第652話 シューティングスター城の降伏

 シューティングスター城を包囲するランカスター侯爵軍。

 彼らを率いるダニエルは退屈していた。


「十月に入ったというのに、奴らは動かないな」


 シューティングスター城の出入り口となる城門を、水掘を延長して封鎖して以来、ファラガット共和国軍は籠城を続けるだけだった。

 あまりにも暇なので兵士には午前中は軍事訓練、午後からはレクリエーションをさせていた。

 昼食は城内から見えるようにバーベキュー大会を開き、そのあとは自由に遊ばせていた。

 だというのに、城内からは反応がない。


「商人の話によると、備蓄食料は半年分もないはずです。配給を減らしていれば兵士の士気も落ちてきておかしくないはずですが……」

「逃亡兵も出てこないですね」


 ダニエルの側近も、守備側が動きを見せない事を不思議に思っていた。


「指揮官がよほど優秀なのか、兵士の士気が高いのか。いずれにしても他所にいた軍とは違うようだな」

「やはり要所を守る要塞という事もあって、精鋭部隊が配備されていたのでしょう」


 彼らは精鋭部隊が籠城しているからだと思っていた。

 しかし、実際は違う。

 籠城している第三師団は中部出身者ばかりで構成されており、兵士に泳げる者がいなかったから脱走兵が出ていないだけだ。

 泳げない者が十メートルを超える高さの城壁から飛び降りて、三十メートルほどの水掘りを泳ぐのは自殺行為でしかない。

 だから逃げようとしても逃げられなかっただけで、実際の士気は低下していた。


「ロックウェル公やファーティル公のように、相手がすぐ降伏してきても張り合いはないが……。ここだけ粘られると困るな……」


 軍の規模が違うとはいえ、北部方面軍や南部方面軍は開戦間もなく守備部隊を降伏させていた。

 だというのに、シューティングスター城だけは陥落していない。

 アイザックの命令通りではあるのだが、これではまるでランカスター侯爵軍が無能揃いのように思われる。

 彼らは「他の部隊のように手柄を立てたい」という悩みと日々戦っていた。

 そんな彼らのもとへ、アイザックからの援軍がやってくるという知らせが届く。


「援軍?」

「総勢百名ほどだそうですが、実質的な援軍は二名だとの事です」

「二名だけ? ……エルフか?」


 ダニエルは、真っ先に好戦的なエルフを援軍に送ってくれたのだと考えた。

 たった二名で城を落とす手助けをするのなら、魔法が使える者がくると考えるのは自然なものだった。


 ――だがアイザックは、より効率的な者を送り込んでいた。



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 シューティングスターの城内では、絶望的な会議が開かれていた。


「食料の備蓄が残りわずかです。既定の配給量の四割まで減らしても一ヶ月持つかどうか……。また、薪も不足しております。これでは冬を越える事はできないでしょう」


 ――致命的なまでの物資の不足。


 それは食料だけではなかった。

 十分な物資の備蓄ができなかったため、調理や暖房に使うための薪も不足していた。

 そもそも食料が不足しているので、冬を越す事を考える事自体が無駄な考えではあったが。


「これではもう籠城も続けられないか……」


 スミス大将は天を仰ぐ。

 敵と戦って勝てるかどうかの問題ではない。

 迫りくる餓死との勝ち目のない勝負だった。

 頭に「降伏」の二文字がよぎる。

 そこへ知らせが入った。


「閣下、リード王国軍が交渉したいと申し込んできました。使者を二名、城に入れたいとの事です」


 城壁からやってきた伝令も、今に倒れそうなほど弱っていた。

 しかし、その目には希望の光が宿っている。

 きっと降伏するチャンスがきたと思っているのだろう。

 その気持ちがスミス大将達にも痛いほどよくわかった。


「閣下、一応お伝えしますが、使者を招き入れるという事は城内の様子を知られるという事です」

「わかっている。だが、もうそんな心配をする必要はない。どうせ城壁に配備された兵達の様子から知られているだろう」


 開戦当初は兵士達も元気だった。

 しかし、食料の配給が減らされて一ヶ月、二ヶ月と経つに連れて、兵士達の体力と気力は失われていった。

 もう開戦当初のように、立って見張っている者などいない。

 少しでも体力の消耗を減らそうと座り込んでいた。

 最初はそれを注意していた小隊長達も、時が経つに連れて兵士達と同じ姿を見せるようになっていった。

 城内の士気は最低である。

 脱走兵が出ないのは、高い城壁と幅のある水掘りがあるからというだけだった。


「使者を連れて来い。どのような条件を出してくるのか聞いてやろう」

「はっ!」


 ――これでこの飢餓地獄から解放される。


 そのような期待を持った伝令は、これまでの軍歴の中で一番ビシリとした敬礼をして出て行った。


「兵士達が暴走して襲ったりしないか心配だな」

「そのような気力もないでしょう」

「それもそうか」


 彼らは悲しい話をしながら、使者の到着を待った。

 しばらくすると、城内がざわつき始める。


「なんだ、兵士達は意外と元気じゃないか」


 ざわつけるような無駄な元気があるのだ。

 意外とまだ籠城も続けられるかもしれない。

 スミス大将は、兵士達の不屈の精神を見直した。

 だが、それは間違いだったとすぐに気付かされる事になる。

 会議室の扉が激しく叩かれる。


「何事だ!」


 上層部が集まる部屋の扉を激しく叩くなど、あまりにも礼儀に欠けている。

 誰もが「これは懲罰ものだな」と思っていた。


「フランクリン大統領閣下とメイヒュー財務大臣閣下がお越しです!」

「なんだと!?」


 激しいノックは、二人の案内をしてきた兵士の焦りを表していたのだろう。

 スミス大将達も全員が慌てて立ち上がり、直立不動の姿勢で大統領を出迎える用意をする。

 扉に近い将校が扉を開く。


「邪魔をするぞ」

「閣下をお迎えできる事ができて光栄であります!」

「ようこそ、シューティングスター城へ!」


 会議室の全員が敬礼をし、師団長のスミス大将と要塞司令官のコナーが歓迎の言葉をかける。

 敵軍に包囲されている中、大統領と財務大臣が足を運んできたのだ。

「なぜ彼らがここに来る事ができたのか?」という事を考えれば、最悪の事態しか頭に浮かばない。

 だがそれでも「最高司令官」がやってきたのだ。

 出迎えには全力を尽くす。


「どうぞ、こちらへ」


 スミス大将が自分の席をフランクリンに勧める。


「いや、私はここでいい」


 だがフランクリンは、扉に近い椅子に座った。

 メイヒューも彼の隣に座る。

 これには誰もが困った反応を見せる。


「大統領閣下を下座に座らせるわけには参りません」

「それだが、私はもう大統領ではない」

「!?」


 ――フランクリンがもう大統領ではないであろう事はわかっていた。


 フランクリンがここに来るという事はデューイが陥落したという事だ。

 講和条約を結んだのならば、ファラガット共和国の兵士が護衛に付いているはず。

 護衛がいないという事は、リード王国の捕虜になって「降伏勧告をしてこい」と命じられた可能性が極めて高い。

 彼らがここにいる事が、ファラガット共和国が窮地に陥っているという証拠だった。


「どういう意味でしょうか?」

「実は――」


 フランクリンが、メイフィールドの反乱により大統領職を追われた事を説明する。

 そして、アイザックから聞かされたグリッドレイ公国軍の裏切りについても。

 話が進むにつれて、スミス大将達の表情が悲しみや怒りに満ちたものなどコロコロ変わっていった。


「今、我々がここにいるのは、諸君らも予想しているであろう通り、降伏を勧告するものだ。ファラガット共和国は事実上消滅した。援軍が来ないのだ。これ以上、籠城する意味はなくなった。武装を解除して、ここを明け渡してほしい」


 同行しているメイヒューが武装解除を申し入れる。

 彼もこんな事は言いたくなかったが、ここで彼らを死なせても意味がない。

 ただ死体が増えるだけである。

 それならば素直に降伏させて、生存者を一人でも増やす事が政治家としての最後の役目である。

 あと、アイザックの心証を良くして彼自身が生き残るためでもあった。


「だが、どうしても降伏できない。したくないというのであれば、私もここに残って共に戦おう」


 フランクリンがとんでもない事を言い出した。


(このバカ! 余計な事を!)


 メイヒューは、ついフランクリンを睨みつけてしまう。

 しかし、今は彼を見ている場合ではない。

 すぐさま視線を動かしてスミス大将達の反応を確認する。

 メイヒューの目には、彼らが落ち着いているように見えた。

 だが、実際は違う。

 彼らは落ち着いていたのではない。

 悲しんでいたのだった。


「大統領閣下……」 


 スミス大将が重い口を開く。


「閣下のお覚悟、感動致しました。ですが……、ですがもう降伏致しましょう」

「よければ理由を教えてくれるかね?」


 スミス大将は静かに涙を流していた。

 彼の涙を見て、フランクリンは並々ならぬ覚悟を感じ取っていた。

 だから「考え直せ」とは言わずに理由を尋ねる。


「本来ならば、閣下のお言葉に反応して士気が上がった事でしょう。ですが、誰も喜びの声をあげませんでした。もう戦う気力がないのです」


 彼の言う通り、この場にいる者はフランクリンの覚悟を見ても無反応だった。

 その理由は、フランクリンにもわかる気がした。


「食料がもうないのか?」

「ありません。閣下のご覚悟を聞いた時、心が奮い立つのではなく『あぁ、食料の消費が一人分増えるのか』と残念に思う気持ちが先に立ちました。きっと他の者も同じでしょう。それほどまでに食料や消耗品が不足しております」

「援軍がなくとも、物資さえあればまだ戦えたでしょう。商人達がリード王国に売るために食料を買い漁っていなければまだ……」

「そうか、苦労をかけたな……」


 コナーも悔しそうに語る。

 フランクリンは軍以外の理由で彼らが苦境に立たされていた事を知り、表情を曇らせる。


「アイザック陛下はシューティングスター城に籠城する兵士の健闘を称え、二年間の労役に従事すれば身代金などの条件なしで解放すると約束された。死に至るような過酷な労働はなく、食事や医療も保障される。不気味なほどの好条件だが嘘ではない。ここに来る前に開墾作業を行っていた兵士の姿を確認している。彼らは元気にやっていた。少なくとも、この城の兵士よりは……」


 メイヒューが降伏したあとの条件を伝える。

 悔しい事に配給を減らされている兵士よりも、労役を課されている捕虜のほうが健康的だった。

 彼らは十分な食事を与えられ、ノルマを他の班より早くこなした班には少量ながらも酒や菓子まで振る舞われるらしい。

「ファラガット共和国軍の中では彼らが一番恵まれた環境にいるのかもしれないな」と思ってしまうほど、捕虜とは思えない好待遇だった。

 少なくとも、飢えに苦しんだりはしていない。

 捕虜にもそんな扱いができるリード王国の底力を見せつけられた気分だった。


「それでは降伏の方向で調整致しましょう。責任は……、私とコナーの二人で済むでしょうか?」

「えっ、私もですか?」

「当然だろう。肩書きだけとはいえ要塞司令官なのだ。部下のためにも責任を取らねばならん」


 スミス大将も他の将官の例に違わず、金とコネによって出世していた。

 だがどちらかといえばマーロウ大臣のような軍人思考であったため、フォレット元帥よりかは責任の取り方を理解していた。


 これに戸惑ったのはコナー要塞司令官である。

 彼は元々画家志望であり、建築技師として要塞での戦い方を指導するために「司令官という肩書きがあったほうが兵士も言う事を聞くだろう」と肩書きを与えられただけだ。

 スミス大将のように自分の命を差し出す覚悟はできていなかった。

 動揺する彼にフランクリンが助け舟を出してくれた。


「いや、アイザック陛下は無駄な血を流す必要はないとお考えだ。大人しく従うのならば立場に配慮し、帯剣したまま捕虜の労役を監督してくれてもいいとの事だった」

「ほう、そこまで配慮していただけるのですか。『同じ平民だろう』と兵士と同じ扱いをされるものだと思っておりました」


 捕虜の扱いは悪くなさそうだ。

 コナーだけではなく、スミス大将も安堵する。


「ただし全員というわけではない。このリストに載っている者は拘束した上で引き渡してほしいそうだ」


 メイヒューが書類を取り出す。

 彼は自らの手でスミス大将に渡した。

 スミス大将は不安を覚えながらも、書類の中身に目を通す。

 そこには十名ほどの名前が書かれていた。


「あぁ、なるほど。そういうわけですか」


 リストに書かれた名前には彼も心当たりがあった。


 ――有力者の御曹司や親類縁者ばかりだったからだ。


(有力者の首根っこを掴みたいというわけか……。まぁ、そう悪い扱いは受けんだろう)


「了解致しました。それでは彼らには事情を説明した上で、大人しく拘束されるよう伝えておきましょう」

「よろしく頼む」


 フランクリンはアイザックの使い走りにされた事で肩を落とし、メイヒューは話が上手く進んだ事を内心で喜んでいた。

 

「それでは一週間後には降伏致します」

「一週間も必要なのか?」


 軍事に明るくないメイヒューがスミス大将に確認する。


「兵士に降伏を周知するのと、食料の配給量を徐々に増やして腹を慣らすためです。リード王国軍も知っているでしょうが、飢えた状態で腹いっぱい食べると死ぬ場合があるのですよ。リード王国軍が十分な食料を持っている事は兵士もわかっています。『降伏したのになぜ腹いっぱい食べさせてくれないのか?』と恨んで揉め事になるかもしれません。そのための時間なのですよ」

「そうか、わかった。ならば包囲しているランカスター侯爵軍にもそう伝えておこう」


 降伏に関する話も終わったので、二人は話を切り上げた。

 兵士達だけではない。

 スミス大将達も明らかに食事の量を減らしている様子だったからだ。

 彼らの状態を見ておきながら「これまでどうだった?」などという世間話をする気になどなれなかった。


「スミス大将。あなたが元帥だったならば、ダールグレンの戦いの結果は変わっていたかもしれないな」

「私も逃げ場があれば兵士を見捨てて逃げたかもしれませんよ」

「それでもだ」


 フランクリンはスミス大将に近づき、彼の手を取った。


「このような状況に陥っても部下を気遣う軍人の姿を見せてもらった。あなたはファラガット共和国軍、最後の誇りとなるでしょう」

「おやめください、最後だなんて……」


 スミス大将が「最後だなんて言わないでくれ」と主張するも、誰もファラガット共和国軍――いや、ファラガット共和国自体が再興できるとは思っていなかった。


 ――国を失う。


 まだその意味を誰も実感できてはいなかったものの、皆の目から自然と涙が流れ始める。

 その涙は伝染していき、軍人のみならず、一歩引いたスタンスを取っていたメイヒューまでもが涙ぐんでしまっていた。


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明日2/20(火)の正午はコミカライズの更新日です。

そちらもよろしくお願い致します!

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