第636話 侵攻開始
四月十五日の早朝。
ファラガット共和国の税関職員は、ニワトリが鳴いたら仕事を始める。
税関の外にはいつも通り商人達が待っている――はずだったが今日は違う。
通達通り、数え切れぬほど多くの兵士の姿があった。
「話は伺っております。ですが武器の持ち込みは認められておりません。こちらの倉庫でお預かり致します」
いくら襲いかかってこないとわかっていても、武装した兵士が立ち並んでいる光景を見るだけで威圧されてしまう。
だが武装した兵士の入国を認めるわけにはいかないので、やんわりと渋る事で「入国は許可できない」という意思を見せる。
国家間の戦争にはならないだろうが、個人間の争いになる可能性はある。
それでも税関職員は勇気を振り絞って対応した。
「おや、連絡が入っていないのですか?」
リード王国軍の指揮官らしき者が、どこかおかしそうにニヤついた笑みを浮かべながら答える。
「武装解除した兵士は通してもかまわないという連絡は入っておりますが、武装した兵士を通してもかまわないという連絡は入っておりません」
税関職員は「もしかして連絡の不備でもあったのかな?」と不安になる。
リード王国の兵士が目の前にいるというのに「その場合、責任を取らされるのは誰か?」という事を考え始めてしまう。
だが連絡の不備に関しては心配無用だった。
「いや、そうではない」
部隊長が右手を高く掲げ――勢いよく振り下ろす。
すると後方にいた兵士達が動き出し、手際よく税関職員達を征圧していく。
「な、なにをするのですか!? このような暴挙は許されませんよ! 戦争になります!」
「なにを言っている。もう戦争になったんだよ」
「えっ……、バカな……。そんなはずは……」
「お前達は、アイザック陛下の手のひらの上で弄ばれていたのさ」
そうは言うものの指揮官自身もアイザックに弄ばれていた側だった。
ファラガット共和国への侵攻が各部隊に伝えられたのは二日前。
荷物運びをするものだと思っていた兵士達は大いに驚かされた。
だがそれまで秘密にされていたのは「ファラガット共和国に知られないため」だと聞かされて表面上は落ち着いていたものの、心の奥底では動揺を抑えきれていなかった。
だが兵士達にも当然家族がいる。
直接的にエルフの世話にならずとも、街道の整備や治水工事で家族が助かっている者も多かった。
世話になっているエルフやドワーフのために奴隷を解放する戦争だと聞かされれば「攻める対象がグリッドレイ公国からファラガット共和国に変わっただけだ」と気持ちの切り替えもやりやすかった。
突然の命令ではあったが、兵士達の士気は高く、やる気に満ちていた。
一方、ファラガット共和国側の士気は低かった。
税関にも駐留する兵士がいるが、彼らは強引に税関を突破しようとしたりする者や、密入国を企てる犯罪者の対処がメインの任務である。
彼らがリード王国軍に対応するには数も装備も足りなかった。
そもそも、ほとんどの兵士が要塞に集められており、現時点でリード王国軍を追い返せるかなど、現時点で考えるまでないほどわかりきった事だった。
これと同じ光景はマクドノー周辺のみならず、リード王国とファラガット共和国の国境全体で起きていた。
そしてどこも呆気に取られて組織的な反抗はできていない。
前日まで各地で「どうやって食料を運び出すか」という協議を行っていただけに、このリード王国の侵攻は寝耳に水だった。
国境に接している他の街でも大した抵抗もなく、あらかじめ集めていた情報によって自宅を襲撃、市長などの身柄が順調に確保されていった。
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だがそうはいかない場所もある。
マクドノーの東十キロほどの地点にあるモナハン州の州都モナハンに到着するまでに日が昇る。
州知事が侵攻を知って、衛兵などを集めて抵抗を試みる可能性があった。
そのためモナハン攻略を任されたのはウィンザー公爵軍だった。
モナハンへの道中には新しい要塞があったが、そちらはアイザックが率いる王国軍が対処してくれる。
彼らは民衆に戦争が始まったと知られぬよう、歩兵を整列させて歩調を合わせてモナハンへ急ぐ。
幸いな事に、州知事は防衛体制を整えていなかった。
これはモナハンの西方には新しい要塞が建設されているのと、この街には交易都市であるマクドノーとは違い、過去の戦争ではロックウェル王国の侵攻を防いできた実績があったからだ。
守りの固い要塞都市のため、そう簡単には落とされない。
それに戦争になるにしても要塞が攻められるか、横を通ろうとするリード王国軍をファラガット共和国軍が打って出て敵軍と戦うかのどちらかだという考えが油断を生んでいた。
リード王国にとって、初日にモナハンを征圧できるかどうかは戦争の行方を左右する要件である。
要塞の対処は本隊に任せ、ウィンザー公爵軍はモナハンへと向かう。
モナハンを攻めるにあたり、重要なのは相手を油断させる事。
ここでは「食料を運び出すために武装解除した輸送部隊」という体で接近し、街の中へ侵入。
内部に入ってからは、武器を持たずとも十分な戦闘力を持っている宮廷魔術師部隊の支援で門を確保してから後続部隊が次々に街中へ突入する。
――州庁舎、市庁舎、衛兵詰め所、武器を取り扱う商会の倉庫、要人の自宅、そして食糧倉庫。
計画通りに兵士達は街の要所を押さえに向かう。
その中でも州庁舎は重要地点だ。
州知事の身柄を押さえられるかどうかは、今後の統治にも影響を及ぼす重要案件だった。
セオドアも自ら州庁舎へ向かうほどの気合の入れようである。
「なんだあれは、リード王国軍の兵士か?」
「お、おい。武装してるぞ!」
「まさか、戦争か?」
――金品が略奪され、女は犯され、街が焼かれる。
これから起こる事を想像し、街の住民は慌てふためく。
しかし、戦争が始まったにしては被害がない。
武装した兵士が街中を走り回っているだけである。
「そういえば食料を運び出すとかいう話じゃなかったか?」
「あぁ、そういえば……そうだったな」
「国内に武器を持った他国の兵士を入らせるんじゃないよ。なにやってるんだ、役人どもは」
「しょせん役人なんて商人として稼げない奴が就く仕事なんだから、あいつらに期待するだけ無駄だろう」
街に被害がないため、状況を冷静に考える余裕があった。
考えた結果「武装解除を要求しなかった政治家が悪い」という結論に至る。
まずは様子を見ようという流れになる。
だがこの状況で様子見を選べたのは市民だけだった。
この街の衛兵は「武装解除したリード王国軍が荷物を受け取りにくる」と聞いていたからだ。
リード王国軍を止めねばならないとはいえ、さすがに自分達より圧倒的に多い兵士を止める勇気はない。
州知事か市長が「戦って侵入を止めろ」と号令をかけていれば、彼らもまだ仲間で集まって戦う心構えができていただろう。
しかし、そのような命令は下されていなかった。
争っていい相手かどうか判断がつかないまま、彼らは逆に武装解除されるという体たらくだった。
そして衛兵達が武器を取り上げられているのを見て、住民達は「荷物を受け取りにきたわけではない」という事実に嫌でも気づかされた。
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すでに日は昇っていたため、州庁舎には役人が出勤済みだった。
彼らはリード王国軍を見て慌てふためく。
だが彼らが慌てているかは兵士達には関係ない。
庁舎内で目についた者達を捕えていった。
「おい、資料室はどこだ!」
「ひぃっ、さ、三階東側です」
「よし、いくぞ!」
州庁舎の受付嬢は怯えていた。
突然、兵士達が現れて、人々を捕まえていくのを見ていたからだ。
このような状況を作り出したのが誰かは関係ない。
仮に自国の兵士であっても、やはり目の血走った兵士が走り回る光景を見せられるのは肝が冷える気分だった。
「財務部はどこだ?」
「都市整備部はどこだ?」
「総務部はどこだ?」
受付嬢は「州庁舎内の目的地がどこにあるのか?」と矢継ぎ早に質問される。
いつ兵士達から暴行を受けるかわからない恐怖の中、せめてその時を少しでも先に延ばそうと、彼女は怯えながら正直に場所を答えていく。
そんな彼女のもとへ、騎士の一団が近づいてきた。
「やれやれ、質問に答えてくれたレディに対して礼も言わずに駆けていくとは。すまないね、お嬢さん。部下が失礼した」
「い、いえ」
四十を過ぎたくらいのナイスミドルなおじ様が部下の非礼を謝罪する。
その佇まいに気品を感じる事から、貴族の中でも格式のある家柄の出身者なのだろうと受付嬢は思った。
そして紳士的な態度から、少しだけ危険から遠ざかる事ができたような気がしていた。
「ところで知事殿はどこにおられるかな?」
「正面階段を上がっていただき、六階の通路左側を真っ直ぐ行った突き当りにございます」
「六階か……」
ナイスミドルなおじ様が溜息を吐く。
気品のある人物は、溜息すら格好良く見える。
少なくとも受付嬢にはそう見えていた。
セオドアもまさか受付嬢に「ナイスミドルなおじ様」と思われているなどとは考えもしなかった。
彼が考えているのは「鎧を着たまま六階まで上がるのは疲れるな」という事だけだった。
「私共が知事を連れて参ります」
彼は明らかに階段を上がるのを嫌がっている。
それを察した騎士が「知事を連行してきます」と申し出た。
だが彼はかぶりを振る。
「いや、平民ではあるが州知事といえば領主のようなものだ。伯爵相当の職責を担う者相手なら、こちらから出向いて降伏勧告をするのが礼儀だろう。先に露払いだけ頼む」
「かしこまりました」
「教えてくれてありがとう、お嬢さん」
セオドアは礼を言うと、正面階段へと向かう。
その先を騎士達が走り、フルプレートの鎧を着たまま階段を駆け上がっていく。
騎士が安全を確保する時間も必要なので、セオドアはゆっくりと階段を上がっていった。
(あんなに重そうな鎧を着たまま階段を駆け上がるとかすごーい)
これまで見た事のない光景に、受付嬢は現実逃避をしていた。
そんな彼女の周囲では、まだまだ混乱が起きていた。
だが、それも一時の事。
周囲から聞こえる悲痛な声で、受付嬢はすぐに現実へと引き戻される。
「お前の役職は?」
リード王国の兵士が、壮年の男に役職を問いただしていた。
「し、市民課の課長です」
男が答えると兵士は男に抱き着き、ガッチリと拘束する。
「お前の事、絶対に離さないからな」
「ひぃぃぃ、離してください!」
これと似たような事は各所で起きていた。
手続きにきていた市民もいたが、その中にいた年配の男を兵士達は次々に捕まえていく。
――それも抱き着くなど、体全体で「離さない」という強い意思表示をしながら。
(リード王国の人って、年を取った男の人が好きなのかしら?)
そんな光景を見せつけられたため、受付嬢はそんな事を考えてしまった。
よほどのコネでもない限り若者は下っ端なので、自然と年を取った男が拘束される事が多くなる。
実際は、この場にいた役職持ちが年配の男ばかりで、たまたま彼らが捕まったというだけだ。
兵士達は、アイザックの「現地の役人を無傷で確保した者は、敵兵を倒すよりも高く評価する」という言葉を信じて捕まえているだけなのだ。
しかし、彼女は現実逃避からか「リード王国の兵士はおっさん好き」と思い込んでしまっていた。
(なんなのよ、この状況は)
彼女は州庁舎の顔ともいえる受付を任されていた。
容姿は人並み以上だという自負もあり、戦火に巻き込まれた際には自分が真っ先に被害に遭う立場だと思っていた。
だが兵士達の興味は年配の男性陣にあり、受付嬢である彼女に興味を持つ者は誰もいなかった。
――現実は残酷である。
(……転職しよ)
本来は「身体的な被害に遭わなくてよかった」と喜ぶべきところだったが、誰にも見向きもされない状況は、それはそれで彼女に致命的な心の傷を与えていた。
これまで周囲にチヤホヤされていた彼女は、この騒動で自分の容姿に自信を持てなくなって転職を決意した。
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