第638話 アイザック流要塞攻略法 後編
シューティングスター城内では会議が行なわれていた。
だが「戦争の兆候を見抜けなかった責任者は誰だ!」と会議が紛糾する事はなかった。
誰もがお通夜のように頭を抱えていたからだ。
「戦争が始まった」事よりも「稀代の名将に包囲されている」という状況を嘆く者が多かった。
「コナー、本当にこの城は敵軍を防ぐ事ができるのか?」
スミス大将は「コナー司令官」とは呼ばなかった。
これは就任当初から一貫している。
建築科出身の者など司令官として認める事ができなかったからだ。
コナー自身も分不相応な立場だと理解していたため、スミス大将に抗議をしなかった。
その態度が更に彼の要塞司令官としての立場を周囲に軽く見られる一因となってしまっていた。
「できます」
しかし、彼が委縮しているのは立場に関してのみ。
自分の仕事に関しては自信を持っていた。
彼は紙に五芒星を描き、城壁部分から線を書き足していく。
「この線は弓兵が矢を放つ方向だと思って見てください。射撃を表す線で、私が射線と呼んでいるものです。従来の城壁は自分達の持ち場を守るだけでしたが、この城壁の形なら近くの守備兵が援護する事ができるのです。特に城門付近には左右からの線が集まっているのがおわかりいただけるはずです」
「アイザックが言っていた人を殺すのに特化した城というわけか」
もうアイザックの事を「陛下」とつけて呼ばなかった。
本人の前ならばともかく、アイザックがいない場で敬称をつけて呼ぶ理由がなかったからだ。
他の者達もスミス大将を止めたりはしない。
コナーも気にせず話を続けた。
「その通りです。自分の守備位置だけを守るのではなく、お互いに援護をしながら戦う。それだけを意識するだけで誰でも敵軍に多大な被害を与えられます。もっとも、この城の守備兵の数を考えれば五万は無理でしょう。それでも三万は道連れにできます」
「三万か……。ちょうど周囲に布陣した軍くらいの数だな。……ところで本当に抜け道はないのか?」
「ありません。この城は城壁だけではなく、城内も曲がり角一つ一つに迎撃拠点を設けています。城主の間まで一人でも多くの命を奪うための造りをしているのです。逆に利用されかねない抜け道など作っておりません」
「そ、そうか……」
(マーロウ大臣もよく戦場を知らぬ画家崩れになどに要塞の設計をさせたものだな)
シューティングスター城内にはおよそ六千ほどの兵がいる。
三万の兵を道連れにできるのなら、キルレシオは五:一。
初戦でそれだけ失えば、リード王国軍も撤退を選ぶ可能性は高い。
――しかし、それは机上の空論だった。
実際は最後の一兵まで戦うような事はない。
そうなる前に降伏するからだ。
相手がロックウェル地方の軍であれば、降伏したあとの拷問を考えて最後まで戦ったかもしれない。
だが相手はリード王国の正規軍である。
ロックウェル地方の兵士と違って、ファラガット共和国に強い憎しみを抱いていない。
安心して降伏できる相手なので、城壁を突破された時点で降伏する者も出てくるだろう。
せいぜいが水掘を埋めている間と城壁を攻撃している間で、一万ほどの兵を死傷させておしまいという可能性が高い。
スミス大将も師団長としての義務感は持っている。
そんな彼でも最後の一兵まで戦うつもりはなかった。
一般兵など、もっと士気は低いはずだ。
「ここは平民の国です。自分達の国を守るために兵士達も命懸けで戦ってくれるでしょう」
だがコナーは現実をわかっていなかった。
彼は「司令官にしたほうが城に合わせた戦い方を教えた時、兵士達も大人しく聞き入れるだろう」と思われて要塞司令官に任じられただけだった。
実力を期待されてのものではない。
名前や経歴からアイザックは勝手に警戒していたが、設計士としてならばともかく、軍司令官として警戒する必要のない人物だったのだ。
完全に無駄な警戒心を抱いてしまっていた。
「そうだといいがな。……もうこんな時間か」
スミス大将は外を見る。
会議をしている間に、すっかり日が落ちてしまっていた。
「今晩は交代で仮眠を取ろう。新月の日に攻め込んできた理由があるはずだ。すぐに起きれるように心構えをしておけ」
「ハッ!」
スミス大将は会議を締めくくる。
その心中は穏やかではなかった。
(どうせ眠れんだろうがな)
これまでにもロックウェル王国との小競り合いはあったが、これだけの規模で攻め込こまれたのは初めてだ。
指示を出した彼自身、仮眠できる気がしなかった。
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城壁の上では盛大にかがり火が焚かれていた。
煮えたぎった油の入った釜や、投石用の石、予備の弓矢といった籠城戦に必要なものも用意されている。
迎撃の準備は万全だった。
あとは周囲の警戒を続けるだけである。
だが、その警戒が兵士達にはたまらなく恐ろしかった。
暗闇に紛れて迫ったリード王国軍が、見張りをしている自分を打ち抜くかもしれない。
胸壁から顔を出すのも命懸けだった。
しかも今日は新月で、わずかな星明かりだけが頼りである。
明るい城壁の上からでは、余計に暗い城の周囲が見えにくかった。
「なんだか人の気配がしないか?」
「やめろよ、気配なんてないほうがいいんだから」
「いいから目を凝らせ。星明かりでも鉄に反射すればわかりやすいんだから」
「わかったよ」
兵士の一人が、城の周囲に人の気配を感じていた。
彼の同僚は恐れるものの、それでも命が懸った仕事なので暗闇に目を凝らす。
だが明かりが反射するようなものは見えなかった。
しかし、なにかは感じる。
「なにかがいる……、ような気がする」
「俺も感じる」
他の兵士達も暗闇の中で動きがあるのを感じ取った。
武器を握る手に力が入る。
「小隊長、火矢を放ってみますか?」
「そうだな……」
小隊長は少し悩んだ。
油を沁み込ませた布を矢に巻きつけただけのものだが、籠城中は補充ができない。
そしてなによりも、先に矢を放つ事でリード王国軍が攻撃してくるきっかけになってしまうかもしれない。
その責任を自分が取らねばならない事をなによりも悩んでいた。
「では正門付近に動きがあると報告して、周囲を確認するために火矢を放ってもいいか許可を――」
最悪の場合を想定し、自分の責任を最小限に抑えるために上官の得ようとしていた時――城門前からゴオオオッッッと轟音が響き渡る。
音の場所から距離はあるようだが、それでもこの状況は看過できない。
「全員、違う場所に火矢を放て!」
これはもう「先制攻撃した」と非難される状況を考える場合ではない。
「敵の接近を許した」と非難されてしまいかねない状況だった。
先にリード王国軍が動いた以上、火矢を放っても先制攻撃だと非難される事はなくなった。
小隊長はすぐさま命令を下す。
兵士達の動きは早かった。
彼らも自分達の命が懸った状況である。
胸壁に身を隠しながら城門前からその先へ矢をバラ撒くように放つ。
異変の元凶はわからなかった。
しかし、おかしな状況である事はわかる。
――城から百メートルほど離れた場所では火矢が消えてしまったのだ。
何度、矢を放っても火が消えてしまう。
そこに火を消す者がいるにしても、消えるのが早すぎた。
「中隊長に報告へ向かえ。城から百メートルほどのところで異変あり。おそらく魔術師がいると。他の者は周囲の警戒を続けろ!」
小隊長は状況を把握し、その報告を上げた。
だが現在の状況はまだわからない。
なにが起きたのかわかったのは、日が昇った時だったからだ。
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「堀が繋げられている!?」
早朝、スミス大将は部下を連れて城門付近で状況を確認していた。
北西と南西の凸部分にある水掘が、城門前を囲うように掘られていた。
昨夜の轟音は、新たに作られた水の音だったのだろうという事だけはわかった。
火矢がすぐ消えたのも、水に落ちたからだろう。
だが「リード王国軍が、なぜ城の守りを強化したのか?」という事だけはわからなかった。
「これでは城門を攻撃できんではないか」
城門には跳ね橋があるため、他の場所とは違って水堀は狭いところで十メートルほどしかない。
だから攻撃を仕掛けるなら、城門付近を狙うべきだった。
なのにリード王国軍は城門付近へ続く道を自ら塞いでしまった。
「アイザックが城攻めの素人だった……、という事はないか?」
「さすがにないでしょう。元帥旗も見えるので、普通は武官が止めるはずです」
「私もそう思う。だが偉大過ぎるアイザックに周囲が意見を言えなかったという事は……。ないだろうな」
スミス大将は自分が口に出した考えを、即座に自分で否定する。
アイザックはそこまで愚かではないはずだ。
ならば、わざわざ水掘りを繋げた意味がある。
その理由を考えねばならなかった。
だが、その必要はなかった。
昨日のようにアイザックが供回りを連れて、城門付近へと近づいてきたからだ。
今回は水掘りの向こう側で止まる。
「今日はもうお揃いで。呼び出す必要がなくて助かった」
「これはこれはアイザック陛下、水掘を埋めようとして失敗したところを確認するために来られたのですかな? 攻城は失敗ですな」
スミス大将は虚勢を張った。
アイザックがなにをしようとしていたのかわからないが「わからないので教えてください」とは立場上言えないからだ。
失敗を笑うような表情と声を出したのに、アイザックに動じる気配はなかった。
いや、彼の周囲にいる者達もうろたえてはいない。
その態度がスミス大将達を不安にさせる。
「いや、もうこの城に対する行動は終わった」
「またまたご冗談を。我らはこの通り健在ですぞ」
余裕のある態度を見せるスミス大将だったが、アイザックは不思議そうにしていた。
「まだわからないのか? お前達はシューティングスター城という名の監獄に入っている事に」
「なんだと!? ここのどこが監獄だと言うのだ!」
まだ一戦も交えていないというの、監獄に入った囚人のように言われたのだ。
スミス大将は激怒し、アイザックへの言葉遣いも荒くなる。
対照的にアイザックは極めて冷静だった。
「なぜ要塞を攻略する必要があるのかわかるかな?」
「それはもちろん、そこに敵兵がいるからだ!」
「ではなぜ敵兵を倒さねばならない?」
「残したままでは背後から襲撃されるからだ!」
「その通り」
アイザックは両手で「さぁ、目の前の堀を見て」とジェスチャーをする。
「城の強固さのために出入り口は一か所しかないのだろう?」
「……はっ!?」
「わかったようだな」
――リード王国軍も城門に接近できないが、駐留軍も外へ出られなくなってしまっている。
外に出てリード王国軍の後背を狙うには、まずは水掘を埋めねばならないのだ。
当然、それは妨害されるだろう。
「攻守交替だ。水掘りを埋めるのにどれだけの犠牲が出るだろうな」
計画通りシューティングスター城を無力化できたので、アイザックはドヤ顔で決める。
元々、ロックウェル地方の商人が城の周囲を確認して、城門が一か所しかないという事はわかっていた。
さらに抜け道もないらしい。
ならば一つしかない城門前を塞ぎ、対岸に弓矢が届くように櫓を立てておけばいい。
あとは城内の食料が尽きるまで待つだけだ。
時間が勝手に解決してくれる。
無駄な攻城戦などする必要はなかった。
「この城を放置するというのですか!」
今度はコナーがアイザックに尋ねる。
彼は自分のすべてを注ぎこんだ城を無視されるのを見過ごす事ができなかった。
「その城は難攻不落なんだろう?」
「そうです!」
「ならわざわざ攻めて兵に被害を出す必要などないのでは?」
「そうです! いやっ、それは……」
勢いに任せて返事をしてしまったコナーは焦る。
――難攻不落の城をわざわざ攻める必要などない。
もっともな意見だ。
無理攻めをして損害を出さずとも、ファラガット共和国軍が城から出てきた時に迎撃すればいい。
――守りが固いからこそ無視をする。
これも合理的な考えではある。
(しまった! 完璧な城を作ってしまった事が裏目に出たんだ!)
コナーは自分の失敗を悟った。
敵を誘い込むなら、一見すると「あそこは狙い目だ」と思える場所を用意しておくべきだった。
あまりにも完璧な城を作ってしまったために、城を落とすのを諦めて、軍を無力化する方向へ舵を取られたのだと考えた。
その考えは正解であり、不正解でもあった。
アイザックはファラガット共和国への侵攻作戦は速度が重要だと考えていた。
ウォーデンのドワーフ達が殺されて、どこかに埋められたりしたら証拠がなくなる。
だから城攻めという時間がかかり、兵を損耗する無駄を省こうとしたのだ。
打って出てきた敵兵を叩くほうが平地での戦いなので不利な状況での戦いにはならない。
城を攻め落とすのを諦めたというのは正解。
完璧な城だから諦めたというのは不正解であった。
「敵軍を前に逃げるなど恥と思わぬのか!」
スミス大将も、このまま行かせるわけにはいかないと思い、アイザックを挑発する。
ファラガット共和国軍は国境付近に集まっている。
この先にはリード王国軍を防げるまとまった数の兵がいない。
臨時徴兵をするにも、ここで時間を稼がねばならなかった。
「私はウェルロッド公爵家という文官の家系で育った。武人としての名誉などどうでもいい。それに今の私は国王だ。私一人の名誉で多くの兵が無駄死にせずに済むなら、その選択を選ぶさ。名誉を気にしなくてはならないのは、そちらのほうだろう。自国が攻められているというのに、安全な要塞に籠って国民を見殺しにしたと後ろ指を指されるのではないかな?」
今度は逆にアイザックがスミス大将を挑発する。
「その城はエルフの魔法で作られたそうだな。そこには魔術師もいるだろうが、エルフの魔法で強化された地盤に穴を開けられるのかな? それとも城壁を壊して通路を作るのか? 諸君が我が軍の包囲を破って、どうやって外に出てくるのかを楽しみにしているよ」
アイザックは最後にフフフッと笑うと引き上げていった。
残されたスミス大将は頭を抱える。
「これはまずい、まずい事になったぞ……」
リード王国軍を足止めする事ができなくなっただけではない。
他にも大きな問題があった。
(商人共が食料を買い占めていたせいで、四ヶ月分しか食料の備蓄がない。配給を半分にしても八ヶ月分。援軍がなければ一年も持たないぞ)
商人達がリード王国に売るために周辺地域から食料を買い集めていた。
そのせいでシューティングスター城内には既定量の食料を備蓄する事ができずにいたのだ。
戦闘になっていれば問題はなかった。
リード王国が本気で攻めてきたのならば、数カ月で城は落ちていただろう。
その間に戦死者が増え、自然と口減らしもできていた。
――だが戦闘は起きそうにない。
最悪の場合、強引に水掘を埋めさせてようとして兵士の数を減らすしかないだろう。
しかし、無策のまま死なせ続ければ反乱を起こされかねないので無茶はできない。
――攻撃されないが、籠城し続ける食料もない。
――城門以外の場所から出ようにも出られない。
なにもかもがファラガット共和国軍にとって裏目に出ていた。
(なるほど、これがアイザックのやり方というというわけか。商人共に食料を集めさせたのも、きっと備蓄をさせないためなのだろう。これは思いつきなどではない。ずっと前から考えられていた計画的な侵攻だ)
――相手のやりたい事をなにもさせない。
すべて一手先、二手先を考えて手を打っている。
もう要塞の利点を活かして防衛戦を行う事ができない上に、打って出ても堀を埋めるという一方的に攻撃される状況を乗り越えねばならない。
このような状況を作り出せる相手では、まともに戦っても一方的な戦いになりそうだ。
スミス大将は戦争が始まる前から勝負は決まっていたのだと悟り、兵達の前だというのに肩を落としてうなだれていた。
――アイザック流要塞攻略法。
それは要塞が存在する意味を失わせる事だった。
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近況ノートにシューティングスター城の状況画像を投稿しました。
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