守るために頑張ろう)

(と思ってくれていればいいのだがな。爵位を返せば恨みが消えるわけではない。家名に傷が付いたのだ。アイザックの事を逆恨みするようになってもおかしくない。少しでも私に対して感謝させ、ウェルロッド公爵家の血を引くアイザックに対する反感を薄めておかねばな。まったく、いつもアイザックの尻拭いばかりだな)


 モーガンは「アイザックの尻拭いばかりだ」と思ったが、不快感ではなく、もの寂しさを覚えていた。

 この任務が終われば、彼は引退する。

 もうアイザックの尻拭いをする機会もないだろう。

 そう思うと、もう少しだけ大臣を続けてもいい気がしてくる。


「ああ、そうだ。私は公爵だからな。私がアルバコア子爵と呼べば、それを否定できる者は陛下くらいだ。他の者達も受け入れる事しかできない。堂々と『陛下とウェルロッド公が認めた事だ』と胸を張るといい」

「ウェルロッド公、ご配慮くださりありがとうございます」

「かまわぬ。ギルモア子爵から報告を受けていたが、アルバコア子爵も頑張っていたそうではないか。功労者に見合った扱いをするだけだから気にするな。アイザック陛下も同じ事を言われるだろう。さて――」


 モーガンはギルモア子爵とアルバコア子爵の二人の間で視線を交互に動かす。


「帰る用意をしようか。私はベネディクト陛下に挨拶をしてくる」

「かしこまりました。もっとも我らは荷物をまとめられておりますので手間がありません」


 ギルモア子爵達はデューイから荷物と共に連行されている。

 準備が必要なのはモーガンだけだ。


「ならば家族への土産でも探しておくといい。そのくらいは行動の自由があるだろう」


 モーガンは「ではな」と言い残して彼らと別れる。

 まずはベネディクトに面会の予約を取る必要があったが、今回はその必要がなかった。

 なぜならすでに会食の約束があったからだ。



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「そうですか、ウェルロッド公が帰国されると寂しくなりますなぁ」


(本当は嬉しいのだろう? 目元が笑っているぞ)


 モーガンの帰国を残念がる演技をするベネディクトだったが、完全には本心を隠せなかったようだ。

 だがモーガンは、その事を指摘したりはしなかった。

 彼らがモーガンの存在を煙たがっていたのはわかっていたからだ。

 そもそもモーガンがグリッドレイ公国へ来たのは、ファラガット共和国を分割するという話をするためだけではない。


 ――もしも自分の身になにかあれば、それがリード王国にグリッドレイ公国を攻める口実を与える事になる。

 ――場合によっては自殺して攻め込む口実作りをする可能性もあるが、強制送還をしようものならリード王国の面子を傷つけたとして攻め込む口実にする。


「モーガンが自主的に出国しない限り、リード王国が攻めてくるかもしれない」という恐怖が付いて回るのだ。

 彼が出て行ってくれる事に後ろ髪を引かれるような事はない。

 むしろ、晴れ晴れとした気分で送り出したい気分だった。


 それにグリッドレイ公国側は「分割を保証するための人質ではなく、戦争の口実を作るために残っている」と半々で思っていた。

 モーガンは年齢的に先は長くない。

 それにアイザックも祖父の命一つで国を攻め落とすチャンスを作れるのなら、平気で自殺を求めてくるだろう。

 彼らは二人ともウェルロッド公爵家の人間なのだから。


 だが、そんな事にはならなかった。

 モーガンは任務を全うして帰国する。

 グリッドレイ公国側にとって「ファラガット共和国の分割だけをして帰ってくれる」というのは最良の結果である。

 上機嫌にもなろうというものだ。


「この半年、外交はランカスター侯に任せっきりですからな。元々彼が外務大臣を辞任したのは健康上の不安によるもの。楽にしてやらねばなりません。私は本国に戻りますが、アイザック陛下はロックウェル地方かファラガット共和国西部に滞在されるはず。急ぎの外交交渉は陛下に直接されるといいでしょう」

「おや、それでよろしいので?」


 外交交渉はまず外務大臣を通してするのが筋である。

 外務大臣を無視して直接国王と交渉すれば、当然大臣は面子を潰されたと思うだろう。

 それを外務大臣のモーガン自身が言い出したのだ。

 ベネディクトには信じられなかった。


「かまいませんとも。ここに滞在しているだけで遠方へのスムーズな連絡が難しいという事を実感致しました。急ぎでなければいいのですが、国境付近で問題があった場合に何カ月も時間をかけてはいられないでしょう? 遠慮せずアイザック陛下に使者を送っていただきたい。それが両国のためです」

「ウェルロッド公がそこまでおっしゃるのなら、そうさせていただきましょう」


 モーガンがいいと言うのなら問題はない。

 ベネディクトとしても、国境紛争が本格的な戦争に発展するのは勘弁してほしいところである。

 近場に駐留するアイザックと素早く連絡を取れるならそれに越した事はない。

 モーガンの申し出は、リード王国が本気でグリッドレイ公国との友好関係を考えているものだとしか思えなかった。

 しかし、モーガンにはモーガンなりの理由があっての申し出だった。


(今後、彼らとの間に起きた問題は外交交渉で解決できる範疇で収まる事はない。私の仕事ではなくなるので、アイザックに自分で解決してもらうべきだろう)


 アイザックは、グリッドレイ公国の征服まで考えている。

 そもそも外交的な解決を考えていないので彼の出番はない。

 ならばアイザックがやりやすいよう、交渉も彼に任せたほうがスムーズに事が進むだろうとモーガンは考えていた。

 ただ「距離が遠いから」という理由も事実だった。

 モーガンもまったく嘘を言っているわけではなかった。


「そういえば一つ忠告を。アイザック陛下は約束を守るお方です。陛下から約束を破るような事はありません。ですがそれだけに約束を破られた時は激しく怒ります。戦前の約束の他にも、おそらく現地で新たな決め事をしている事でしょう。そういったものも守るよう、兵士達にまでしっかりと通達しておくべきです」


 この忠告にも嘘はない。

 なぜならアイザックから、ベネディクトにそう伝えるように言われていたからだ。

 これがアイザックにとって重要な事らしい。


(どうやるのかまではわからんが、大方あちらから協定を破ったと言いがかりを付けるのだろうな。そのための理由作りなのかもしれん。まぁ私の仕事は終わりだ)


 だがモーガンにはどうでもいい事だった。

 あとはアイザックがグリッドレイ公国を料理するだけだ。

 その結果をゆっくりと見物させてもらう。

 モーガンは引退後の事をすでに考えていたので、グリッドレイ公国の命運も完全な他人事として受け止めていた。



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 リード王国ロックウェル地方とグリッドレイ公国の国境。

 そこにはキンブル元帥率いる王国軍とロックウェル方面軍兵、合わせて三万が集まっていた。

 対するグリッドレイ公国軍は五千ほど。

 グリッドレイ公国軍は主力のほとんどがファラガット共和国へ侵攻しており、この五千も徴兵したばかりの雑兵がほとんどだった。

 それでも五千の兵を動かしたのは、モーガンを見送る際の見栄である。

 もしも戦闘になってしまえば鎧袖一触の惨状を見せる事になっただろう。

 だがリード王国軍に戦闘の意思はなく、グリッドレイ公国軍は大軍に圧倒されるだけで済んでいた。


「ウェルロッド公、お待ちしておりました」

「お勤めご苦労様です」

「出迎えに感謝する」


 キンブル元帥とロックウェル公爵が、モーガンを出迎える。

「ファラガット共和国内に軍を駐留するよりも、ロックウェル地方に駐留させたほうが輸送の負担が減る」という理由で彼らをロックウェル地方に戻していた。

 だがアイザックは、ただ戻すだけではなく、モーガンの出迎えに使う事にした。

 モーガンへの「無事の帰還を待ち望んでいましたよ」というアピールと、グリッドレイ公国軍側に「それだけモーガンが重要人物だった」というアピールを兼ねたものだった。

 これは戦場で誰にでもわかりやすい結果を残す事ができる武官とは違い、わかりにくい文官の功績を目に見える形にするというのと、人質としてグリッドレイ公国へ送り込んだモーガンへの感謝の気持ちでもあった。


「ギルモア子爵もご苦労だった。ファラガット共和国に一泡吹かせる事ができたおかげで最近は目覚めが良い」

「お役に立てたのならなによりです」


 ロックウェル公爵は笑みを浮かべて、ギルモア子爵の労をねぎらう。

 そしてアルバコア子爵に対しても笑みを見せた。


「アルバコア子爵もよくやってくれた。もしファーティル公爵領に復帰して肩身の狭い思いをするようであれば、ロックウェル公爵領で受け入れてやってもいい。もっとも、こちらのほうが肩身の狭い思いをするかもしれんがな」

「ロックウェル公のお心遣い痛み入ります」


 ロックウェル公爵に礼を述べながら、アルバコア子爵は失敗をしてからの事を思い出していた。


(私は致命的な失敗をした。だが挽回しようと努力すれば、それを認められる。これまでの人生ではこんな事はなかった。ファラガット共和国行きは学ぶ事も多かったな……)


 これまで彼は漫然と暮らしていたが、努力して目標を達成する喜びを覚える事ができた。

 まだマイナスをゼロに戻しただけだったが「次も頑張ってみよう」と思えるようになっていた。



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多少落ち着いてきたので投稿再開です。

3月20日正午は「いいご身分だな、俺にくれよ 〜下剋上貴族の異世界ハーレム戦記〜」の更新日です。

今回は単行本のお知らせです!

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