第649話 ウェルロッド公爵軍とグリッドレイ公国軍の激突!?

 ダールグレンでの戦いのあと、ウェルロッド公爵軍は北東へ向かった。

 彼らはファラガット共和国とグリッドレイ公国の国境にそびえ立つスタンレー山脈の東端に向かっていた。

 そこからファラガット共和国北部へ向かうためだ。

 しかし、その足取りは重い。

 彼らの歩みはゆっくりとしたものだった。

 それには理由がある。


「このままグリッドレイ公国が動かなければ、陛下の計画も狂うのではないか?」


 バートン子爵が悩んでいる理由そのものである。

 グリッドレイ公国軍がファラガット共和国の援軍として現れ、ウェルロッド公爵軍は撤退する。

 そしてグリッドレイ公国軍は援軍として堂々とファラガット共和国内を自由に動いてもらう。

 彼らはリード王国軍とは違って長距離遠征のための編成をしていないため、民衆から食料を徴発するしかない。

 そうなれば民衆の反発を買い、彼らは援軍ではなく、侵略者として反感を買う事になるだろう。

 リード王国軍は相対的に「まだマシだ」と思ってもらえて、将来的にこの地を支配しやすくなる。


 しかし、それは彼らが援軍として訪れる事が前提の計画である。

 このままグリッドレイ公国軍が現れなければ、民衆の「悪辣な侵略者」という印象はリード王国が一手に引き受ける事になってしまう。

 だからバートン子爵は、嫌いな給食が出る日の子供のように、ゆっくりとした移動になっていた。


 ――いつかは到着するのがわかっているにも関わらず。


「そうなっても陛下ならば代案を考えておられるはず。心配する必要はないでしょう」


 バートン子爵を慰めたのは、ダッジ伯爵だった。

 彼はウェルロッド公爵軍に補佐として派遣されている。

 それはウェルロッド公爵軍に難しい任務が任されており「バートン子爵には実戦経験豊富な彼の補佐が必要だ」と、アイザックが思っていたからだ。


 ダッジ伯爵としては自分が大将になりたかったが、相手がアイザックの父に当たるバートン子爵相手では、そのような事を主張できなかった。

 だがこの任務を見事達成させれば、彼も侯爵へ登る道が開ける。

 それを考えれば、今回は補佐に甘んじるのも仕方ない事だと理解していた。


「だといいのですが……。もし計画と違う状況になった時の事を考えると、やはり私には荷が重い。ウェルロッド公かサンダース子爵に指揮を執ってもらうべきでしたね」

「バートン子爵だからこそ任せられる事なのです。ウェルロッド公もサンダース子爵も、どちらにも任せられない事なのですよ。そもそもウェルロッド公は、グリッドレイ公国に滞在して厳しい状況で頑張っておられますので無理でしょう。もっとも、任務の内容自体は同情を禁じ得ないものですが……」


 ウェルロッド公爵軍の任務。


 ――それはグリッドレイ公国軍相手に敗走するというものだった。


 例えわざとであっても、誰もが負ける事は嫌う。

 だからアイザックは生家のウェルロッド公爵家に泥を被ってもらう事にした。


 ――軍の規模が三万人と大きい。

 ――元々弱兵で有名だった。

 ――ファーティル王国救援などで、功績を独占するような形になってしまった。


 そういった理由から、アイザックは「一回くらいなら負けてもいいだろう」と判断した。

 他家に配慮した形である。

 それでもモーガンが指揮を執っていれば「ウェルロッド公爵家の敗北」という印象は強まる。

 ランドルフであれば「常勝無敗の古強者が負けた……」と思われ、軍全体の士気の低下を招きかねない。

 その点、バートン子爵ならば「まぁ本来の大将ではないし……」と思ってくれるはずだ。

「身内だから」で指揮官に任命されたのは、バートン子爵にとって不幸でしかない事だった。


「そうですね。どうも孫が生まれてから弱気になってしまって……。早く孫に家を任せて、隠居生活といきたいところです」

「私もです。そのためにも、ファラガット共和国とグリッドレイ公国はどうにかしておきたいですね。彼らが存在する以上、リード王国東部はいつ戦争が起きるかわかりません。アイザック陛下の計画が上手くいけば、隠居生活も望めるでしょう」

「だといいのですが……」


 二人が雑談しているところに、先行していた部隊から伝令がきた。


「北方、十キロの地点にグリッドレイ公国軍旗を発見! あちらもこちらを認識した模様!」

「ついにきたか!」

「では戦場を選定するとしましょうか」


 ――グリッドレイ公国軍の姿を確認した。


 それで目的の半分は達成できた。

 あとは相手の出方次第だった。



 ----------



 戦場は双方の中間、周囲に街や村のない平原が選ばれた。

 人目があると困るからだ。


 ウェルロッド公爵軍は三万。

 グリッドレイ公国軍は三万五千。


 グリッドレイ公国軍のほうが数は多い。

 しかし、今回は数が問題となる戦いではなかった。


 ――兵士がいかに命令を守るか?


 それが問題である。

 ここからはお互いに決め事を守れるかどうかの勝負となる。


 ――どちらか片方が約束を破ればどうなるか?


 当然、一方的な殺戮となるだろう。

 非常に危険だ。

 だからこそ度胸が必要とされる任務だった。


 始めは弓兵だった。

 両軍の弓兵が前に出て、矢の応酬を行う。

 ウェルロッド公爵軍は、矢じりを外したものを撃つ。

 問題はグリッドレイ公国軍がどうしているかだった。


「いてっ」


 ――弓兵の兜に矢が当たる。


 何人かの弓兵が撃ち込まれた矢を拾って調べる。


「矢じりが外されている!」

「よかったぁ……」


 矢じりが外されているからといって安全というわけではない。

 シャフト部分だけでも顔に当たれば大怪我を負う。

「兜や鎧部分ならば大丈夫」というだけだ。

 危険な事には変わりはない。

 しかし「相手に殺意がない」とわかったのは精神の安定に大きく寄与していた。


 しばらく弓矢の応酬が続き、一段落すると次は槍兵の出番だった。

 彼らも槍の穂先は外しており、柄だけの状態で戦場へ繰り出された。

 だがこちらは弓兵よりかは心理的負担は軽かった。

 相手の穂先が付いているかどうかをその目で確認する事ができるからだ。


 ――だが安全というわけではない。


 槍の柄は長く固い。

 勢いをつけて振り下ろしたり、突いたりすれば怪我をする。

 当たり所が悪ければ死ぬ事もあるだろう。

 殺してもいけないし、殺されてもいけない。

 制約の多い戦闘だ。

 少しのミスが命取りになる。


「ウォォォーーー!」

「ワァァァーーー!」

「ヒヤァァァーーー!」



 兵士達の雄叫びは、自然と悲鳴混じりのものになった。

 双方共に腰が引けているものの、相手の顔が見える距離での戦闘だ。

 万が一の事があっては困る。


「槍が当たって痛かったからといって、相手にやり返すんじゃないぞ! 何度もやり返していくうちに殺し合いに発展しかねないからな!」

「多少の怪我は我慢しろ! 絶対に相手を殺すなよ!」


 両陣営から、そのような声が聞こえる。

 部隊指揮官も必死だった。


 ――もしかすると自分がアイザック陛下の計画を失敗させてしまうかもしれない。


 彼らには目の前の敵と戦う恐怖よりも、そちらの恐怖のほうが勝っていたからだ。

 この茶番劇は、一時間ほど繰り広げられる。

 その間には木剣を持った騎兵同士の戦闘なども行われ、遠目には派手な戦闘に見えた事だろう。

 問題はこのあとである。

 その問題を解決するために、戦闘経験豊富なダッジ伯爵が派遣されていたのだ。




 翌朝、ウェルロッド公爵軍は撤退していた。

 多くのかがり火といくばくかの物資を残して。


「あれほどのかがり火があったのだから、奴らが撤退するとは思わなかったな。まぁいい、食料も不足していた事だ。奴らの物資を回収していこう」


 指揮を執っていた公太子アーヴァイン・グリッドレイが、やや棒読みで命令を出す。

 ウェルロッド公爵軍は昨夜のうちに撤退したのだ。

 本来は追撃を仕掛けるところだったが、彼は密約を守った。

 さらに物資を回収する事で時間を浪費する

 これでウェルロッド公爵軍は追撃の手から逃れられるだろう。

 これが勝つためではないのにダッジ伯爵が派遣されていた理由である。


「さて、ここからは私の演技力が試されるな」


 アーヴァインは南に向かって不敵な笑みを浮かべた。



 ----------



 ――グリッドレイ公国軍がウェルロッド公爵軍を撃破!


 その一報は、すぐにファラガット共和国首脳部にも伝わった。


「よーしっ! アイザック陛下万歳!」

「いや、さすがにそれは言い過ぎだろう」

「まぁ、落ち着け」

「相手はそもそもの元凶だ」


 大臣の一人がアイザックを称えると、他の大臣がたしなめる。

 さすがに「万歳」は言い過ぎたと思ったのか、彼はしおらしくなる。


「だが気持ちはわからんでもない。ちゃんと約束を守ったという事だからな。あとはグリッドレイ公国軍と協力してキンバリー川まで戦線を押し戻すだけか。しかし惜しいな……」


 メイフィールド大統領は「助かった」という事実だけでは物足りなさそうにしていた。


「裏で繋がっているとはいえ、表向きグリッドレイ公国はリード王国と戦争状態に入った。そしてリード王国はグリッドレイ公国に負けたという形になる。この状況を利用すれば、リード王国は本当に我が国に手出しをするどころではないようにできるのではないか?」

「と言いますと?」

「アーク王国だ」


 メイフィールド大統領は自信のある表情を見せる。


「アーク王国は、アイザック陛下が即位した経緯を面白く思っていない。同盟の破棄まではいかずとも、不信の種を植えつける事ができれば、リード王国も警戒して動きにくくなるだろう」


 彼はつい先日まで外務大臣だった事もあり、そのあたりの事情にも精通していた。

 だからこその自信だったのだ。


「陸上ルートでは、アーク王国へ使者を向かわせるのに嫌でもリード王国内を通らねばならん。海上ルートでリード王国軍惨敗の報を各国に知らせておこう」

「そのような事をして、アイザック陛下の怒りを買いませんでしょうか?」

「大丈夫だ。あくまでも交易商人が噂を流すだけ。そもそもリード王国やグリッドレイ公国でも、この事実は公表するだろう。噂が早いか遅いかの差でしかない」


 彼はそう言うが、実際は違う。

 リード王国から「キンバリー川西岸へ一時後退した」という知らせを受けるのと、ファラガット共和国から「あいつら惨めに惨敗してましたよ」という知らせを受けるのとでは印象が違う。

 ファラガット共和国からの情報を聞いたあと、リード王国の知らせを聞いても「リード王国側は損害を軽く思わせようとしている」と受け取られるだろう。

 そうなった時のわずかな態度の変化でリード王国が警戒してくれればいい。

 どうせ噂を流すのには少し手間がかかるだけだから金も手間もかからない。


「上手くいけば儲けものといったところだな。交易商人にそういう噂を流せと命じるだけだから金もかからん。金の心配をしないといけないのは、グリッドレイ公国軍の歓迎会だろう。元々、我が国はグリッドレイ公国を裏切ってリード王国に食料を売ろうとしていた。その事を誤魔化しつつ、適度に気持ちよくなれるよう接待してやらんとな」

「グリッドレイの田舎者など、我らの接待を受ければ骨抜きになるでしょう。いえ、してみせます」

「頼むぞ。我らの救世主殿なのだから」


 メイフィールド大統領の笑みは、言葉とは裏腹に邪悪なものだった。

 アーヴァインを接待漬けにして、今後の関係を優位にするつもりなのだ。

 そういう取り込みに関しては誰もが自信があった。

 なぜなら彼らが自分の選挙区で行っていた事だったからだ。


 ――だが十日後。彼らは自分達の考えが間違いだったと思い知らされる。


 アーヴァインが一万の兵を率いてデューイに入城した。

 リード王国が平民に緩い税制を敷いている事を知らないデューイの住民は、グリッドレイ公国からの援軍を街道で盛大に歓迎した。

 それは政府も同じ事。

 メイフィールド大統領直々にアーヴァインを出迎え、大統領官邸内にある応接室まで自ら案内する。


「まさかアイザック陛下と話をつけておられたとはお人が悪い。我らの救援要請に返事くらいしてくださってもよいものを」


 媚びを売るのは簡単だ。

 しかし平身低頭、裏切ろうとしていた事を詫びるよりも、最初に軽くジャブを入れておくのも交渉には必要である。

 無条件で相手の要求を受け入れねばならない状況を作るのは交渉ではないのだ。

 恨み言を言うメイフィールド大統領に、アーヴァインは眉一つ動かさなかった。

 それは彼にも優しさがあったからだ。


「秘密裏に約束するから密約というのだ。誰にでも知らせるわけにはいかないだろう?」

「それはそうですが、我々は当事者なのですよ? 当事者に知らせるくらいはしてくださっても……」

「当事者……か」


 アーヴァインはパチンと指を鳴らす。

 すると、応接室の中に騎士達がなだれ込んできた。

 騎士達はファラガット共和国の人間を捕えていく。


「何事だ!?」

「貴様らは当事者ではないという事だ」


 アーヴァインがフフフッと含み笑いをして見せた。


「密約の当事者とは、グリッドレイ公国とリード王国の二カ国のみを指す。貴様らは無関係だ」

「なんだとっ!? どういう事だ!」

「政治家になる程度には頭があるはずなのに察しが悪い。グリッドレイ公国はファラガット共和国に囚われているエルフやドワーフをリード王国に引き渡す。その代わり、ファラガット共和国の東半分を受け取るという約束をしていたのだよ」


 メイフィールド大統領は――いや、この場にいたファラガット共和国の者達はポカンと口を開いていた。

 アーヴァインの話の内容が聞こえているはずなのに、頭の理解が追いつかなかったのだ。


「貴様らは休戦協定違反の大罪人として裁かれる。そして我らは種族間戦争の再発を防いだ功労者として民衆に迎え入れられる。まぁ、そういう事だ」

「馬鹿な、そんな馬鹿な事が許されるとでもいうのか!」

「許されるさ。なにしろ貴様らは大罪人だ。これまでやってきた事の責任と取らせねばならんからな」

「お待ちを! それは我々ではなく、フランクリンやメイヒューが――」

「あぁ、それはどうでもいい」


 アーヴァインはダルそうに手をひらひらとさせる。

 それはメイフィールド大統領の言い分を聞く気はないという意思表示だった。


「こちらは責任を取らせる者さえいればいいのだ。それが現大統領と政府閣僚であればそれでいい。……なぜフランクリン大統領を追い出したのかわからんが、どうせ大臣だった貴様らが処刑される事には変わりはない」


 ――政府閣僚であれば誰でもよかった。


 その一言がメイフィールド大統領達を絶望させる。


「これ以上の問答は無用だろう。連れていけ」

「はっ」

「アーヴァイン殿下、何卒お慈悲を! 殿下!」


 メイフィールド大統領達が連行される。

 今頃は他の部隊が首都デューイの重要拠点を押さえている頃だろう。

 アーヴァインは出されていたワインを一口飲む。


「いいワインだ。これがこれからは我がものとなる。怪しい事極まりなかったが、アイザック陛下の話に乗ってよかったな」


 アイザックから授けられた計画が上手く進んでいる。

 彼は上機嫌で勝利の美酒に酔っていた。


 王国歴五百四年、共和国歴二百二十一年、七月二十五日。

 ファラガット共和国政府は事実上その活動を停止した。

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