第646話 勝つ事が本にて候

 キンブル元帥は悩んでいた。

 目の前にはダールグレン平野が広がっており、農村や畑があるものの見晴らしのいい場所で兵を隠す場所がない。

 それは伏兵を置ける場所が限られるという事でもあるが、戦闘が正攻法のものとなる可能性が高い。

 彼自身は正攻法の戦いを求めていたが、そうなってしまっては困る理由があった。


「あの要塞内にどれだけいるかはわからんが、周囲には五万ほどの軍が布陣している。ここを突破するのは至難の業だぞ……」

「その大半が急遽徴兵された平民でしょう。殺してしまうのは簡単ですが……」


 キンブル元帥の側近や、将軍達も暗い表情を見せる。

 戦って勝つだけならば簡単だ。

 まともに戦闘訓練を行った事のない兵士など、一方的な展開で打ち破れるだろう。

 だが問題はそのあとだ。


「一万でも働き手を殺してしまえば、この地に封じられる者が不満を持つだろうな」


 リード王国では4Wや4つの侯爵家がリード王国内で多くの領地を任されている。

 しかし、一都市を任されているような小規模な領主もいた。

 彼らが所有する領地では、人口が数千人。

 小さな領地では数百人程度というところもあった。


 ――例えば働き盛りの男一万人を殺してしまえば、当然税収は大幅に下がる。


 しかもアイザックから「平民は極力殺さないように」と言われている。

 武器を持った敵を放置はできないので倒してしまっても不興を買わないだろうが「もうちょっとなんとかならなかったのか?」と思われる可能性が高い。

 考えもせず簡単に「倒してしまってもいい」という決断を下せない状況だった。


「まずは状況を整理しましょう」


 キンブル元帥の側近の一人が紙束をカバンから取り出す。


「ファラガット共和国の総兵士数は四万程度と言われております。ですが維持費がかかるという事で、実数は三万二千から三万五千程度だとの事でした。彼らは師団という五千人程度の規模で軍を運用しており、国境付近には三個師団が展開。首都防衛で一個師団、グリッドレイ公国側に一個師団。海軍が八千名ほどとの事ですので、実数の調査に関しては正しいかと思われます」

「グリッドレイ公国側の軍を動かしても、この場所に展開させるのは無理だろう。ならば首都防衛部隊と海軍兵士をいくらか回したと見るべきだな。そうなると八千ほどは集まっているかもしれん」


 ――五万人中八千名が訓練された兵士。


 そう考えると、やりようがあるように思えてくる。


「各部隊に二千か三千を分散配備するか、一ヵ所に集中配備して一点突破を狙うか。奴らが取れる戦法は少ないはずだ」

「私ならば雑兵など見捨てて、正規兵で我が軍の背後からの急襲を狙います」

「私は正規軍をあの砦の中に隠しておき、状況に応じて対応させます。シューティングスター城とは違い、どこからでも出撃できるようにしてあるはずですから」


 将軍達は、それぞれ自分の考えを述べる。

 特にシューティングスター城とは違う点を、キンブル元帥も気にしていた。

 シューティングスター城は出入口が一ヵ所しかなく、堀を延長する事で自縄自縛の状態へ追い込めた。


 だが、ダールグレン要塞は違う。

 あの要塞は、マーロウ家の居城として長い時間をかけて築き上げられたものだ。

 当然、敵の背後に回り込む抜け道なども用意しているだろう。

 シューティングスター城のように簡単に包囲しておしまいとはいかないはずだ。

 キンブル元帥も頭を悩ませる。


「私達の事をお忘れではありませんか?」


 そこにエルフが自分達の存在を主張する。

 彼らに手伝ってもらえると非常に助かる。

 しかし、そう簡単に頼めるわけではなかった。


「お力添えいただけるのならありがたい。ですが本当によろしいのですか? そこまでリード王国に肩入れをしても」


 ――これまで人間の争いに無関係を貫いていたエルフを参戦させる。


 それは歴史の大きな転換点となる。

「キンブル元帥は長年の禁忌であったエルフの戦争利用を再開した」と歴史の汚点として残る事は避けたいところだった。

 だが彼は大きな見落としをしていた。


「リード王国に特別な肩入れをするわけではありません。休戦協定を破ったファラガット共和国を罰するだけです。ただここにいる私達だけでは軍隊に対抗できません。ですからリード王国に・・・・・・我々の協力をしていただく、という形ならば問題ないでしょう」


 ――リード王国がエルフに協力させるのではなく、エルフ側がリード王国に協力させる。


 そういう形にして、キンブル元帥の心理的な抵抗を和らげようとする。


「どうしてもあなた方を戦争に巻き込んではいけないという考えが先に浮かんでしまいました。ファラガット共和国を恨んでいるのはあなた方だというのに……。申し訳ない」


 彼の発言を受けて、キンブル元帥は謝罪する。


「では改めて、協力していただけますか?」

「ええ、もちろん。協力させてください。アイザック陛下と共に行動している者とは違い、最前線の部隊に同行している者達は覚悟が決まっています。作戦に合わせて行動致しましょう」

「ありがたい。これからは客人ではなく、友軍として扱わせていただこう」

「奴らにエルフを怒らせた時の恐怖を植えつけてやりますとも」


 二人は握手を交わす。

 この時には、すでにエルフを使った戦い方をキンブル元帥は思いついていた。

 そして「もしかして、我々にもエルフの怒りを見せておくいい機会だと考えているのでは?」という考えも頭に思い浮かんでいた。



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 リード王国軍の内訳は――


 王国正規軍     一五〇〇〇

 ウェルロッド公爵軍 三〇〇〇〇

 ブリストル侯爵軍   五五〇〇  


 ――の、計五〇五〇〇となっている。


 侵攻前の王国正規軍は一八〇〇〇だったが、三〇〇〇はアイザックの護衛として残っていた。


 彼らは北方から南方に向かい――


 ウェルロッド公爵軍 一〇〇〇〇 指揮官バートン子爵

 王国正規軍     一五〇〇〇 指揮官キンブル元帥

 ウェルロッド公爵軍 一〇〇〇〇 ダッジ伯爵


 ――と、ウェルロッド公爵軍を二つに分割し、王国正規軍を挟むように布陣していた。


 ブリストル侯爵軍と残りのウェルロッド公爵軍の一万は、彼らの後方を守るように分散して配置されていた。

 今回、主に戦うのは王国正規軍とウェルロッド公爵軍だからだ。

 エルフ抜きでも、キンブル元帥は勝利する自信があった。

 とはいえ、エルフのおかげで双方の被害を最小限に抑える事ができるかもしれない。

 どのように扱えばいいのか判断に困るものの、強力な味方ができた事は心強かった。


 あとは号令をかけるだけだ。

 だが攻撃を仕掛ける前に、キンブル元帥には確認しておかねばならない事があった。

 敵陣と距離があるので、宮廷魔術師に命じて、魔法で相手に声を届くようにさせる。


「私は王国軍元帥、レナード・キンブル侯爵である。そちらの指揮官は誰か?」


 彼はファラガット共和国軍に向かって誰何する。

 相手方に元帥旗が掲げられているのはわかっていたが、それでも本人の反応が欲しかったのだ。

 キンブル元帥はファラガット共和国側の反応を待つ。


「私は共和国軍元帥、デクスター・フォレットだ。高名なキンブル元帥と相対する事ができて光栄だ。何用かな?」


 キンブル元帥も長年現役だったため、リード王国軍の中では有名な将軍ではあった。

 しかし、ファラガット共和国にまで名前が轟くほどではない。

 高確率で嫌みだろう。

 だが、そのような嫌みを戦争相手に言われるのは承知済みである。

 キンブル元帥は嫌みを聞き流す。


「ウォーデンの事はご存知かな?」

「…………」


 フォレット元帥の返事はない。

 だが「何の事だ?」と聞き返しもしなかった。

 その反応が触れてはいけない事を知っているという証左でもあった。

 キンブル元帥は、そのまま話を続ける。


「我々はウォーデンに囚われていたドワーフを救出した。男のドワーフは生まれた時点で間引かれ、女のドワーフばかり残されていた。そうすればドワーフの子供を増やしつつ、気性の荒い男のドワーフを制限できるからだそうだな。その事をドワーフはもちろん、エルフも知ってしまったぞ」

「知らん! そのような事は聞いた事がない!」


 さすがにフォレット元帥も無視できない状況だと思ったのだろう。

 キンブル元帥の言葉を否定した。


「そうか、元帥という立場にありながらなにも知らされていないのだな。エルフなどは州知事クラスの所有物となっていたというのに。こちらは噂ではなく事実を掌握している。もし貴公が知らないというのであれば、大統領閣下にでも尋ねてみるのだな」


 今度はキンブル元帥が嫌みを言う番である。

 これに下手な反論はできなかった。

 返答を間違えれば兵の士気が落ちてしまう。

 だからフォレット元帥は「聞いた事がない」と、はぐらかす事しかできなかった。


 しかし、それはそれで軍全体に動揺を与えてしまっていた。

「エルフやドワーフを奴隷化している」という噂自体は、以前からファラガット共和国内で流れていたからだ。

 これはアイザックが流したというわけではなく、エルフの所有者などが漏らした話が徐々に広まったせいである。

 だから隣国の王だったギャレットも知っていたのだ。

 トップシークレットな情報だと彼は思っていたが、情報管理の甘い人物のせいで重要機密が駄々洩れだった。

 その事を知らずにとぼけるフォレット元帥の姿は滑稽なもの。

 とぼければとぼけるほど、彼の評価を下げる事になっていた。


「さて、ファラガット共和国の兵士諸君。諸君らの元帥閣下はなにも知らないそうだ。戦術も知らないのではないかな?」

「戦術は知っている! これから貴様らを打ち破って証明してみせよう!」

「そうか、ならばかかってくるがよい!」

「……はぁ?」


 キンブル元帥の言葉に、フォレット元帥は間の抜けた返事をした。

 

「なぜ我らから仕掛けねばならん。攻撃を仕掛けてきた貴様らを打ち破るという事だ。その程度の事もわからんのか?」

「そうかそうか、ならばこちらは動かずにおくとしよう。こちらの総兵力は二十万を超える。待てば待つほど有利になるのだからな。時間が経てば経つほど我が方が有利になる。まさかその程度の事もわからん相手だったとはな。このような指揮官のもとで戦う兵士達が哀れだ。貴公と語るまでもない」

「なんだと! 待て! そちらから話しかけておいて、一方的に打ち切るとは非礼ではないか!」


 キンブル元帥は一方的に話を打ち切った。

 まだフォレット元帥は文句を言っているが、キンブル元帥は無視をする。

 魔法をやめさせると、彼は側近に話しかける。


「嫌なものだな、出世するというのも。将軍の時であれば目の前の敵を倒す事を考えていればよかったというのに」

「心中お察しします」


 元帥になった以上、ただ戦争に勝つ方法を考えればいいというものではない。

 元帥は堂々と名乗り合って、名誉を賭けて戦うだけではいけないのだ。


 ――武士は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候。


 アイザックのように戦う前から敵軍の士気を挫き、どのような手段を取ろうとも被害を最小限にして勝つ。

 元帥とは、そのためにはどうするのかを考えてから行動をせねばならない立場だった。


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2024年1月20日正午より「いいご身分だな、俺にくれよ」のコミカライズがマグコミにて連載開始致します。

本日、コミカライズの見開き扉絵を近況ノートにて投稿しておりますので、そちらも是非ご覧ください。

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