第651話 無限の愛と有限の愛
元々アイザックは遊び惚けるタイプではない。
それは戦場に来ても同じだった。
「兵士達が命を懸けて戦場にいる中、国王である自分が遊んでいるわけにはいかない」と、地元の有力者との会食以外は酒を飲むのも控えめにしていた。
だが、一切の楽しみを放棄したわけではない。
ちょっとした楽しみは、ちゃんと満喫していた。
「お待たせ」
アイザックが声をかけた相手は雛鳥だった。
彼が宿舎としているウィックス王国の王宮だった建物の庭園で、巣から落ちていたのだ。
庭園を散策中、地面に落ちている雛に気付いたアイザックは、そのまま自室に連れ帰った。
前世では法律に反する行為ではあるが、今世ではアイザックがルールを決める立場だ。
誰も文句は言わなかった。
そもそも王が小鳥の雛を一匹拾ったくらいでどうこう言う者などいなかった。
しかし、アイザックは違った。
彼は戦中に自分だけがペットを飼う後ろめたさを覚えていた。
だが拾ってしまった以上、また捨てるわけにもいかない。
すりおろした果物や、自ら探したミミズなどの虫を与えていた。
(庭いじりが趣味になっていてよかった。虫を食べるところを見るのはまだ抵抗あるけど、ミミズくらいなら気持ち悪くはなくなったし)
それに庭いじりをしていると、どこに虫が潜んでいるかもわかるようになっている。
雛を育てる下地はできていた。
アイザックは、妻達に子育て方針で責められる事もない自由な育児を楽しんでいた。
そんな雛鳥も、気が付けば羽根が生え始める頃合いになってきた。
人間とは違って、小鳥の成長は日々実感できる成長速度だった。
――巣立ちの日は近い。
そう思うと、アイザックは雛鳥へ愛情を更に注いだ。
子供達と会えない分もすべて。
そんな彼の姿を見て、マットが一つの疑問を尋ねる。
「陛下。その雛鳥ですが、過保護に過ぎませんか? 目の前にあるエサすら自分で食べようとしないのは問題があるものと思います」
「えっ……?」
――雛鳥はクチバシでついばむ事ができる距離にエサがあるのに「エサをくれ」と鳴くばかり。
これでは野生で生きていけるのか不安である。
アイザックはマットに言われてようやくその事に気が付いた。
「これはまだ子供だから……」
「殿下は手づかみでご飯を食べようとされませんでしたか? 幼子でもお腹が空いていれば自分で食べようとするものです。このまま飼い続けるのならともかく、いつかは自然に帰すつもりなら自分で食べられるようにしてあげるべきではないでしょうか?」
これはファーガスなど他の者達も思っていた事だ。
しかし、アイザックの不興を買う事を恐れて言い出せなかった。
だがマットは違った。
彼はアイザックに絶対の忠誠を捧げており、アイザックも彼の事を信頼していた。
その信頼関係があるからこそ、マットも遠慮なく進言する事ができたのだった。
(可愛がるだけでは相手のためにならないって事か。……それって!?)
彼の発言を受け、アイザックに衝撃が走る。
それは過去の事を思い出したからだ。
「パメラ達にも言われたよ。『あなたの育て方では子供をダメにする』って……。実際に自分でご飯も食べられないような子供を育ててしまった。こういう事だったんだな……」
自分のやろうとしていた事が「子供を愛する」のではなく「過剰に甘やかして子供をダメにする」ところだった。
下手をすれば、ザック達がこの雛鳥のようになっていただろう。
もちろん、そうなってもアイザックは子供達のために頑張るつもりである。
しかし、いつか子供達よりも先にアイザックは寿命で死ぬ日がくる。
そうなった時、困るのは子供達だ。
自分が大切に守ろうとしていた子供達の未来を摘みかねないところだった事に気付き、アイザックは肩を落とす。
「陛下、そう気を落とす事はありません。それが小鳥でよかったではありませんか」
マットはアイザックを慰めようとする。
だがアイザックは「そうじゃない」と首を横に振った。
「拾った以上は責任を持って育てないといけなかったんだ。小鳥だから代わりを育てるなんて事はしない。これから、ちゃんと独り立ちできるように育てるよ。教えてくれてありがとう」
アイザックの愛が、正しい子育てを誤った子育てへと歪めてしまった。
それでもアイザックは、これからも愛を持ってこの雛鳥を立派に育てようとしていた。
今度こそは正しい方向へと。
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地元の有力者との夕食会は定期的に開かれていた。
夕食会といっても、アイザックにとってこれは楽しい時間ではなく面倒な仕事でしかない。
しかし、地元の有力者と友好を深めるのも重要な事である。
面倒だと思いながらも、アイザックは顔を出す。
「陛下、ご機嫌麗しゅう存じます」
「陛下――」
「陛下――」
「陛下――」
今日、呼んだのは十名ほどの有力商人達だった。
この地の新しい支配者に有力者達はすり寄ってくる。
それもそのはず、ほとんどがアイザックのおかげで社長になったものばかりだからだ。
先代の社長達は「エルフやドワーフの事を知っていたはずだ」と一族郎党捕らえられ、財産の没収までされている。
その穴埋めとして、この場にいる者達は社長になるよう要請された。
彼らは創業者一族ではないからこそ、次の社長を任されたのだ。
本来ならば企業の要職は創業者一族が独占するものである。
アイザックのおかげで彼らは社長に就任できた。
まさに棚からぼたもちとはこの事だ。
アイザックに媚びを売るのも保身だけではなく、ご褒美をくれた新しいご主人様に尻尾を振っているだけであった。
しかし、その感謝の気持ちはアイザックにはあまり伝わっていない。
「露骨に媚びを売られても面倒だな」という感情のほうが強いので、美味しい料理や銘酒が並んでいても楽しい気分にはなれなかった。
だが本心を曝け出すわけにはいかないので、愛想笑いを浮かべて聞き流していた。
うんざりとしながらも、一通りおべっかを聞いたところでアイザックが新しい話題を切り出す。
「そういえば昨日、グリッドレイ公国軍のクレイヴン元帥と会談を設けたのですよ」
これまで和やかな雰囲気でところどころから雑談が交わされていたが、アイザックの一言で場が静まり返った。
誰もがアイザックの次の言葉をじっと待っている。
そんな彼らに、アイザックは「おやおや」と笑って見せる。
「驚かないのですね」
「グリッドレイ公国軍が迫っているという噂は聞いておりましたので」
アイザックの近くに座っていた商人が皆を代表して答えた。
「いえいえ、そちらではなく、私が元帥と会談を設けたという事に対してです。なぜあっさり会談を設けられたのかと聞かないのですね」
アイザックは周囲の反応を見る。
――なぜ戦争中で圧倒的に有利だったグリッドレイ公国側が、リード王国側との会談に乗ったのか?
「そのまま追撃すればいいのに」と普通は不思議に思うはずだ。
だが少しの動揺は見せているが、内容の割には落ち着いているように見えた。
「敗走したという噂は流れておりますが、兵士達に余裕が見えます。とてもキンバリー川東岸から追い返された軍には見えませんでした。両国の間でなんらかの密約があったものだと考えております」
先ほどとは違う者が答える。
他の者達も彼の意見に同意しているのか、それともアイザックの反応を待っているのか。
黙って様子を窺っていた。
「なるほどね、兵士達が楽観的な態度を見せていたから、致命的な敗走ではないと見破られましたか。まぁ実際、密約があったのかどうかはこれからする話には関係ないので触れないでおきましょう」
アイザックがフフフッと笑う。
(組織のナンバーツーとはいえ、よいしょの上手い腰巾着タイプが出世しているパターンもあると思っていたけど……。意外と実力主義で選ばれていたのかな?)
彼らが優秀ならば話が早い。
これからする話を理解するのに時間はかからないだろう。
「西部との交易に重点を置いている会社もあれば、東部との交易に重点を置いている会社もあるでしょう? キンバリー川を境にファラガット共和国が完全に分断される事は望んでいません。少なくとも経済的には今後も繋がり続けてほしいのですよ。だから戦争中であっても、商人の往来を制限しないでおこうとグリッドレイ公国に求めています。今はまだ正式な返答はされていませんがね」
アイザックの話は、商人にとって嬉しい知らせだった。
特に東部と商売的な繋がりが強い商人にとっては。
だが噂を聞く限りでは、アイザックの話はそのような報告だけでは終わらない。
続きがどんなものになるのか興味と恐怖を持って耳を傾けていた。
「ですので、もし東部に逃げたいと思っている方がいらっしゃるのなら、交易隊に紛れて逃げるといいですよ。私も特に引き止めませんから」
「!?」
アイザックの申し出に、会食の出席者達は息が止まりそうになるほど驚かされた。
――東部に逃げてもいい。
それはファラガット共和国政府が壊滅した事を知らない者達にとっては「戦争とは無縁の安全地帯に逃げてもかまわない」と言われたようなものだった。
(そうなると、グリッドレイ公国にはリード王国軍を追い返した栄誉を与える代わりに、ファラガット共和国西部の統治を黙認させるという密約でも交わしたのだろうか?)
だが栄誉だけではなく
なにしろ国土の半分といっても、しょせんは他国の領土だ。
グリッドレイ公国の懐は痛まない。
彼らにとってファラガット共和国西部は安いものなのだろう。
誰もがアイザックの言葉の真意を考え始める。
しかし、その答えはアイザックがあっさりと教えてくれた。
「もしも逃亡するとすれば、馬車に乗る荷物くらいしか持っていけませんけどね」
――持っていけるのは馬車に乗る荷物だけ。
それは当然だ。
会社自体を持っていく事などできない。
できたとしても大掛かりなものになるので止められるだろう。
そうなると話は変わってくる。
(せっかく手に入れたものを捨てなければならないのか)
彼らは組織の上層部にいた
本来ならば社長の座は、創業者一族の誰かが受け継ぐもの。
自分達の立場では手に入れる事ができなかったものだ。
それを捨ててまで東部に行って、なにが残るというのか。
彼らは現状を考える。
アイザックは以前の有力者達を「平和に対する罪」で捕らえていった。
しかし、罪のない者達まで捕らえたり、裁いたりはしていない。
強権の使用をためらったりしないが、不当だと思うような事も今のところはしていない。
戦前と比べて甘い汁を吸う事は難しそうだが、政治的には安定しそうである。
一方、東部はどうだろうか。
ファラガット共和国が休戦協定違反を犯していたのは周知の事実となってしまった。
今後、ファラガット共和国が国際的に厳しい立場に追い込まれる事は明白である。
グリッドレイ公国も援軍を引き上げるかもしれない。
そうなると社長という立場を失ったうえに、資産なども西部に残したまま路頭に迷う事になる可能性が高い。
「東部に行けば安心」というわけではなさそうだ。
「既存の企業はすべて王家の所有物とし、皆さんには働きに見合った報酬を支払う。それに関しては当初の予定通りです。ですがこの地に残って我が国に協力してくれるというのならば、こちらもいずれその誠意に応える事もあるでしょうね」
アイザックは追い打ちをかける。
今は他国の軍に占領されているとはいえ、聖人アイザックの威光により、キンバリー川以西は比較的安定している。
それにファラガット共和国の支配地域へ逃亡するのは賭けになる。
安定を求めたい気分だった。
(こちらに残って従うフリをして、政府にこちら側の情報を流して協力するというのもありか)
「ただし、私の誠意ある配慮に背くような事をすれば、ただちに処罰しますよ。誠意には誠意を。悪意には悪意を返させていただきますので」
アイザックは更なる追い打ちをかけた。
「どっちつかずのコウモリはいらない」という意思表示だ。
さすがに代わりがいる者達が裏切った時に許すつもりはない。
アイザックは神ではない。
彼の愛は無限ではなく有限だった。
裏切りを考えている者まで許すつもりはない。
相変わらずアイザックは愛想笑いを浮かべていたが、出席者達の顔は引きつっていた。
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「ほら、これだ。これをクチバシでくわえるんだ」
アイザックは雛鳥を連れて庭園に出ていた。
そこで石や草に潜む虫の探し方を教えていた。
今は手をクチバシのような形にして、ミミズをつまんで食べているかのように見せかけていた。
時には雛鳥を持って虫の近くへ顔を持って行き、自分で食べるように誘導する。
これは一日、二日といった時間ではできなかった。
だが五日もすれば自分でエサを食べるようになった。
「そうだ、しっかり食べるんだぞ」
(子育てに失敗なんてない。時間がかかるかどうかだけだ。愛を持って接すればわかってくれるんだ)
なんとか「口に運んでもらえるまでエサを食べようとしない」という状況から脱却できた。
雛鳥の成長にアイザックは胸を撫でおろす。
マット達もその様子を微笑ましく見守っていた。
その時、庭園の木から何羽もの鳥が飛び立つ。
するとアイザックが育てていた雛鳥もつられてどこかへ飛び去っていった。
「あっ……。まだ小さいとは思っていたけど、もう成鳥になっていたのか……」
アイザックは雛鳥が飛び去った方向を悲しそうに眺めていた。
だが、最低限自力で食事を取れるようになっていたので、彼が心配するのは「カラスとかに襲われないかな?」というものだけだった。
「陛下」
肩を落とすアイザックに話しかけたのは、マットではなくファーガスだった。
彼もアイザックのためにできる事をするべきだと思い、勇気を出して提案をしようとしていた。
「実は一部の貴族達から陛下に遊んでもらわねば遊びに行きにくいという苦情がきております。息抜きに街を散策されてはいかがでしょうか?」
「あぁ、そういえば宮内大臣にも宮廷費を使ってくれないと困ると言われた事があったね」
「たまには夜の街へ繰り出されるのもよろしいのではないでしょうか?」
アイザックも彼が「雛鳥が独り立ちした悲しみを紛らわすために出かけよう」と言ってくれている事に気付いた。
「そうしようか。ファーガス、非番の秘書官に声をかけておいてくれ。カービー男爵、近衛騎士にも声をかけて一緒に飲みに行こう。護衛は必要だからね」
「かしこまりました」
「では行こうか。いざ、キャバクラへ!」
「はっ!」
アイザックは宮廷へと向かう。
その姿はマットやファーガスには、とても酒場に行くとは思えないほど格好いい姿に見えていた。
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