第650話 捏造された戦史

 八月五日の時点でリード王国は、ファラガット共和国の国土、三分の二を占領していた。

 しかし、それ以降は占領が縮小するばかりである。

 なぜならリード王国軍は、突如戦場に現れたグリッドレイ公国軍相手に敗走を重ねていたからだ。

 それでもリード王国軍は抗おうとしていたが、各地で敗北。

 過去に例のない進軍速度による疲れや補給の不足などにより、リード王国軍は本来の力を発揮できなかった事が原因だった。


 各軍司令官の名采配により被害は軽微済んだものの、アイザック陛下はこの状況を重く受け止めていた。

 まずは全軍にキンバリー川西岸への撤退を命ぜられた。

 キンバリー川はファラガット共和国を東西に分ける大河であり、この川に架けられている橋も十分な数がある。

 だがそれは「現地住民が行き来するのならば問題ない」という限定的な話であった。

 東へ進む大軍への補給を行き渡らせられるほどのキャパシティはなかった。

 橋が原因で補給が滞っていた事を、誰よりも早くアイザック陛下が見抜かれた。

 そのため一時的に撤退させ、補給を全軍に行き渡らせ、反攻への準備を整えるようにと命ぜられたのだ。


 そうなると、今度はグリッドレイ公国軍が攻めあぐねる番となった。

 同盟国内とはいえ、自国から遠く離れた場所にまで急激に進軍したのだ。

 今度は彼らが物資の不足と疲れにより足が止まる事になる。

 渡河してまでリード王国軍に攻撃を仕掛ける余裕がなくなり、両軍共にキンバリー川で対峙する事となった。


 今は九月に入り、平民は冬越えの準備を整えなければならない時期である。

 そのためアイザック陛下は平民のためを思い、今年中の進軍を停止すると決断された。

 来春の攻勢に向けて、準備を整えようとされておられる。

 陛下のご判断によって損害は軽微であり、来春の攻勢にも問題はないため、来年はファラガット共和国全土を制圧されるであろう事は間違いない!



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「――といった感じで戦史に残すのはどうでしょう?」


 アイザックは、グリッドレイ公国軍元帥トーマス・クレイヴン侯爵に笑顔で尋ねた。

 尋ねられたクレイヴン侯爵は冷や汗をかいていた。


「本当にこのような戦況報告を本国に送られるのですか? あまりにも我が軍に有利な内容とお見受け致しますが……」


 彼が冷や汗をかいていた理由は、リード王国側から「表向きはこんな流れで戦争が進んだ事にしよう」と偽りの戦闘記録を提出されたからだ。

 三十万近い人員を動員したリード王国側に対して、グリッドレイ公国側が動員したのは後方支援要員を含めても五万人ほど。

 これだけの差があるにも関わらず、あまりにも一方的過ぎる内容だったため、クレイヴン元帥がリード王国側の名誉を心配する事態となっていた。


「それは大丈夫ですよ。ファラガット共和国は国境付近の防衛を固めていた。それなのに我が軍は三ヶ月ほどでキンバリー川まで占領したのですから。だから『過去に例のない進軍速度のせいで敗走した』と書いているでしょう? こちらの名誉はキンバリー川以西を占領した事で保たれます」


 しかし、アイザックには心配する理由がなかった。

 圧倒的な進軍速度でファラガット共和国の半分を占領した以上、文句のつけようがない戦果を挙げている事になる。

 グリッドレイ公国軍に負けたとしても、それを補ってあまりある戦果だと思っていた。


「ええ、はい……。それは確かに……。ファラガット共和国軍がここまで短期間で敗北するとは思ってもみませんでした」


 クレイヴン元帥も、アイザックの言葉に賛同の意思を示す。

 よく考えれば――よく考えずとも、リード王国軍がやってのけた事は歴史に残る大戦果だ。

「それに比べれば多少の敗北など気にならないのだろう」と思うと、心配していたのが馬鹿馬鹿しく思えてくる。


「私も公王陛下から話を聞かされた時は、リード王国がどうやって短期間で西半分を攻め落とすのかと不安に思っておりました。せいぜいが半年で国境付近の州を一つ、二つ落とすくらいだろうというのが、私が考えていた事です。これだけの事をやってのけられると、確かに一時的な敗走など気にならないのかもしれませんね」

「そうですとも。だから多少そちらに有利な内容なのは、協力してくださったグリッドレイ公国へのお礼と思ってください」

「ご配慮感謝致します。この内容ならば、公王陛下や公太子殿下もさぞかしお喜びになられる事でしょう」


 二人はキンバリー川の西岸で、橋の近い場所にある民家の中で会談を開いていた。

 表向きは停戦交渉のためだったが、実際は状況の確認のためである。


 アイザックはフレンドリーな態度を見せるが、クレイヴン元帥はそうはいかない。

 相手が一国の王であるというのもあるが、なによりもこの状況を作った者を相手にフレンドリーな態度など取れなかった。

 迂闊な態度を取って機嫌を損ねたくはない相手だ。

 孫ほどの年齢の若者が親し気に話しかけてくるからといって、彼まで親しく話す気分にはなれなかった。

 そんな彼の心境を知ってか知らずか、アイザックは呑気にお茶を飲んで余裕を見せていた。


「色々と伺いたい事があるのですが……。まずは伺いたい事が一点。アーヴァイン殿下から、ファラガット共和国をどの程度の期間で掌握できそうか連絡はきていますか?」


 ――ファラガット共和国をいつまでに掌握できるのか?


 その質問自体は聞いて当たり前のものだった。

 しかし、クレイヴン元帥にとっては違った。

 実のところ、できれば聞かないでほしかった事なのだ。


(思ったよりも時間がかかりそうだとは答えたくはないが……。ここは無駄に見栄を張るべき場面でもない。それにアイザック陛下は見栄よりも実利を求めるタイプのようだ。正直に話しておくほうがいいだろう)


「早く済む」と答えてダメだった時は「口先だけのマヌケ」と思われ「時間がかかりそうだ」と答えれば「統治する実力がない」と思われてしまうかもしれない。

 だが相手のスタンスに合わせた答えを伝えれば、ダメだった時に損ねる心証を最小限にする事ができる。

 クレイヴン元帥は、アイザックのスタンスに合わせた答えを伝えようとしていた。


「我が国はリード王国とは違い、国土が五割り増しになったのです。当然、リード王国よりも人口が少なく、官僚の頭数も足りておりません。そのため『一年以内に』とお答えしたいところですが、実際はもう少しかかると思われます」


 彼は自分の知る範囲内で正直に話した。

 あとはアイザックがどう受け取るか次第である。


「なるほど、わかりやすい返答ですね。確かに我が国とは人口も違えば、貴族の数も違う。ファラガット共和国を半分ずつにしたからといって、支配に回せる人材が足りなくなるのも当然でしょう。それにそちらは準備期間も足りなかったでしょうから」


 アイザックは今の説明を理解した。

 ファラガット共和国の国土の半分といえば、リード王国にとっては国土の12.5%ほど。

 だがグリッドレイ公国にとっては、国土が50%も増えるのだ。

 クレイヴン元帥の「国内に存在する知識階級の数を考えれば、リード王国ほどファラガット共和国の統治に回せる人数の余裕はない」という説明はシンプルながら的を射た内容だった。

 これを受けてアイザックは少し考える。


「うーん、ではグリッドレイ公国と正式な停戦協定を結ぶのは三年後という事でいかがですか? 早々に撤退するとグリッドレイ公国が軍をファラガット共和国内に駐留させる理由がなくなって困るでしょうし」

「それは助かりますが……、三年後にした理由はなにかございますでしょうか?」

「捕虜に『三年ほど真面目に労役をこなせば解放する』と約束したからですよ。特にダールグレンでの戦闘で捕虜にした者は、ファラガット共和国東部出身の者が多いんです。グリッドレイ公国と停戦協定を結び、その記念として東部出身者の捕虜に恩赦を出す。そうすれば新たな支配者となったグリッドレイ公国に対する民衆の印象も良くなるはずです」

「そこまでお考えでしたか。陛下の配慮に、ただただ頭が下がる思いです」

「いえいえ、手を組む相手にはこれくらいさせてもらいますよ」


(三年持てばいいけどな)


 アイザックはグリッドレイ公国も狙っている。

 だから本当に停戦協定を結ぶつもりなどなかった。

 なのに停戦を持ち出したのは、彼らを油断させるためである。


「停戦は三年後を目途に目指すとして、それまでの交易はどうしましょうか。こちらとしてはファラガット共和国の商人には自由に東西を行き来させてもいいと考えているのですが」

「交易ですか……」


 アイザックの提案に、クレイヴン元帥は悩む。

 軍事的な事はともかく、政治的な判断はアーヴァインがする問題だった。

 しかし、否定的な反応をして友好的な雰囲気を壊したくはない。

 彼なりに色よい返事をしておきたいという気分になっていた。


「こちらといたしましては現段階で断る理由が思い浮かびません。ですが私にはその件についての決定権はございませんので、アーヴァイン殿下に前向きに検討していただけるように伝えておきましょう」

「では、殿下によろしくお伝えください。経済的に混乱が起きている領地よりも、ある程度は安定した領地を求めるという点はお互いに共通しているはずですから。ところで頼んでいたエルフの件はどうなっているんですか?」


 交易に関しては先延ばしになるとわかると、アイザックは戦前に頼んでいたエルフの保護について尋ねる。

 クレイヴン元帥も、こちらの話題には自信を持って答える。


「もちろん、捜索に全力を尽くしております。救出したエルフにも魔力の探知で同族を探してもらうなど協力してもらっています。年内にはリード王国側へ引き渡したいと考えておりましたが、進捗状況によっては年を越してからになるかもしれません」

「それはかまいません。大事なのはファラガット共和国内に存在するエルフやドワーフを一人も残さず救出する事です。今年中に引き渡そうと焦る必要はありません。春くらいには引き渡せるようにしておいてください」

「かしこまりました。それと捕虜についてなのですが――」


 クレイヴン元帥は、リード王国軍の捕虜について触れようとする。


「我が軍はウェルロッド公爵軍所属の兵士など五十二名を捕虜にしております」

「ええ、こちらも行方知れずになった兵の数は把握しています」

「彼らを連れてきているので、会談が終われば連れ帰っていただいて結構です」

「ならば身代金を支払わないといけませんね」

「身代金は結構です。友好の証として無償で返還致します」


 クレイヴン元帥としては、ささやかな恩返しのつもりだった。

「グリッドレイ公国軍がリード王国軍を圧倒していた」という形で戦史に残してくれるというのだ。

 五十名ほどの捕虜を無償で返すくらいはどうという事はない。

 気持ちよく送り返す事ができる。


 ――しかし、アイザックのほうは違った。


 無償で送り返すと言われて、彼はなぜか渋るような表情を見せていた。

 その反応をグリッドレイ公国側の者達は不思議そうに見ていた。


「いえ、身代金は支払いましょう。これはそちらの好意を無下にするという意味ではなく、今後のためです」

「今後のためとは?」

「川を挟むとはいえ、両軍は睨み合う事になります。戦闘を行わないようにと厳命しても、中には手柄を求めて暴走する輩が出てくるかもしれません。そうなった時、いつまで相手方の配慮・・に期待するのかという問題が出てきます。その時に揉めないよう、最初から金銭で解決しておきましょう」

「……そういう事でしたか」


 クレイヴン元帥も、アイザックの言い分に理解を示した。


 ――いつまで相手の配慮に期待するのか?


 多少の小競り合いならば、グリッドレイ公国側は譲歩するだろう。

 しかし、そう何度もは譲れない。

 いつかは「小競り合いの報復を」という意見が出てくる事は目に見えている。

「最初から死傷者や捕虜が出た時は金銭で解決するように決めておこう」というアイザックの提案は理解しやすいものだった。


 それにこれはグリッドレイ公国側にとっても悪い話ではない。

 むしろ良い話だった。

 リード王国側に死傷者を出しても金を支払えば済むのだ。

 戦争を仕掛けられるよりかは断然マシである。

 この話を断る理由などなかった。

 だが、クレイヴン元帥もアイザックの施しを受けるばかりでは気が済まなかった。


「それでは今回は東岸にある駐屯地を代金としていただく事に致しましょう。あそこにあったテントなどを自由に使ってもよろしいのでしょう?」

「あそこは元々あなた方に譲るつもりで用意していましたから、どうぞご自由に。キンバリー川周辺に駐留してもらったほうが睨み合っていると周囲に思わせやすいですからね。それでは今回は駐屯地と、あそこに残してあった物資で捕虜の身代金代わりとしましょうか」


 しつこく「金を払う」と主張し続けても、相手に怪しまれるだけである。

 さすがにアイザックもこれ以上は言わず、クレイヴン元帥の提案を受け入れた。

 一方的に恩を押し付けられていたクレイヴン元帥も、アイザックが一歩引いた事により安堵する。

 気が緩んだ事もあり、彼はアイザックに質問をする。


「陛下は一兵卒の事まで気にかけておられるご様子。なにか理由でも?」

「彼らは国家のために命を懸けて働いてくれている。だから私も国王として彼らに報いようとしている。それだけですよ」

「なるほど! 陛下が寛大な心をお持ちである事は、今回の会談でよくわかりました。リード王国の民は果報者ですな」


 クレイヴン元帥は楽しそうに笑いながらアイザックのご機嫌を取る。

 アイザックも彼に合わせて笑った。


 ――話が上手くまとまったように見せるために。


「もしも捕虜にした場合は、身柄の引き渡しと共に金銭を支払う。死傷させてしまった場合は、その兵士の身分に応じた見舞金を支払う。それだけは約束をしてくださいね。そういった事もウェルロッド公がベネディクト陛下と話し合って決めているはずなので」

「もちろんですとも。形だけとはいえ戦場で対峙しているのです。衝突が起きた時の事を再確認しておくのは大切な事です。全軍にもう一度伝えておきましょう」

「よろしくお願いします」


(心配性なお方だ。しかし、これくらい慎重だからこそ、あのフォード元帥に勝つ事ができたのだろう。しかも誠実な対応をしてくれる。このお方が味方でよかった)


 クレイヴン元帥にとっては十分な手ごたえを感じる会談だった。

 だが、これすらもアイザックには次への布石でしかなかった。


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