第641話 トライデントアタック

 アイザックが「醬油や味噌を羨ましがる者はいないので遠慮なく食べてください」とマットに言われて落ち込んでいた頃、ウォリック公爵軍はウォーデンへ向かって驀進していた。

 彼らの進撃速度は異常なほどであった。

 国境からウォーデンまでに三週間ほどは必要だと予想されていたが、彼らは二週間で到着する。


 ――それはエルフの協力によるものだった。


 水を軍に提供するだけではない。

 彼らは大昔から戦争を知る世代である。

 現代では忘れ去られた手法も、彼らは覚えている。


 ――魔法によって疲労を回復し、強行軍に耐えられるようにする。


 これはとても有効だった。

 休憩に使う時間を最小限にし、長時間歩けるようにする事で大幅に移動速度を上げていた。

 馬にも使用し、荷馬車などの移動距離も早く移動していた。


 しかし、魔法による副作用もあった。

 それは兵士達が「疲れているはずなのに疲れていない」という状態に慣れていないせいだ。


 ――精神と体の不均衡。

 ――戦争中のはずなのに大規模な戦闘は起きず、降伏させるだけで終わる。


 あまりにもチグハグな状態に慣れる事ができず、不眠症になったりする者が続出する。

 しかもその寝不足すらエルフの魔法で治されるので、病気になっている暇すらないという異常事態が続くのだ。

 一般兵は不気味さを感じながらも、この異常な状況に少しずつ慣れていったが、それでも違和感は拭えなかった。


 これらの出来事は、すべてマチアスを始めとした武闘派のエルフが集まったせいで起きた事だった。

 穏健派のアロイス達ですら「ドワーフを救うためだ」と黙認していた。

 だが、そのおかげで予定よりも早く到着する事ができたのだ。

 複雑な感情を持ちながら、ウォリック公爵も黙認する事にした。


 ――しかし、道中の問題は気にせずにいいものばかりでも、ウォーデンでは問題が起きた。


「さすがにここは警戒されているか」


 道中の街は「彼らはエルフとドワーフの使節団で、我々は護衛だ」と言い張って強引に街の中に入り、市庁舎などを押さえる事もできた。

 これまでは国際問題が起きるのを恐れて渋々と門を開いてくれたが、ウォーデンは違う。

 やはり守るものがあるからか、街の門は閉じられ、兵士達が街壁に集まって武器を構えていた。

 誰も近づけないという意思を感じる。


 そもそも、この街自体がよそ者を受け入れない作りとなっている。

 街の背後は切り立った崖で、正面は高い壁に囲われていた。

 事情を知っている者ならば、それは内部からも誰も通さないという確固たる意志を持って作られているように感じられただろう。

 

 この街にも念のため使者を送ったが「この街は他国の見学を認めていない。そんな話も聞いていないから引き返せ」と断られた。

 元々期待していなかったのもあり、断りの返事をもらえただけマシだとウォリック公爵は思っていた。


「では魔法で門を吹き飛ばすか」

「そんな事できるか! 捕虜がどうなると思っているんだ!」

「巻き添えになったらどうする!」

「ガキじゃないんだから、少しは自分の行動がどういう結果を及ぼすか考えろ!」


 今回はモラーヌ村以外の長老達も集まっているので、周囲からマチアスに遠慮のないツッコミが入る。

 ボロクソに言われた事で、マチアスはムスッとして黙ってしまった。

 彼に喋らせるとロクな事がないので、アロイスが違う提案をする。


「ここはトライデントアタックでよいのでは?」

「トライデントアタックとは、どのようなものですかな?」


 ウォリック公爵が興味深そうに尋ねた。


「街壁に向けて三本の橋を架け、そこを駆け上がるというものです。三叉槍トライデントのように見えるので、そう呼んでいます。戦闘要員が三百おりますので、半数を城壁への突撃、九十名を橋作りに、残る六十名は地上から街壁正面への支援攻撃といった配分でいいでしょう。我らの後ろをウォリック公の兵士が同行し、城門を開けていただくというのでいかがでしょう?」


 言わば街道整備の延長線上で、街壁に向かって坂道を作り出すというものなのだろう。

 エルフの魔力があるからこその力技である。

 これならば兵士が接近し、ハシゴを掛けて壁をよじ登るよりも安全だ。

 しかし、ウォリック公爵には疑問が残る。


「もしも足場を崩されたら大惨事となりませんか?」

「なります。ですがあちらにはエルフがいない。いたとしても少数でしょう。魔法による攻撃を防ぎながら足場を破壊するのは困難だと考えています」

「なるほど……」


 ウォリック公爵は、長老衆に視線を向ける。


「皆様はどうお考えですか?」

「どうせ老い先短い身だ。強硬策でも構わんよ」

「協定違反をしている相手だ。遠慮なくやってしまっても構わんのだろう?」

「ならば断る理由はない」


 長老達はアロイスの提案に乗り気だった。

 それを見てマチアスも動く。


「なに、奴らに協力する者がいれば諸共やってしまえばいいだけだ!」

「だからそれがダメだと言っとろうが!」

「騙されたり、家族を人質に取られとるかもしれんのだぞ!」

「敵味方に分かれていた時代ではないのだぞ、馬鹿!」

「さっきから言い過ぎだぞ、お前ら!」


 マチアスが他の長老達と掴み合いの喧嘩を始める。

 相手が相手なので仲裁に入るかウォリック公爵達は迷っていたが、アロイスは諦めたかのように落ち着いていた。


「できれば我らも戦いたいのですが」


 マチアス達を横目に見ながら、ドワーフの代表であるヴォルフラムが参戦を申し出る。


「それでは突入の第三陣でいかがでしょうか? まず我らの騎兵が、次に歩兵が重要拠点を押さえるために突入します。そのあと、捕まっているであろうドワーフを探すのを手伝っていただきたい。我々だけでは彼らも不安でしょうから」

「わかりました。それではそうさせていただきましょう」


 彼らは道中の街でエルフを三人解放している。

 ドワーフも捕まっている確率が極めて高いと思っているため、ウォーデンにドワーフがいる事を前提に話していた。


「それではトライデントアタックというものでいきます。エルフの皆様、よろしくお願い致します」

「お任せを」


 取っ組み合う長老達を無視しながら、会議はひとまず終わった。

 これからの事が不安ではあったが、ウォリック公爵はエルフの力を見てから対処方法を考えようと、半ば諦め気味に考えていた。



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 攻撃は一時間ほどの休憩を取ってから行われた。

 アロイスが話した通り、エルフは三つの部隊に分かれる。

 ウォリック公爵軍も準備を整えていた。

 だが攻撃を仕掛ける前に、一度だけ降伏勧告を行う。


「さて、この街の守備兵ならばわかっている事だろうから要点だけ伝えよう。我々はこの街に囚われているドワーフを助けにきた。大人しく解放するならよし。休戦協定違反ではあるが、ドワーフに情状酌量を求めてやろう。だが解放しないのであれば、ドワーフのみならずエルフも敵に回す事になるぞ。ただちに降伏せよ」


 ウォリック公爵は、ざわつく街壁をぼんやりと眺める。

 彼はこれまでのように兵士が素直に武器を捨てると思っていた。


 ――だが今回は違った。


 兵士達に動揺が走ってはいるようではあるが、降伏しようという動きがなかった。

 むしろ誰もが悲壮な決意で守りについているようにすら見えた。


(やはり協定違反を咎められるのが怖いのか? それとも兵士らも人質を取られているのだろうか?)


 ウォリック公爵は、彼らがなぜ戦おうとするのか理由を考えた。

 だが首を振って、その考えを振り払う。

 武器を構えている以上は敵である。

 降伏の意思がないならば戦うだけだ。


「ではアロイス殿、お願いします」

「お任せを。それでは手筈通りに進めましょう。三百年振りですが覚えていますか?」

「二百年振りじゃろう?」

「三百年前だと敵にもエルフがいた頃だ」

「ワシらよりも先にボケがきたか?」


(このジジイども!)


 アロイスは五百歳ほど。

 エルフの代表を任されている彼だが、周囲には六百歳、七百歳という更なる年長者も多い。

 比較的若い彼が代表を任されるのを気に食わないものも一定数いた。

 こうなる事はアロイスもわかっていたが、それでも「何人か死んでくれても悲しまない」と思わざるを得なかった。


「皆の者、三叉槍を壁に突き立てろ!」


 気を取り直して号令をかけた。

 まずは支援部隊が地上から攻撃を仕掛ける。


「ナウマク・サマンダボダナン・インダラヤ・ソワカ」


 支援部隊から雷が放たれる。

 他の魔法では街に被害を及ぼすかもしれないが、これなら力を抑えれば人間の命だけを奪う事ができるからだ。

 狙った相手以外にも感電する事で、命を奪ったり、動きを止めたりする副次効果も狙える魔法だった。


「オン・カカカビ・サンマ・エイ・ソワカ」


 次に架橋部隊が街壁への橋を架ける。

 橋と言っても、魔法で地面を強引に盛り上げるだけだ。

 彼らは支援部隊の援護を受けながら、二百メートルほど離れた場所から十分な広さの橋を作っていく。


「ここが正念場だ! 気合を入れろ!」


 最後に突入部隊が三本の橋を駆け上がる。

 威勢がいいだけあって、マチアス達長老衆が先頭を切る。

 その後ろを、ウォリック公爵軍の兵士達が付いていく。


「ナウマク・サマンダボダナン・インダラヤ・ソワカ」


 突入部隊も走りながら目についた敵を打ち倒していく。


 ――だがすべてが順調ではなかった。


 中ほどまで進んだところで、マチアスの横や背後から悲鳴が聞こえ始める。

 それは先に進むほど増えていき、マチアスも自分の周囲の気配が明らかに減ったと感じていた。


(まともな反撃などないのにどうしてだ!?)


 不思議に思ったが、敵を前にして後ろを振り向く事などできない。

 ただ必死に前へ、前へと進むしかなかった。

 マチアスが背後を確認する余裕ができたのは、街壁に到着し、ウォリック公爵軍の兵士が街壁上を制圧し始めた時だった。


「バカな……」


 驚きのあまり、彼は思わず声が出てしまう。

 街壁上には、エルフの三分の一ほどしか到着していなかったからだ。


「なにがあった? 反撃があったというのか?」


 兵士に抱きかかえられてやってきた仲間に問いかける。

 問われたエルフは、心底悔しそうな表情を見せる。


「肉離れだ」

「…………」


 マチアスは呆れてものが言えなかった。

 彼の見下すような視線を見て、エルフは答える。


「仕方ないだろう! 坂道を走るなんて久しぶりなんだ! あまりの痛みにすぐ魔法を使えなかったんだ! それを見かねたこの兄ちゃんが運んできてくれたんだ」

「これは人選ミスだったな……」

「ワシはまだまだやれる! これからの働きを見ておけ!」

「年寄りの冷や水にならんといいな」

「本当にお前は嫌みな奴だな!」

「それはお互い様だ」


 街壁上に無事到着したのが四十三名。

 肉離れや捻挫などの負傷者が百五名。

 足を踏み外して落ちそうになり「作るなら手すりもつけろ」と苦情を入れたのが二名。


 ――戦闘による死傷者はゼロだった。


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いつもクリスマスに予定が入る予定がありましたが、今年は予定が入りましたのでお知らせのために投稿します。

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