第642話 世界のルールの悪用
「突入、突入!」
街壁上を制圧した部隊が門を開ける。
すぐに中へ入れるように待機していた騎兵が真っ先に突っ込む。
「目標、真っ直ぐ! 新たな壁!」
「了解!」
制圧部隊が騎兵に目標を伝える。
騎兵からは見えなかったが、制圧部隊からは二つ目の壁が見えていた。
――それは外部から守る壁というよりも、内部にあるなにかを囲むためのもの。
そのような印象を受けるものだった。
騎兵はその言葉を信じて、街道上を一直線に進む。
ウォリック公爵軍が近づいてきた段階で街の住民に知らされていたらしい。
誰もが家の中に隠れ、窓の隙間からコッソリと覗いていた。
(あれが伏兵だったら大損害を受けるな。だが行くしかない)
騎兵を率いるダン・クルーセル子爵はそう思った。
彼はウォリック公爵の従兄弟であり、ドワーフを救うという重要な役割を任されていた。
これは「ドワーフを救えばウォリック公爵家に利益がある」という利益と「ノイアイゼンという市場がウォリック公爵領を救ってくれた」という恩義により、絶対にしくじれない任務だからだ。
多少の損害は許容するが、ドワーフに危害を加えられる事だけは避けねばならない。
正に決死の覚悟で突き進んでいく。
(あれか!)
やがて十メートルほどの壁が見えてきた。
それは明らかに居住区と、その奥を分け隔てるためのものだった。
そして近づくにつれて異質さがよくわかった。
――防壁を登る階段がこちら側にあったからだ。
壁の向こう側から、居住区に侵入しようとする者を防ぐための壁である事は明白である。
あの壁の向こうにドワーフが隠されている可能性が極めて高くなってきた。
クルーセル子爵の鼓動が早くなる。
「半数は壁上と周囲の征圧! 残りは私と共に突入し、ドワーフを救出する! あとは手筈通りにやるぞ!」
門は落とし格子ではなく、閂タイプのものだった。
そこへ騎兵が突入し、門兵を素早く殺していった。
一部の騎兵が馬から降り、閂を抜く。
「突入!」
門が開かれると、クルーセルは向こう側へと突入する。
パッと見た感じでは、先ほどまでの居住区と同じ。
だがある区画では黒煙が昇り、またある区画からは金属音が聞こえてきた。
あとは予定通り、ドワーフを救出するだけである。
騎兵は部隊毎に分かれ、各方面へと散っていく。
兵士は防衛に動員されているはずなので、ここに敵兵がいるにしても少数のはず。
ドワーフを傷つけられないように素早く制圧する必要があった。
もし人質に取られた場合は、エルフの到着を待って治療可能な状態で救出する手筈となっていた。
人の気配が多い建物に騎士が突入する。
クルーセル子爵も部下のあとをついていった。
「ドワーフの皆さん、我々はリード王国です。ノイアイゼンというドワーフの国の求めにより、皆さんを解放にきました」
クルーセル子爵の耳に、部下の声が聞こえてきた。
どうやら本当にドワーフがいたようだ。
騎士の一人が廊下に出てくる。
「閣下、ドワーフを見つけました。敵兵はいないようです」
「そうか。ならば会ってみよう」
安全が確認されたので、彼もドワーフの様子を見ようとする。
部屋の中に入ると、女性ドワーフが大勢いた。
彼女らはテーブルに並んで座り、縫い物をしているようだった。
(ここには針子が集められているようだな)
「私はリード王国のクルーセル子爵である。もしかしたら皆さんはご存知ないかもしれませんが、ノイアイゼンというのはドワーフの国です。休戦協定を破り、皆さんを捕まえているという情報を得て助けにきました。とはいえ、突然こんな事を言われても信じられないでしょう。もうじきドワーフの部隊も突入してくるので、彼らと会っていただきます。もう自由になれますよ」
クルーセル子爵も今は自分が貴族である事を忘れ、腰を低くして動揺している彼女達に状況の説明をする。
彼女達が「ウォリック公爵家の人達は良い人ばかりだった」と証言してくれれば、ノイアイゼンにかなりの好印象を与えられるボーナスタイムだったからだ。
しかし、反応はかんばしくない。
そこで近くの年配の女性ドワーフに話しかける。
「おわかりいただけたでしょうか?」
「あの……、自由ってなんですか?」
(哲学は苦手なのだが……)
――シンプルかつ、かなり難しい問題を投げかけられてしまった。
しかし、彼女は哲学を語りたいわけではないだろう。
クルーセル子爵は必死に説明を捻り出そうとする。
「哲学的な問いかけでないといいのだが……。例えば好きな時に家族で出かけたり、友達と遊びに行ったりする事かな。仕事も自分が生活できるだけ働けばいいし、強制はされない」
その時、クルーセル子爵はある事を思いついた。
「ここでは働いた分の賃金を得られるのか?」
「賃金とは?」
「あぁ、得られないようだな」
クルーセル子爵は秘書官を呼び、自分の財布から硬貨を取り出す。
「働けば金が貰える。そして金があれば、その金の価値に応じて好きなものを得る事ができるのだ。金を貯めれば、あなたが縫っているその綺麗な服も、あなたが着る事ができるようになる。食べたい物も、好きな時に好きな物を食べられるようになるんです」
だが説明しても、まだピンとこないようだ。
彼女らには自由の価値がわからないらしい。
生まれた時から強制的に働かされ、食事なども用意されたものだけを食べてきたのだろう。
(奴隷や貧民ですら金の価値がわかるというのに……。哀れなものだな)
クルーセル子爵はそう思った。
そして、これ以上説明するのも難しいだろうとも思っていた。
「いずれわかる時がくるでしょう。私達が敵ではないという事だけ覚えておいてください」
彼は説明から逃げた。
あとはノイアイゼンで、ドワーフ達が教育してくれる事を祈るのみである。
彼は紡績工場らしきところから外に出て、別の建物の征圧へ向かおうとする。
そこへ伝令が駆けてくる。
「閣下、ご覧いただきたい場所がございます」
「わかった。案内しろ」
伝令の顔は真っ青だった。
クルーセル子爵も本心では行きたくなかったが、確認せずにはいられない。
部下の手前表には出さないものの、渋々案内を命じる。
案内されたところは鍛冶場だった。
金属音は途切れていたが、それでも熱気が顔をあぶってくる。
「ご覧ください」
案内された場所には女のドワーフ達がいた。
彼女らは鍛冶師らしい格好をしているので、ここで働いていたのが一目瞭然だった。
「これがなんだと……。あっ!?」
クルーセル子爵は気づいてしまった。
気づきたくなかった事に。
「ノイアイゼンの部隊を――止められんな」
ドワーフ達がこの状況を確認するのは止められない。
そのような事をすれば、事件を隠蔽しようとする共犯扱いをされるだろう。
「ウォリック公に伝令を出せ。これから惨劇が起きると」
ドワーフの侵入は防げない。
彼らにできる事は、ただ神に祈る事だけだった。
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(ふんふんふーん)
開戦から一ヶ月半。
アイザックはファラガット共和国中部、ウィックス地方のモントゴメリーという街に陣取っていた。
この街は旧ウィックス王国の王都であり、交通の要衝でもあるので制圧する意義は大きなものだった。
ここまで想定以上に少ない損害で占領できたのだ。
思わず鼻歌も漏れるというものである。
お茶を楽しみながら、各地からの報告を受け取っていた。
――そんな上機嫌なところにウォリック公爵軍から伝令がやってきた。
伝令はクルーセル子爵。
アマンダの従兄弟伯父に当たる相手が直接きたのだ。
アイザックも朗報だろうと思っていた。
しかし、彼の顔色は冴えない。
まずはお茶を勧めて落ち着かせる。
「ウォーデンにドワーフはいましたか?」
「おりました。こちらの報告書に詳細がございます」
「では見せていただきましょう」
ファーガスが報告書を受け取り、それをアイザックに渡す。
内容に目を通したアイザックは目を丸くして驚いた。
――ドワーフの奴隷は女のみの六百名だけ。
これは「異種族間で作られた子供は母親の種族になる」というこの世界のルールを悪用したものだった。
男のドワーフは女よりも強く、気性も荒い。
だから男児が生まれた時は間引かれていたそうだ。
女のドワーフがいれば、労働力を一定数は維持できる。
それが理由だそうだ。
アイザックでも考えもしなかった悪辣さである。
「これは事実ですか!?」
「事実です。私が一番に確認致しました。ウォーデンには女性のドワーフしかおりませんでした」
「なんて事だ……」
報告書を読み進めると、アイザックはめまいを覚えた。
「しかも怒り狂ったドワーフのせいで被害がこんなに……」
――ヴォルフラム達、ドワーフの軍が状況を知って街で暴れた。
ファラガット共和国の軍民問わず、五千名が死亡。
止めようとしたウォリック公爵軍にも二百名の死者が出た。
治療できるエルフがいたにもかかわらず、それだけの被害者が出たのだ。
――ドワーフ達の怒りがどれほどのものだったか。
おそらく、これもアイザックの想像を絶するものだろう。
「あの街の住民は証人として生かすべきだとウォリック公が説得したのですが……。結局はマチアス様達、エルフの長老衆が説得してくださるまで、ドワーフ達は暴れるのをやめませんでした」
「あの方々には感謝するしかないですね」
アイザックは深い溜息を吐く。
戦争に乗り気でなにをしでかすか不安だった過激派が戦場では一番頼りになったようだ。
一緒に暴れるだろうなと思っていたアイザックは少し反省する。
「私と同じ時期にドワーフが出発したので、今頃彼女らはロックウェル地方に着いている頃でしょう。そこからは焦らず、ゆっくりとノイアイゼンに向かうとの事です」
「奴隷扱いはしているだろうと思っていましたが、まさか家畜扱いとは……。ノイアイゼンは出兵を決意し、国内の通過許可を求めてくるかもしれませんね」
「ですが酷い扱いを受けていた彼女らを救った者として、陛下はノイアイゼンの信頼を勝ち取る事ができるでしょう」
「そうだろうけど……。彼女達がノイアイゼンに着いたあとが怖いですね。ファラガット共和国がここまでしているのは完全に想定外でしたよ」
ウォリック公爵軍はウォーデン周辺も制圧している。
ロックウェル方面軍とも合流を果たしたので、ウォーデン周辺は安全だろう。
しかし、それも今だけだ。
おそらく、ウォーデンの住民はノイアイゼンに引き渡すしかない。
どんな扱いを受けるかは明白だった。
「ウォリック公には失った兵の補償をしないといけませんね」
「それはヴォルフラム殿から『ノイアイゼンが補償する』と一筆いただいております。二百の損失で彼らに負い目を与えられたと考えれば安いものでしょう」
「それもそうですが……。本当にこのような状況があったのですか?」
いまだに信じられないアイザックは、もう一度クルーセル子爵に確認する。
クルーセル子爵も、悲痛な表情を見せる。
「信じ難い事ですが、すべて事実です」
「人間とはここまでやるものなんですね……」
アイザックは静かに目を閉じて考えにふける。
(乙女ゲーーームぅぅぅ! 乙女ゲームの設定はどこにいった! ここは乙女ゲームの世界だろうが! 無駄にエグい事しやがるな! どうすんだよ、これ。どう収拾つけるんだよ!)
ゲームで設定されていないところは、かなりえげつない事になっていたようだ。
アイザックは知りたくもない事を知ってしまい、叫びながら暴れたくなってしまう。
だがクルーセル子爵や部下の手前、涙目になるだけでなんとか我慢する。
その薄っすらと涙する姿を見て、周囲の者達は「陛下もあまりの悪逆非道ぶりに涙されておられる」と受け取られていた。
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マッグガーデン様より、書籍とコミカライズが決定致しました!
まずは2024年1月20日マグコミにて、作画:村上よしゆき先生で『いいご身分だな、俺にくれよ 〜下剋上貴族の異世界ハーレム戦記〜』というタイトルでコミカライズが連載開始します!
よろしくお願いいたします。
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