第648話 ファラガット共和国の政変
――ダールグレン方面に展開していた軍が惨敗した。
その一報はフォレット元帥本人によって首都デューイに届けられた。
――それも三万以上の兵が降伏したという内容と共に。
彼はそのまま投獄され、政府首脳部は頭を抱える事となった。
「もう無理だ。……だから私は宣戦布告された日に大統領令を出そうとしたのだ! あの日の内に発令していれば、さらに五万は集められただろうに。そうすれば数で押し切る事もできたかもしれない」
「それはもう、せんのない事だ」
フランクリン大統領の不満を、メイヒュー財務大臣は「もう言うな」と聞き流す。
「これからどうする?」
メイフィールド外務大臣が、今後の身の振り方を尋ねる。
メイヒュー財務大臣は、彼の発言を鼻で笑った。
「降伏するか、逃げ出すかしかあるまい。グリッドレイ公国に出した援軍要請は返事すらない。もう組織的な反攻は不可能だろう」
「では荷物をまとめるとするか」
「そうしよう」
彼らの頭の中に「降伏」の二文字はなかった。
国防大臣であるマーロウですら、孫の安否不明と敗戦の報告で抜け殻のようになっている。
主戦派の彼の気力が尽きているのだ。
他の大臣達も「最後まで戦おう」などという気力は霧散していた。
「国を捨てるというのか?」
フランクリン大統領の言葉に、今度はメイフィールド外務大臣が鼻で笑う番になった。
「奴らがキンバリー川を越えたという事は、ウォーデンもすでに陥落しているでしょう。エルフだけでもまずいのに、ドワーフの扱いを奴らに知られたら我らはどうなると思っているのですか?」
「それは……」
一族郎党皆殺しになってもおかしくはない。
それも残虐な拷問を受けたあとでだ。
「ただ、時間は稼がねばなりません。市民を集めて一週間は時間を稼がせましょう。それまでには安全圏へ逃げられるでしょう」
「ダールグレンでは急遽集めた雑兵が反乱を起こしたらしい。それを知った上で市民に武器を渡すのか?」
「……首都から少し離れた場所に集めておけばいいでしょう」
「それで上手くいくと思うか?」
「時間さえ稼げればいいのですよ。大統領閣下、最後にそれくらいは発令しておいてください」
メイフィールド外務大臣はそう言い残すと席を立った。
他の大臣達も次々に彼に続く。
残ったのはフランクリン大統領と、マーロウ国防大臣の二人だけだった。
「どこに行けと言うのだ……」
フランクリン大統領の妻はデューイにいるが、子供達はファラガット共和国西部にいる。
すでにそこは占領されており、子供達の事を考えると妻と二人だけで逃げるわけにはいかなかった。
(私が責任を取って、せめて子供達だけは助けてくれと頼むのが最後の仕事になりそうだな……)
残っているのは、もう絶望しかない。
しかし、そんな彼に希望が届く事になる。
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二日後、各大臣宅へフランクリン大統領から招集命令が出る。
「今更なにを――」
召集令状には「リード王国から和平の申し出があった」と書かれていた。
圧倒的有利なリード王国側から和平を申し出るなどありえない。
しかし、ただ逃げるだけでは財産のほとんどを失うのは確定だ。
「話を聞くだけなら」と、寝込んでいたマーロウ国防大臣以外の大臣が大統領官邸に集まった。
――なんとそこにはフランクリン大統領の息子、カルビンの姿があった。
「おや、ご子息は西部におられたのでは?」
メイヒュー財務大臣が、フランクリン大統領に「なぜあなたの息子の姿があるのか?」と尋ねる。
「カルビンがアイザック陛下からの親書を受け取ってきたからだ。内容はこのようなものだ」
――ファラガット共和国は降伏せず、もうしばらく戦争状態を続けよ。
――間もなくグリッドレイ公国から援軍がくる。
――彼らが来るまで耐え抜いてほしい。
「ちょ、ちょっと待ってください! なぜアイザック陛下から、グリッドレイ公国の援軍がくるという知らせが来るのですか!」
「なぜあちらが耐え抜けと言ってくるのだ?」
「その理由はこれから話す。静かに聞いてほしい」
誰もが混乱していた。
話しているフランクリン大統領本人ですら、親書に書かれている事に半信半疑なままである。
それだけ信じ難い内容だったのだ。
――対外的には休戦協定違反を犯したファラガット共和国は許せない。
――しかし、ファラガット共和国全土の人間が異種族に殺される事も見過ごせない。
「おっ!?」
なにやらおかしな方向に話が動き始めた。
だがそれは、彼らにとって都合のいい方向ではあった。
――同じ人間として一度だけ救いの手を差し伸べる。
――我々はグリッドレイ公国の援軍に敗北したフリをして、キンバリー川以西へと撤退する。
――そしてその損害により戦争の継続が難しくなったという理由で、キンバリー川以東への侵攻をやめる。
――だがその対価として、キンバリー川以西はリード王国へ編入するものとする。
――ファラガット共和国西部は、功績のあった者やロックウェル地方の貴族に領地として分け与える。
――それによってロックウェル地方の貴族の溜飲も下がる事になるだろう。
――当然、そちらに残っているエルフやドワーフもすべて引き渡す事が最低条件となる。
「キンバリー川以西を差し出せば救ってくれるというのか?」
「そんなバカな! もうすでに手に入れているではないか!」
「こちらにはもう戦力が残っていない。もう少し攻めるだけですべてを手に入れられるというのに!?」
誰もがアイザックの考えを理解できなかった。
彼らが理解できないのも無理はない。
アイザック自身も「実はこのまま攻め落としたほうが楽なのでは?」と迷っているくらいだったからだ。
しかし、これにはアイザックなりの深謀遠慮によるものだ。
そんな事情を知らないファラガット共和国首脳部は混乱していた。
だが絶望によるものではない。
突然降って湧いた希望に浮足立っての混乱だった。
「こちらを油断させて、一気に捕縛しようとしているのでは?」
そこにメイヒュー財務大臣が冷や水を浴びせる。
これには場の空気が凍りついた。
それを溶かしたのは、カルビンの言葉だった。
「いえ、どうやらモラーヌ大臣――種族融和大臣という役職に就いているエルフのクロード・モラーヌ男爵と話した限りでは、過剰な報復について消極的のようでした」
「ほう、どういう事だ?」
「二百年前の種族間戦争。あの時代に戦いを経験していた世代は報復を求めており、経験していない若い世代は戦争を忌避する傾向にあるそうです。モラーヌ大臣はまだ若い世代で、人間の虐殺などは避けたいと、アイザック陛下の意見に賛同しておりました」
「なるほど! エルフの同意も得られているというわけか!」
大臣達は希望に満ちた顔に戻る。
「だからそれも罠かも知れないだろう? 我らを捕まえるためなら、モラーヌ大臣も演技くらいするだろうに」
またしてもメイヒュー財務大臣が冷や水を浴びせかけた。
「いくらなんでも、そこまで悲観的にならずともよいだろう!」
「本当にアイザック陛下の事を信じているのか? 実の兄ですら騙し討ちするような者の事を」
これには他の大臣達も不満気である。
しかし、メイヒュー財務大臣には彼らのご機嫌伺いをする気などさらさらなかった。
「自分の命が懸っているのだぞ? 自分の命運を他人の手に委ねるな。お前達も名うての商人だったのだろう? それくらいはわかっているはずだ」
「わかってはいるさ……。わかっているが、アイザック陛下の提案を蹴ってなにが残る?」
「自分と家族の命だ」
「それだけなら、アイザック陛下の申し出に賭けてもかまわんのではないか?」
彼の言葉に、メイフィールド外務大臣が反論する。
わずかな希望にもすがりたい他の大臣達も同意するようにうなずいていた。
すでにアイザックの提案に乗ろうというのが多数派だった。
賛同していないのは、リード王国軍に占領されている中部以西を本拠地とする数人の大臣だけだった。
「私も反対だ。グリッドレイ公国の援軍が本当に来るとは限らん。我らを油断させるための策略だと考えるべきだろう。大統領として、この話は断ろうと思う」
「まったく、話にならん」
メイフィールド外務大臣は、フランクリン大統領の答えを否定した。
「確信が持てないからというだけでこれだけうまい話を断るというのか? エルフやドワーフが我らの命をそれほどまでに欲しているとでも? どこまで自己評価が高いのか。お飾りの大統領が下した決断に自分の命を預けるなんて冗談じゃない! 明日にでもすべての議員を招集する! 動議は大統領の解任だ! 時勢も読めぬ者に大統領の椅子など任せられるか!」
「この非常時に解任決議だと! 国政が混乱するぞ!」
「非常時だからこそだ。国家の命運を託せぬ者に権限を与えているほうが混乱するというものだ!」
メイフィールド外務大臣に、フランクリン大統領を敬う態度は欠片も残っていなかった。
もう大統領として神輿に担ぐ必要がなくなった以上、必要なくなったのだ。
今はもう弱小派閥の長として扱われていた。
「行くぞ」
有力派閥の長であるメイフィールド外務大臣が声をかけると、多くの大臣が退席する。
残ったのはフランクリン大統領とメイヒュー財務大臣、キンバリー川以西に基盤を持つ大臣二人だけだった。
「メイヒュー大臣は行かないので?」
「彼らの気持ちもわかる。だがよく知らぬ相手に命を預ける気はない。私は他国に逃げるとするよ」
メイヒュー財務大臣は立ち上がると、フランクリン大統領の傍らに立つ。
そして彼の肩に手を置いた。
「すまなかったな、派閥間のバランスのために大統領など押しつけて。こんな事になるとわかっていたら、メイフィールド辺りを大統領に据えていただろうに」
「私なりに自分の実力や立場は理解しているつもりだ。でもそれを言い訳にはしない。今、大統領の座っているのは私だ。できる事はするつもりだ」
フランクリン大統領の覚悟を聞いて、メイヒュー財務大臣はフフフッと笑う。
「この提案は怪し過ぎる。私も派閥の者に声をかけておこう。簡単に解任などさせないさ。この国はまだまだ戦って時間を稼ぐ力はある」
「ありがとうございます」
二人は固い握手を交わした。
それはこれまでの関係とは違い、同じ目標を持った同志としての握手だった。
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王国歴五百四年、七月八日。
モントゴメリーに滞在するアイザックのもとに、ファラガット共和国から和平の使者が訪れた。
(わざわざ使者を送るなんて……。カルビンから聞いた提案の確認でもしたいのかな?)
アイザックは「心配性だな」と軽い気持ちで会う事にした。
だが、その考えはすぐに否定される。
――謁見の間に入ると、両手を後ろ手に縛られ、猿ぐつわを噛まされている男の姿が目に入ったからだ。
(公開SMプレイ!?)
まずアイザックは、そちら方面で考えてしまった。
しかし、その中の二人に見覚えがあった。
驚きながらも、アイザックは平静を装って仮の玉座に座る。
「用件は聞いているが……。なぜフランクリン大統領とカルビン殿がそのような姿でいるのだ? 本当に私の提案を受ける気があるのか?」
――そう、縛られていた者の中にフランクリン大統領と、カルビンの姿があったのだ。
大統領を罪人のような扱いをしているのだ。
「和平をしようとした裏切り者を処断する」という意思表示にきたようにしか思えなかった。
「もちろんでございます! この者達はエルフやドワーフの存在を隠していた主犯格! 新しく就任したメイフィールド大統領から陛下に引き渡すようにとの事です」
「え、あぁ……。そうか、ありがたく受け取ろう」
(えぇ、こいつらどうなってんの!? そこまであっさり味方を切り捨てるのか!?)
――ファラガット共和国政府は大統領を人身御供にして、残った自分達だけは助かろうとしている。
(元帥といい、この国の支配者層はどうなっているんだ? これならまだフレッドのほうがやる気があるだけマシじゃないのか?)
フレッド以下の人間を目の当たりにして、アイザックはこれまでの人生で一番引いていたかもしれない。
「こちらがリストです」
使者が取り出した紙が、秘書官を通してアイザックのもとへ届けられる。
そのリストにはエルフらしき名前も羅列されていたが、意外な人物の名前まで記載されていた。
使者の前なのにアイザックは目を丸くして驚いてしまう。
「メイヒュー財務大臣まで!?」
「はい。彼は与党内で最も発言力を持っている者です。その責任は重いと判断し、責任を取らせるべきだろうと捕らえて参りました」
「そ、そうか……」
(あれぇ、おかしいな。ファラガット共和国では国庫を預かる財務大臣は一番優秀な人物が就くはずなのに……。人望のない人物が大臣にはなれないだろうし……。なにがあったんだろう? あとで聞いてみよう)
アイザックが気づけるはずもない。
これはメイフィールド新大統領が自分に反対する者を一掃するために状況を利用していたのだった。
――アイザックは責任を取らせる者を確保でき、メイフィールドは地盤を固める事ができる。
一石二鳥の策ではあったが、国が滅びそうな時にやる事ではない。
普通はアイザックの様子を見ながら、交渉していくところだった。
「親族も連れてきておりますが、デューイ近郊に住んでいた者のみ。お手数をおかけしますが、リード王国の支配地域に住んでいる者はそちらで確保してくださいますようお願い申し上げます」
「わかった。そうさせてもらおう。それではメイフィールド大統領は、私の申し出を信じて受けてくれるのだな?」
「このまま攻め込まれれば我が方に打つ手はございませんでした。だというのに、リード王国軍はダールグレン要塞の包囲という名目でデューイへの進軍を止められた。言葉だけではなく、行動で示されました。それに――」
使者は一度言葉を切り、周囲を見回す。
「これだけ多くの者の前で提案に関して触れられておられるのです。提案の内容までリード王国内では周知の事実となっているのでしょう。ならば少数の者だけが知る策略ではなく、国家の方針として取られているものと思いました」
「なるほど、メイフィールド大統領は良い部下をお持ちのようだ。おそらく長い付き合いになるだろう。よろしく頼む」
(実際は長くないだろうけどな)
アイザックの想定とは違った事も起きたが、大体は計画通りに進んでいる。
上手くいけば開戦から二年ほどで戦争は終わる。
早く家族と会いたいアイザックは、この調子で戦争を早めに終わらせようとしていた。
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また現在連載中の「いいご身分だな、俺にくれよ ~下剋上貴族の異世界ハーレム戦記~」において誤字などを確認しております。
本来ならば私がしっかりチェックしておくべきところでしたが
「村上先生が自作品の作画をしてくださっている」という事で浮ついてチェックが甘くなっておりました。
今後は「商業作品」という事を自分に言い聞かせ、プロになったという事をよく認識して行動するように致します。
私のプロ意識の欠如により、読んでくださった皆様に「ん?」と引っかかる思いをさせてしまい申し訳ございませんでした。
なにかお気づきの際は近況ノートなどにて教えていただけますと助かります。
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