第643話 民心掌握術

 モントゴメリーの東三十キロほどの場所に、キンバリー川というファラガット共和国を東西に分割するのにちょうどいい大河が流れている。

 グリッドレイ公国には首都のデューイを含む東半分を渡す予定である。

 そのためこの街は当面の間、前線付近における最重要拠点だった。

 周辺を制圧し、民心を獲得しなければならないので、いつまでも動揺ばかりはしていられない。


 ドワーフの問題は、国元に残っているランカスター侯爵に「大軍を送り出すとか言い出さないように善処してください」と丸投げした。

 きっとランカスター侯爵は困るだろうが、往復で半年はかかるここから指示を出したのでは遅い。

 国に残っている彼になんとかしてもらうしかなかった。


 民心掌握のため、アイザックが取った行動は教会の征圧だった。

 王国時代の首都という事もあり、この街の教会には歴史があり、大司教もいたからだ。


 ――そして男のエルフも捕らえられていた。


 他の街では女のエルフばかりが奴隷にされていた。

 それは使用用途が男とは違うからだろう。

 だが、ここには男のエルフが三人捕らえられていたのだ。

 それは大司教でも治せない傷をエルフに治療させ、教会の権威として利用するためだった。

 女のエルフよりかは酷い目には遭っていないが、それでも地下に監禁され続けた事で精神に変調をきたしている。

 メンタルケアの専門家などいないので、エルフの村で時間をかけて立ち直ってもらうしかないという状態だった。


 だからこそ、アイザックもその状況を利用しようとしていた。

 幸いな事に魔女狩りなどの処刑で使うからか、教会前には広い広場がある。

 そこでアイザックは聖人ショーを行うつもりだった。

 これまで捕らえてきた有力者などの出席を強制し、あとは街の住民を集めた。


「今私がここに立っているのはリード王国国王アイザック・ウェルロッド・エンフィールド・リードとしてではない。新たに教皇となられたセス聖下に認定された聖人、セント・アイザックとしてここにいる」


 住民がざわつく。

 新たな教皇が誕生したという噂は流れていたが、この街の教会では変化がなかったため、それを実感する機会がなかったからだ。

 だから「アイザックはどんな行動を取るのか?」というのは新鮮味があり、民衆に興味深く見守られていた。


「これを見よ」


 アイザックは、縛り上げられた大司教の胸倉を掴む。

 彼の首元には見るからに高そうなネックレスが下げられていた。

 その他にも、服には宝石で彩られた刺繍が施されている。


「なぜ神に仕える者が、ここまで華美に着飾る必要がある? 教皇庁では寄付金を教会の修繕や貧民救済などに使っているというのに」


 大司教の近くには、アイザックがリード王国から連れてきていた司教候補達がいた。

 彼らは黒を基調とした落ち着いた色合いの服装をしていた。

 ファラガット地方の大司教候補の服装には金色の刺繍などが施されているものの、それでも品性を感じられる程度のものだった。

 明らかに金がかかっていそうな服装をしているファラガット共和国の大司教とは大違いである。


 これはアイザックが指示したものであった。

 ファラガット共和国では宗教関係者も腐りきっているという情報を手に入れていた。

 だから彼らには「豪華で偉そうに見える服装」よりも「簡素で清貧に見える服装」をするように要請していた。

 この対比がアイザックには欲しかったからだ。


「神に祈りを捧げる場を立派な教会を建てたりする事は構わない。教会を維持するために修道士の衣食住も寄付から賄うのも当然だろう。だが寄付金を使って派手に着飾り、豪華な食事を取り、快適な暮らしをするのは神に仕える者として逸脱した行為と言うしかない! 密かにエルフを捕えていたという罪だけではなく、彼らは神の名を騙り、諸君から金品を巻き上げてきた罪を問わねばならない」


 アイザックはファラガット共和国の教会関係者を弾劾する。

 大司教達は猿轡を咥えさせられているので反論はできなかった。

 しかし、アイザックも鬼ではない。

 彼らが挽回するチャンスを用意していた。


「だが私が独断で彼らの罪を問う事はできない。それは聖人認定されたとはいえ、私も神ではないからだ」


 アイザックは、それが当然だと言わんばかりに自信を持って語る。

 民衆は自信を持って語るアイザックの話に耳を傾けていた。


「しかし、この方法で神に問いかける事はできる!」


 アイザックの前に大きな焚き火台が運ばれてくる。

 これから起きるであろう事を予想した大司教は暴れ始める。


「それは火の中に手を入れるという方法だ。もしも彼が神に認められた大司教であるのならば、神は彼を守り、火傷の一つもない状態になるだろう。これは魔女狩りなどでも使われている判別方法だ。大司教という地位を任される者ならば、きっと無傷だと私は信じている」


 アイザックは民衆向けに優しい笑みを見せる。

 だがその笑みが大司教には邪悪極まりないものに見えていた。


「さぁ、大司教猊下の縄をほどいて腕を自由にして差し上げろ」


 アイザックの命令に従い、近衛騎士が大司教を縛っていた縄をほどく。

 当然ながら、大司教は火の中に手を入れようとはしなかった。

 仕方がないので、アイザックは腕を組みながら、視線で「手を火の中に入れろ」と近衛騎士に命じる。

 大司教は周囲の目を気にする事なく、全力で嫌がった。

 しかし、騎士の力には敵わない。


「むぐぅ、むがぁぁぁ」


 彼の手は見る見るうちに焼け爛れていった。


「……俺達を騙していたのか?」

「私達の寄付金を贅沢するために使っていたの?」

「神のためだと思っていたのに」


 その光景を見て、民衆の心は急速に大司教から――この街の聖職者から離れていく。

 それを確認したアイザックは、次の段階へと移る。


「彼は偽物だったようだ。神よ! 私がこの国の住民を正しい方向へ導くべきしもべであるならば、どうかこの身を守りたまえ!」


 アイザックは火の中に手を突っ込んだ。

 今回もアルコールで濡らした手袋を使ったトリックである。

 そう何度も使えない手であったが、ここが勝負どころと思って使用を惜しまなかった。


「手が燃えてるぞ!」

「手袋が燃えてるんじゃないか?」

「でも熱そうにしてないぞ!」

「……もしかして魔法で燃えてるように見せてるだけなんじゃないか?」

「きっとそうだ」


 今回は侵略者という事もあり、民衆は半信半疑だった。

 そこでアイザックは手の炎を大司教のアゴに近づける。


「ひぎぃぃぃぃ」


 立派なヒゲは燃えて縮れてしまい、彼のアゴにも火傷を負わせる。

 手だけではなく、顔にまで火傷を負ったので、あまりの痛みに見悶える。

 その反応が、アイザックの炎は本物だという証拠になった。

 アイザックは水桶に手を浸けて火を消すと、手袋を脱いで無傷の手を民衆に見せつける。


「どうやら答えは出たようだな。しかし、神にすべての罪人を裁いていただくわけにはいかないだろう。そこで大司教や司教といった責任者にのみ責任を負わせる。過去に犯罪行為をしていない限り、ただの修道士達まで罪を負わせる事はないと私はここに宣言する。今一度初心に帰って務めを果たしてほしい」


 アイザックの言葉は万雷の拍手で迎えられた。


 ――責任を取らされるのは末端の者のみ。


 それがこれまでの常識だったからだ。

 この場に集められていた有力者達も「もしかすると自分達が狙われるのではないか?」と、アイザックだけではなく、民衆の動きにも怯えていた。


 彼らも民衆の恨みを買っている事は自覚している。

 アイザックという外圧により国内情勢が大きく動いたので、これまでのようにはいかないだろう。

 民衆に反逆されない保険が必要になってくる。


 そう――大きな力の庇護下に入るのが簡単かつ安全なのだ。


 有力者達はリード王国ではなく、まずは民衆から身を守るために行動しなくてはならない状況に追い詰められた。

 そう、聖人であるアイザックに頼らねばならない状況に。


「罪人どもは聖火による火あぶりとする! もしも神のご慈悲が得られるのであれば助かるだろう。これまで本当に神のしもべとして尽くしてきたのならばだがな」



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 大司教らの火刑が終わった。

 彼らにとっては残念な事に、雨が降ったりして火が消えたりする事はなかった。

 彼らはアイザックの権威付けとしての最期を迎える。

 末端の修道士達は、モントゴメリーの教会内でこれまで起きた犯罪行為を告白させられていた。


 ――正直に話せばよし。

 ――だが話さねば罰する。


 そう脅す事で、彼らは正直に告白を行った。

 なにしろ聖アイザックの奇跡を目の前で目撃したのだ。

 正直に話す事しかできなかった。


 リード王国から連れてこられた者達も、この地域の布教に関して真面目に取り組もうとしていた。

 これは彼らの使命感もあるが「新しいポスト」に関しても大きく影響している。

 ファラガット共和国を攻め滅ぼせば、リード王国ファラガット地方が誕生する。

 そうなると大司教や司教といったポストが新しく作られる。

 彼らにその席に座るチャンスが回ってくる可能性が極めて高いからだ。 

 やる気も出るというものだ。


 リード王国の教会ではエルフやドワーフとの共存を是としている。

 彼らにファラガット共和国の民衆を再教化してもらえれば、アイザックも統治がやりやすくなる。

 それに悔い改める事で、一般市民までエルフやドワーフの手にかかる可能性が低くなるかもしれない。

 アイザックは無人の荒野など欲しくないので、支配者層の処刑だけで済ませられるようにしておきたかった。


 ――そして悔い改める機会は、一般市民以外にも与える事にする。


 アイザックは人質代わりに連れ回している有力者の一人、カルビン・フランクリンを呼び出した

 聖人の奇跡を目の当たりにしたあと。

 しかもクロードが同席していて彼を睨み続けている。

 状況を飲み込めないカルビンは身を縮こまらせていた。

 そんな彼に、アイザックは笑みを見せる。


「そう怖がる事はない。あなたにはこれがあるのだから」


 ファーガスが一通の手紙をカルビンに差し出す。

 カルビンは手紙を受け取ると、恐る恐る中を確認する。


「えっ!? なぜこのような……」


 ――手紙の内容は、テッド・フランクリン大統領が彼に「リード王国に協力するように」というものだった。


 なぜ大統領という地位にある父がそのような手紙を書いたのかがわからなかった。

 父が国を裏切ったのかと思うと、激しい動悸とめまいがする。

 しかし、震える手で手紙を読み進めていくと、書いた日付が目に入った。

 それで少し落ち着きを取り戻す。


「この手紙を書いた日付は使節団が訪問していた頃のものではありませんか?」


 ――この手紙は自分を騙すために使われている。


 これが最近書かれたものであれば「エルフやドワーフを奴隷化しているのに気づかれた上に勝ち目がない」と判断し、自分だけは助かろうと寝返ったものだろう。

 だがこれは違う。

 手紙には使節団がきていた頃の日付が書かれていた。


「それならばこれは両国の関係のために、グリッドレイ公国へ攻め込む貴国を助けろという意味だったはずです。我が国へ攻め込んできた貴国を助けろという内容のものではないはずです。私はこのような手紙に騙されはしませんよ」

「フン、くだらない事を考えたものだな」


 ――この手紙を使ってフランクリン家に協力でもさせようというのだろう。


 その魂胆を見抜いたと思ったカルビンだったが、アイザックは彼の考えを鼻で笑った。


「フランクリン家が所有する運送会社にはすでに協力してもらっている。お前がおらずとも問題は起きていないようだぞ」


 フランクリン家は西部一帯に広がる範囲で運送業を営んでいる。

 彼の家族は軟禁され、血縁者ではない会社のナンバーツーに運営を任せていた。

 よほどのワンマン社長でもない限り、トップが入れ替わろうが会社の経営には直ちに影響はない。

 だからアイザックは、カルビン個人の協力を得ようなどとは思っていなかった。


「私の協力が必要ないのであれば、なぜ今になってこのようなものを見せるのですか?」

「フランクリン家は二代前から政界に進出したそうだな? ならばエルフやドワーフに対する罪も軽いとは思わんか?」


 カルビンは、クロードを見る。

 凄まじい気迫を感じる視線を向けられていた。

 命の危険も感じるほど強く睨まれていたが、まだ睨んでくるだけだ。

 不快ではあるが、殺すほどではないと思われている可能性もある。

 ここは説明の一手しかない。


「はい、祖父は国会議員として地方の声を届ける役割を果たしていただけで、父も小さな派閥に属していただけ政治の利権とは程遠い存在でした。政治的なバランスを取るためという事情がなければ大統領になどなれなかったでしょう。それまで当家は州知事にもなっておりません。重傷を負った者が教会で治療を受けたくらいで、エルフとは関わりがございません」


 彼は必死に「祖先がエルフを愛玩していた過去はない」という事を説明する。

 アイザックも恐ろしいが、エルフも恐ろしい。

 報復から免れるためにも、自分達は無関係である事を証明しておかねばならなかった。


「ウォーデンは?」


 クロードが低く冷たい声で質問をする。

 魔力でも籠められているのか、カルビンは寒気を感じた。


「物資の搬入や搬出をしていました。ですが内部は限られた者しか入る事ができないので、ドワーフと関わった事はございません」


 カルビンは圧迫感で吐き気をもよおす。

 しかし、今は胃の内容物を吐きだすなどという贅沢な時間の使い方などできない。

 決死の覚悟で吐き気を押さえ、なんとか弁明する。


「こちらで調べた通りだな。だからこそチャンスを与えよう。そう遠くないうちに降伏勧告の使者として出向いてもらいたい。その際、フランクリン大統領や他の閣僚に伝えてほしい事があるのだよ。フランクリン家にとってそう悪い内容ではない。協力してもらえるのならば、エルフやドワーフにも私から口添えしてやる」

「……その内容をお聞かせ願えますか?」


 カルビンにとって、アイザックの頼みを聞く以外の選択肢などなかった。

 例えリード王国が許してくれても、大統領の一族をエルフやドワーフが許してくれるとは思えない。

 アイザックの口添えがどれほどの効果があるかはわからないが、それにすがる事しかできなかった。

 だが、それも内容次第である。


「あぁ、それは――」


 アイザックは、カルビンに伝えてほしい情報を教える。

 カルビンはポカンと口を開けて驚く。

 

「本当に、それをお伝えしてよろしいのですか?」

「かまわないとも。それが我ら・・のためだ」


 アイザックの言う我ら・・とは、アイザックとカルビンの事ではない。

 人間・・を指したものだった。

 カルビンがクロードを見る。

 その反応はアイザックも予想済みだった。


「彼は種族融和大臣であるモラーヌ男爵・・だ。彼はファラガット共和国の罪状を認識しながらも協力してくれている」

「それでもこのような事に協力させられるのは不本意ですが……」

「渋々ながらも、こうして協力してくれているのがわかるな? 長年の関係があるから、私の頼みを聞いてくれている。それは他のエルフやドワーフ達も同様だ。私の口添えが欲しくないか?」

「欲しいです!」

「ならば、時がくれば頼むぞ」

「かしこまりました!」


 ――クロードが渋る理由。


 彼の言葉通り、このような事に協力させられるのが不本意だったからだ。

 だが、それは「フランクリン家を助けるのが嫌だったから」ではない。


 ――アイザックに頼まれて怒っている演技をさせられているからだった。


 ファラガット共和国の人間に対する怒りは本物である。

 しかし、わざとらしく怒って見せて、脅迫の道具として使われるのは不本意だった。

 そう思っていても引き受けたのは、まだまだ囚われているであろうエルフを解放するためであった。


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明けましておめでとうございます!

今年もよろしくお願いいたします!

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